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 何かあったとき,みんなでよってたかって,総ふくろ叩きするのは,とても低レベルな社会現象だと思う。
 それで人の命が失われることもある。
 現実にそういうことが起こった。
 第1に,少数者となったその人の気持ちを想像してみよう
 第2に,マスコミのくだらない情報に振り回されないようにしよう
 第3に,性急にならず,時間をかけて,寛容な気持ちで考えよう
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 『原子力基本法』は,わが国の原子力政策の憲法です。

 そういう大事な法律が,こそこそと秘密裏に改定される動きを知りました。



『原子力基本法』は,戦後間もないころに作られました。
 原爆の惨禍が生々しいころでしたから,原子力を軍事利用しないようにという気持ちを込めて,「民主」「自主」「公開」の3​原則を基本方針にしました。

 ところが,6月15日(金)に衆議院に上程された法案(「原子​力規制委員会設置法案」)では,この基本方針に,
     『我が国の安全保障』
という文言を加えることになりました。

 驚いたのは,三党合意ができていたため,それがほとんど議論さ​れないまま可決され,即日通過してしまったことです。


 この改正でどうなるのか?
 原子力利用の目的に,軍事利用も含まれることになるわけで,原子力基本法がくるっと後ろ向いた,180°方向転換ということに​なるわけです。

 このことで何が問題か?
私の原子力政策に関する主義主張とは関係なく,法律家として,3つの点で大きな問題があると思います。

 第1に,「こんな大事なことを,ちゃんと議論もせずに,ドサクサまぎれに,こそっとやったらあかんやろ」(=国民的議論の欠如​)ということです。

 第2に,「細かな法律の“附則”なんぞで,「基本法」のような大事な法律の魂の部分をひっくり返すようなことしたらあかんやろ​」(=法秩序の破壊)ということです。

 第3に,「被災地も日本全体もたいへんなときに,軍事利用だとかを考えてる場合じゃないやろ」(=社会状況の無視)ということです。


 もし,このような法改正が実現すれば,「安全保障」の名の下に​,ますます「非公開」がまかりとおることになります。

 だいたい,こうした改正は,アメリカの外圧が背景にあるはずで​,なんとも情けないです。

 何より,国会と言う場で議論をせずに,非公開の自・公・民の三党合意で何でもかんでも法律を通してしまうやり方は,民主主義を馬鹿にしています。
 
 先週逝去した日隅一雄さん(ヤメ蚊弁護士)は,
   「主権者」は誰か--原発事故から考える(岩波ブックレット)
の中で,
 

「私たちが主権者として振る舞うために,「思慮深さ」を身につけたうえ,積極的に政治に参加していかなければ,この国は変わらず,また取り返しのつかない「何か」が必ず起こるだろう。」


と予言されていたが,早速,こんな事態が起きて,日隅さんも怒っていることでしょう。



 なお,もう少し詳しく説明しますと,仕組みは以下のとおりです​。

(1) 『原子力規制委員会設置法案』は,以下のとおりです(衆​議院のHPです。)
    ↓
http://www.shugiin.go.jp/​itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/​houan/g18001019.htm

(2)  『原子力規制委員会設置法案』の附則12条には,次の​とおりの条項があります。
 (原子力基本法の一部改正)
第12条 原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)の一部を​次のように改正する。
(中略)
  第二条中「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」に​改め、同条に次の一項を加える。
 2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏​まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国​の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

(3) この改正で,次のようになります。

■原子力基本法 (現行)
第2条  原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保​を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、​その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
     ↓
(改定案)
第2条  原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主​的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し​、進んで国際協力に資するものとする。
 2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏​まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国​の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

■ついでに,『核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律』の第1条も,次のように改定することになりますが,文言だ​け見ても,かなり,アブナイ領域に足を踏み込んでいるような気が​します。
(現行)
第1条  この法律は、原子力基本法 (昭和三十年法律第百八十六号)の精神にのつとり、核原料物質、​核燃料物質及び原子炉の利用が平和の目的に限られ、かつ、これら​の利用が計画的に行われることを確保するとともに、これらによる​災害を防止し、及び核燃料物質を防護して、公共の安全を図るため​に、製錬、加工、貯蔵、再処理及び廃棄の事業並びに原子炉の設置​及び運転等に関する必要な規制を行うほか、原子力の研究、開発及​び利用に関する条約その他の国際約束を実施するために、国際規制物資の使用等に関する必要な規制を行うことを目的とする。
     ↓
(改定案)
第1条  この法律は、原子力基本法 (昭和三十年法律第百八十六号)の精神にのつとり、核原料物質、​核燃料物質及び原子炉の利用が平和の目的に限られることを確保するとともに、これらによる災害を防止し、及び核燃料物質を防護し​て、公共の安全を図るために、製錬、加工、貯蔵、再処理及び廃棄​の事業並びに原子炉の設置及び運転等に関し、大規模な自然災害及​びテロリズムその他の犯罪行為の発生も想定した必要な規制を行うほか、原子力の研究、開発及び利用に関する条約その他の国際約束​を実施するために、国際規制物資の使用等に関する必要な規制を行い、もつて国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする。



これから参議院で審理が始まります。衆議院ではうっかり見過ごし​てしまいました。
こんどは要注目です。
 人の責任ばかりを追及して,自分の責任は知らんぷり,っていうのを「無責任」といいます。

 今や,日本の社会は「無責任時代」のど真ん中でしょう。

 何かひとつ事が起きると,ワァーッとヒステリックに“国民総責任追及モード”になるもんね。



 その無責任時代を象徴するのが,マスメディア。

 事実を伝えるのが「報道」ですけど,

 ろくに事実も伝えず,無責任に大衆を扇動する「放送」というのは,大きく違います。



 特捜検事報道も,小沢検察審査会報道も,尖閣諸島報道も,
特にTVの番組ってひどいと思いませんか。


 「放送」って,「送り放し」って書くんですね。

 ポピュリズムを促進して市民を愚衆化させる「放送」の無責任さに注意が必要です。

(ほぼ1年間ブログをさぼりましたが,嬉しいので久々に。)

katayayosihiro.jpg
 片山善博さんが,総務大臣に就任しました。


 片山さんのファンは数多いと思いますが,それはいろんな面をお持ちだからでしょう。


 私の知る片山さんは,筋の通った実践家であり,ヒューマニストであり,賢人であります。

   改革派知事としての実績は実践家の証。
   地震時の災害復興の取り組みはヒューマニストの証。
   そして知事退任後の様々な発言活動は賢人の証でしょう。


 片山さんの名言はいくつもありますが,
    「役所」というのは「役に立つ所」
    「役人」というのは「役に立つ人」
というのがあります。
 分かりやすくてオモシロイですよね。

 まさに総務省といえば「役所」や「役人」のトップです。

 片山さんがよく口にするミッション(=誰のために何のためにあるのか,ということ)を,賢人として実践されることを心より期待し,応援したいと思います。
 

 私の長田高校の先輩であるかしのたかひと(樫野孝人)さんほか計3名が立候補している神戸市長選挙は,告示がなされ,選挙期間に突入した。

 ところが,市長選では,マニフェストは配布禁止なのだそうだ。
 (→参考記事 10月14日の神戸新聞へ

 確かに,公職選挙法には,次のような規定がある。
(パンフレット又は書籍の頒布)
第142条の2 前条第1項及び第4項の規定(=註;国政選挙と都道府県知事選挙における文書等の配布の規制)にかかわらず、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙においては、候補者届出政党若しくは衆議院名簿届出政党等又は参議院名簿届出政党等は、当該候補者届出政党若しくは衆議院名簿届出政党等又は参議院名簿届出政党等の本部において直接発行するパンフレット又は書籍で国政に関する重要政策及びこれを実現するための基本的な方策等を記載したもの(=註:これがマニフェストのこと)又はこれらの要旨等を記載したものとして総務大臣に届け出たそれぞれ1種類のパンフレット又は書籍を、選挙運動のために頒布(散布を除く。)することができる。


