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2010.09.29 疾走
IMAGE_458-2.jpg 友人に勧められて読んだ重松清の「疾走」。

 今から7年以上前の作品だが,
 もし7年前に読んでいたら,
 少年事件や刑事事件で向き合う人々に対する私の姿勢は少なからず変わっていたかも知れない。

 友人も,この1冊が,人生に大きな影響を与えたと言っている。

 ネット上の書評を見てみると,
 実に多くの方々が,激しく心を揺さぶられ,
 喘ぐような重々しい感想を綴っている。

 そうだろうなぁ,心が揺さぶられるだろうなぁ,と感じる。
 もちろん,私も,激しく心を打たれた。


 「こんな苛烈な話は,現実にはあり得ない」というぐらいの,激烈な少年の半生記ではあるが,
 この長編小説に織り込まれているエピソードは,
 どれもこれも,巷にあふれている「現実にあり得る話」ばかりだ。
 不幸な出来事を数珠のようにつないでいくと,こんなふうになってしまうのだろう。

 そのように想像すると,主人公シュウジや,エリの心情に共感を覚えざるを得ない。


 新聞紙上を賑わす犯罪について,その皮相だけ見て,野次馬的に背景をさぐろうとする薄っぺらさを,私たちは反省しなければならないと強く思った。 


 この作品は,重松清さんの作品のうちで,異質だという意見も多いようだ。
 ただ,
   「孤独」と「孤立」と「孤高」
   「ひとり」と「ふたり」と「ひとりとひとり」
   「ひととのつながり」
というテーマは,以前にこのブログで紹介した「青い鳥」と共通している。


 この本について「あまりにも救いがない」という感想の方も多いけれども,現実の世界には,もっと救いのない人が多くいることを知っているだけに,私は,この本の中に救いのヒントが満載されているのではないかと思っている。

 興味があったら一度手にとって欲しい。
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terakoya.jpg

 西宮青年会議所に入ったところ,まちづくりや青少年育成を目的とする委員会に入ることになった。

 もともと関心を持っていた分野なので,喜んで活動に取り組んでいる。

 今年度の事業として,
   「てらこや」
という子ども参加の企画を行う事になった。

 昨年の夏ころから,延々と議論や,準備を積み重ね,毎晩遅くまでぐったりするほど時間を費やすことがしばしばだった。
 お寺にもなんども打ち合わせに行った。
 禅寺で,坐禅を組むなんていうのは,フツーだとあり得ない体験だ。

 あと1か月を切ったところだが,神戸新聞に記事が出たので,紹介しておく。

 詳しくは,JCのHPまで(→こちら)

西宮JCがツアー 「お寺」 「修行」 を泊まりで体験

 西宮青年会議所(JC)は、9月に実施する「てらこや体験ツアー」に参加する小学生を募集している。
 学生ボランティアとともに市内のお寺に1泊して座禅や講話などの“修行”に挑戦。その後、人形劇や酒造りなど西宮の伝統文化に触れる。

 西宮JCはこれまで毎年夏に全国でキャンプを開催。
 だが、西宮の歴史や伝統文化に触れ、より深く知ることで、地元を好きになってもらおうと、今回初めて企画した。

 宿泊するのは、同市六湛寺町の禅寺「海清寺」。
 1394年創建の古刹(こさつ)で、境内には樹齢600年のクスノキが茂る。

 12日午前10時に集合し、寺へ。
 住職の講話を聞き、座禅に挑戦する。
 夕食は精進料理を食べる。
 夜は昔ながらの番台が残る銭湯で入浴する。

 13日は寺を出て、「にしのみや本物体験」として人形劇を鑑賞し、白鹿記念酒造博物館を見学。
 武庫川女子大甲子園会館(旧甲子園ホテル)で戦艦大和の元乗組員、八杉康夫さんの話を聞き、命の大切さを考える。

 小学4~6年生が対象。
 定員40人(申し込み多数の場合は抽選)。
 1人5千円。
 8月25日までに西宮JCTEL0798・33・1615(平日午前10時~午後5時)へ。

titioya.jpg
 昨日,西宮JCの委員会(地域変革・青少年関係の委員会)に,
父親サポート関西
の代表の中原和文さん(写真の方)に来ていただいて,「科学実験」のミニ講義をしていただいた。

 不思議な科学おもちゃをいくつも紹介してくれて,米村でんじろうさながらのビックリ実験をいくつも紹介してくれて,いい大人達が,すっかり世界に引き込まれてしまった。

  ■ポカリスエットの缶とシーチキンの缶のどちらが早く転がるか

という定番の実験クイズを紹介いただいた。
 これまた,大のおとなが十人ぐらい揃って,真剣に考えたが,みんな間違えまくってしまった。

 「間違い」を通じてこそ「発見」や「進歩」があるのだ,という真理を,この目でしっかりと見届けることが出来た。

 おもしろいことに,中原さんの話は,単なる科学ネタに止まらない。

 仕事や,事業,社会,政治,全てに通じる話で,非常に興味深かった。

 とりわけ,一般のコンビニと違う,セブンイレブンの成功に秘訣について
    ■一人ひとりの店員さんに,判断を任せる
    ■そういう「実験」の積み重ねで,「方針」を培っていく
    ■上から押し付ける全体主義的な経営とは全く違う

という話を,強調されていた。

 社会の仕組みも「実験」の積み重ねである。
 「失敗」から

 「理由」を科学的に突き詰め

 「進歩」につなげていく

という営みが,発展なのだということが,よく分かった。
 楽しいながらも,ジーンと来た。

全然科学的な紹介になっていないが,父親サポート関西のHPから,代表の中原さんの挨拶文(「設立趣意書」)を紹介しておく。
すごくイイことをおっしゃっている。
       ↓
 神戸新聞の日曜版に「兵庫人」という連載があります。
 兵庫県ゆかりの人々を,テーマ毎に取り上げる特集記事です。

 第18部は「学びの道を求めて」と題して,教育者シリーズで,なかなか面白いです。
 →こちらからです。

 第1回目は,公教育を取り上げてました。
 100マス計算で有名な陰山英男さん(=今や有名人)や,100マス計算の創始者の岸本裕史さん(=以前に訪問した,関西学力研9条の会の代表者でらっしゃった。)を紹介していました。
 100マス計算には,我が子もお世話になっています。
 記事中では,「陰山の初任地は尼崎の市立小学校。・・・その学力には疑問を感じた。」と書かれていて,尼崎市民としては,身につまされるというか,「そうだよねー」という思いがしました。

 第2回目は,私立教育を取り上げてました。
 阪神間は,全国有数の私学激戦区です。
 しかし,記事に取り上げられていた有名私立校は,今後もあまり縁が無さそうなので,読み飛ばしました。
 もっとも,興味深く読ませていただいたのは,元浜学園,現希学園の学園長の前田卓郎さんを取り上げていたことです。
 確かに,この地域において,「学習塾」は,決して無視はできませんものね。
 実は,私は,学生時代は,浜学園で講師バイトをしておりました。
 なので,前田学園長は雲の上の天皇のような存在であり,おそれおおい人でした。
 そのためか,今も,事務所は,有名進学塾が建ち並ぶ私塾繁華街の中にあり,浜学園と希学園の闘いには目を離せません。

 第3回目の今日は,視点を変えて河合隼雄など「心の教育」などを取り上げています。
 記事を見ると,
   ◆神戸高塚高校の女生徒の校門圧死事件
    (私が,はじめて裁判傍聴に出掛けた事件です。)
   ◆須磨の連続児童殺傷事件
    (私の実家のごく近所で起きた事件です。)
   ◆阪神・淡路大震災
    (今や,震災復興は,私のライフワークです。)
といった,「こころに深い傷」を負わせる出来事が,身近で次々に起きていて,その手当てのために,「教育」が大きな役割を担っているのだということが,よく分かりました。
   ◆トライやるウイークのスタート
   ◆不登校支援施設の開設
   ◆舞子高校の「環境防災科」の創設
など,私の活動ともかかわりのある,たいへん貴重な成果が生まれていることを知りました。

