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 日本国憲法の前文は名文です。

 読めば読むほど名文です。

 なぜ名文か?というと,
 第1に,重要なことがらが無駄なく盛り込まれ,
 第2に,法文の形式を維持しながら“思い”と“決意”を巧みに表現し,
 第3に,文学的な格調の高さにまで配意している
と感じられるからです。


jiminto.jpg

 最近,
   「憲法の文章がヘンだ」
などという耳を疑うようなことを言う人が出てきましたが,

 どうやら与党の情宣にまんまと乗せられているようです。

(自民党が配っている改憲情宣のマンガがばらまかれています。 
 → こちら です)
(※引用絵図は,自由民主党「ほのぼの一家の 憲法改正ってなあに?」より)

jiminto2.jpg

 実際に憲法の文章にケチを付けている人々を見ると,一定の傾向がうかがわれます。

 第1に,重要な憲法のイロハを理解していない,

 第2に,自分たちの主義主張が強く,

 第3に,歴史的経緯について知識が浅い,

ということです。

 つまり,憲法前文の名文たる要点をサカサマにしたような感じです。




 日本国憲法の前文の起草には,山本有三さんが関わっています。

 国立国会図書館の「日本国憲法の誕生」のところには,次のようにあります。
(→ こちら です。)

ひらがな口語体によって憲法改正草案を準備することとなった。口語化作業は極秘に進められ、作家の山本有三に口語化を依頼し、前文等の素案を得た。

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わたしは保守的な人間なのだと,あらためて自負を感じた一日でした。

「保守」というのは,現行の体制をまもること。
極左の過激な運動にもついていけないし,極右のネトウヨみたいなネクラにもついていけない。
そんなわたしが,この国を愛するがゆえに,憂いを新たにした一日の,気付きを5点。



1 5月3日が憲法記念日であることを知らない若者が70%にのぼる(朝日新聞大阪版路上アンケート調査の結果)。

  憲法を日常から遠ざけてきた教育の残念な成果といわなければならない。

 →いま,最初に必要なコトは「憲法を知ること」(知憲)だ。



2 「集団的自衛権」の解釈容認が強行されつつある。

 これまた,「集団的自衛権」の意味や問題を理解しないままムードで押し切られようとしている。

 →いま,まさに「集団的自衛権」を通じて,平和の実質を語り合うチャンスだ。



3 憲法の主語である「日本国民‥」に実態がないとの指摘(内田樹先生の講演)。

 歴史的な展開でも国民の存在感はなかったし,その後67年の間に実績の積み重ねもなかったから,憲法に重みと厚さがなく,それこそ法律よりも「軽い」扱いを受けているのだ。

 →ノーベル平和賞にエントリーした憲法9条の受賞候補者は「日本国民」だ。是非,「中身」と「形」と「ムード」の3つで盛り立てたい。



4 国や自治体などの公共団体と,株式会社等の営利法人を同視してはならない。

  行政の運営で,「民間では考えられない‥」等とよく言うけれど,民間企業ではないのだから当たり前。

  営利法人の目的は「カネ」である。公共団体の究極の目的は「命」である。

  「イノチ」と「カネ」を同じ天秤に乗せてはならない。

 →今後は,帝国主義や復古調やタカ派が敵ではない。
      「機動性」「迅速性」「能率性」など,営利法人の価値を,公共に持ち込む論理と闘わなければならない。



5 人も政府も,目の前にすぐあらわれる「結果」にこだわりすぎ。

 だから,長い目で見るべき「大事なモノ」が次々に失われていく。

 たいせつなことを決める合意形成には時間がかかる。民主主義はめんどうくさい。

 しかし,だからこそ,大事なものが守られてきた,というのも事実である。

 →もう一度,「急がば回れ」という民主主義の要諦に,立ち戻るべき。

 今日,神戸のYWCAで「秘密保全法」についてミニ講演をします(→こちら)。

 あらためて勉強してみると,現時点で,「秘密保全法案」の問題点を強く指摘しているのは日弁連ぐらいで(→こちら),マスコミをはじめ論評少なく,あまり大きなうねりになっていないようです。

 かくいう私も,これまであまり頑張ってきませんでした。
 なので,反省の気持ちも込めて,私流でポイントを簡単に書き残しておきます。

 まず,「秘密保全法」って何なのか?
  そもそも,法案それ自体が,ヒミツです。

  だから,
     その法案をきちんと批判することもできないし,
     その内容を語ったり考えたりすることさえできない,
 というのが現状です。

  ヒ・ミ・ツのヴェールに包むと,民主主義の本質である「熟議」も「自主」も無効になります。

  国民主権を骨抜きにするのに,ヒミツというはとても便利なので,政府にとっては素敵な道具です。

  国会でも,かなりの重要法案が,ドサクサまぎれにササッと通過してしまいます。
  昨年も,原子力基本法に「安全保障」を盛り込んだり,宇宙航空研究開発機構法から「平和目的限定」を取り払ったりする法改正が,国会議員の多くも知らないうちに瞬時にかすめ取るように実行されたドタバタ劇がありましたが,そういうやり口も秘密裏に進めるからこそできること。

  憲法の無力化(立憲民主主義の否定)に躍起になっている方々としても,秘密保全法制は,どうしても欲しいアイテムでしょう。



 「秘密保全法案」の中身は,3本柱です。

 (1)行政機関が「特別秘密」を指定します。
    国にとって重要な「安全」と「外交」と「公共の安全と秩序の維持」に関するものをヒミツにします。
    こりゃぁダメだと思うのは,
       第1に,行政機関が恣意的に指定できること(都合が悪けりゃヒミツできちゃう
       第2に,あまりにあいまいで広すぎること(何でもかんでもヒミツにできちゃう
       第3に,国民の命や生活が害されること(原発事故の情報隠匿もOKにできちゃう

 (2)情報に関わる人の「適正評価」をします。
    適正評価って言っても,学歴,経歴はもちろん,行動歴,渡航歴,信用情報,精神病歴,交流関係(「本人の身近にあって本人の行動に影響を与えうる者」)まで調べます。
    それじゃあ,思想良心の自由の侵害でしょう。
    興信所だって,そこまで調べません。
    調査に名を借りて「通信の秘密」(憲法21条2項)が侵害されるかも。
   (国家のヒミツのために,国民の秘密の権利が損なわれれば,本末転倒だ!)