 つまり,マニフェストというモノは,国政選挙に限って認められるという形なのである。

 要するに,
   「地方自治に政策は要らない」
ということであろうか。

 地方自治を馬鹿にした話だと思うし,これでは,単なる人気投票ってしまうケースがあるのもうなずける。


 つい先日,鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が,市長選の期間中にインターネットの自身のブログを更新したのが公職選挙法違反にあたるとして、書類送検された。
 これから,インターネット上の表示が,公職選挙法の「文書図画」に該当するかどうか,司法の場で,法の解釈について検討がなされることになる。
 この結論がどうなるかは,とても不透明である。
 一定の趣旨に基づいて制定された法律がある以上,独自の解釈だけで闘うのは,なかなか難しい。
 でも,やっぱり,結論としてオカシイのである。
 個人のブログの更新に,警察権を発動しなければならない社会秩序って,いったい何なのだろう?

 公職選挙法の構造は,
    原則として,何もかもダメ
    わずかな行為に限って許してあげましょ
という,「原則全面禁止」の姿勢で,立法がなされている。

 しかし,その結果,新しく有意義な選挙活動であっても,
まずは「ダメなこと」から出発しなければならない。

 これでは,いつまで経っても,
    名前の連呼
    情実作戦と組織がため
    お金をかけた事前活動
に頼った選挙にならざるを得ない。
 これでは,日本の国に,自立した民主主義は育たない。

 ついでにいえば,公職選挙法のノリで,天下の悪法「改憲手続法」といった副産物も生んでしまうことになる。

 公職選挙法は,
    原則として活動は自由
    問題行為の個別規制
という形で,全面的に改正すべきだ。


 仮に,そのように改正しても,実務上は,特に問題もなければ,混乱も起きない。
 なぜなら,警察等の取り締まり活動も,実際には,特定の問題行為をピックアップして摘発してきたのだから,今と何も変わらないのだ。

 民主主義のタネを蒔いて育てるべき土壌に,あらかじめタップリ除草剤を散布するようなことは,やめるべき。
 鹿児島での司法手続における解釈作業にまかせず,政治主導で取り組むべきだ。
2009.09.24 樫野孝人さん
 樫野孝人さんと,ひょんなことから知り合いになった。

 樫野さんは,長田高校,神戸大学の先輩である。
 私の同級生も樫野さんの会社に勤めて映画のプロデュースなどをやっているそうだ。
 樫野さんのことは,ご自身のブログ(→こちら)や,HP(→こちら)にあるとおり。
 性格やお人柄も,よく分かる。
情熱仕掛人 かしの たかひと 「神戸は変わる。」www.kashino.net

 樫野さんは神戸市長選挙に出馬することを表明しているが,
 神戸市は,自民・公明・民主の相乗りで助役出身の市長が,なが~い間ずっと続いている。

 神戸ってまちは,なんとなく先進的なイメージがあるかも知れないが,
 全体的な雰囲気は保守的である。
 もし,先進的なイメージがあるとしたら,
 それは,右肩上がりの経済成長時代のイメージの残り香のようなもの。

 バブル崩壊後の右肩下がりのトレンドには,残念ながら乗り遅れ,
 震災のダメージは,復興の過程で,さらに深層化してしまった。
 新潟中越地震の復興と比べると,どうしても暗いイメージがつきまとう。
 
 この雰囲気を打破するには,何が必要か?

 私は,基本に立ち戻って「民主主義」だと言いたい。
 民主主義とは何か?
 一言で言えば,
   「他人(市民)の意見に耳を傾けること」
である。
 独裁政治,愚衆政治,多数決絶対主義・・・・いずれも人の意見に耳を傾けないからダメなのだ。

 樫野さんは,本当に人の意見に率直に,真摯に耳を傾ける。
 民主主義を実践し,それを企業活動の成功に結びつけた希有な人である。

 かつて「神戸市株式会社」と呼ばれたモデル自治体を,
 民主主義の手法で,民事再生して,
   「新生神戸市」
とするには,人の意見に耳を傾ける能力に卓越した樫野さんの手腕が,最も期待できるところだと思う。
 はじめて,朝一番(午前7時)に投票に行ってきました。
 家族揃って,朝の散歩がてらのお出かけです。

touhyoubako.jpg なぜ朝一番かというと,一番乗りの人が投票するときに,
投票箱の中を開け,中が空っぽであることを確認してから,鍵を閉める
ということなので,その瞬間を見に行きたかったからです。
 実に,しょうもないことですけど・・・・

 しかし,もっと早くから来て並んでる早起きさんたちも大勢いて,
 残念ながら,目的の一番乗りは果たせませんでしたが,
 投票箱の鍵を閉めるところはしっかり目撃しました。
 ふーん,なるほどーって感じです。

 今日は,子どもたちも連れて行ったので,長い行列に並んでいる間から,
   「○○党なんかダメだよ~」
   「△△(=候補者名)に入れろよ~」
   「××(=候補者名)がいいよね~」
などと大声でうるさくて,なんだか家庭内の会話を聞かれているようで気恥ずかしく感じ,
私が投票用紙に書き込んでいるのをのぞきながら,
   「なんだ□□□かぁ~」
とか,
   「民主ってどれ?(←自民や社民にも「民主」が付いてるので)」
だとか大声で言うので,私の投票先が周りの人に聞こえてないかと,
たいへん気が散りました。

やっぱり,誰に投票するのかを他人に知られるのって,ちょっと気になりますね。

 妻が出口調査を受けてました。
 出口調査なんていうのは,これまた初めて見かけましたが,
 避けるように断って帰る人も多数。
 どうして私に声をかけずに,妻に声をかけるのか,よくわかりません。
 こういう場面なら,誰に投票したのか,快く答えますのに。

 戦後の衆議院総選挙の投票率を,グラフにしてみました。
touhyouritu.jpg

 こうしてみると,バブル崩壊後の凋落傾向下がひどいですね。
 前回の郵政選挙の投票率(67.5%)で,新憲法制定後初の選挙(68%)とほぼ同じ。
 今回,それを上回ったとしても,フツー程度といえるでしょう。

 経済の面で「失われた20年」などといいますが,
 民主主義の定着度でも「失われた20年」という感じがします。

 ところで,大分県の中学校の先生が,テストの際に支持政党とその理由を聞く問題を出した,
 ということで,なんだかニュースになっています(→こちら)。
 
 どうやら,やり方に配慮が足らないとか,
 子どもの思想信条を聞き出すことになるから悪い,
という問題意識でヤリ玉に挙げられているらしいです。

 しかし,こんなことに目くじらを立てたり,ニュースにしたりするのは,おかしいのではないでしょうか。

 国によっては,義務投票のところもあり,罰則を科す国も少なくありません。
 しかし,日本は,選挙の自由を保障していることから,任意投票にしています。
 投票が任意であるにもかかわらず,自らの参政権に対する意識を高める努力は無策で,
 その結果として,政治的関心が低下し,民主主義が機能劣化しているわけで,
 こうしてみると,今,必要なことは,むしろ,
     参政権を実質化する教育
ではないですか。
 任意投票制と,参政教育はワンセットと考えるべきでしょう。