 兵庫県の教育者列伝を見て,この地における教育というのは,社会の実態と現実に即して培われてきたものなんだなあ,と感じた次第である。
 (最近話題の大阪府知事の考えている「教育」とは,ずいぶん奥行きとイメージが違うようです。)
20070920070241.jpg 「米」という字は,「八十八」と書く。
 これは,米ができるまでに88にも及ぶたくさんの手間をかける,という意味なのだそうだ。
 だから,米は粗末にしてはいけない,ということにもつながるらしい。

 うちの近所の田でも,まさに稲穂が大きく実り,頭を垂れているところだ(写真)。
 多くの手間がかかっているのだなと思うと,米一粒も無駄にできないと感じることができる。

 しかし,三笠フーズの「汚染米洗浄」という手間は,断じて,よろしくない。
 三笠フーズの行動は,八十九番目の手間であり,より多く手間を掛けているとも言えるかも知れないし,米一粒も無駄にすまいという精神なのかも知れないけれども,
 人をダマしたり,暴利を企図して行うことは,一見,正当を装っていても,やっぱり本末転倒だ。


 そんな,言葉遊びみたいなもので連想したのが,京丹波のフリースクールでの虐待問題。

 フリースクールというのは,文字通り「自由」に経営や教育を施せる私設の学校だ。
 学校に居場所がなく苦しんでいる子どもたちが,フリースクールに通っている例が多い。

 しかし,フリースクールに対する規制がないのをいいことに,鉄格子や三重鍵で監視をしたり木刀で殴ったりして,内職等をさせ,集団生活を送らせていたということだ。
 まさに大人のやりたい放題(自由)で,子どもに不自由を課していたことになる。

 東京にフリースクールを開設して20年以上活動しておられる奥地圭子さんの随想で,
 「義務教育というのは,子どもの義務ではなく,子どもの学ぶ権利を保障する,大人の義務だ」
という言葉を耳にしたことがある。
 まさに至言だ。
 フリースクールは,「子どもの教育享受権の選択の自由」であって,経営側の「自由」ではない。

 私がお会いしたことのあるフリースクールの関係者のみなさんは,ほとんど全て,このような正しく発想と尊い志をもって,とても有為で貴重な活動に取り組んでおられる。
 また,みなさん,実った稲穂のように謙虚であり,一人ひとりの子どもに対し,一粒一粒の米を大事に育てるのと同じように,一生懸命,丁寧に手塩を掛けて,育てようとしておられる。

 それと比べると,今回の虐待フリースクールは,経営者が,言葉の意味を完全にはきちがえている。
 その場所は,経営者にとってのフリーゾーンに過ぎない。

 誰のためにあるフリー(自由)スクールなのかを見誤った,本末転倒の結果であり,
 不登校の子どもたちの,一人ひとりの個人的価値を尊重しなかった結果である。

 鳥取県は、情報公開審議会の答申を受けて、全国学力テストの結果を公開することにしたそうだ。

 鳥取県は、かねてより情報公開と教育に熱心だった。
 だから、全国に先んじて公開に踏み切ったのも,当然の帰結だと思う。

 実際、鳥取県では、片山前知事の時代から、独自に基礎学力調査を行い,その結果を開示していた。(→たとえばこちら

 県として,しっかりとした理念を持ち,トータルの教育システムが確立していれば、公開してもさほど問題はなく、むしろ有益だという自負があるのだろう。


 法律的に見ても、全国学力テストは、国の仕事(法定受託事務=国の事務を県教委が代行するもの)ではない。
 だから、文部科学省の「非公開にせよ」との通知にしたがう義務もない。

 したがって,本来,鳥取県の判断に、国(文部科学省)がとやかく口を出す筋合いではない。

(大阪府枚方市でも、全国学力テストの公開を求める訴訟が起きているが、理屈だけなら、「公開」という結論も十分あり得る。 改悪新教育基本法の下での司法判断がどうなるか,注目される。)


 しかし、今後、結果がどんどん公表されていくことになれば,いろいろ心配は尽きない。

 鳥取県のような理念を持たず,漫然と放置したらどうなるか?
 おそらく,地域間・学校間の不毛な成績競争があおられ、序列化が進むことも間違いないだろう。
 競争至上主義は,さらにこの弊害を煽る。
 東京都なんか,とりわけ心配である。

 結局のところ、全国学力テストを導入したら、いくら文科省が声高に「非公開・秘密」を訴えたところで、弊害は避けられないということだろう。


 もともと、文部科学省が学力テストを実施しようとした最大の目的が、「国の教育施策の改善」というところにあった。
 この,全体的な施策検討のために材料集めしよう、という目的そのものがおかしかったのではないか。

 確かに,単に全国的な教育施策の改善だけを目的とするなら、非公開でも差し支えない。

 しかし、現実にはそうはいかない。

 ひとりひとりの子どもの教育や、地域、学校毎の事情を考えると、どうしても、個別の情報が欲しくなる。
 個々の教育に熱心であればあるほど、公開を求めたくなるはずだ。
 この動きには抗し切れない。


 やっぱり、「誰のために」,「何のために」このような学力テストを実施するのか、ということをもう一度考え直すべきである。

 少なくとも、「文部科学省のために行う学力テスト」(=“全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上”のための調査)というのはナンセンスだ。

 片山前知事の言葉を借りて言えば「教育のミッション」をあらためて見つめ直す必要があるということである。
 “ひとりひとりの子どものために”,“ゆたかな教育を実施できるようにするため”に,学力調査のあり方を考えればよい。

 教育は国のためにあるのか,子どものためにあるのか,そこがきちんとさえしていれば,情報公開をめぐる議論にも道筋がつくはずだ。
 週間ダイヤモンドのクレーマー特集には
   「泣かされる学校/壊れる教師たち」
というコーナーにも頁を割いている。
kyouinkyusyokusya.jpg
 確かに,今や,学校はクレームのるつぼの様相を呈している。
 実に,実に,悲しいことだと思う。

 文部科学省の初等中等教育局が公表している,先生たちがうつ病などの精神性疾患により休職した人数の推移を,ためしにエクセルでグラフにしてみた。
 なんとまあ,ひどい惨状ではないか。

 その原因は,さまざまだろうが,
 本業の「教育」そのもので悩んでいるのではなく,クレーム対応で精神を消耗しているケースも多いはずであり,まことに残念でならない。

 学校がクレームのターゲットになってしまった原因について,小野田正利教授&週間ダイヤモンドの見解として,
◆中曽根政権下の臨教審が,学校の問題点を指摘して,学校・教師批判が巻き起こったこと

◆1995年に製造物責任法が施行されて消費者優位の風潮が確立したこと

◆バブル崩壊&構造改革の流れで,格差社会を招き,庶民の閉塞感が,権力への反発,そして公務員への批判につながったこと
などを挙げている。

 確かに,うなずける。

 ただ,もうちょっと,よ~く考えてみよう。
■学校の問題点を検討することもそれが改善につながれば結構なことであるし,

消費者主権(≒国民主権)の意識が高まることも,それ自体は結構なことである。

■それから,国民が,行き過ぎた構造改革や格差社会化にNOを突き付けるのも,それ自体,たいへん結構なことだろう。

 ならば,「たいへん結構なこと」が連なると,どうしておかしくなるのか?
 その矛先がどうして「教育」に向けられるのか?