 (3)犯罪対象を広げ,かつ,重罰化します。
    秘密情報の漏えい者だけじゃなくって,これに関係した人も,「教唆」とか「扇動」という名目で取り締まります。
    話し合っただけの人も「共謀」で,一度考えて思いとどまった人も「未遂」で逮捕できます。
    私たちが気楽に居酒屋で談笑していたことが,場合によっては犯罪になるということです。
    懲役5年以下とか10年以下という刑の重さを予定していて,いきなり実刑もあり得ます
    こわいです。

 普通に考えて,ちょっと「ありえない」ように思えるかも知れませんが,次の国会に上程される見通しです。


 だいたい,私は「ヒ・ミ・ツ」ってこと自体,すごくアヤしげに思うのです。
  私たちが,ヒミツにするのは,
     「都合が悪いこと」(悪事や不正,知られると批判や邪魔されそうなこと)
なのではないですか。

  企業秘密とか,他人への迷惑を気にする場合はあるでしょうけど,それは個別に対処可能。

  少なくとも,国家の政策に関わることは,重要であればあるほど,主権者たる国民に情報を開示しないといけない。それが,日本のスタンダードルール(憲法の基本)でしょう。

  「ヒミツ」のレッテルを貼ることで,
    どうでもよい情報も値が高騰し(たとえば,個人情報保護の過剰反応の愚かさを見よ!),
    風通しが悪くなって空気がよどみ(たとえば,閉塞感の元凶の一つが情報隠し),
    ヒミツがヒミツを呼ぶ(ウソにウソが重なるようなもの),

ということでロクなことがありません。

  加藤周一さんは,平成12年1月27日の第150回国会参議院憲法調査会に参考人として呼ばれて,ヒミツについて,次のように言いました。
 「ヒミツ」という括りで,平和主義と,人権尊重と,国民主権の関係を見事に語っておられます。

○参考人(加藤周一君) 国民主権というのは民主主義の根拠でしょう。民が、人民が主であるということですから、主権であるということで、国民主権は民主主義ですね。軍隊は大抵の国が持っているわけで、日本も持っていたわけですが、軍隊というのは最も非民主的な組織なんですよ。だから不要だということにならないですよ、必ずしも。それは短絡だと思いますよ。別の検討は必要だけれども、とにかく民主主義的な組織ではないわけね、政府の中で。
 官僚組織の中で最も非民主的なのは軍隊ですよ。なぜなら、秘密が必要だということもありますね。それから、戦争は最も大規模な国家権力による人権の破壊ですよ。ですから、関係は非常に密接なわけ。平和主義はいわば人権を尊重するために非常に大事な前提なんですね。そしてまた、平和主義は民主主義を保障するために非常に大事な条件なんですよ。なぜならば、軍隊なしに戦争できないから。それで、軍隊というのは最も非民主主義的な組織ですからね。だから、その三つのものは関連しているので、だから平和主義は大事であるというふうに私は言ったんですね。



 もひとつ,加藤周一さんの語りの中で,
 アメリカ人のI.F.ストーンの言葉で「すべての政府は嘘をつく」という言葉がよく引用されました。
 「ウソつき」の社会的傾向ががあるのを知りながら,「ヒミツ」の抜け道を,与えてはいけません。





 憲法には3箇所「秘密」という言葉が出てきます。
  一つは,通信の秘密
  2つは,投票の秘密
  もう一つは,国会の両議院の秘密会(憲法57条)です。

 出席議員の3分の2以上の多数議決がないと,秘密会は開けないということです。
 また,秘密会の議事録は,後日公開することになっています。

 憲法は,「国民の秘密」は守るけれども,「国の秘密」は原則ナシとしているのです。

 秘密保全法は,真っ向から憲法に反するものです。絶対,成立させてはなりません。
改憲論は,「米軍の押付け憲法を廃して,自主制定を!」と声高に叫ぶ。

要するに「Made in USA」はイヤだから,是非「Made in JAPAN」にという血統主義的な御説なのだが,

「中身が良ければどっちでもいいじゃん」,「中身がダメなら純和製でもダメでしょ」
という実用性重視の現実派の私としては,こういうセンチメンタルな情緒論には,あまり本気で議論する気になれない。

しかし,世の中では,こういうブランド志向で判断が左右されることも多いので,無視は出来ない。


そこで,憲法9条は,GHQの押し付けではなく,
逆に,日本側からGHQに押し付けたものである,


という内幕の事実をきちんと確認しておきたいと思う。

下記に引用した『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』と題するメモは,憲法調査会事務局において保管されていて,平成16年11月10日の第161回国会参議院憲法調査会でも引用されている。

 以下は,幣原喜重郎・元首相の語りの一部である。

■ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。
 そうだ。誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。

■この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

■そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心した

■僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。(中略)
 すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。
 それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。




 幣原喜重郎・元首相は,理想を語り,現実を知り,巧妙な策に長けた名政治家だったんだと,あらためて感じる。


※なお,法的にも,手続き的にも,日本の自主判断で憲法が改正されているのだから,「Made in USA」ということはありえないし,
 また,実質的にも,主権者たる国民の圧倒的支持を得て成立・公布されているのだから,権威の源泉も「Made in JAPAN」である。
 要するに,GHQが下書きしたのが気に入らないということなのだろうが,しかし,構想は幣原喜重郎大臣によるものだから,やっぱり日本製なのである。
 イメージ押し付けで世論を洗脳するような改憲論は,国民を見くびったアンフェアな手法だと思う。


なお,下記の憲法調査会事務局の資料は,下線を引いたり,強調を付けたりしていますが,これらは私の手によるものです。
 わたしは,日本を愛しています。
 また,そこで暮らす人々を敬愛しています
 だから,日本が,北朝鮮のような国になってほしくありません。


 でも,北朝鮮のような国にも,憲法はあります。
 その北朝鮮憲法にとてもよく似ているのが「自民党憲法改正草案」
 [北朝鮮化]=[自民党憲法改正草案]×[日本共産党的組織性]
 これで,日本は北朝鮮と化してしまうでしょう,いとも簡単に。


 実際,北朝鮮と重なって見える戦前日本は,たやすく狂気に陥りました。
 一度は辿ったことのある道です,「大日本帝国憲法」の下で。
 いま世の中に漂う閉塞感と国際緊張は,まるでデジャヴのように映り,歴史の一巡性を感じます。


 たとえば,
 北朝鮮憲法67条では,“公民は国家の法を徹底的に守らなければならない”とあります。
 自民党改正案102条でも国民に憲法尊重擁護義務を負わせ,12条で国民に義務と責任を強いています。
 近代国家が創り上げた「立憲主義」を捨て去る点が,北朝鮮と自民案の共通点です。