 堂々と支持政党を公言し,自己の政治的信条を発言できるような自主性・自立性を持った国民を育てることこそが重要で,
 この大分の中学校の先生は,褒められこそすれ,責められるべきではないはずです。


 今日,投票の際に,子どもたちにワアワア言われて恥ずかしかった私のことや,
 出口調査の際に,逃げるようにして回答を拒絶した投票者の人たちのことを思うと,
 民主主義国家を支える国民として,まだまだ腹が据わっていないと感じますので
 堂々と胸を張って,自分の投票行動を主張できる人を育てることが重要だと思います。
 小選挙区制っていうのは,「生きるか,死ぬか」 「白か,黒か」 「郵政か,抵抗勢力か」 「政権交代か 否か」 という感じで,どうしても二者択一の,単線型思考に陥ってしまいますね。

 多様性を尊重する社会をめざすとすると,やはり中選挙区が好ましい・・・。


 ところで,直前の衆議院選の最大の反省点は,
   自民党大勝(=勝ち過ぎ)
というところにあったことは,多くの衆目の一致するところではないでしょうか。

 今回の選挙でも,
   一党の「勝ち過ぎ」
の結果となったときは,やはり,いろいろ問題が起きるでしょうね。

 読売新聞の本日配信の記事ですが,
「民主大勝なら保守的に」米議会調査局が分析

 米議会調査局は、日本の衆院選で民主党政権が誕生した場合の日米同盟への影響を分析した報告書をまとめ、18日までに議会関係者に配布した。

 民主党が衆院選で大勝した場合はより保守的な内閣が、
 辛勝した場合には「社民党の意向を尊重した」リベラルな内閣ができるだろうと予測
などという指摘もあります。

  過ぎたるは及ばざるが如し

  薬も過ぎれば毒となる

  おごる平家は久しからず

 訴訟も,第一審で勝ち過ぎると,控訴審で苦戦を強いられることが多いし,
 野球も,大勝した大味の試合の次は,完封負けしたりする。 

 どのような結果であっても「おごる平家」には陥らない,という姿勢もマニフェストにしてもらいたいですねえ。
 NHKの「日本の、これから 核」を見ながら,思ったことを,いくつか,つらつらコメントします。
 徳岡宏一朗弁護士のブログの方が格上なので,後で引用しますから,そちらもどうぞ。

◇核武装論者は,とても理想主義に傾倒しているように見えた。
 日本に核があればヒロシマ・ナガサキはなかったはずだ,という空想的意見には驚いた。


◇生活目線で話をしている人と,経済合理性を説明している識者には,とっても共感を覚えた。
 やっぱり,目に見えて形があり,具体的にイメージできるところから議論しないと。
 そういう点で,市民派の意見の方が,説得力で勝っていた。


◇右翼的コメンターが,中国人の人のコメントに目くじらを立てて横槍を入れたのが見苦しかった。
 ウヨクの中韓嫌いは分かっていたが,三宅アナに柔らかく制止されるのをみて,理性の重要性を感じた。


◇核の傘の要否について,識者のコメントが最も現実的に聞こえるように持っていったのには作為を感じた。
 識者の中で,良いことを言っていたと思うのは,志方さんの明確な核廃絶指向と現実のギャップ論,星野知子さんの率直な戸惑い(=誰よりも,とても市民的だった)だ。


◇路上インタビューで,大阪の女の子が,「やられたらやりかえす」という素朴なコメントをしていたのが失笑を買い,その後も何度か取り上げられていた。
 結局,そこが核必要説の根源なんでしょうね。麻生総理の広島式典での核の傘必要コメントも同質。


◇うちの徳岡さんは根源的なところや原理原則で議論をしようとしていて,やはり弁護士だと思った。
 また,お玉さんは,普段から超右・超左の交通整理に長けている上,ややこしいコメントにも一生懸命対処しているせいか,よく人の意見を聴こうとする「対話」の姿勢に優れていた。


 いやあ~面白かった。

 以下は徳岡さんのブログ(→こちら)の転載です。
        ↓
 徳岡さんとお玉さんが左ウイングの右後方に並んで登場した
   8月15日のNHK特集
   「日本の、これから 核」

ですが,出演した市民のみなさんの感想は,どうやら消化不良気味のようですけれども,一視聴者としては,なかなかのものではなかったかと思います。

   ◇核問題を,真っ正面から取り上げたということ
 
   ◇ドキュメンタリーとして,基本的な情報を,視聴者に伝えてくれたこと

   ◇いろんな意見や,いろんな立場があることを,リアルに伝えてくれたこと

   ◇市民がいかに核問題を考えていない(=避けてきた)かを認識させたこと


など,感じるもの,得られるものが多かったと思います。

 専門家からすると物足りなかったのかもしれませんが,平均的視聴者のレベルからすれば,かなり高度で濃密な内容だったと思いますよ。

 もっとも,なんとなく番組作成者の意図として,非核三原則を維持しながら,核の傘を現実的選択として肯定しつつ,核廃絶に向けて日本の関心を高めたい,という雰囲気が伝わってきましたけれども,どうであれ,なんであれ,出演した仲間にはねぎらいの言葉を伝えたいところです。

 最後の一言で「被爆者の方々を大切するに政府を」と書いた(けれども発言できなかった),原爆症訴訟の弁護団の一員である徳岡さんのブログ(→こちら)から,実況,生感想を転載をさせていただきましょう!
      ↓
徳岡宏一朗の「Just the way you are!」
  「日本のこれから、核」視聴終了(2009年08月15日)
から引用(写真も)

67557.jpg
ごぶさたです。

本日(8/15)の夜7:30~
NHK「日本の、これから」という番組があります。
視聴者や市民の方々がたくさん出てきてフリートークする生番組です。
今日のテーマは,
   「“核の時代”とどう向き合うか」
です。

この番組に,うちの事務所の同僚の
  徳岡宏一朗 弁護士
も一市民として登場します。(→こちら

それから,すっかりさびれた私のブログですが,
元気なブロガー仲間の
  「お玉 姉さん」
も登場します。(→こちら

なんとも,重たいテーマですが,それぞれどんなことを言うんでしょうね。
楽しみです。
お時間がありましたら,どうぞ御覧下さい。

NHKの番組紹介HP(→こちら)より
アメリカのオバマ大統領が「核兵器の無い世界を目指す」と宣言し、核兵器削減に向けて動き出そうとしています。唯一の被爆国日本では、核兵器廃絶の方針を歓迎する声があがっています。

しかし、その一方で、北朝鮮はミサイル発射と核実験を強行。“核の闇ルート”を経て、核がテロリストへわたる危険性も指摘されています。

これまで、核兵器の廃絶を訴えながらも、アメリカの核の傘の下に守られてきた日本。核をめぐる緊張感が高まる中、わたしたちは隣国の脅威にどう対峙していけばよいのでしょうか。そして、唯一の被爆国として核廃絶に向けてできることは?
 『世界がもし100人の村だったら』の池田香代子さんがブログをはじめました。
 池田さんの感性は,とても素敵なのですが,ブログも池田さんの肉筆感にあふれていて,とても良い感じです。