 多くの人々が,「教育」を,「サービス業」だと勘違いしているからではないか。

 「教育」は,私たちの社会,私たちの未来,そして,私たち自身をかたち作る,とても大切な機会(場)である。
 憲法に照らして見てみれば,
   「教育」は,
     私たちの個人の尊厳を育み,
     私たちの立憲民主主義を支えるために,
絶対に欠かせない営みである。

 これ以上に「公(おおやけ)」の名がふさわしい業(わざ)があるだろうか。

 私は,この「教育」に携わっている「学校」や「教師」を大事にせず,民間サービスと同視してきたことが大きな過ちだったと思う。

 同じことは,「医療」にも言える。
 「病院」や「医師」を大事にしないで,サービス業のように位置付けたとき,しっぺ返しは私たちに来る。
 安全,公正,司法といった,ダイレクトに経済性のない分野もおんなじだろう。

 問題クレームの増大は,私たち自身の過ちが招いたガン細胞の増殖のようなものではないか。
 私は,5年ぐらい前から,ある阪神間の児童養護施設に定期的に通っています。
 弁護士会でも,神戸市内の児童養護施設の施設長さんたちとの交流会を続けています。
 昨日も,神戸市内のある養護施設に訪問して,勉強会をしてきました。

 そのようにして,繰り返し足を運んで実際に肌で触れてみて,養護施設で暮らす子どもたちは,本当に,いろんな意味で大変だとつくづく思います。

 そして,私の知る限り,養護施設で働いている先生,職員の方々は,みなさん優しく,献身的で,「子どものために」という思いで,実に一生懸命頑張っておられます。

 私自身は,養護施設とかかわりを持つようになって,これほどまでに四角四面な法律が障害となるのか,ということを思い知りました。

 そして,福祉行政が不十分であることを知りました。

 昨日のニュースで,実は,これまで養護施設の実情について,行政が直接目を向けていないことを知りました。
 そりゃあ,不十分なのももっともだ,と分かりました。

 しかし,他方で,今年出た最高裁判決を踏まえ,児童養護施設を,厚労省の管轄下に置き,日常のコマゴマしたことにまで,行政が監視の目を光らせるという動きもあるのも事実です。
 そうだとすると,言うまでもなく,役所の責任体制をきちんと整えることが目的です。


 今回の調査は誰のために行われるのか?
    役所の保身のため・・・・論外
    円滑な行政のため・・・・×
    施設のため・・・・・・・・・・○
    子どものため・・・・・・・・・◎

調査にあたっては,ここの視点を誤らないようにしないといけません。

<以下毎日新聞より引用>
児童施設 初の全国調査へ 被虐待児らの受け皿見直しで

 親の虐待などさまざまな事情から家庭で暮らせない子供たちの生活する児童養護施設など入所施設のケアの実態について、厚生労働省は来年度、初の全国調査に乗り出す。
 同省は被虐待児らの受け皿を整備するため児童福祉法などを大幅に見直す方針を決めており、それに合わせ処遇の実情を調べる。

 対象は、児童養護施設(558カ所約3万人)
  ▽乳児院(118カ所約3000人)
  ▽心の専門治療が必要な子供を支援する情緒障害児短期治療施設(27カ所約900人)
  ▽非行を繰り返す子供などを指導する児童自立支援施設(58カ所約1900人)と、
  母子生活支援施設。
 調査は、子供一人一人にどう手がかけられているかや安心して暮らせているかなどをみる。項目と方法は今後詰める。

 少子化の中、施設に入所する子供や里子は05年、4万人を超えた。
 児童養護施設には、ほぼ定員いっぱいの3万人が暮らす。
 毎日新聞の調べでは00年以後、定員を超えて子供を受け入れた児童養護施設は5都府県47カ所に上る。

 家庭で虐待を受けた子供は児童養護施設で6割。
 短期治療施設や児童自立支援施設でも6~7割に達し、退所後に家庭に戻れない場合も少なくない。
 虐待を受けた子供はその傷から気持ちを伝えにくく、自分や他人を傷つける場合もあるが、ケアの中身は施設により大きく異なる。

 家庭的な養育が求められているが、児童養護施設の場合、少人数のグループホーム型施設で暮らす子供は3万人中1割程度で、多くは目の届きにくい大型施設だ。
 「ボランティアの嘱託医に毎週カウンセリングしてもらう」(東海地方の施設)、「登校の難しい子供に職員が付き添う」(東京都内の施設長)ところもある一方、「経験不足の20代の職員が半数を占め、事故が起きやすい環境の施設もある」(中国地方の施設長)のが現状だ。

 一方、施設の職員配置基準は児童養護施設では「小学生以上の子供6人に対し職員1人」が28年間変わらない。見直しを求める現場の声は強く、同省の専門家会合の報告でも検討課題とされた。
【野倉恵】 11月26日15時1分配信 毎日新聞

伊吹文部科学大臣はひどかった。

畑違いの元大蔵官僚だったせいか,
上司である首相が血迷っていたせいか,
そもそも教育について全く無知だったせいか,
理由はいろいろあるだろうけれど,とにかくひどかった。

教育基本法を改悪したのは最大の失政だが,
教育三法改定についても文科官僚が慌ててブレーキをかけなければならない程だった。
教育再生会議なる井戸端会議や,全国共通学力テストを持ち出したり,
給食費問題や,未履修学科問題など,つまらぬ事柄を騒ぎ立てて,
現場をどうしようもないほど混乱・困惑させた。
何一つ役に立つことをしなかったのに,
大臣の最大のお仕事である「教育費をしっかり確保する」という役目は果たさず,
お粗末な教育財政下で,教師や親・子が,汗水をたらして精神努力を強いている。

こんな失政大臣が,党の重役に昇進するのだから,やっぱり日本の未来は暗い。


さて,新たに文部科学大臣に就任したのは,兵庫県選出の渡海紀三朗氏だ。

渡海大臣は,今朝の日経のインタビュー記事で,
   ◆教育現場に競争原理を持ち込むべきではない
   ◆バウチャー制度はいらない
   ◆いじめ問題には子どもと接する環境づくりが大事
   ◆教員の定員増のために予算要求する
   ◆教育は国家の基礎だから何よりも大切だ

などと,まあまあ殊勝なことを言っている。
もっとも,渡海氏の経歴(→こちら)からして,教育問題に造詣が深いとは,とうてい思われない。

これは,文部官僚の作ったメモどおりに回答しているに相違ない。
ただ,文部科学省も,安倍政権下のママゴト的教育改革には辟易していたのだろう,
ということが,この記事からうかがえる。

私には,今日の教育の混迷を,トップダウン方式で一挙解決できるとは思えない。
決まりや道徳や秩序で,物事が収まるのは一時的現象に過ぎず,
恒常的な安定を形成するには,土壌の改善から始める,すなわちボトムアップ方式の方が現実的である。

そうすると,教育を良くするために文部科学大臣にできることは極めて限られている。
きっちり教育予算を確保することだ。
おそらく,教育問題はトーンダウンするだろうが,現場がきちんと機能できるだけの予算をしっかり確保すれば大臣の仕事としては及第点だ。
重松清著「青い鳥」(新潮社/2007年7月20日初版)はお薦めの一冊です。
青い鳥
短編8話の連続小説ですが,取り上げているテーマは,
  いじめ(た側),いじめ(られた側),いじめ自殺,
  非行,過労死,学校,学級崩壊,虐待・・・

いずれも現代的で,かつ,身近に感じられる重たい問題です。

そして,それを
  ■ひとりぼっち
  ■たいせつなこと(≠正しいこと)
  ■寄り添うこと

という軸で見事に括って,これらの問題で何が欠けているのかを,私たちの心を総動員して考えさせられ,感動させられる(私は何度も涙腺がゆるんだ)好著です。

 吃音でうまくしゃべれない臨時講師(脇役的な主人公)が,様々な問題を心に負った子どもたちに,寄り添うことで,「たいせつなこと」を伝えていく,というストーリーですけれども,こむずかしい御託や理屈じゃなくて,単純に,「泣かせる話だ」というだけでも読む価値があります。

