鳥取県は、情報公開審議会の答申を受けて、全国学力テストの結果を公開することにしたそうだ。

 鳥取県は、かねてより情報公開と教育に熱心だった。
 だから、全国に先んじて公開に踏み切ったのも,当然の帰結だと思う。

 実際、鳥取県では、片山前知事の時代から、独自に基礎学力調査を行い,その結果を開示していた。(→たとえばこちら

 県として,しっかりとした理念を持ち,トータルの教育システムが確立していれば、公開してもさほど問題はなく、むしろ有益だという自負があるのだろう。


 法律的に見ても、全国学力テストは、国の仕事(法定受託事務=国の事務を県教委が代行するもの)ではない。
 だから、文部科学省の「非公開にせよ」との通知にしたがう義務もない。

 したがって,本来,鳥取県の判断に、国(文部科学省)がとやかく口を出す筋合いではない。

(大阪府枚方市でも、全国学力テストの公開を求める訴訟が起きているが、理屈だけなら、「公開」という結論も十分あり得る。 改悪新教育基本法の下での司法判断がどうなるか,注目される。)


 しかし、今後、結果がどんどん公表されていくことになれば,いろいろ心配は尽きない。

 鳥取県のような理念を持たず,漫然と放置したらどうなるか?
 おそらく,地域間・学校間の不毛な成績競争があおられ、序列化が進むことも間違いないだろう。
 競争至上主義は,さらにこの弊害を煽る。
 東京都なんか,とりわけ心配である。

 結局のところ、全国学力テストを導入したら、いくら文科省が声高に「非公開・秘密」を訴えたところで、弊害は避けられないということだろう。


 もともと、文部科学省が学力テストを実施しようとした最大の目的が、「国の教育施策の改善」というところにあった。
 この,全体的な施策検討のために材料集めしよう、という目的そのものがおかしかったのではないか。

 確かに,単に全国的な教育施策の改善だけを目的とするなら、非公開でも差し支えない。

 しかし、現実にはそうはいかない。

 ひとりひとりの子どもの教育や、地域、学校毎の事情を考えると、どうしても、個別の情報が欲しくなる。
 個々の教育に熱心であればあるほど、公開を求めたくなるはずだ。
 この動きには抗し切れない。


 やっぱり、「誰のために」,「何のために」このような学力テストを実施するのか、ということをもう一度考え直すべきである。

 少なくとも、「文部科学省のために行う学力テスト」(=“全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上”のための調査)というのはナンセンスだ。

 片山前知事の言葉を借りて言えば「教育のミッション」をあらためて見つめ直す必要があるということである。
 “ひとりひとりの子どものために”,“ゆたかな教育を実施できるようにするため”に,学力調査のあり方を考えればよい。

 教育は国のためにあるのか,子どものためにあるのか,そこがきちんとさえしていれば,情報公開をめぐる議論にも道筋がつくはずだ。