 いせ九条の会が刊行した『この夏をこえて』(頒価500円)のあとがきが,アップされています。
    若い人に語りかける『戦争』
というタイトルです。
        ↓
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 池田さんらしい,逆説的な切り口から,やわらかい上品な言葉で,本質的なことを語りかけています。

 文中の,私の「ナルホド」部分ですけれども,
 災害などで果敢に人命救助にあたるプロフェッショナル(消防,警察のハイパーレスキュー隊員,海上保安庁の潜水士「海猿」など)
    と
 軍人たち
の違いがどこにあるか,というところで,

 災害プロフェッショナルは,「命をなげうつ」なんて考えない
 なぜなら一人ひとりの人間の命のために働くのだから

    けれども
 軍人はお国のために命をなげうつ
 なぜなら兵士は死傷するのが当然の消耗品だから


という部分は,まさにその通り!と感じたとこです。
 近畿でインフルエンザ騒動が始まって1週間経った。

 最初の月曜日は,猫も杓子もマスクをしていたけれども,
 日を追って,感染者数が増えてきたにもかかわらず,
 逆に,マスクをする人は減ってきた。
 (全国放送のTVでは,相変わらず全員マスクのように報道されているかも知れないが,事実と異なる。)

 熱しやすく冷めやすいなあとも感じるが,
 今回の件を通じて,よく分かったことがある。

 ひとつ目。
 わたしたち日本人というのは,ちょっとした政府(と過度の報道)の号令に従って「右へならえ!」と集団的に行動することができること。
 たとえ疑問に思うことがあっても,それが果たして正しいことか,意味があるのか,分からないのに・・・である。

 ふたつ目。
 オカミというのは,ひとりひとりの国民や市民のために物事を決めるのではなく,全体の秩序や治安を最優先で物事を決めるのだということ。
 だから,感染者の増大と,対処の徹底が,比例しない。

 みっつ目。
 報道というのは,とても日和見的だということ。
 別にこれって,今回に始まったことではないけれど。

 してみると,
   ○オカミが国家総動員体制を言い渡し,
   ◎報道が大きく喧伝すれば,
   ●日本人は(心中おかしいと思いながらも)国是に従う
というわけで,大がかりな臨戦シミュレーションが検証できたことになる。

 とてもこわいことだ。
   
 「ブタのいた教室」を,レンタルで観た。

tojou2.jpg
 きっかけの一つは,昨年に発売された,
   「屠場(とじょう) みる・きく・たべる・かく
    - 食肉センターで働く人びと」

という本である。
(関西学院大社会学部の三浦耕吉郎教授の編著)

 本の内容を紹介した神戸新聞の記事(2008年8月18日記事→こちらより)によれば,次のとおりである。
 肉を食べる以上、動物の解体は絶対に必要な過程だが、そこには差別や偏見も深くかかわる
 執筆した四人も調査開始から二年が過ぎるまで写真撮影が許されず、センターで働く男性からも「見て、どないするの?」などと問い掛けられた。

 三浦教授自身、動物を解体する行為について、当初は「非常にかわいそうだし、ひどいこと」と考えていたが、その印象は初めて見学した日に大きく変わった。
 牛を失神させる役割の男性が、暴れる牛の額をなで、自分の手をなめさせる様子を見て「ひどいことをしているわけではないな」と思い込みが崩れるのを感じた、という。

 働く人の内面に踏み込みながら聞き取ったエピソードは時に明るく、時に深刻だ。
 内臓を洗う仕事を始めたことで親族と一時的に疎遠になったこと。
 職場に連れてきた息子が、現場に驚きながらもアルバイトに前向きな気持ちを示したこと。
 センターに就職した若者には「三カ月辛抱し。ええとこも分かるし、わるいとこも分かる」と励ましていること…

 かなり記事の表現は抑えめだけれど,本の方にはもっとリアルなことが記されている。

 こんなふうに,いのちを考えることの大切さは,日々の食卓に並ぶ食材を深く考えるところからも得られる。

 西宮市食肉センターの跡地は,うちの事務所から目と鼻の先にある。
 これまで無意識に通り過ぎていた場所から,得られるものも多い。

 ところで,「ブタがいた教室」のエピソードは,実話である。

 こちらの話も,川西から延びる能勢電鉄でちょっと行ったところにある大阪府の豊能町立東能勢小学校でで行われた実践授業であり,ここから近いところにある。
 一番近い屠場(食肉センター)は,やはり西宮市食肉センターである。
 主人公のブタさんも,うちの近くまで運ばれてきたのかな?と思うと,物語を身近に感じる。

 実話の方も,Youtubeで,観ることが出来る。



 もう既に何度かTV番組でレポートされているらしいが,私たちの世代でも「いのち」のリアル感を考えるには本当によい教材だと思う。
 最近は4月に前倒しで集会を開くせいか,本来のメーデー(=May Day)である5月1日であるにもかかわず,新聞にはメーデー関係の記事が見当たらない。

 私が取っている日刊紙は日経新聞と神戸新聞だが,一面,社会面,経済面のどこを見ても,クライスラー民事再生やら,インフルエンザやらの記事ばかりである。

 憲法27条には
   「すべて国民は,勤労の権利を有し,義務を負う」
と定めてあって, 「働く権利」 が人権であると謳っている。

 今ほど「働く権利」が風前の灯火のように消えかかりそうな危機状態にある時期はなかっただろうが,それにもかかわらず働く権利が叫ばれず,盛り上がらないのは,なぜなのだろうか。

 ところで,自由経済国家であるアメリカでは,一私企業の民事再生手続に対し,大統領が「政府がクライスラーを支えていく」とコメントした。
 日本なんかは,アメリカよりもよっぽど社会国家だったのに,数多くの民事再生事案で(→これまでの民事再生大企業の一覧はこちら),総理大臣がちゃんとコメントを発したことなどはなかった。

 企業が倒産の危機に瀕したときに,経済への影響しか口にしない。
 個別具体的な方針については,経営の問題であるとして,距離を置くのが日本スタイルだ。
 しかし,労働者の勤労権を確保するというのは,政府の責務なのだから,そういう観点から政府は堂々と口出しもできる立場にあるはずだ。

 きちんと練られた企業の民事再生の事業は,「無策な倒産」や,「無計画なリストラ」,あるいは「目前の金惜しさの人員削減」などと違って,トータルで見れば,安定した雇用確保につながる道である。
 米国にならって,政府は,もっと主体的にかかわりながら,我が国の企業再生に取り組んでみたらどうだろうか。
 今どきは,
   「欲しい」,「買いたい」
と思ったものは,TVショッピングでも,インターネットでも,通信販売でも,いろんな方法で好きなように買える。
 だから,昔のような“押し売り商法”は無用だし,“訪問販売”などというのも流行らない。

 “電話勧誘”も同じようなものだから,もうやめたらいい。


 先日,証券会社の保有する顧客データ(個人情報)が流出し,このデータが高値で売られて,悪質な電話勧誘が広がったという。
(→こちらをどうぞ

 こういう事件が起きると,個人情報の管理を徹底するとか,流出者の責任追及をするというのがパターンだけれども,こんなのはモグラたたきみたいなもので,あんまり効果的・建設的な対策だとは思えない。


 だいたい個人情報なんて言っても,単なる名前や住所や電話番号みたいなもので,それ自体はたいした価値があるわけじゃない。

 これを,むやみに手厚く保護したり,やたら堅牢な金庫に入れるように隠したりするから,個人情報の価値がインフレを起こして,実価値以上に大事なものに思えてくる。
 ただの名前や電話番号に高い値が付いてしまうのである。

 そして,高い値が付けば付くほど,悪い輩はこれを欲しがるのである。


 むしろ,発想を逆転して,きっちりと出口規制をしたらいい。

 訪問勧誘や,電話勧誘をさせないようにしたらいい。

 そしたら,個人情報を入手しても使いようがないから,売買の対象にもならない。

 個人情報を過剰に守秘する必要もなくなる。

 セールス業者は息苦しくなるだろうが,市民の生活の息苦しさは半減するはずだ。


 理想論に聞こえるだろうか?