 大人が読む本かも知れません。
 子どもが読む本かも知れません。
 いずれにしても,
 子どもや教育に関心を持つ人だけが読む本ではないと思います。

 今,神戸ではいじめによる自殺の事件が起きています。
 問題の切り口はいろいろあると思いますが,関係者のうち一人でもこの本が伝えようとしているスピリッツに出会っていたら,どうだったろうかと悔やまれるような気がします。
「ぐ犯少年」って知ってますか?
少年法3条3号には次のように定められていて,これに該当する少年を「ぐ犯(虞犯)少年」といいます。

 次に掲げる事由があつて、その性格又は環境に照して、将来、罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をするおそれのある少年
 イ 保護者の正当な監督に服しない性癖のあること。
 ロ 正当の理由がなく家屋に寄り附かないこと。
 ハ 犯罪性のある人若しくは不道徳な人と交際し、又はいかがわしい場所に出入すること。
 ニ 自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖のあること。

 要するに,かなりハメを外した不良少年たちのことです。

 この「ぐ犯少年」に対して,警察が「調査」という名目で,その権限を広げようとしています。
 そんでまた,そのやり方がずるいんだ。

 あまり知られていませんが,今年6月1日に公布された「改正少年法」では,この「ぐ犯少年」に対する警察官の調査を盛り込むかどうかで,国会でかなり揉めました

 現在,家庭裁判所に送致される「ぐ犯少年」は年間800人程度ですが,「ぐ犯少年である疑いのある者」となれば,年間140万人程度にのぼるとされているので,曖昧な文言に改めると,現実に警察官の権限が無限定に拡大するおそれが極めて強いのです。

 結果として,与野党一致で,この「ぐ犯少年への警察調査権限」の項目は削除されました

 参議院の平成19年5月24日の法務委員会での,木庭健太郎議員(公明党)の発言を引用しておきましょう。

 衆議院において、こうしますと、結局、警察官等は虞犯少年である疑いのある者を発見した場合においては必要があるときは事件について調査することができるというような規定になっておりますから、これをそのままにしますと、やっぱり警察による調査権限の及ぶ範囲というのが不明確ではないかというのが最終的な衆議院の議論であり、これが過度に拡大するおそれがあるという懸念の中から明文での規定を除去したという経緯がございました。

 要するに,「ぐ犯少年への警察調査権限」を法制化しないことで一致したわけです。

 ところが,警察庁というところは,このままでは引き下がりません。

 今回,少年警察活動規則の改正を地味に検討しているそうです。
 この規則案では「第三節 ぐ犯調査」の節を新設し,同節中の第27条では
「ぐ犯少年に係る事件の調査(以下この節及び第四節において「ぐ犯調査」という)については,少年法及び児童福祉法に基づく措置に資することを念頭に置き,少年法第三条第一項第三号に掲げる事由があって,その性格又は環境に照らして,将来,罪を犯し,または刑罰法令に触れる行為をするおそれがあることを具体的に明らかにするように努める」
などと規定されているのです。

 これって,国会で削除された項目の復活にほかなりません。
 警察庁としては,リベンジのつもりでしょうか。


 ■国会が国権の最高機関であり唯一の立法機関であること(憲法41条)

 ■警察の権限行使は適正手続きの順守が強く求められていること(憲法31条)


などからしてみれば,警察自身が,国会で制定された法律を無視して,規則の形式で自らの権限行使の要件や方法を定めることは,許されません。
 こんなふうに国会での削除法案を復活させるウラ技が通るようでは,法の支配などは成り立ちません

警察庁のパブリックコメント募集はこちらです→http://www.npa.go.jp/comment/index.htm

この規則案改正に対する意見はこちらのメルアドへどうぞ→syounen@npa.go.jp

 こういうズルイことは許してはなりません。

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民主党に意見書を出しました。

内容は,民主党の「日本国教育基本法案」に対する意見と提言です。

民主党は「日本国教育基本法」を提唱しています(→民主党の「教育のススメ」をご覧下さい。)

民主党が勝利した今,これからの国会運営で主導権を持つことを期待しつつ,跡形もなく改悪されてしまった教育基本法を,あらためて再改正する「時」に向けて,

   ◆民主党の法案の良いところを支持し

   ◆民主党の法案の難点を指摘し改める


ことを求めて,兵庫県弁護士会の有志13名で8月20日に発出したものです。
既に小沢一郎党首以下,民主党議員の全員に届けました。
これを受けて,民主党が法案の見直し作業を行う際には,助力を惜しまない覚悟です。

この意見書に込めた思いは,起草者である村上英樹弁護士のブログで詳しく書かれていますので,ご覧下さい(→こちらです

この意見書は,以下に引用しておきますが,非常に長いのでご注意・ご留意下さい。
よろしくお願いします。

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学習指導要領を改定して,脱「ゆとり教育」とするそうだ。

お世辞にも上手く機能したとはいえない「ゆとり教育」を見直すことには私も賛成するが,なぜ根付かなかったのかを検証しないで,やみくもに「学力向上」を強調するのは,愚策の上塗りになるのではないかと憂慮する。

私なりに,ざっくりと2つだけ思うところを述べると,

  ◆教育環境を整備していないこと
    (→ 教育費をケチってはならない!)

  ◆教育権と学習権を保障していないこと
    (→ 現場(生徒の教師)の主体性を認めよ!)


が問題だと思う。
少なくとも,中教審には,その点に言及してもらいたい。

まずは,今日の読売新聞(関西)の一面トップから引用しておこう(強調部分は津久井による。)。
「言語力」育成、脱「ゆとり」も
   …中教審が指導要領改定へ


 今年度中に改定が予定される小中高校の学習指導要領について、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は16日、基本方針を「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換した上で、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成していく方針を固めた。

 国際学力調査で低下していることが明らかになった文章表現力や思考力を向上させる狙いがある。中教審は今後、各教科ごとに言語力の具体的な育成方策をまとめる方針だ。

 学習指導要領は、小中高校の授業で行う内容や時間数などを定めた国の基準で、ほぼ10年に1回改定される。現行の指導要領は、学校5日制の完全実施など、学習内容を大幅に削減した「ゆとり教育」が柱で、小中学校は2002年度から、高校は03年度から施行されていた。

 しかし、学力低下が指摘されているため、新たな指導要領では、「ゆとり教育」からの脱却を明確に示すことにした。(中略)

 経済協力開発機構(OECD)が2003年に行った国際学習到達度調査(PISA)では、文章表現力や思考力を測る「読解力」の順位が、日本は8位から14位に下落した

 中教審は、こうした力が欠けていることが、人間関係の構築が苦手な子供を増やし、いじめやニートなどの問題の遠因となっていると分析。言語力の習得を通じ、子供のコミュニケーション能力を向上させることも目指したいとしている。

(1) ゆとり教育について,何がダメだったのか?
私は,第一に,
   「授業時数が減ったのだからお金も減らそう!」
   「お金がないから,人(教員)も増やさない!」
   「お金がない分,精神(=心)でカバーしよう!」

という,まるで戦時の窮乏下のような発想が,教育を貧困にしている大きな原因だと思う。
kyouikuhisuii.jpg
 これは,文部科学省の公表しているデータだが(こちらより引用),「ゆとり」を良い口実にして,教育費をどんどん減じているのがよくわかる。