 それに,
 憲法改正について,
 北朝鮮憲法82条でさえ,最高人民会議代議員全員の3分の2以上の賛成が必要なのに,
 今,日本では,憲法96条を改めて,両院の3分の2の賛成を,2分の1にしようとしています。
 北朝鮮憲法よりも劣ったレベルに成り下がるのは,本当に情けなく,本当に恥ずかしいことです。


 憲法96条の歯止めを失ったとき,私たちは愛すべき国を失うこととなるでしょう。
 毎年のようにコロコロ首相が変わってしまうような私たちの国が,
 唯一の礎となっていた憲法さえも,根無し草のごとく変転し,
 政権が変わるたびに,憲法をおもちゃのようにいじくり回し,
 そして,刹那的な情緒に流される理性の乏しい利己的な国になる。
 まるで,北朝鮮のように。


 理性を重んじ,他人への思いやりを求め,一人ひとりの人間をたいせつにする,
 そんな,現在の日本国憲法の真価を知らないまま

 これを捨て去ることは,憲法を学んだ者として,はなはだ残念に思います。
 誇りある国家と,世界に誇れる憲法は,目を見開けば,今ここにあるのです。


 目を覚まして,憲法の真価を知って欲しい。
 この誇りある憲法の記念日に。
 私が加藤周一さんのファンになったのは,
    「羊の歌」(岩波新書)
を読んだのがきっかけだ。

 太平洋戦争の前後にわたり,世の中が一斉に極右傾化していく(狂っていく)なかで,
まったく揺るがぬ姿勢を持ち続けたことに力強さを感じ,
そしてその態度が,実に静かで,冷静だったところに美しさを感じたのである。

 周囲の空気に染まりやすい私には,とてもできない芸当だ!
と今でも羨望の思いは新鮮に感じるし,

 もし,これから日本が狂ってしまっても(狂いつつあるが・・・),
加藤さんのように,静かに自分を見失なわないでいたいと願っている。

 このブログを細々と続けているのも,自分の立ち位置を,自分で見失わないように記録しておきたいからである。


 今日の朝日新聞で,同じような勇気を備えた村長さんの記事に出会った。

 「国旗に一礼しない村長 曽我逸郎さんに聞く」

 このインタビュー記事は,後掲しておくが,たとえ小さくとも「村長」という責任ある立場の人間が,
 世の中の流れというバケモノに対して,勇気を持って抗している姿が,素晴らしい。

 私も,村長さんが議会答弁で語った,
  「私は、日本という国を誇りにできる国、自慢できる国にしていきたいというふうに熱望をしております。」
という言葉に,我が意を得たり!との思いを感じる。

 だからこそ,この国を誇れる国にしていく個々の自発的な意識が大事なのだ。

 上から押し付けたり,周りから取り囲んだりすれば,一人ひとりの心は,小さく閉じて固まってしまう。
 そんな国にしたくない。

 曽我村長には新鮮な羨望を感じる。
 私も,静かに,しかし,決して自分を見失わないでいたい。

 以下,参考として,
   ■朝日新聞の記事と,
   ■村議会の議事録から曽我村長の答弁
を引用する。
 「君が代」斉唱時に起立しなかったため,停職処分を受けた教師の処分取り消し訴訟で,原告敗訴の判決が,最高裁で見直される見通しになった。
 (→ニュースはこちら

 これまでの君が代斉唱不起立をめぐって,思想良心の自由に反するかどうかが争われた事件がたくさんある。
 最高裁の判断は全て合憲判決で,原告側の敗訴で終わっている(以下のとおり)。

        2007年2月27日(第3小法廷) 戒告
        2011年5月30日(第2小法廷) 戒告
        2011年6月6日(第1小法廷) 戒告
        2011年6月14日(第3小法廷) 戒告
        2011年6月21日(第3小法廷) 戒告
        2011年6月21日(第2小法廷) 命令無効確認(却下)※1
        2011年7月4日(第2小法廷) 戒告
        2011年7月7日(第1小法廷) 威力業務妨害罪(有罪)※2
        2011年7月14日(第1小法廷) 戒告

   (※1は仮処分事件,※2は刑事事件なので,ちょっと違う。)

 要するに,これまでの判決は,全て「戒告」処分だったのだ。


 今回の事件は,停職処分ということで「重い」処分だった。
 これを見直すということである。

 きっと,懲戒処分を科するとしても,せいぜい「戒告」止まりで,「停職」は行き過ぎだ,という判決になるのだろう。


 それはそれで,社会的にみれば,落ち着きやバランスとしては妥当なのだろう。

 ただキモチワルさが,かえって引き立つような気がしてしまう。

 「戒告」というのは,「いましめる」処分であるが,「いましめ」の語意は「しばる」ということである。
 つまり,「心」を「しばる」懲らしめなのだ。

 起立行為拒否という客観的・外形的な所作に対する,「しばりという心への懲らしめ」は許されるが,停職という客観的・外形的な処分はダメということ。

 最高裁判決の論理は,「起立斉唱行為は,学校の儀式的行事における慣例上の儀礼的な所作として外部からも認識されるものであって,特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難」ということだったはず。
 つまり,所作(行為)の外形にのみ着目して,処分を科すというところが最高裁の理屈の核心だったはずである。


 今回の見直しが,
    「外形的所作の問題」 ← 外形的な減給処分
 だったものが,
    「思想・良心の問題」 ← 心に対するこらしめ
という形に変わるのであれば,軽くなって良かったという側面よりも,「目には目を,歯には歯を」の延長線上で,「心には心を」という傾向がくっきりと対照され,心に対する呪縛,委縮の効果が一層高まってしまうのではないか,という違和感を覚えてしまうのである。


 とはいえ,まだ判決が出ているわけではない。
 ちょっと先走り過ぎたかもしれないので,もうしばらく見守ることにしよう。

hinomaru.jpg 国旗起立・君が代斉唱事件をめぐる昨日の最高裁判決をよく読んでみよう。

 裁判官のなんとも言えない苦悩がにじみ出ていて興味深い。



 たしかに,判決は,起立斉唱の職務命令を合憲とした。


 しかし,決して,国旗国歌に対する強制を広く許容したものではない

 むしろ,「こういうことを裁判の場に持ち込まないでくれ」というメッセージが読み取れる。

 国旗・国歌の問題は,「法」によって解決すべき問題ではない,というのが最終結論だ。


 第2小法廷の裁判官は4名である。
 千葉勝美(裁判官出身),須藤正彦(弁護士出身),古田佑紀(検察官出身),竹内行夫(外交官出身)の4名である(※竹崎裁判官は,長官なので抜けている。)
 この4名のうち,3名が補足意見を書いている。