 しかし,すでにアメリカでは,こういう仕組みが広がっている。

 アメリカには,「Do-not-call」という仕組みがある。

 直訳すると「電話勧誘お断り」ということだが,本邦では「不招請勧誘の禁止」すなわち“招かざる勧誘は禁止”ということである。

 電話勧誘をして欲しくない人は,その旨を告げて自分の名前と電話番号を届け出ると,勧誘禁止リストができあがる。

 業者は,このリストに出ている人には電話を掛けてはならない。

 アメリカでは,これが徹底されていて,違反した場合は摘発もする。
 既に1億6800万件というから,アメリカ人の70%が登録していることになる。

 日本では,勧誘をされないように個人情報を隠そうとするが,
 アメリカでは,勧誘をされないように個人情報を開示するのである。


 どちらがよいか。

 電話勧誘なんて,いまどき流行らないのだから,そんなのをやめても実害は少ない。

 国民たちに自己防衛の負担を強いるような個人情報守護強化の方針は改めて,
 むしろ業者の電話勧誘をやめさせよう。
2009.04.26 失敗学
 畑村洋太郎先生の「失敗学」は,

   とても分かりやすい!

   本質を見突いている!

   問題の解決につながる!


という三拍子揃った見事な理論体系で,私は強く感銘を受けているところです。
sippaigaku.jpg

 「失敗は成功の母」などというのは,昔から言われてきた格言です。
 楽天の野村監督が,負けるとボヤくのも「失敗を成功にして欲しい」という親心あってのことだそうです。

 では,具体的にどうしたら「失敗」を「成功」に変えていくのか?

 「失敗をしても,次は成功するように頑張ろう!」
 これが,典型的な誤りです!

 単なる精神論や,姿勢を正すというところからは成功は生まれない。


 畑村先生によれば,「学び」のない失敗だと,
   「失敗は失敗のもと」
になるということです。


 失敗学を,とても一言でまとめることはできませんけれども,私なりの理解で言えば,

    失敗の原因を科学的に知ること

    その原因を整理・分類すること

    これを自らしっかり学んで考えること


hatamura.jpg
が大切だということでしょうか
(かなり抽象的になっちゃいましたね)。

とにもかくにも,直接,畑村先生のお話を聞くのが一番です。

「畑村洋太郎のすすめ  畑村創造工学研究所」のHP(→こちらです)には,
畑村先生のビデオ講義なんかも満載で,お勧めです。

ぜひ御覧下さい。


 JR西日本が起こした今世紀最大の失敗である「JR福知山線脱線事故」ですが,失敗学の観点から見ますと,
    起こるべくして起きた事故
であるとともに,
    これまでの対応を見ている限り「失敗は失敗のもと」
を繰り返しているみたいに思えて仕方がありません。
 先日,東京の弁護士・荒井哲朗さんの
    「投資なんか,しなくていい」
という朝日新聞の記事を紹介した。
 私は,抜群のセンスと内容だと思ったので紹介したが,本日,第2弾を見つけた。

 私も所属している神戸先物・証券被害研究会のエースで事務局長の村上英樹さんが,インタビューに応えて,それが記事になった,神戸新聞の,
   「老後資金、運用にご注意 トラブル多発 相談急増」
という記事だ。(→記事はこちら


 この記事のタイトルについて,村上さんの注文は,
    「今こそ投資から貯蓄へ」
というものだったそうで,政府先導で猫も杓子も「貯蓄から投資へ」と唱えていたのを逆さにした,なかなかセンスあるキャッチフレーズだったと思うが,採用されずに残念だ。
(→村上さんのブログはこちら

 村上さんは,
 悪質業者は形態を変え、投資詐欺などが増えている。運用には高度な技術が必要で、もうけるのは難しい。理解できなければ手を出さない方がいい
と呼びかける。

 ホンマにそのとおりだ。

 つい先日も,未公開株の投資被害の相談を受けたばかりだ。
 彼らはどうせ悪質先物取引業者の残党であろう。

 こんなこともあった。実話である。
 この間まで私が担当していた裁判で被告として訴えていた先物会社の社員(外務員)が,裁判中に,別のロコ・ロンドン会社の社員(同一人物!)として,新たに別の悪さをしていたのが発覚し,被害者が私のところに駆け込んできた。
    相手(被害者)変われど主(加害者)変わらず
とは,このことである。
 ちなみに,当該先物会社は倒産して現存せず,ロコ・ロンドン会社も倒産して消滅した。

 このような不安定な経済を背景に悪意が蠢くご時世で,もはや「投資」は時代遅れだ。 
 JC(青年会議所)というと,何となくノンポリ&ボンボンの集団というようなイメージがあるけれども、そのイメージを思いっきり覆す迫力を持つ人物が、今年度のトップ(会頭)に立つ安里繁信さんだ。

 安里氏は、徹底したマイノリティである。
 しかし、逆にそれを前面に打ち出して、力強いメッセージを発信する。
 マイノリティというのは,「沖縄」、「貧困」、「学歴」、「労働者」,「不登校」,「障害」といった、自らが負ってきた数々のハンディキャップを、(よくあるようにコンプレックスとして自分の内部にしまい込んだりせず)逆にバネにしてのし上がってきた。

 安里氏は,われわれ庶民が昔から美談として憧れる「たたき上げ」を地で行っている人である。

 オバマ大統領がマイノリティと過去の不遇を背景に、力強い演説力を武器にして、ここまでのし上がってきた。
 いろんな意味でイメージが重なる。

 今日聞いた雄弁な演説によると,安里氏は企業人、経済人としての成功に止まることなく、さらに成長し,10年後を見ていて欲しいとのこと。
 JC出身の政治家というと、最右翼が麻生首相である。
 その逆を行くのが安里会頭である。
 素直な期待を持ちながら,今後の歩みに注目したいと思う。
 私が憧れる加藤周一さんが
    「戦争はウソの体系」
という言葉を紹介しておられた。

 北朝鮮のミサイル報道の狂乱ぶりは、この言葉を実感するのに、実によい勉強になった。

 本当にミサイルだったのか人工衛生だったのかは,今やどちらでもよい。
 とにかくウソかホンマか分からないにもかかわらず、日本国中全体がミサイルフィーバーになった事実は、厳然として存在する。

 敵国を作って、多くの国民の支持を得て、軍備配置するのは実に簡単なことなのだ。

 私は、政府なんかよりも、
    ◆世論をヒステリックにフィーバーさせるマスコミと、
    ◆これを無批判に受け入れてしまう我々市民に、

すごーく,すごくオソロシイ恐怖を感じた。


 加藤周一さんの「羊の歌」には,大東亜戦争が始まる直前の日本の国のフィーバーぶりが描写されている。
 当時の新聞社や民衆と,今のマスコミや市民と,何が違うだろうか?