 少子化の傾向もあるだろうが,公教育費は減少しているが,私教育費(塾などの費用)は増加しており,国のケチりは明らかだ。

 どうして,中央教育審議会も,教育再生会議も「本気で教育を良くしたいなら,もっとお金をかけようよ!」と声高に言わないのか,すごーく不思議だ。

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 7月19日に河合隼雄さんが逝去された。79歳だった。

 河合隼雄さんは,兵庫県出身で,とても魅力ある人物である上,私も「こころのケア」の分野に少なからず関わりを持っているので,親近感を覚えていたし,その生前の活躍と功績には敬意も感じており,逝去を惜しむ気持ちが大である。

kokorono.jpg
 ただ,なぜか新聞などで語られていない点が一つある。

 河合隼雄さんの仕事のうち,同氏が心血を注いで製作した,
    「心のノート」
については,ここで振り返っておく必要があるだろう。

※ なお,心のノートのさまざまな問題点については,ここでくどくど説明する余裕も見識もないので,
   「心のノート ガラガラポン」
というホームページを紹介するにとどめておく。


 この「心のノート」は,文部科学省が著作責任者となっている道徳の教科書である。

 小学1年生から中学3年生まで,じっくり,ゆっくりと「心」を培っていくプログラムになっている。

 このじっくりとした「心の作り方」について,河合さんは多大な貢献をした。
 その心の機微に配慮したプロセス自体は,ある意味では,さすが見事というべきだ。

 しかし,この本が導こうとする「最終目的」は,本当に河合さんの意図したものだったのだろうか?
kokorono2.jpg
 本の最後に行き着く結論は,最終章にまとめてある。

 この点,「心のノート」の最終章が,
  「一人ひとりの人間を大切にし,尊重していこう」
となっていたら,まだ理解できたのである。

 ところが,「心のノート」最終章は,
  「日本を愛し,世界の平和に貢献しよう」
で終わっている。

 それが9年もかけて培うべき「心」なのか!,とがっかりくるのである。


 たまたま,昨日(7/20)
大内裕和先生
(松山大学教授/教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会の代表呼び掛け人)
から,大内さんの新著である,
  「日本の教育と社会⑤ 愛国心と教育」
  (大内裕和編著,広田照幸監修/日本図書センター)

をご寄贈いただいた(この本の紹介は,あらためて行うつもりです。)。

 その中には次のような大内さんのコメントがある(p12「序論」)。
『心のノート』は小学校低・中・高・中学校用の四種類がある。そこにあるのは現存する秩序やルールを素直に受け入れて,感謝の心をもつべきであるというメッセージである。
社会への批判精神についてはふれられず,「従順さ」のみが重要視されている。
『心のノート』における道徳や愛情は,家庭から学校,地域,郷土へと同心円状に「自然に」拡大していき,最終的には「国」や「日本」へと行き着く展開になっている。
 それが,本当に「心」に向き合ってきた河合隼雄さんの意図するものだったのかどうか,
その他の河合さんの素晴らしい業績とのギャップを感じざるを得ないのである。

 なお,「心のノート」が政府刊行物である以上,その編集方針・内容は,政府の意図・目的に沿ったものであることは,言うまでもない。

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 表題のテーマ(「賢い消費者になるために」)で、地元の私立女子高に講演に行ってきました。
 弁護士会の「法教育」の取り組みの一環で、一兵卒として派遣されたものです。

 中高生の方々に、眠らないで話を聞いてもらうのは、なかなか至難の業ですので、昨日は、小ネタとして、Youtubeで仕入れた動画を使わせてもらいました。

oriko-.jpg 一見の価値あり、なかなか面白いですよ。

 生徒のみなさんは「キモーイ!」という反応でしたが。

 この動画に沿って、
   暗証番号と預金者保護法の実態
   スキミング被害
   フィッシング詐欺
   デート商法
   架空請求

などの解説をしてきました。

私なりにまとめたポイントは、次のことです。

◆悪徳商法の対策は、
  (1)事前に実態を知っておくこと=予防
  (2)事後の対応を知っておくこと=措置

 (・・・・災害対策と同じです)

◆セールス等の断りのコツは、
    理由やいい訳などを一切せずに
 ただ「いりません」だけを繰り返すだけでよい。

 (・・・・口の上手い詐欺プロとできるだけ会話しない)

◆被害にあったときの相談先を確保しておくこと
 (・・・・救済ツールはたくさんあるのでプロに任せること)


せっかくの機会でしたので、普段は言わないのですが、こんなことも言ってきました。

  ○日本には一人ひとりの財産や安心な生活を保障する憲法がある
       ↓
  ○ところで、市民の生活のルールを定めたのは民法という法律だ
       ↓
  ○しかし、民法は明治時代にできた法律で、人権保障がイマイチ
       ↓
  ○そこで、憲法の人権を実現するために、民法を修正したのが、消費者契約法をはじめとする一連の消費者保護法制なんですよ


と・・・・、ちょっと難しすぎたかも知れませんね。


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 教育関連三法案(学校教育法,地方教育行政法,教育職員免許法)について,昨日,委員会で決議され,本日,衆議院で可決される予定です。

<1>
 物事の進み方というのは,山に登るのに似ています。
yamamiti.jpg

 上に上がっていくときは,とても苦しいですし,歩みも一歩一歩で少しずつになります。しかし,上がっていこうという「志」があるので,明るく頑張る気になります。
 これに対し,ちょっとつまづいて,下に転げ落ちていくときは,何も考える必要はありません。よほどふんばらないと止まりません。下に落ちれば落ちるほどスピードが速まります。気付いたときには傷だらけです。


 昨年末の教育基本法の改悪に続いて,
昨日の教育関連三法案の委員会可決の報に接し,
その拙速性に驚くとともに,転落一途だなあとつくづく感じました。


<2>
 5月8日には,当の衆議院の教育再生特別委で,参考人招致が行われました。
 そこで参考人として呼ばれた教育学会の大物である藤田英典先生(元東京大学教授,東大教育学部長で,政府の教育改革国民会議や中央教育審議会委員なども務めた方)は,次のようなことを言いました。(→衆議院の会議録より
「現在行われている改革は、1980年代から四半世紀続いてきたものであります。そういう四半世紀も続けてきた改革の中で、教育の安定性、学校の日常性が揺るがされ、教職員の多忙化や教育のゆがみがそこを促進することになっていないか。」
「そして、教育の管理主義的、成果主義的、市場原理主義的な評価、統制の拡大と強化は、教育の総合性とバランスをゆがめ、短期的成果を優先し、教育現場とその日常的実践を息苦しいものにし、ゆとりとおおらかさを奪うことにならないか。」
「これらの弊害が大きいものになったとき、取り返しのつかないようなものになったとき、一体だれが責任をとるのか。私は為政者がとるべきであると思いますが、そのときには、もしかしたらここにいらっしゃる多くの方は既に議員でなくなっているかもしれない。しかし、それでも皆さんがとらなければいけないんです。
 きっと,その場にいた国会議員の多くは,自分が責任を取らなければならない,などという意識は持ってないでしょうね。
 とりわけ,法案に賛成した与党議員は,「党議拘束があるから仕方ない。与党政党の一員として賛成しただけで,個人としては何とも言いようがない」というのが本音でしょう。

 本当に責任を取るべき方々は無責任ですが,その場の雰囲気に乗じて適当な「制度いじり」をした結果として,具体的に苦しむ人々はたくさん生まれます。
 きっと,今回の法律改正によって,
   ◆多くの子どもは,大事なことを何も学べず,心を毒され
   ◆多くの教師は,不必要なストレスを抱えて,心身を病み
   ◆地方の教育委員会は,いわれなき責任を取らされる

ということになるでしょう。
 こういう事態を「教育の荒廃」というのであって,荒廃させた責任者は,自らの愚行に気付かないまま,善人ぶって空疎に世を憂うのでしょう。
 参考人の声にさえ耳を傾けることができない立場のエライ方々にこそ,まず基本的な教育改革が必要だと思います。

<3>
 今回の法案は,何を変えるのか。
 大きな柱は3つあります。
kyousyokuin.jpg
 一つ目は,教員の統制です。「教育免許更新制」「ダメ教員の追放」といわれている問題です。
 これについては,神戸新聞の記事(→こちらです)にもあるようで,たとえば兵庫県内だけでも
「約3万人の教職員のうち、02年度の精神疾患による休職者は21人。その後、03年度=39人,04年度=64人 05年度=78人と増加傾向にある。同課は休職に至らないまでも、潜在的に心の病を抱える教職員が少なくないとみている。」
とあるように,教員が徹底的に病んでいます。
 教員の生の声を聞く限り,その原因は,社会よりも,制度にあると言えます。これ以上,教員を病ませてどうするのでしょうか?

