上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007.02.27 人権はバター
 伊吹文部科学相が改正教育基本法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについて,
  「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」
と説明した上で,
  人権をバターに例えて
  「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」
と言ったなどというニュースがありました。

 私は,伊吹大臣によい印象を持っていないこともありますが,それにしても,いくつかひっかかったというか,とても強い違和感を感じました。
 論理的ではなく“感覚的”な違和感ですが,自分なりに整理すると次のような感じです。

1 「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎた」
 →これは,従来の政策や,政府の教育方針と違うので,ウソでしょう。
  日本では「大きな声を出す個人」に,事なかれ主義的に配慮をしたことはあっても,「声なき小さな人々」の立場を重視してきたということはないはずです。

2 「人権はバター」
 →ここには,「人権は西洋的な考え方」というニュアンスが込められています。
 純日本人なら,パンとバターではなく,味噌汁とご飯だろう!みたいな雰囲気が伝わってきて,国民気質に合わないみたいに聞こえます。
 人権は,空気や水みたいに当たり前に存在するものと(自由権),人間の尊厳を守るために支援していく補充・調整する役目のとしての社会権(あえて例えるとビタミンやミネラルみたいなものかな。)があるわけですが,
とにかく,
   無くてはならないもの
というところがポイントだと思います。
   失ったときにその大切さがわかるかけがえのないもの
と言っても良いかも知れません。
 バターみたいに、あってもなくてもどちらでもよい、お好み次第ですよ、というものに例えるのは、誤解を招くのでよくないです。
 
3 食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』に
 →確かに,何事についても過ぎたるは及ばざるがごとし,というのはそのとおりですが,かつて日本社会が正しい意味で人権意識にあふれていたことがあったでしょうか。
 私は,この国では,「人権」という食べ物に飢え,貧窮しているように感じます。
 人権と規制のバランス(たとえていえば,栄養のバランス)が各所で崩れているという現状認識をしています。

 “人権の栄養失調”とみるか,“人権メタボリック症候群”とみるか,は,「人権」という概念のとらえ方と,現状認識の違いによるものと思います。

きっと異論もあるでしょうが,私の率直な感想です。
私は,少なくとも教育を語る文部科学大臣の発言としては、ふさわしくないと感じています。
クリックして下さいクリックして下さいクリックして下さい
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。