 批判が許されない社会の渦の中で,「ウソ」の意味を見抜いていた加藤さんに,私は憧れる。
iryouhokai.jpg
本日の,朝まで生テレビに,復興学会でお世話になっている医師
   青木正美先生
がご出演されます。

 テーマは,
   医療崩壊
ということです。

 こちらのブログでも,青木先生からは,医療崩壊の危機を訴えるコメントを何度かいただいています。

 司法改革は,法曹が「社会生活上の医師たること」を目指して進められてきました。
 ですから,「医療崩壊」は,決して,職業人として,他人事とは思えません。

 今夜は,是非とも,興味を持ってみてみたいと思います。

 ・・・・しかし,朝まで生テレビを見るのは,十数年ぶりだなあ。
IMAGE_033.jpg ヤメ蚊さんのブログで,大江健三郎「沖縄ノート事件」訴訟の高裁判決の真骨頂を知ることができました(→「『沖縄ノート』訴訟、控訴審判決に感動! 」より)

 私自身,大阪地裁の原審判決が出てから,はじめて『沖縄ノート』を読んでみたのですが,この本は,戦争責任者を糾弾するという類のものではなく,
むしろ,
日本人であって,また,本土の人間として,沖縄問題にどのように向き合っているのか,という自分自身(=われわれ自身)への問いかけの文章だということがよく分かり,
(→大江健三郎さんご自身も,高裁判決のコメントで「沖縄の人々の犠牲の典型です。それを本土の私らはよく記憶しているか、それを自分をふくめ同時代の日本人に問いかける仕方で、私はこの本を書きました。」と言っておられます。こちらより。)

(→『沖縄ノート』の締め括りは,日本人とはなにか,このような日本人ではないところの日本人へと自分を変えることはできないか,という暗い内省の渦巻きは,新しくまた僕をより深い奥底へとまきこみはじめる。そのような日々を生きつつ,しかも憲法第22条にいうところの国籍離脱の自由を僕が知りながらも,なおかつ日本人たりつづける以上,どのようにして自分の内部の沖縄ノートに,完結の手だてがあろう?」で終わっています。まさに,この著作は,日本人としての自分への問いかけが本旨です。)
かえって,今回の訴訟が,どういう目的で提起されたのかが,よく分かってきました。
(高裁判決も,部分的な言葉尻ではなく著書全体を見よ,と指摘しています。)

 『沖縄ノート』が執筆されたのは,ちょうど私が生まれた前後(昭和44~45年)にかけてのことです。
 私としては,約40年も経って,その内容の良し悪しが論議されること自体がナンセンスではないかと,表面的な疑義を感じるにとどまっていました。
 また,争点は,「軍による集団自決の強制の有無」に尽きる,と単純に理解をしていました。

 しかし,今回,ヤメ蚊さんの指摘を受けて高裁判決をプリントして読んでみたところ,むしろ,ハッとさせられました。
 「寛容さこそ民主主義社会の存立基盤」ということに気付いたからです。

 高裁判決は,地裁判決を支持しながらも,判決の肝の部分で,次のような指摘をしています。
特に公共の利害に深く関わる事柄については,本来,事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ,それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ更にそこで深められた論点について新たな資料が探索されて再批判が繰り返されるなどして,その時代の大方の意見が形成され,さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判されてゆくというような過程をたどるものであり,そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。
 「批判を許さない」というのではなく,
主張に対し,批判,再批判が繰り返され,また,時代を超えた再批判がある。
こういうプロセス,つまり真摯な議論こそ,民主主義社会の存立基盤だ
というのです。

 さらに,これを受けて,判決はこう言い切っています。
仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も,言論の場において無価値なものであるとはいえず,これに対する寛容さこそが,自由な言論の発展を保障するものといえる。
 まさに,民主主義と自由の関係を的確に表現しています。

 寛容さが,自由な言論を育て,民主主義社会を創る
 (≒誤りを許さない厳格さが自由な表現を萎縮させ,民主主義社会を形骸化させる)

という,ことです。

 格調高い判決,というのはこういうのを言うのだろうと,しみじみ感じ入りました。

 また,大江さんが『沖縄ノート』を記したときに,日本人全体に向けて発信したメッセージが,判決を通じて,日本全体さらには民主主義全体に向けたメッセージに昇華したようにも,感じられました。

 (訴訟を提起した運動家の方々にとっては不本意かも知れませんが,)教科書検定の再見直しや,今回の判決の成果など,今回の訴訟を通じて,得られた収穫は非常に大きいと思いました。

 判決全文はこちらからどうぞ。全281頁の力作です。
 今日(2月22日)が何の日かご存知ですか?

 猫ちゃんの日(にゃん,にゃん,にゃん)とか,おでんの日(ふう,ふう,ふう)というのも,実は正解ですけれども,そういうテーマではありません。

 今日は,島根県が定めた「竹島の日」ということです。
 もともと,2005年2月22日に,島根県が竹島を編入して100周年を祝って定めたのがきっかけだそうです。
 そして,この日を記念日の設定をきっかけに,韓国との間で領土問題が深刻化した日でもあります。

 そういう由縁もあって,全国の青年会議所では,領土問題を考えましょうということで,署名活動を展開しました。
 私も,西宮青年会議所の一員として,署名活動に参加して参りました。

 私もこの日のことを知りませんでしたが,街頭でお聞きした市民も,ほぼ100%ご存知ありませんでした。

 そもそも,領土問題は,国盗り合戦の時代よりもっと古来の昔から,国際紛争のタネでした。
 ですから,この問題をどう考えるのか,というのが現実的な国際協調を考える上で,もっとも基本問題と思われます。

 面白いことに,我が家の日めくりカレンダーを見てみると,同じ2月22日は「世界友情の日」(あるいは「国際友愛の日」)だそうです。

 竹島問題というと何となく世界の友情にヒビを入れる要素のように思われがちです。
 しかし,いつまでもそういうマイナス思考では,いけないでしょう。

 むしろ,こういった難しい領土問題を,いかに平和的に解決できるか,という難問が,平和憲法を擁する国「日本」に試されているのだと受け止めたいです。

 憲法前文の
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
という部分を,実際にどうやって隣国に説得し,実現するか。
 「自国の権益」と「圧力・制裁」と「駆け引き」というカードだけで考えると,現在の政府がそうであるように,「領土問題」という重要課題を,政局の一材料としてしか使えなくなってしまうでしょう。
 また,各国間で行われている行き当たりばったりの戦争も,愚策としか言いようがありません。

 この難問を解く鍵として,
 世界友情,政治道徳の法則,他国と対等関係,名誉,崇高な理想,そして,経済,文化,勇気,信頼・・・・・,実に様々なキーワードが転がっています。
 これらの複合的な使い方を考えないといけませんね。

 私なりには、いろいろ考えるよい機会をいただきました。
 無論,難問ですが・・・・。
 今日,加藤周一さんのお別れ会が有楽町で開かれます。
 私の手帳に,ずっと前から書き込んであるのですが,行けるかどうか・・・・。