 2つ目の柱は,教育への国家介入権の拡大。「地方教育委員会への文科大臣の是正・指導権限の創設」です。
 これが,全体主義教育につながることは,賢明な方であれば,すぐに気付く事でしょう。
 この点については,過去のエントリー「生徒指導にゼロ・トレランス方式」をご参照下さい。
 全体主義教育を行うと,どんな風になるんでしょうか?想像力を働かせるまでもなく,好例がいくつも転がっています。
 戦前日本はもとより,お近くの北朝鮮などは,よく全体主義が行き届いています。ああいうふうにはなりたくないですね。
 アメリカ(ゼロ・トレランス方式のお膝元)でも,公教育現場では,星条旗への敬礼が義務づけられ,その結果,多くの兵士を増産できるようなシステムができています。
 決して論理の飛躍ではないでしょう。要は,どれだけ現実的に物事を想定できるかという問題です。

 第3の柱は,「学校教育法上の徳目事項の法文化」です。
 道徳を法律化する,などという発想自体,法律家の私にはナンセンスです。
 これは,「愛国心」の教育基本法の延長線上にありますが,教育勅語が生まれたときの経過とよく似ています。
 こちらの歴史情報をご覧下さい(→こちらより引用
「『勅語』を作成するきっかけは、地方長官会議の決議(『徳育涵養ノ義ニ付建議』)である。彼ら地方長官にとって一番恐れていたのは 「国会開設が目前に迫ったがゆえに一層拍車のかかった、自由民権運動に対する危機感だったといえる。」。津波のように次々おしよせて来る『民権運動の波』を如何にして避けるか。これが 最重要課題だったろう。それほど 『民権運動』は おおきな衝動を政府に与えたのである。」
 「まず国づくりは教育から」という思いは,誰でも考えつくことです。
 問題は,政府が躍起になって教育問題に手を出すというところに,何か意図があるということです。
 「道徳」を語る人には,その人自身に尊敬に値する「道徳」が備わっていなければなりません。「反面教師」ならいざ知らず,道徳を語るべき資格のない人が,「徳目」を語るときは,根源にウソがあると考えるのが,自然でしょう。

<4>
 ところで,今回の議案にも,付帯決議が付いています。

 国民投票法にも,18項もの付帯決議が付きましたが,付帯決議が付くというのは,本来,おかしいのです。
 付帯決議の必要がないように,ちゃんと議論をするのが本筋です。
 ちゃんと,原則どおりの議会運営ができないのに,土俵外の教育現場に一方的な原理を押し付けるのか。

 ただ,以下に引用するように,今回の付帯決議内容については,法律の上塗りをするような無意味なものが多いです。

 もっとも唯一見るべきことがらとして
 「学校教育を振興するため、教職員定数と教育予算の一層の拡充に努めること」
 というのがあります。
 教育の充実のために金を用意し,環境整備する,
というのが,唯一最大の政府の責務です
 それを,付帯決議なんかに追いやって,ちゃんと法制化できない無力さ,非力さには,これまた情けない限りです。
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 昨日は,フリースクール関係の方々や,不登校の子を持つ親の方々をはじめ,不登校の問題に向き合っている方々と,弁護士グループが懇談する機会があり,参加してきました。

 もともと,この集まりは,昨年11月に開催したシンポジウムで,不登校問題を取り上げたのをきっかけに,
  「不登校の子を学校に行かせるにはどうしたらよいか」
という問題意識にNO!を訴える声があり,それに応えて集まることになったものです。
(→当時のブログはこちらです

 ▽そもそもなぜ「学校」に行かなければならないのか,

 ▽学校に行かないということが責められるべき事なのか,

 ▽不登校の子どもにとって本当に苦しいことは何なのか,

 ▽その子どもにとって必要なことがらは何なのか,

 ▽フリースクール,ホームスクーリングという選択肢はどうか,

 ▽そもそもこの社会自体に大きな問題があるのではないか,


などなど,実に多くの問題に触れました。

また,今まで私があまり触れた事のない生の事実(たとえば,学校に行かずに成人し,社会人として幸せに暮らしている人の例など)にも接する事が出来ました。

 集まりの中では,法律的に,彼らの「学校に行かずに教育を受ける権利」をどのように位置付けるのか,という議論もありました。

 この点については,憲法26条が学校教育の権利義務を定めたものだとすると,憲法25条の新しい一つの形態として考えるべきではないか,という意見もありました。

 私は,その根拠は,やはり13条だろうと思います。

 憲法13条の定める
   ◆自己決定権
   ◆幸福を追求する権利
   ◆一人ひとりを大切にするという根本原則
が,子どもらの立場を尊重し,子どもら自身が教育方法を選択する根拠となるものと考えます。


 お誘いいただいたラミ中分校の小野先生(→ブログはこちら)ありがとうございました。

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 教育基本法の改悪反対の運動の中心役を果たした
   教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会(あんころ)
ですが、残念ながら今年の1月に解散してしまいました(→こちら

 しかし、改悪教育基本法の、具体的な実現を行う教育関連法案が審議入りすることになり、再び、旧メンバーが集まって、活動を再開するとのことです。
 やはり、何をするにも求心力のある「核」が必要です。

 安倍氏は17日の国会本会議で、
  「教育再生 は待ったなしの課題であり、早急に対応することが政治の責任だ」
 教育は政治だと言い切ったのです。
 これ、大間違いです。

 教育は政治などというドロドロしたものから離して、自主性・独立性を重んじるもの。
 これは憲法にも書いてあります。
「憲法89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

 この条文の趣旨は、政教分離ほどの厳密性はありませんけれども、教育に対して公権力が深く介入することは、その自主性・独立性を害するので好ましくない、というところから来ています(憲法学の通説)。
 教育は政治課題だ、というのは、本質から外れています。
 またも、安倍氏の憲法の不勉強が露呈したわけです。

大内裕和さんからメールが届いたので、以下、一部引用します。

 大内裕和です。国民投票法案が衆議院を通過し、いよいよ教育関連三法案の衆議院での審議が始まります。

 教育関連三法案、国民投票法案に反対する全国集会を5月27日(日)に京都(伊吹文科相の地元)で行います。ぜひとも賛同・参加をよろしくお願いいたします。また周囲の皆さんへの転送・連絡などもよろしくお願いいたします。

 集会のチラシもできました。そちらも事務局に連絡していただければ、手に入ります。どうぞよろしくお願いいたします。

大内裕和

****************
 
---「そうだ、京都に行こう!」---                   
改悪教育基本法の具体化を許さない5.27全国集会のご案内


5月27日(日)午前10時~午後4時半
会場:京都市左京区岡崎公園「みやこめっせ」


  主な発言者(大内裕和さん、小森陽一さん(予定)、高橋哲哉さん、三宅晶子さん他)

  集会後は、伊吹文部科学大臣事務所前を通るデモ・パレード

<主催>「改悪教育基本法の具体化を許さない5.27全国集会」実行委員会
  呼びかけ人(3月27日現在・50音順)
 井前弘幸(大阪)
 大内裕和(松山大学)
 小野政美(愛知)
 北上田毅(京都)
 小森陽一(東京大学)
 近藤徹(東京)
 高橋哲哉(東京大学)
 出口治男(京都・弁護士)
 深沢裕(東京)
 林功三(京都)
 蒔田直子(京都)
 三宅晶子(千葉大学)
 渡部秀清(東京)
  
