自分への反省を込めて、今枝仁弁護士の「声明  刑事弁護人よ、立ち上がれ」を引用させていただく。
(原文はこちら→http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/view/20070922/1190405400

以下に書かれている内容は、おそらく橋下弁護士も異論の無いところだろうと思う。

  声明  刑事弁護人よ、立ち上がれ

本村洋さんの記者会見の様子をノーカットで見た。
被告人に死刑を求めるスタンスは変わらないが、刑事弁護の意義を認めるなど、本村洋さんの中で刑事司法に対する見方が大きく変わっているのではないか、と感じた。
勝手な分析は失礼かもしれないが、その言葉の一つ一つを精査すると、彼の思考は今まで私が想像していたよりもはるかに洗練されており、十分すぎる謙虚さと配慮を兼ね備え、超越しているように思える。
正直に言って、これまで私は、彼を評価しているつもりであったが、立場の違いからくる反発心もあってか、認識を誤っていた。
私の能力では、彼の段階に追いつくことは、とうてい困難であろうことを、愚かなことに、初めて実感した。

彼は、犯罪被害者遺族の権利を高めるための行動を貫き、達成してきた。弱音も吐かず、涙も見せずに。
私は、刑事弁護人としての自分の能力と精神力の限界に、多くの刑事弁護人の臆病と行動力のなさに、絶望しつつもある。

この10数年、刑事弁護人らは、これまで部外者視してきた被害者遺族の刑事司法内への台頭に戸惑い、直面を避け、混乱し、畏怖するがあまり、刑事弁護人としての社会正義実現の努力を怠ってきた。
本来の否認事件についても、被害者遺族や社会の反発と、審理の長期化、否認態度の厳罰化をおそれ、保釈の早期達成を優先し、妥協し、量刑のための「土下座弁護」で、職務を遂行した自己満足に浸った。
証拠の批判的検討と事実認定を軽視し、謝罪と反省のみが求められる風潮に、我々がしてしまった。
裁判員制度導入を目前にし、国民の刑事弁護の意義への理解は進むどころか、著しい誤解と偏見を招くこととなり、刑事弁護人らは萎縮し、血の通った刑事弁護は死に絶えてしまう危機を迎えている。

刑事弁護人よ、立ち上がれ。

被害者遺族や社会からの非難をおそれるな。配慮と理解をなし、理解されるように努めよう。
自らが理念と唱える刑事弁護を、口先だけでなく、実行する努力を怠るな。行動で示すことこそが、刑事弁護への理解を促進する。
刑事司法に絶望せず、たゆまぬ努力を続ければ、真摯な態度は必ず彼らの心に届き、ともに刑事司法を建設的に支え合う柱として、協同できる日が必ずくる。
刑事弁護人と犯罪被害者遺族は仇敵ではない。
それぞれの社会正義は、対立軸ではない。


わが国の刑事司法に、絶望してはならない。
刑事弁護の再生のために、刑事弁護人よ、立ち上がってくれ。


 私としても、平素の弁護活動が、文中に出てくる「土下座弁護」に甘んじているのではなかろうかという自覚もあって、この今枝弁護士の呼びかけは、胸に突き刺さるものがある。

 一方、声明文中の「刑事弁護人と犯罪被害者遺族は仇敵ではない。それぞれの社会正義は、対立軸ではない。」という部分には、特に共感を覚える。

 私の身近な場面で考えてみる。
 たとえばJR福知山線脱線事故の被害者支援活動を通じて思うのは、被害者の方々は、加害者に求めているものは、決して「土下座」ではないということだ。
 真に求めているのは、一つは、本当の事実を徹底して明らかにすることと、もう一つは、中身のある真摯な対応である。

 被害者遺族から非難・批判されたとき、意味もなく謝罪して逃げるだけだと、被害者をさらに傷つけることにもなりかねない、
ということを間近で何度も見てきた。

 もちろん、両者の間には激しい感情の対立があるから、容易に理性的な協同が図れるものでもない。
 十のうち、九以上がうまくいかないケースだろう。
 しかし、だからといって安易に流れてはいけないという呼びかけであることも分かっているので、このことを肝に銘じておかなければ・・・・と思う。