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 JR福知山線脱線事故の航空・鉄道事故調査委員会の最終報告を前に,世間ではあまり知られていないJR西日本の「言葉のまやかし」について,いくつか指摘をしておきたいと思う。


1 「誠心誠意」と「精一杯」

 JRは当初「100%当社の責任なので誠心誠意を尽くさせていただく」と繰り返していた。
 しかし,最近は,この「誠心誠意」という言葉を引っ込め,「精一杯」という言葉を乱発するようになった。
 「誠心誠意」というのは,辞書によると,
    まごころをもって,相手の立場に立って接する正直な心
を意味する。
 実際のところ,この2年のJRの対応を見ると,「被害者の立場に立って」物事を進めることが無く,事実をきちんと説明する「正直な心」は全く無かった。
 したがって「まごころ」が通じるはずもなかった。
 JRも,さすがに口に出す言葉と現実のギャップに気恥ずかしくなったのか,意図的に,この言葉を前面に出さなくなったようだ。
 ある遺族の方が指摘されたのだが,「誠心誠意」というのはまがりなりにも相手を意識した意味だが,
「精一杯」というのは,相手不在で,自分一人だけの論理で頑張ることを意味しており,
明らかに後退している,というのである。
 「精一杯」という言葉の持つ自己中心的なニュアンスを鋭く突いたものだ。
 この言葉の中に「誠意」を見い出すことはできない。


2 「補償交渉」と「賠償交渉」

 「補償交渉」というのはマスコミ用語であり,正しくは「賠償交渉」である。
 なぜなら,JR西日本は,違法行為を行ったのだから,損害賠償責任を負うのである。
 したがって,遺族・負傷者に対し,「賠償」をしなければならない。その交渉なのだから,「賠償交渉」というべきである。
 法律的に「補償」というのは,
    適法な対応により損失が生じたときの穴埋め
のことを言う。典型的な例は,土地収用の際の損失補償だ。
 もっと分かりやすく言うと,
   悪いことをした責任を取って被害の償いをする = 「賠償」
   責任はないが損失を補填してあげる公的な行為 = 「補償」
という感じだ。
 JR自身も「補償交渉」という言葉を好んで使用し,すっかり世間に定着してしまった。
 しかし,この言葉には,「自分に本質的な責任はない」,「やむを得ない事柄の代償だ」,「公の立場から補填を施してやる」というニュアンスが感じられ,法律家としては著しい違和感を感じている。


3 「法律的な基準」=「当社の枠ぐみ」

 事故担当者は被害者に対して「法律的な基準によれば,・・・・となります。」という物言いをするようだ。
 しかし,鉄道事故の被害についての法律的に定立された基準などというものはない。
 交通事故の賠償基準というのがあるが,これは,多発する交通事故事件について,数多くの判例を集積して作った,経験的・帰納的なデータの傾向値に過ぎない。
 それを,機械的に当てはめて「法律的な基準」などと言って,あたかも画一的に決まる真実の定理であるかのように言いくるめるのは,大変な問題だ。
 損害賠償は,具体的な事情に応じて,個別的・具体的に決まるものである。
 法律的なモノサシといえるのは,
  「通常生ずべき損害」「相当因果関係」(民法416条)
だけである。
 したがって,基準が先にあるのではなく,具体的な被害状況という事実が先にあるのである。
 ついでに言うと,商法590条2項には,旅客運送契約(=電車で乗客を運ぶ契約)について
 「損害賠償の額を定むるに付ては裁判所は被害者及びその家族の情況を斟酌することを要す」
という特則がある。
 つまり,鉄道事故の被害者については,単に機械的に民法の基準を当てはめるのではなく,被害者や家族のこともちゃんと考えなさい,というふうになっている。
 そのことをJR西日本が意識しているとは,到底考えられない。
 JRは,「法律的な基準」という言い回しで,JRが一方的に立てた自己の「基準」を押し付けているに過ぎない。
 (山崎社長が,記者会見で「当社の枠組み」という言葉を使っているが,この表現が正しいといえるだろう。)

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