ホームページ  http://sugakita.hp.infoseek.co.jp/newpage77.htm

 事務局:〒604-0932 京都市中京区寺町二条 ワカバヤシビル3F プロボノセンター内 5.27全国集会実行委員会
    電話:090-6667-0483
    メールアドレス kyoiku5.27@hotmail.co.jp

 中央教育審議会(略して「中教審」)が答申を出した。

 私は「まあ,彼らの立場としては,よくやった方だ」と思う。
 もちろん,答申の内容はうんざり,げんなりする内容だ。

 しかし,
   ◆改定された教育基本法が,漬け物石みたいに頭上に乗っかっていること

   ◆再生会議等で煽ったヒステリックな雰囲気が世論に蔓延していること

   ◆総理大臣らから「拙速でもいいからやれ」と尻を叩かれていたこと

   ◆文科省から,もっともっとひどい原案を突き付けられていたこと

   ◆会長や副会長が普段から行政追認的な態度を取ってきたこと

などを考えると,負のバイアスはかなりの程度だったと思われ,ここまで抵抗したのは,まあまあ立派だと思うのである。

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 これは,神戸新聞の今朝の朝刊に掲載されていた勝敗表である。
 (=文科省官僚案 VS 中教審答申)

 学校教育法・教員免許法関係については,かなりの改悪を受け入れたので,現場の教員たちは,これまで以上に息苦しくなった。
 おそらく,先生たちのうつ病や休職などは,これまで以上に増えるであろう。

 他方,地方教育行政法がらみでは,国の教育委員会,教育現場への介入が,ギリギリのところで止まったという感じである。
 これは,各県の知事さんたちが,中教審に出張って,
   「地方自治への国の介入を許さない」
と頑張った成果である。
 とはいっても「寸止め」という感じで,これからは薄氷を踏むような緊張関係が,子どもの教育現場に,持ち込まれることであろう。

 この結果を招いた負のバイアスのうちの一つに,中教審の会長,副会長の考え方というのもある。
 まずは,中教審のメンバーを見ていただきたい (以下続く↓)

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改悪された教育基本法は,大まかな理念を示すに過ぎない法律でした。

実際の現場の教育にダイレクトな影響を及ぼすのは,
  教育基本法よりも,むしろ下位法
である,
  ◆学校教育法
  ◆地方教育行政法
  ◆教員免許法

などです。

 これも,改悪された教育基本法に沿って,改悪されることが予想されていましたが,いよいよその全貌が明らかになりました。
 私も,まだ目を通していませんが(後に引用しておきます),ちょっと見ただけでは分かりませんが,法律の文言は,耳に聞こえの良い言葉を使いますから騙されないように注意しないといけません。

文部科学省が,パブリックコメントを募集しています。
(→こちらです
「子どものいじめ自殺を無くす」
  といわれていますが,これは,
    →1 「子どものいじめを無くす」
    →2 「子どもの自殺を無くす」
の2つに分けられるし,分けて考えた方がいいと思います。

 1 「子どもの世界に弱いものいじめがなくならない」
         のは,
   「大人の世界で弱者の切り捨てが横行している」
       のが原因である
ということは,以前にも触れたことがあります。

同じように,
 2 「子どもの自殺が増えている」とすれば「大人の自殺が増えている」
ことのあらわれだと言えそうです。

 ところが,子どもの自殺者数は必ずしも増えていないという統計データがあります。

 「社会実情データ図鑑」によれば,年齢別自殺者数の年次推移では,
子どもの自殺者数は,この10年間で年間500数十人で,全くの横ばい状態です


 これと対照的に,死に急いでいるのは,大人です。
 いじめた側の子どもが自殺したとされる松戸市の件について(真相は分かりませんが,報道で取り上げられている限度で)考えてみます。

 いじめには厳しい態度で当たるべきだ,というのが,一貫した現在の政府や文部科学省の考えです。

  大人が「悪」に厳しく接するのが正義だ

と言っているわけですが,子どもは大人の真似をしますから,

  子どもも「わるい子」には厳しくしていいんだ

と理解して行動します。

 「わるい子」であると民主的に認定して集団で厳しく接する
(≒「あの子やだよね~」とクラスの大多数で仲間はずれにする)
 →これが,いじめの「芽」になります。

 それがエスカレートして度を過ぎると「いじめ事件」になります。

 今回自殺した子どもは生徒会役員もしていたそうで,いじめもゲーム感覚で,集団のうちのひとりに過ぎなかったということです。
 どうして,それが「自殺」にまで至ったのでしょうか?

 この点,教師の厳しい一言が引き金になったのではないか,という報道がありました(→こちら

ここで,安倍さんの国会答弁と,ニュースの記事を対比してみましょう。
昨日,中教審の審議がスタートしました。
(→記事はこちら

当面の課題は,
  地方教育行政法
  教員免許法
  学校教育法

の3つの法律の改正案を作ることです。

ところが,予定では2月中に答申をまとめる予定とのこと。
記事でも「異例のスピード審議となる」と指摘されているように,これはあまりに異例です。

ホンマかいな?という感じです。

教育基本法「改正」の審議では,
   ◆慎重な審議を!
   ◆もう少し時間をかけて検討すべきだ!
という数多くの公述人らの意見が噴出したのに,その声を無視して強行採決した,という後味の悪さを感じたばかりです。

  地方教育行政法は,教育委員会のあり方を定める法律
  教員免許法は,先生の地位や立場を定める法律
  学校教育法は,学校現場のあり方を定める法律

つまり,どれもこれも現場に直結した制度を規定する重要な法律です。そういう意味では,教育基本法よりも現場には影響が大きい問題です。

「教育の再生」の方向性さえも十分に定まっていない現段階で,これらを十分な議論もなくやっつけてしまう,というのは「拙速」そのものです。

これからの学校では,子どもたちに,
「やりたかったら,どんな重要なことでも,強引にサッサと片付けるのが正しいことなんだよ」
と教えるつもりなのでしょうか?

クリックして下さいクリックして下さいクリックして下さい
 兵庫県教育委員会では,パブリックコメントを募集しているとのことです。
 「県立高等学校長期構想検討委員会報告(素案)への県民の皆様のご意見・ご感想を募集しています。」
ということです(→当該素案はこちら

〆切は平成19年2月19日(月)とのことで,詳しくはHPに出ています(→こちら

 県のパブコメというのは,あまり馴染みがありませんが,地元学校のあり方については文字通り「県民の問題」として捉えるべきものと思いますので,無視はしないようにしようと思います。

 具体的な問題点はいろいろあるようですが,特に気になったのは,
    定時制高校の募集停止
というところです。
 文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(いわゆる「中教審」)の次期会長に山崎正和さんが内定したという速報が入りました。

 山崎さんは,大阪大学名誉教授,東亜大学学長という教育者としての経歴もありますが,劇作家や評論家としての活躍の方が有名で,
  「柔らかい個人主義の誕生」
という本は,入試問題などでも多く取り上げられて,内容はよく知りませんが,なんとなく馴染みがありますよね。

 今,憲法が目指す真の「個人主義」の当否が問われている時代で,教育の分野で,どんなスタンスで臨むのかが,注目されます。

 ただ,有名人ではあるものの,どういう人なのかよく知りません。
 調べてみたところ,公明党の太田昭宏代表と山崎氏の対談「言葉と政治とリーダーシップ」というのを見つけました。
(→HPはこちら

 興味深い山崎氏の発言を,ちょっと引用してみます(強調・下線は津久井による)
 教育再生会議の第1次報告について,各社の社説が出揃ったようです。
 教育基本法改正情報センターのページから全て閲覧できます。
(→こちらです