 これらに目を通せば,最高裁判決は,単なる最大公約数を整理しただけのものであることが分かる。

 つまり,構成裁判官のうち4分の3が,判決だけでは言い足りないと感じている,あるいは,「言葉が足らない」と思っているのである。


 憲法的な議論は,もっと深いところまで展開されていたことが分かる。


 たとえば,須藤正彦裁判官(弁護士出身)は,次のような補足意見を述べている。
「もとより,憲法における思想及び良心の自由の保障は,個人の尊厳の観点からして,あるいは,多様な思想,多元的な価値観の併存こそが民主主義社会成立のための前提基盤である」

「思想及び良心の自由は,少数者のものであるとの理由で制限することは許されないものであり,多数者の恣意から少数者のそれを護ることが司法の役割でもある。思想及び良心の自由の保障が戦前に歩んだ苦難の歴史を踏まえて,諸外国の憲法とは異なり,独自に日本国憲法に規定されたという立法の経緯からしても,そのことは強調されるべきことであろう。」

最も肝腎なことは,物理的,形式的に画一化された教育ではなく,熱意と意欲に満ちた教師により,しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が,教育現場を疑心暗鬼とさせ,無用な混乱を生じさせ,教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば,かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。その意味で,強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。のみならず,卒業式などの儀式的行事において,「日の丸」,「君が代」の起立斉唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると,たとえ,裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。


 少なくとも,教育行政の場に,「強制」を持ち込むことに,強い警告を発していることは間違いない。
 教育行政担当者に寛容の精神と,慎重な配慮を望んでいるが,これは橋下・大阪府知事にこそ読んで聞かせたい部分である。

 さらに,千葉勝美裁判官(裁判官出身)は,次のような補足意見を述べている。
「起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため,司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが,必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない

「国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって,国民が心から敬愛するものであってこそ,国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである。そうすると,この問題についての最終解決としては,国旗及び国歌が,強制的にではなく,自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要であるということを付言しておきたい。」



 これで,今回の判決文は締め括られている。


 裁判所が,合憲だと宣言して決着させることが,社会的な最終的解決ではない,と言っているのである。

 普通の人は,裁判が最後の砦だと思っているだろうし,私もそのように勉強してきた。


 しかし,最後の砦であるはずの最高裁が,自己否定をしている。

 「最終解決は社会の環境づくりだ」と言い切っているのである。


 これで解決したと思っている勝訴側こそ,社会環境の創生という重い責務を負うことになったという状況を自覚するべきであろう。

 中国の劉暁波さんにノーベル平和賞が決まりました。
 おめでとうございます!!

 劉暁波さんは,共産党一党主義における中国の民主化運動を進め,言論,宗教,集会,結社の自由などを求める「08憲章」を起草・発表しようとした活動などが評価されたとのことです。

 中国の非民主的で,人権軽視の国情からすると,劉さんの勇気ある活動は,大いに賞賛に値するものでしょう。



 どうやら,中国としては,ノーベル賞を決めたノルウェーに対し,内政干渉だと批判しているようです。

 しかし,それはとんでもない誤解です。大まちがい。

 だって,劉さんは,中国の定めた憲法どおり実践したに過ぎないのですから。


 あんなふうに人権軽視に見える中国であっても,憲法には真っ当なことが書いてあるのです。
 (翻訳は,無料翻訳ソフトの訳をベースに,私が手を加えたものなので,ちょっと自信がありません。乞う御容赦!)

第三十三条 凡具有中华人民共和国国籍的人都是中华人民共和国公民。
      中华人民共和国公民在法律面前一律平等。
      国家尊重和保障人权。

      ↓
第33条 中華人民共和国に国籍のある者は全て中華人民共和国の公民である。
    中華人民共和国の公民は,法律の前にすべて平等である。
    国家は人権を尊重・保障する。

 ね。中国の国家の基本法でも,人権尊重が明記されているのですよ。

 さらに,

第三十五条 中华人民共和国公民有言论、出版、集会、结社、游行、示威的自由。
      ↓
 第35条 中華人民共和国の公民は,言論,出版,集会,結社,行進,デモの自由を有する。


 劉さんは,憲法どおりの行動を取っただけのことです。


 本来であれば,中国国家が,憲法実践を行った劉さんを褒めてあげるべきところ,
 中国が憲法を忘却してサボっているので,ノーベル賞が代わりにしてくれただけのことです。

 中国は,騒いだり,怒ったり,隠したりする必要は全くないのです。



 こうしてみると,自国の憲法に忠実な実践をすることこそが,ノーベル平和賞への近道だということでしょう。

 日本も,憲法9条を実践さえすれば,ノーベル平和賞など,決して夢ではないですよ。 
sannkennbunnritu.jpg

 検察審査会が小沢氏の強制起訴の議決に及んだのは,
     三権分立に対する国民のフラストレーション
の一つのあらわれですよね。


 検審の議決要旨は,

   検察官に対する及び腰な態度と,

   (政治の中枢にいる)小沢氏の説明の不合理性


を,厳し~く糾弾していますけれども,その最後の締めのところで

   「国民の責任において,公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけよう」

と,スパッと言い切っているところが,実に潔いです。

はい,「国民の責任において」,というところがキモです。



 三権分立は,上の図横浜市選挙管理委員会のHPより引用)のように権力を3分割して,お互いに牽制しあって,パワーのバランスを取りましょうという,近代国家の原理です。


 何のために三権分立をするかっていうと,
    国民の自由を確保し,
    民主主義を正常に機能させるため,
にほかなりません。


 ところが,日本の場合は,

    立法と行政が,ベッタリくっついて,抑制原理は,すっかり機能不全

    司法は,よくいえば「孤高」ですが,「司法消極主義」の名の下で,三権分立の一翼を担っているという意識は,ほとんど持ち合わせていない,

ものですから,結果として,国民の民主主義の発展に寄与していないんですよね。


 小沢さんが,立法府(=議論の場)を数の原理で押し切り,行政を迷走させ,司法を軽視するものだから,国民の目には,三権分立が,すっかりさび付いている感を与えたのだと思います。


 上の図のとおり,中心にいる国民が,三権それぞれに喝を入れる仕組みがあります。
 その一つが検察審査会です。
 国民の手で,三権分立をしっかり機能させよう,というのが,
      「国民の責任において,公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけよう」
ってことなんでしょう。


 だから,今回の検審の判断の矛先は,小沢さんだけではなく,私たち司法にも向けられているということですよ。
  民主党政権が発足するにあたって「期待」が高まっているようですが,
 国民としては,選挙で一票を投じた後も,まだまだやるべきことがあります。

 望む施策を単なる「期待」にとどめることなく,
 それを声にして具体的に要求していく必要があります。


  ところで,法律の条文で示されるメニューは,
 大事なことから順番に並べるのが常道です。

 これは憲法であっても同じこと。
 憲法の人権メニューは,バラエティ豊富に揃っていますが,次の順番に並んでいます。
 つまり,この順番で,大切な権利と位置付けられているということです。

   「幸福追求権」(個人の尊重/13条)
      ↓
   「平等権」(法の下の平等/14条)
      ↓
   「参政権」(公務員任命罷免権/15条)


 では,次の人権メニューの順番は何でしょう?
 参政権の次に期待される人権ってなんでしょう?


