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 先日,「夕凪の街 桜の国」を見た。
yunagimati.jpg 原作になった,こうの史代さんの漫画(双葉社;800円)と,映画と,両方を見た。
 映画は原作にとても忠実だったが,映画も,原作も共に見るべきだと思った。

 この物語は,とてもさりげない日常を描きながら,その中に,ヒロシマの被爆後の真実をしっかりと伝えている。
 多くの映画にあるような戦争描写は一切無い。
 しかし,かえって「戦争を知らない私たち」に,リアルな共感を感じさせてくれる。


 ただ,この映画は,ストレートに反戦を訴えているのではない。
 むしろ,この映画を見て,私は,この中にある3つの悲哀が,現代にも通じていると感じた。

 ひとつは,若くして逝った一人目のヒロイン平野皆実が,戦後10年にわたり,「自分だけ生きていて良いのか」と思い悩み続ける心情である。
 これは,いわゆる『サバイバーズ・ギルド』と言われる,死の現場に臨場した者が直面する罪悪感である。
 まさに現代でも,事故や災害に直面した際に,人が感じる感情だ。


 ふたつ目は,10年経った広島の銭湯のシーン。ケロイドの跡を残した人々が,「あのこと」(=原爆投下のこと)を誰も語ろうとしないシーンである。
 聞けば,広島や長崎では,原爆について硬く口を閉ざす人が多いらしい。
 事故,災害なども含め,事実を「語り継ぐ役割」は,決して当事者だけでなく,その周辺者にも課せられた責務だと思われるのである。
(実際,原作者のこうの史代さんも,被爆者でも被爆二世でもない自分が,「踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた」という後ろめたさを克服して,この話を描かれたそうだ。あとがきより。)


 3つ目は,被爆二世に対する差別である。
 映画では,被爆者あるいは被爆二世との婚姻について,現実に立ちはだかる実態が描写されている。
 注目したのは,差別をする側よりも,むしろ被差別者側の心の中に刻み込まれた深い傷が問題だというところである。
 克服するためには,悲しいルーツを辿ることが必要で,それを正しく知るというプロセス(=その役目を果たすのが二人目のヒロイン田中麗奈である。)は,全ての差別の場面に通ずるあり方である。



 こうしてみると,この映画(お話)は,単なる平和映画として捉えるのはもったいない。
 私たちの身近な風景を,さりげなく捉え直して,深い問題意識を呼び起こすきっかけにするべきものかな,と思う。
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