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瀬長亀次郎(せなが・かめじろう)
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 1907年6月10日生まれ、2001年10月5日死去。
 太平洋戦争後、アメリカ軍占領下の沖縄で、軍事優先のアメリカ支配の圧政を糾弾し続けた政治家。
 立法院議員、那覇市長、戦後沖縄初の国会議員を歴任。沖縄の人びとには「カメさん」と呼ばれた英雄だった。
 沖縄の祖国復帰に尽力した沖縄の方々は大勢います。瀬長亀次郎はその一人です。

NHK「その時歴史が動いた」のページより)

 昨日のNHKの「その時歴史が動いた」では,瀬長亀次郎さんを取り上げ,
  忘れられた島の闘い ~沖縄返還への軌跡~
と題して,戦後の沖縄の返還までの歴史をレポートしていた。

 この夏,NHKでは,戦争をテーマにした番組を多数特集するようだ。
お玉さんのブログこちらに一覧が出ています。)
 今回の瀬長さんの特集が,その先頭を切るものだが,今後の番組にも期待をしたい。

 私は,昨日の番組を見て,
   ◇沖縄は,祖国日本に返還されたけれども,
   ◇沖縄の戦後は,今も,全く終わっていない

ということを強く感じた。

 番組では,瀬長さんの言葉として,
「戦争は終わったが、地獄は続いていた」(『瀬長亀次郎回想録』より)

「セナガ一人が叫んだならば、五十メートル先まで聞こえます。ここに集まった人が声を揃えて叫んだならば、全那覇市民まで聞こえます。沖縄の七十万の民が声を揃えて叫んだならば、太平洋の荒波を越えて、ワシントン政府を動かすことができます。」(『瀬長亀次郎回想録』より)

「一リットルの水も、一握りの砂も、一坪の土地もアメリカのものではない。空気は我々がただで吸わせている。そのうえ、今回の新たな土地強奪である。我々は対米非服従運動を起こさねばならない。」(『沖縄の青春 米軍と瀬長亀次郎』より)
という言葉が引用されていたが,今の沖縄が置かれた状況を直視すると,決して過去の言葉ではなく,今でも全くそのまま通用する言葉だと思う。

 番組中で,1971年12月4日、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会での発言として,
「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する。基地となることを拒否する。あの紺碧の空、サンゴ礁に取り囲まれて、あの美しい海。沖縄県民の手に返って初めて平和な島が、沖縄県の回復ができるんだということを二十六年間叫び、要求し続けてきた。」
という発言も引用されていたが,返還前の1956年8月30日に,国会の外務委員会で,瀬長さんが参考人として発言されたものを見つけたので,以下,引用しておきたい。

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