 たいへん地味な人権ではありますが,
   「請願権」(16条)
です。
憲法16条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 「請願権」は,政治に対し,いろいろな施策を要求する権利です。
 受益権といわれる種類の権利です。

  請願権は,歴史的には,近代人権宣言などにも見られる古くからある権利の一つです。
meijikennpoo.jpg
 民意を国政に反映させる方法として,あの明治憲法下でも保障されていました。
(大日本帝国憲法第30条「日本臣民は相当の敬礼を守り別に定むる所の規程に従ひ請願を為すことを得」)

 確かに,条文の体裁としては,請願する行為を保障するだけで,希望や苦情を国政に届けたからといって直ちに国が具体的責務を負うものではありません。

 しかし,参政権と同じように国政に注文を付ける機能を持つ点で重要な権利であることに変わりありません。
 参政権と請願権をセットにして能動的権利と呼ぶこともあります。

 実際,憲法が公布された昭和21年11月3日から
施行された昭和22年5月3日までの間の半年間の帝国議会では(→こちらから検索可能),
衆議院,貴族院に,それぞれ「請願委員会」などが置かれていた上,
数多くの請願が国会に上程され,
まさに,請願の花盛りの様相を呈していました。

 憲法黎明期に,請願権が数多く行使されたということは,
 政治だけでなく,国民も一生懸命に取り組んでいたということであり,
 新しい時代を物語るエピソードです。

 現代社会では,国民の国政参加の道が多様化していることから,請願権の意義が薄れているという指摘があります。
 あるいは,民主主義の成熟や,政党制度の定着により,請願の必要が低下したという指摘もあります。

 しかし,実質的な政権交代が現憲法下ではじめてのことであることを考えると,
 基本に立ち戻って,請願権をしっかり行使することこそ,
 今,新しい時代を迎えるタイミングに,
 憲法が国民に求めていることだと考えられます。


 幸い,現代は,昔ながらの足を運んでの陳情だけでなく,
 それぞれの議員たちが,メール等での意見の受付をしているほか,
 重要施策には,パブリックコメントの募集も行われており,
 請願権を行使するツールもたくさんあります。
 やろうと思えば,いくらでもできる!

 参政権の次は,請願権です。


 衆議院の定数が480人。
 憲法改正発議は,「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」(憲法96条)が必要。
 つまり,改憲ラインは320人

 民主+社民他連立政党=319人

 暴走可能領域3分の2の,ほんまにギリギリ1歩手前でとどまった。

 勝ちすぎはこわい。
 日本人は,風向きによって我も我もと一挙に雪崩を打ったように流れてしまうところが弱点だ。
 インフルエンザが蔓延するのも怖いけど,付和雷同はもっともっとコワイ。
 ちょっと古いが「赤信号みんなで渡れば怖くない」が,実はすごくコワイことだ。
 (~「戦争もみんなで行けば怖くない?」 「悪政もみんながよければ怖くない?」)

 もっとも,
 民主党のなかで,憲法改正賛成が57%,反対が24%
 9条改正については,賛成17%,反対66%
 また,連立を組む社民党は100%護憲。
 (ただし,候補者段階 →毎日新聞えらボートより
suzukikennpo.jpg
 憲法についてしっかりと議論をする「論憲」を行うには,もっとも適した環境が調ったと言えるかも知れない。

 日本国憲法の生みの親,鈴木安蔵氏が,憲法公布の際に発刊した
   「新憲法 解説と批判」
 では,あとがきを次のように締め括っている。
国民こそが統治権の根源であり,
総覧者となったのであって
国民の責任
今日のごとく重大なるはない

のである。

 政権の完全交代という,戦後初の民主的革命が起こった今,同じことがあてはまる。
 「国民の責任が今ほど重大なことはない!」
 
 「勝ちすぎ」による慢心で,問答無用の改憲論をぶっ放した2年前の安倍内閣の愚が繰り返されないことを祈りつつ(=これが市民のトラウマになっている),政権交代の成果が,国民の生活に反映されることを願うばかりだ。

(※それにしても,東京&比例区で保坂展人議員(社民党)が落選したのは,衆議院・法務委員会における貴重な良心を失ったわけで,共謀罪反対問題や,子どもの権利の実現にとって,大きな痛手である。誰が彼に代わりうるのか?)
 明日は投票日だが,今回,「憲法」が争点になったという認識は,誰も持ってないに違いない。

 言うまでもなく,今,憲法は岐路に立たされている。
 国際的には,オバマ大統領の登場で,平和政策とりわけ核問題は大きく舵を切ったところだ。
 内政的にも,貧困,失業など,生存権などの社会権のあり方に,大きな転換が求められている。
 何よりも,来年5月18日には,改憲国民投票法が施行される。
 どのような道筋を通ろうとも,憲法を避けて通るわけにはいかない状況にあるはずだ。

 そうすると,今回選ばれる議員の人たちが,今後の憲法のカギを握っているのは,火を見るより明らかである。

 しかし,憲法問題については,今や埋もれつつある小政党が語るのみで,
 自民党は口を閉ざし,
 民主党も多くは語らなかった。

 民主党のマニフェストのダイジェスト版の締め括りは
    「国民の自由闊達な憲法論議を」
となっているけれども,今,自由闊達さなど微塵も感じない。

 憲法問題をタブーにしたのは,「投票につながらないから」というつまらない理由よりも,
 「寝た子を起こすな」という,事なかれ主義が本音なのだろう。

 マザーテレサが,「『愛』の反対語は,『無関心』である」と語っているとおり,
 瀕死の病身にある憲法にとって,一番の薬は「関心」や「議論」である。
 とどめを刺すのは,「威勢の良い改憲論議」よりも,むしろ「無視(黙殺)」に違いない。

 私が入会した青年会議所は改憲派なので,私の信条とは基本的に合わないけれども,
 西宮青年会議所が開催した,候補者たちによる公開討論会では,憲法問題も,テーマとして取り上げた(→こちらです

 今回の選挙で,憲法問題を黙殺をしてしまったツケは,
 いつ,どこに,どういう形であらわれるのだろうか?