 私は未だ社説や論評に目を通していませんけれども,7つの提案について,ごく簡単な講評をしておこうと思います(→次頁)。

 教育再生会議に対し,いろいろ批判はありますが,私は,あえて教育再生会議に期待をしています。
 安倍首相から100点満点と評価されるような内容ではいかがなものかと思いますけれども,多くの市民から及第点をもらえるような内容にしていただきたいと強く願っています。

 ところで,教育の問題は理想論や道徳論になりがちです。
 この点,今まさに他国で実践されている教育というのは,絵空事ではなく,実際に行われている「現実」そのものです。
 ですから,他国の実践例は,道徳的空論よりも,ずっと参考になるはずです。

 フィンランドでは,今の日本と似た教育制度でした。習熟度別制度の教育をしていました。
 しかし,1985年に習熟度制度をバッサリやめて,福祉的教育制度に転換しました。
 日本の教育基本法にあたる「基礎教育法」が施行されたのが1999年
 その効果があらわれたのか,その後の飛躍的な伸びと,2003年のPISA調査で世界一の学力水準を確保したことは,周知のとおりです。


 そういう地球の反対側にある国においては,
 私たちの国の教育再生会議が,第1次報告を出した同じ1月24日に,日本と逆の方向の提言を発していたとのことです。

 フィンランドに暮らしている方の発信した情報によれば,
 この1月24日付けのフィンランドの新聞(Aamulehti紙)で,フィンランドの教育庁長官が次のような提言が公表されたとのことです。
   ◆生徒数が多くなりがちな学級の定員を法律で限定する(少人数教育の維持)
   ◆必要に応じて教員等人員を増加できるようにする。
   ◆教師の再教育の権利と義務を法制化する。
   ◆その他の学校関係の改善


同じ国策であるにもかかわらず,向いているベクトルが全く反対です。
教育再生会議の第1次報告が発表されました。
その内容について、いろいろ批判や意見が出ています。

この点、私も、一つだけ言いたいことがあります。

どうして、少人数学級を、提案しないのか!!

なぜか、教育再生会議が徹底討議した成果である「7つの提言」にも、「5つの緊急対応」にも、少人数学級に関することは一言も出てこない。

なんだか、どうでもよさそうな枝葉末節の細かな事柄や、管理主義的な精神注入施策には、やたら腐心しているのに、どうして、昔から言われていながら実現していない、こんな基本的な提案ができないのでしょう?

私には、不思議でなりません。

要するに、
  最重要課題といいながら、教育への投資をケチっている
としか思えないのです。

 大事なことなんだから、もっとお金を使おうよ

私は、最近、フィンランドの教育事情に注目をしています。
緊急!新春集会
教基法「改正」後の世界を批判的に展望する

-「改正」後の教育の展開、新学力テスト体制、そして安倍政権の批判的検討-


sinnsyunsyukai.jpg


表記の集会が予定されているとのことです。
教育基本法「改正」情報センター(→HPはこちら)からの情報です。

私はこのうち,
   「改正」教育基本法の合憲的解釈
に興味・関心がありますが,
   安倍政権はどこへむかうか
というのも面白そうです。
 ※なお,ここで「教育基本法の合憲的解釈」というのは,改正教基法を支持しましょうという意味ではありません。
 我が国の憲法に適合するように,この法律を解釈していきましょう,という意味です。
 教基法が,憲法の枠からはみ出そうとしたら,ダメだぞっ!とムチ(解釈)を加えようというものです。
 私の12月20日のブログ改正教育基本法の違憲性のとらえ方をご覧下さい。

 とても私は東京までは行けませんので,どなたかご参加される方がいらっしゃったら,またその様子を教えていただきたいと思います。

日時:2007年1月14日(日) 午後1時から
場所:東京大学教育学部156教室(本郷三丁目駅下車徒歩5分)(予定)


構成(予定)
 第1部 「改正」教育基本法の合憲的解釈
 第2部 安倍政権はどこへむかうか
 第3部 教育内容、学習指導要領への影響
 第4部 学力テスト問題
 事務所は9日からですが,弁護士会は今日から始業です。
 今年は正月3ケ日も,当番弁護士の休日支援当番にあたっていたものですから,「さあ,今日から頑張ろう!」という刷新気分も起きませんけれども,ボチボチ始めたいと思います。

 さて,今日付のうさあさんのブログ(→「忙しいママのためのしんじつのえほん」)と,保坂展人のどこどこ日記で,アメリカの教育現場の話が紹介されていました。
 そこで,触発されましたので,アメリカの教育現場に導入されている,
   ゼロ・トレランス方式
について,ちょっとだけ触れておきたいと思います。

 この聞き慣れない「ゼロ・トレランス方式」というのは,直訳すると,「tolerance(寛容)」を0にする,すなわち「不寛容方式」ということだそうです。
 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば,
◆生徒の自主性に任せる放任主義ではなく、不寛容を是とし細部まで罰則を定めそれに違反した場合は厳密に処分を行う方式。

◆アメリカでは1970年代から学級崩壊が深刻化し、学校構内での銃の持込みや発砲事件、薬物汚染、飲酒、暴力、いじめ、性行為、学力低下や教師への反抗などの諸問題を生じた。
 その建て直しのための生徒指導上の様々な施策が行われてきたが、その中で最も実効の上がった方法がゼロトレランス方式だった。

◆細部にわたり罰則を定め、違反した場合は速やかに例外なく厳密に罰を与えることで生徒自身の持つ責任を自覚させ、改善が見られない場合はオルタナティブスクール(問題児を集める教育施設)への転校や退学処分を科し善良な生徒の教育環境を保護。

◆また「駄目なものは駄目」と教えることで、規則そのものや教師に対し尊敬の念を持たせ、ひいては国家や伝統に対する敬意や勧善懲悪の教えを学ばせた。

 私たちが、世界でもっとも自由な国だと信じているアメリカで、このような管理主義的な教育が徹底されていたというのも驚きですが、もうひとつ、驚くことがあります。
 実は、文部科学省では、すでにこのゼロ・トレランス方式の採用に向けてがんばっていたのです。
 平成18年1月31日付の文部科学省初等中等教育局児童生徒課の
   『生徒指導メールマガジン』 第16号
では、巻頭言で次のようにぶちあげています(長いので太字部分だけをお読みいただければ結構です。註;太字・改行は津久井による。)
 巻頭言:「ゼロトレランス方式」について(児童生徒課長坪田眞明)

 各都道府県・指定市教育委員会の生徒指導関係者の方々には、日頃から生徒指導の充実についてご尽力をいただいており、この場を借りて深く感謝申し上げます。
今年は,年初に予想だにしなかった問題に深く関わることになりました。
それは,教育基本法の問題です。

 もともと私は,弁護士会の子どもの権利委員会に所属していました。なので,中教審の意見が取りまとめられた平成15年にも,
  「愛するものは自分で決める」
という市民向けの構成劇とシンポを開催するという程度のかかわりをしたことはありました。
 ただ,「教育基本法」という法律をまじまじと読んで考える機会など,全くありませんでした。

 しかし,今年は身近なところでも,教育をめぐる問題は,本当に大きくクローズアップされました。
   ・教育基本法の「改正」
   ・いじめと自殺
   ・未履修問題と校長自殺
 等々
     →なお,昨日,私の母校の長田高校の先生らが全国に先駆けて処分されました
      (→記事のHPはこちら

 私の立場上,教基法改正問題との関わりは免れなかったとはいえども,これほど深く考えさせられることになろうとは思いませんでした。

 もともと教育基本法という法律は,とても良い法律だったのですが,法律に沿った教育が実践されたのは,
  1947年~1956年
ぐらいまでの10年間だけでした。
 その後,今年2006年までの50年間は,教育基本法の理念に背く教育行政が行われてきたのですけれども,その総括が,今年クローズアップされた一連の現象だったのだろうと思います。
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