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 帝銀事件(1948年1月26日)が起きてから,今日(2008年1月26日)でちょうど60年です。

 その当時,日本中を震撼させ,その後も刑事司法のあり方について大きな問題を投げかけた帝銀事件から,今,何を学んでいるかが今日のポイントです。


 数日前の朝日新聞によりますと,帝銀事件の故平沢貞通・元死刑囚の脳に狂犬病ワクチンの副作用で神経細胞が壊死(えし)した痕跡があることが確認され,虚言などの性格変化を起こす病変があったことが分かったということです。
(→2008年1月22日の記事より


 折しも,一昨日(1月24日),警察庁は,富山冤罪事件と鹿児島選挙冤罪事件の無罪判決を踏まえて,「取り調べ適正化指針」を打ち出しました(→参考記事はこちら)。

 その適正化の内容というのは、「取調室に監視窓を設けて、行き過ぎがないかどうか監視する」というのが大きな柱で、「長時間の取調べ」や、「暴言」,「身体的接触」などを禁止するなどというものです。
 しかし,そんなの当たり前じゃん! 何をいまさら……、という感じです。

 警察庁の検証報告書には、両冤罪事件とも,客観的な証拠を軽視したところに問題があると指摘をしています。
 客観的で科学的な捜査よりも,自白を重んじたのが問題だということです。
 ちゃんと問題が分かってるのに,なんで根本的な対策を講じないのか不思議です。

 帝銀事件についても,平沢氏の自白の信憑性が問題でした。
 しかし,この60年間のめざましい医学の進歩を経た結果,とうとう,平沢氏の虚言病変を科学的に説明できるようになりました。
 ここまで科学が進化したのに,なんでその成果を活かさないのか不思議です。


 さて,この60年の時間の経過の中で,捜査の科学化・客観化がどれだけ進歩したのでしょうか?
 60年前の事件について,自白内容さえも,科学的な分析ができるようになったのに,
 昨今の冤罪事件を見る限り,未だに自白偏重の悪弊がはびこっているわけです。

 しかし,これらのことから学んだ教訓は,
    取調室の監視,暴言,暴力はダメよ
という程度に過ぎないわけです。
 取り調べの全面的可視化さえも実現していません。

 あまりの低レベルさにため息が出る人も多いでしょう。
 しかし,それが今の刑事司法の現実でもあります。

 こうしてみると,
 市民であるわたしたちも「何が科学的な捜査なのか」ということをもう一度よく見直してみるべきなのでしょう。

 そして,
 警察庁もわざわざ取り調べの指針を立てるなら,「科学的な視点をどう生かすのか」という具体的な指摘をするべきなのでしょう。

 60年という長い時間を使ったのだから,それぐらいのことはできてよいはずです。
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