 選挙後に,最初に行うべき行動は,憲法の議論だ。
 切り口は,平和問題,外交問題,経済政策,社会保障,教育問題・・・なんでもよい。
 どの問題であっても,憲法の理念を活かしているかどうかという視点で,モノを考え,モノを語れば,それが必ず生きてくるのだから。
 黙殺は公約違反であり,国民にとっては自殺行為である。
憲法79条2項は,次のように定めています。
「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付(す)」

それから,裁判所法41条では,次のように定めています。
「(最高裁判所の裁判官の任命資格)  最高裁判所の裁判官は、識見の高い、法律の素養のある年齢四十年以上の者の中からこれを任命

今回の衆議院選に合わせて行われる「国民審査」ですが,バッテン(×)を付けるリコール制のようなイメージがありますけれども,

条文の書き方からすると,むしろ,

「識見が高くて法律の素養のある人」
       を
「主権者である国民が任命する

手続だと考えた方が素直ではないかと思います。
(この点,学説は分かれていますが,単なる解職制度に過ぎないという見解には与しません。)

実際,最高裁判所の裁判官紹介のページをみますと(→こちら),
各裁判官の,過去の経歴が,比較的,詳しく出ています。
特に,行政官出身の裁判官の場合,役職もかなり詳しく出ています(たとえば,竹内行夫裁判官の場合は,→こちら

国民審査となると,その裁判官が最高裁で出した主な判決が参考情報として紹介されたりします。
しかし,それを理由に解職を求めるのは,裁判官独立の原則からすると,私は少々違和感を覚えます(それはそれで,最高裁への民主的コントロールの観点からすると正しいのですけど)

むしろ,その人が最高裁判事に就任するまでにどんなことをしてきたのか過去・経歴が問われる,のが国民審査の任命のあり方としては正しいのではないでしょうか。


「竹内行夫裁判官にバッテンを」の活動に,私は賛同です。
竹内裁判官の過去の経歴や,やってきたことを考えますと,とても任命すべき人だと思えないからです。

司法における国民主権を実現するには,裁判員制度より前に,まず既存の国民審査制度をきちんと活用しないと!

takeuti.jpg

 どうでもよい大変つまらない話なのですが,衆議院総選挙が「公示」されました。
 「告示」ではありません。

 「公示」は,国会議員の総選挙の投票日を告知することです。

 これに対し,「告示」は,地方選挙や国会議員補欠選挙の投票日を告知することです。

 広辞苑(第6版)によると,
  「公示」は,「公の機関が広く一般に示すこと」
  「告示」は,「国家・地方公共団体などが広く一般に向けて行う通知」
ということで,公示の方が一般的には広い意味で使われる言葉ですけれども(~私らの業務では「公示送達」とか「公示催告」など,よく使う親近性のある言葉です。),
選挙の場面では,「公示」の方が限定的で,しかも,格上でなんですね。

 「公示」の根拠条文は,憲法7条に定める,天皇の国事行為です。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散すること。
4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
(後略)

 簡単にいえば,「公示」「告示」は,意味も内容も変わらないのですが(公職選挙法では,ほとんどの条項で「公示又は告示」と書いて,十把一絡げにしています。),
あえて両者の違いを言うとすれば,
  憲法に「国民のために」と明記
されていること。

 すなわち,憲法前文などでも冒頭の一文は,
前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・・
から始まっています。
 そこから示されているとおり,国会議員の総選挙が,日本における最も重要なイベント宣言だというところなのでしょう。

 すなわち,憲法の下に行われる選挙だということを,国民自身もよくよく自覚し,投票に臨むべし,というところかしら・・・。(かなり,こじつけっぽいですが。)

 つまらない言葉のおはなしでした。
 衆議院選挙の前日,8月29日に,神戸YWCAで講演をします。

 なかなかタイトルがイカしてますよね。
   「誰でもわかる9条の窮状」
だそうです。

 YWCAに行くのは初めてですけれども,平和活動の歴史は長く,9条の会ブーム以来の活動者である私の方が勉強することが多そうです。

以下は朝日新聞神戸版より引用です。(→こちら
◆29日10時~正午、神戸市中央区二宮町1丁目の神戸YWCA(078・231・6201)。津久井進弁護士が憲法9条の意義や、来年施行される国民投票法などについて話す。参加費一般1千円、大学生500円、高校生以下無料。


YWCAチラシ
兵庫県弁護士9条の会の「行ってきました」のコーナーに投稿した文章の抜粋です。
6月27日に出動した「宝塚九条の会/憲宝ネット」での講演の感想です。

改憲手続法(憲法改悪国民投票法)の,行政・自治体における萎縮的効果の一例です。

          ↓

 久々に出動したのが「宝塚9条の会」。
 正式には,宝塚市内にある21個の様々な9条の会が集まったネットワークでして,その名も『憲ネット』
 「憲法は宝」&「憲法のまち宝塚」というのをかけた,二度と忘れることのできない座布団3枚級の名称でした。

IMAGE_093.jpg 場所は,日本キリスト教団宝塚教会です。
 この写真は教会の聖堂です。

 正面にあるのは,厳かなる聖書台ですが,開いていたのは聖書ではなく六法全書です。
 私が公演したのは,普段は牧師さんが説教する「説教台」。
 慣れた法廷などよりよっぽど気が引き締まります。

 今回のテーマは
    「ご存知ですか?憲法改悪国民投票法」
というお題であり,来年5月18日に施行が予定されている「日本国憲法の改正手続に関する法律」の問題点ということです。

 私は,この法律について以前からブログで“改憲手続簡略化法”とか“インスタント改憲手続法”だとか言って,散々,悪法だ!悪法だ!と主張してきたので,2年前に書いた自分のブログを読み直して,臨みました。

 この悪法の最たるところは萎縮的効果です。
 話の中で,まだ法律が施行さえもされていないのに,自治体がことさら萎縮して,千葉県野田市などは,市民による戦争平和展の開催の後援要請を,同法の「公務員の地位利用」に当たるとして拒否した例があると紹介しました。(→記事はこちら

 すると,憲宝ネットのみなさんも,昨年,同様の憂き目にあったという話でした。
 どういうことかと言いますと,
 宝塚市営の公園(末広中央公園)で
 憲宝ネットの方々がつくる実行委員会が主催して,
 「憲法フェスティバル」というお祭りを開催しようとしたら,
 宝塚市が野田市と同様の理由で平成20年7月2日付で後援の不許可決定を出し,
 結果的に公園の使用が許されなかったということです。