 昨日,「科学」について,ちょっとしたカルチャーショックを受けたばかりですが,こういうときは,加藤周一さんの著作に接してみたいです。

私にとって,たとえば,
 広辞苑は,語句の意味を知るツール。
 Wikipediaは,雑学を深めるツール。
そして,
 加藤周一著作集は,物事の思考のあり方を案内するツールです。

 『居酒屋の加藤周一2』の「科学,そして価値について」には,こう書いてあります。
「科学」といえば,そのまま「正しい」というのとほとんど同じ意味で使われているんですね。
 しかし,私の理解するところでは,科学は仮説の体系です。
 今まで知られている限りの事実に基づいて,できるだけ精密な論理によって,たぶんこれが正しいだろういう結論を組み合わせた知識の体系を科学という。
 ということは,その結論に変更の余地があるということです。
 「絶対に正しい」とは言わない。
 私の理解する「科学」は,最も確からしいことについて叙述しますが,これが真理だとは主張しないわけです。
 ・・・・・(中略)・・・・・
 ですから「『科学的』ということは同時に真理だ」と思うことは,科学に対する誤解だと思います。

 なるほどー,とあらためて感じました。

 昨日のミニ実験おじさんの繰り広げると重ね合わせてみると,
 「実験」と「失敗」により,「発見」を経て,「進歩」につなげるのが「科学」なのですから,
 加藤さんの指摘は,まさにズバリそのものであったわけです。

 「これが真実!」と言い切るマヤカシの非科学性を,あらためて認識する機会を得ました。
 私が,ポピュリズムをおそれるのは,新手のファシズムに結びつくのではないかと思うからです。

 もともと「ファシズム」という言葉自体が,いろんな意味で使われています。
 独裁主義だとか,軍国主義だとか,全体主義の代名詞みたいになっています。
 しかし,語源は,もともと戦前イタリアの「国家ファシスト党」から来ていて,これを直訳したら「国家の下にみんなが結束しよう党」みたいなものです。
 まあ,「民衆よ!一致団結しようじゃないか!」というスローガンです。

 実際,ファシズムという動き自体は,決して右翼とは限らず,左翼から出発する場合もあるし,社会主義者や,労働者の結束の姿をまとう場合もあるでしょう。
 だいたい「ナチス」も,名前は「国家社会主義ドイツ労働者党」ですもんね。

 ムッソリーニも,ヒトラーも,大衆の大きな支持を受けてトップに立ちました。
 つまり,トップに立つまでは,いわば「民主主義」の衣を装っていたわけです。
 上から押しつけるのではなく,「下から沸き上がるようにして」成し遂げたのです。

 しかし,理性,客観性,リベラリズムを欠いているから,歴史の中で,ファシズムの烙印を押されました。

 さて,ポピュリズムの依って立つ基盤も「民衆」です。

 日本の場合は,「民主主義」が,
    本来の「議論を尽くす手続」という意味ではなく,
    単に「多数の民意に支持される」という意味で誤解されています。


 だから,大衆の支持を受けているからいいじゃないか,という安直な結論に陥りがちです。
 これこそ,「ポピュリズム的な民主主義」であって,構造としては,戦前ファシズムの成長過程と似たり寄ったりだと思うのです。

 戦前のようなワイルドで復古主義的でノリはもう流行らないと思いますが,
ソフトな感じや,専門性や新規性を打ち出して,同じことを実現することは可能でしょう。

 旧型インフルエンザウイルスが,抗生物質のバリアーを破って,新型インフルエンザウイルスに成長して猛威を振るうのと同じように,新しい現代社会に適合した,
 「ポピュリズム的な民主主義」
(=ニュータイプ ファシズム)

を懸念します。

 「真の民主主義」と「ポピュリズム的な民主主義」の違いは,
 感情に流されない「理性」や「客観性」,そして「リベラリズム」があるかないか,
だと思います。
populism2.jpg

 日本における試金石(リトマス試験紙)となり,大胆かつ大規模な社会実験となるのが,裁判員制度だろうと思います。

 先にご紹介したシンポジウムのチラシを見ると,開催趣旨について次のように説明をしています。
 たいへん示唆深い内容なので,以下のとおり引用させていただきます。

 「Penal Populism」とは,直訳すると刑罰のポピュリズム化を意味し,マスコミが劇場的な犯罪報道を繰り返すことで犯罪不安が高まり,専門家の意見や客観的事実が軽視され,世論の気分によって厳罰化が推し進められる現象のことをいいます。
 世論調査によると,戦後,殺人の認知件数が一貫して減少傾向にある日本で,80%の市民が治安の悪化を信じ,同じく80%の市民が死刑を支持しています。そして,そうした世論の支持を受けて厳罰化が押し進められています。
 このことは刑罰のポピュリズム化そのもののようにも見えます。
 まもなく日本でも裁判員制度が始まります。
 その行方を占う意味でも,本シンポジウムでは,刑罰研究で国際的にも最も著名な研究者たちを招聘し,グローバルな視点から厳罰化とポピュリズムについて考えてみたいと思います。

 「ポピュリズム」という言葉は,聞き慣れない言葉ですが,なんとなくかわいらしい響きがします。
 関西だとオール阪神さんのCM「ク~ルマにポッピ~♪」って連想しちゃいそうです。

 しかし,私にとって「ポピュリズム」は,目下のところ,最も「オソロシイ」言葉です。

 広辞苑に依ると,
ポピュリズム【populism】
一般大衆の考え方・感情・要求を代弁しているという政治上の主張・運動。
と書いてあります。
 これだと,難しくて,なんだか意味がよく分からないです。

 私なりの理解によると,

   ◆大衆の感情的な雰囲気に流されて政治を行うこと

   ◆なんとなく世間の空気を読んで,決断し行動すること

   ◆世論や雰囲気の方が,理性や客観性よりも重視されること


がポピュリズムです。
popyurizumu.jpg

 このポピュリズムが,刑事司法と結びついたらどうなるか?

 来る裁判員制度で最も懸念されるのが,この点です!

 龍谷大学・矯正保護センターで,以下のようなシンポジウムが開催されるとのことです。

 基調講演は,
    「なぜアメリカは過酷なまでの厳罰化に走ったのか?」
というテーマです。

 既におそれている事態は,ポピュリズム大国アメリカで起こっているようです。
 たいへん興味深いテーマなので,紹介したいと思います。

国際シンポジウム 「グローバル化する厳罰化とポピュリズム」

日時:2009年3月21日(土)13時~18時

場所:龍谷大学深草学舎(京阪「深草駅」,JR奈良線「稲荷」) 21号館604教室

参加費無料

★事前申し込み必要(通訳機を用意されます。)添付の文書参照
問い合わせ:075-645-2040(龍谷大学・矯正保護センター:担当・丸山氏)

基調講演「なぜアメリカは過酷なまでの厳罰化に走ったのか?」
(マイケル・トンリー ミネソタ大学教授)

パネルディスカッション
・刑罰を通して,アメリカ型の規制緩和とポピュリズム(大衆迎合主義)が社会に何をもたらしたのかを考える。

 昨年から,兵庫県の青少年愛護審議会の委員をやっている。
 十数名の委員は,青少年育成や教育事業にかかわる第一線のプロの方々が大半を占めている。

 審議会では,何をやっているのかというと,
    青少年愛護条例 の 改正
の検討の審議である。

 具体的には,インターネットを通じた青少年に対する有害情報への対応が問題だった。

 ちょうど,昨年6月18日には,国会で,
  『青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律』
  (通称;青少年ネット規制法
が成立したばかりのところだった。