 (その後,宝塚市に不服を申立てたが棄却されてしまったとのことです。
 市議会でも審議され,宝塚市のHPの議事録~平成20年10月2日産業建設常任委員会-10月02日-01号~にも出ています。→議事録はこちら)。
 全くヒドイ話ですね。


 この日の最後は,今後の活動を支える元気を共有するため,憲法実現のために普段から「不断」の努力をしていきましょうと締めくくりました。

 私は,本日,誕生日を迎え不惑の40歳となりました。

 憲法記念日に生まれたことは,私の誇りでもあり,アイデンティティでもありますが,
憲法の方は,記念日を迎えるたびに「改正,改正」などと退陣の突き上げを食らってばかりで,気の毒になります。
 ですから,
       「しっかり,惑わずに,憲法マインドを実践していくこと」
が,40歳の誓いということになります。


 ところで,不惑というのは「惑わない」とか「まよわない」という意味だと思い込んでいましたが,どうも,それだけの意味はないようです。

 原典は,ご存知のとおり,孔子の論語です。
子曰(しいわく)
吾十有五而志于学(吾,十五にして学に志し)
三十而立(三十にして立つ)
四十而不惑(四十にして惑わず)
五十而知天命(五十にして天命を知る)
六十而耳順(六十にして耳に順い)
七十而従心所欲不踰矩(七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず)
 ここで,「不惑」というと,そのまま「まどわない」と訳されていて,広辞苑でも「まどわないこと」という程度の訳しか書かれていません。

 しかし,東京大学教授で,中国文学者の第一人者だった藤堂明保先生によれば,
 「惑」という字には,
    国や境界を区切るとか,
    限定する,
    枠にとらわれる
という意味があるとのことで,
孔子が,「四十而不惑」と書いたのは,
    四十歳で狭い枠にとらわれないようになった
という意味なのだそうです。
    
 確かに,そういう風に読んだ方が,
  15歳で学び,30歳で自らを知り,40歳で視野を広げ,50歳で真実を知り,60歳で懐を広げ,70歳で自由になった
という感じで自然に流れていく感じがします。


 これまで,40歳の不惑というのは,「まどわない」という,ともすると頑迷さの緒を連想する意味のように捉えていましたが,
  むしろ,
「狭い枠や,狭い視野にとらわれず,広くグローバルになる」
というものだと受け止め,さきほどの40歳の誓いを少し改めて
       「しっかり惑わず,広い視野をもって,憲法マインドを実践していくこと」
としたいと思います。

 ちなみに,憲法の40歳の記念日には,西宮市役所の真ん前にある朝日新聞阪神支局襲撃事件が発生しました。
 因果を感じます。

 憲法は,「まどわない」存在であって欲しいところですし,
 狭い視野から叫ばれるヘンテコな改憲論議などにもとらわれないで欲しいですが,
 憲法マインド自体が,「狭い枠にとらわれない,広い視野」を持ったものですので,
    「不惑の最高法規」
として,今後も活躍してもらいたいと思います。
 忌野清志郎さんは,ホンモノのアーティストでした。
 本当に残念でなりません。

 2005年4月24日,忌野清志郎さんが,東京・代々木公園で開かれたアースデイ東京2005のステージで,ファンにアピールしたそうです。
「戦争はやめたほうがいい。地球にもよくない」

「ロックの基本は愛と平和だ。」

「一番の環境破壊は戦争なんだ。」

「この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか」


・・・・いいじゃないっすか!

もちろん清志郎さんは,愛国心にも満ちていた。
不謹慎ソングだと言われた「君が代~清志郎バージョン」も,形式的に歌う君が代なんかより,ずっと心がこもっていていいと思うんですけど。
 昨日の4・25の「つながりカフェ」で,負傷者として歌い続けている山下亮輔くんがミニライブをしてくれました。
 自作の名曲「君と歩く道」に続くアンコールに応えて,SMAPの「セロリ」を歌ってくれました。胸に染みる歌声でした。

 しかし,どうして草君がメインソロであるこの歌を選曲したのか,草君が釈放された直後だっただけに,その意図について,いろいろ考えがめぐりました。


 私は,憲法をテーマにした講演をするとき,(同僚の徳岡宏一朗弁護士の受け売りですが…,)憲法の最高価値である「個人の尊重」(憲法13条)をあらわした象徴として,
   「世界に一つだけの花」
を紹介することが多いです。

 「ナンバーワンではなく,オンリーワンにこそ価値がある」

という,「個人の尊厳」という,まさに憲法の神髄を一言で言い当てた秀逸ソングです。

 ご存知の方も多いでしょうけれども,この歌は槇原敬之さんが過ちで処分を受けた後の謹慎期間を経た後に作られた歌です。

 つまり,弱い立場,辛い立場,苦しい立場に立った経験を踏まえて,
まさに絞り出すようにして得られた一つの価値観ではないかと思っていたのですが,
 歌い手であるSMAPも,決して「勝ち組」の集団ではなく
稲垣さん,草さんといった,同じように「弱い立場,辛い立場,苦しい立場」を味わった人たちも加わっているわけで,
きっと,「オンリーワン」という言葉に,より深みが出てくるのではないかと期待をします。

 痛みを知る人は,
   「勝ち組ナンバーワン」
よりも,
   「一人ひとりのオンリーワン」
の方が,ずっと価値があるということを,自らの体験を通じて知っています。


 私は「世界で一つだけの花」に,より一層深みが出てくるに違いないと期待をしています。

 草さんが苦しい謹慎期間を経て復帰した暁には,是非,万感の思いを込めて「世界で一つだけの花」を歌って欲しいと思います。

 偽装ラブホテル(=一般のホテルとして営業許可を受け,実態はラブホテルとなっているもの)というのは,
    法の抜け穴くぐり
の典型というべきものです。

 旅館業法や風営法の「趣旨」(≒本質)から見たら,許されない(≒違法)はずなのに,
 法律の条文の「字面」(≒表面)から,許されてる(≒適法)と開き直るわけですから,
 こういうものこそ「偽装」と呼ぶにふさわしい業態です。
 (だいたい,法律を分かっているかどうかは,「趣旨」を理解しているか,「字面」しか見ないか,によって区別できます。)

 神戸の住民が「偽装ラブホテルをなくす会」を立ち上げて,声を上げ,
 この活動に応えて,兵庫県警が,「偽装ラブホテル対策室」を設置していました(→こちら

 昨年11月に捜索差押に及んだ上,
 とうとう,逮捕となりました(→こちらです。
 他の捜索先も書類送検されるなどして(→こちら),刑事事件となっています。

 既に,偽装ラブホテルに対しては,民事的(行政法的)には,これを許さないとする上乗せ条例が適法であるとの判決が出ていて(名古屋地裁17年5月26日判決&名古屋高裁平成18年5月18日判決→こちらが詳しい),すでにNOの結論が出ています。
 さらに,今回は,犯罪としてNOが出されたわけですから,
     法の抜け穴はふさがれた
と見て良いでしょう。

 今後は,さらなる全国的な広がりとなっていくかどうかが注目です。
 先日、神戸市内の小学校に行ってきました。
 「憲法」の先生として、特別授業をするためです。

 対象は、小学6年生の児童のみなさんでした。

 約70名の将来の日本を担うみなさんに、
     憲法とは何か
を話しするという,実にエキサイトな企画です。

 教材は,奈良弁護士会が誇る特製絵本
     「憲法って,何だろう?」
です。
 私が,現時点で,最も優れた日本国憲法の案内書だと思う本です。

 ◆憲法は私たちの日々の生活と関係がないと思いますか?