 この法律は,フィルタリング(インターネットの有害情報をブロックする機能を付けること)を義務付ける内容で,数多くのブログも,フィルタリングに引っかかるので,ブロガーとしても重要課題なわけである(たぶん,私のブログも,既にフィルタリングでブロックされているだろう。)

 そういう点で,兵庫県の審議会の課題は,実にタイムリーで重要な検討課題だったわけだが,これは,なかなか難しい問題である。

    青少年の愛護
という目的に照らすと,大胆な規制も必要だという方向に傾きがちのようにも思われる。
 しかし,
    今後のネット社会で生きていく青少年の育成
という観点からすると,インターネットに接する機会を十分に持たせて,対応力を育てるべきだ,という考え方も出てくる。

 どうも昨年の司法試験では,フィルタリング規制の違憲性を問う問題が出題されたらしい。
 うちに来ていた修習生に,今回の青少年愛護審議会の課題を検討してもらったところ,表現の自由の観点から,法律的な深みのある意見を述べてくれた。
 そりゃあ,試験でパスしたばかりの問題だから,たいへん見事な意見となるのも頷ける。
 もちろん,表現の自由のあり方からの観点は,やはり絶対に欠かせない視点でもある。

 兵庫県では,保護者,携帯電話業者,ネットカフェ事業者らに対し,一定の義務を課す方向で,条例改正をする方針を固め,既にパブリックコメントの募集も済ませ,いよいよ議会にかけられる段階にある。

 他の自治体に先駆けての条例改正だけに,今後の展開に要注目である。
 PFIというのは,
   「プライベート・ファイナンス・イニシアティブ」
の略で,日本語に訳したら,
   「民間資本の導入」
という意味になります。

 具体的には,公共施設の管理や運営を,民間企業が行う(自治体や利用者が代金を支払う)というものです。

 民営化することによって,民間活力が注入されて,悪しき官僚主義が排され,
    ヤスイ・ウマイ・スバラシイ!
となるはずのものでした。


 しかし,ナンデモ民営化したらいいわけではないのと同じように,PFIだって万能ではありません。

 日弁連は,PFIで運営している刑務所について,懸念と提言を示しています。
 (→こちらです
 たしかに「営利性」と「刑事処遇」って,なんとなくピンと来ませんよね。

 同じようにPFIがピンと来ない業種に「公立病院」があります。

 PFI方式の病院は,全国で12件あるそうですが,近江八幡市の総合医療センターは,PFI契約を解除したそうです。
 全国に先駆けて導入し,また,全国に先駆けて撤退するということです。

 理由として経営難が指摘されていますが,
もともと自治体の財政負担を減らすために民間に押し付けるのが目的だったのですから,
なるべくしてなった事態とも言えるかも知れません。

 ただ,そもそも,病院は
    「非営利」の活動を主目的としているので,
    民間の「営利性」と,
相容れない点があるのも無理はありません。

 神戸市立中央病院も,平成18年8月に一般入札で事業者を選定したところ,神戸製鋼・伊藤忠商事グループが落札したそうですが
(税込み1023億7815万円~なんと予定価格は1023億8000万円だそうです!),
他に入札者はありませんでした。

 全く競争原理が働かないまま,ほぼ最低入札価格で入札されたとのこと。

 それよりも,注目すべきは,入札時の提案内容の評価です。
 提案内容は600点満点でわずか274点という低水準だったとのこと。
 医療は,安ければいいというものではありません。
 いささか今後が心配です。

 弁護士は「在野」で,「民間」ではありますが,法律事務所の経営に民間資本の流入は認めていません。
 もし,法律事務所がPFI方式で運営されるとなったら,どんなふうになるでしょう?
 既に大都市部では,そういう雰囲気を感じる事務所もありますが・・・・
2009.02.03 加藤周一さん
 私の考え方に,最も大きな影響を与えた文化人は誰か?
 と尋ねられたら,間髪入れず,
   加藤周一さん
の名前を挙げることでしょう。

 加藤周一さんのことは,高校時代の友人の三宅芳夫くん(今は千葉大学でヨーロッパの社会や思想などを教えているらしい。)から,その思想と書物を紹介されたのがきっかけでした。

 三宅君の言うことは,常日頃からたいへん興味深かったのですが,少々難解なところがあってポカーンと聞いていることが多かったのです。
 しかし,その源泉に,加藤周一さんの思想があるということを知って,彼の発言を理解するために,セッセと読んだのを思い出します。
 そのうち,加藤ワールドに引き込まれて行ったという経過です。

 加藤周一さんの論述も,なかなか難しい言い回しも多く,極めて理屈っぽい思考過程も特徴ですが,
     結論とするところは極めてシンプル
だと思うのです。

 また,そのシンプルな結論は,
     現実的で,客観的で,理性的な
ところに個性があらわれていたと思うのです。

 私にとって,昨年末の加藤周一さんの逝去の報は,非常にショックでした。
 加藤さんのことについて,何度かに分けてコメントしたいと思います。
bannguradelisyu バングラディシュで,貧困層に対する無担保少額融資制度(マイクロクレジット)を実践したことでノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が,
     新しい企業モデル
の提唱をしているという記事に接した(1月6日の朝日新聞の朝刊より。末尾に引用。)。

 新企業モデルは「ソーシャル・ビジネス」(社会的企業)というもので,利益(お金)だけを追求する市場経済を見直して,
◆企業は,社会貢献を一つの目的に打ち立てる

◆投資家は,社会問題の解決を目的に投資をし,元本のみ返済を受け,配当の代わりに貢献をしたという「満足」を得る
というのである。

 「お金」だけで計量する経済から,「社会貢献」や「満足」という要素,一見すると別次元のものを取り入れて,システム作りしようというものだ。
 実際に,そのような取り組みを成功させた人が言うのだから,説得力がある。

butan.jpg
 このようなアイディアから,直ちに連想されるのが,
   ブータンの「国民総幸福量(GNH)」
である。
 (以前に,GDPからGNHへという記事を書きました。)

 日本の経済の指標は,ほとんど全てが「お金」である。
 企業会計はもちろん,
 GDP(国民総生産)や,
 人の成功の成否
 自治体の価値までも財政力で計られている時代である。

 ブータンは,貧困から脱するのに,「お金」ではなく「幸福」を追求するという手法をとり,一定の成功を収めた。
(外務省が主催した「ブータンと国民総幸福量(GNH)に関する東京シンポジウム2005」に,ブータンの取り組みが詳しく紹介されている。→こちらより。末尾に一部引用。)

 バングラディシュからの発信や,ブータンでの実践から,
   『経済』は,「お金」だけでなく,「満足」「幸福」によっても,構築可能である
ということが分かってくる。
 つまり,「利益」の内訳に,「お金」だけでなく,「幸福」や,「満足」も含めて考えられるということだ。

 これから国民総貧困を迎えるかも知れない日本で,新たな価値観を生み出すヒントが,そのあたりにあるのではなかろうか。
 日本の意識調査でも,「豊かさ」は,お金以外のところに見出す傾向が高まっている。
 今が,価値観の転換のチャンス(適時)なのかも知れない。
 少なくとも,「お金」以外の「価値」を見いださないと,これからの未来の閉塞感から脱することはできないはずだ。
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