 ◆憲法の中で一番大切な価値ってなんだろう?

 ◆民主主義って「多数決」とどう違うの?

 ◆「平等」って、みんな同じようにするということかな?

 ◆ケンカと戦争はどこが違うんだろう?

 ◆なぜ「戦争」はいけないんだろう?


IMAGE_027.jpg
 という内容で、なかなか盛り沢山でした。

 しかし、生徒のみなさんは、たっぷり2時間,最初から最後までしっかりと聴いてくれたました。

 生徒のみなさんから、感想文をいただきました。

 とても嬉しかったです。

 また,とても励ましになりました。

 何より,感想文の内容は,これまた優れた憲法の副読本のように思えます。

 むしろ,私の方が,かえって新しい発見をいただいたような気がします。

 国籍法の一部が改正されます。

 どのように改正されるかというと、次のとおり。

【現行法】
準正による国籍の取得)
第3条  父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
       ↓
【改正法】
認知された子の国籍の取得)
第3条  父又は母が認知した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。



 たった、これだけのこと。

 ついでに、これまでは偽装届出について国籍法には罰則がなかったところ、今回、新たに罰則が設けられ、違法な国籍取得に対しては、むしろこれまでよりも厳正に対処することとなりました。

【新設の罰則】
第20条 第3条第1項の規定による届出をする場合において、虚偽の届出をした者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。



 この改正は、平成20年6月4日の最高裁判所大法廷の違憲判決を受けて行われるものです。
 三権分立の日本としては、立法府(国会)が、当然に行わなければならない措置です。
 放置していたら、国会が不作為責任を負わされることになってしまいます。

【判決要旨】
1 国籍法3条1項が,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子につき,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した場合に限り日本国籍の取得を認めていることにより国籍の取得に関する区別を生じさせていることは,遅くとも平成17年当時において,憲法14条1項に違反する
(→簡単に言うと、パパ日本人・ママ外国人の子が、出生後に認知されても国籍が取得できないのは、「出生前認知だったらOK」、「出生後にパパママが結婚したらOK」というケースと比べて不平等だし、国際的に時代遅れだよ、ということです。)

2 日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子は,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の国籍取得の要件が満たされるときは,日本国籍を取得する
(→簡単に言うと、現行の国籍法の上の赤字部分は無視するよ、ということです。)

 

 世間では、国籍法の改正に反対する意見も多いようです。
 どうやら・・・
 感情的な国家純血主義や、外国人嫌いの意見が高じて、要件緩和を許さないとする論もあるようですが、それは、国籍法そのものの根本的なあり方の話(=生地主義ではなく、血統主義をどこまで徹底するかという話)、今回の改正の問題とは別次元の話です。

 偽装国籍取得が増えるのではないか、という懸念を示す議員も多いようです。
 どうやら・・・
 それは、根本的には、事実認定の問題や、事務手続き、あるいは民法の家族法における認知手続きの問題であって、国籍法の条文で解決すべき問題とは別次元の話です。
(むしろ、今回の改正で、新たに罰則が新設されることになったのですから、偽装手続きに対する対応は、改正前よりも改善されたということになるでしょう。)

 法的には、
   最上位法規範である憲法
        と
   次順位の規範である世界人権宣言
       に従って、
   下位法規範である法律を改正する
というだけのことです。

【憲法】
第14条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

【国際人権規約】
第15条 すべて人は、国籍をもつ権利を有する
2 何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。


 ホント,ただ当たり前のことをするだけなんですけどね。
 本日の普天間かおりコンサート「平和・いのち・心・響く」の報告です。

futennma3.jpg まさに副題どおり「平和への祈りと,いのちの大切さが,心に,響いた」コンサートで,放っておくとすぐに枯れてしまいそうな「人の良心」にたっぷりの栄養と元気を与えてくれました。

 2時間余の時間のうち半分近くはトークでしたが,普天間さんの語りは,とても率直で心地よく,やわらかに心に染みるものでした。

 文化人や知識人の理論的な話も勉強になって良いですが,彼女の話は心に響きます。
 「心に響く話」というのは,誰にでも共感できる感性や,何気ない日常の一コマを大切にしながら,素直な思いをストレート&シンプルに伝えるところが違うのだなあと思いました。

 まずは,トークの部分で感じたことを3つ。

 彼女は沖縄本島で生まれ育ち,青い海とさとうきび畑の緑とゆったりとした時間にあふれた郷土の豊かさを,東京に出てきてはじめて感じたということです。琉球人の古くからの平和思想にも誇りを持っているとのこと。
 このエピソードや沖縄での人とのふれあいを聞いて,本当の郷土愛は,地域や人が当たり前のように自然に育むもので,そして異文化との交流の中で目覚めるものだと再認識しました。

 彼女の曾祖父は防空壕の中で銃弾で斃れたそうです。それを目の当たりにした祖父母が「いくさ」の悲しさや平和の大切さを,彼女に語り継ぐ中で,彼女の平和への思いが育まれたということです。
 識者と呼ばれる人々の薄っぺらい歴史認識論争と違って,ひとりひとりの市民の平和への真の思いというものは,世代を繋ぎながら伝わっていくものなのだと,感動をしました。

 彼女は,『さとうきび畑』に特別な思いを持って,歌うこと自体に躊躇があったと語りながら,実際,歌いながら泣いていました(会場にもすすり泣く声があちこちから…)。阪神大震災から生まれた「満月の夕(まんげつのゆうべ)」も情感を込めて歌ってくれた。
 「いのちの重さ」というものは,歌や詩に乗せてダイレクトに人の心に届けると,自然に心が震えるものなのだ(=それだけ重いもの)ということを,知りました。


 もちろん感じたことは,他にもいっぱいありましたが,ひとまずこの3点は,私なりの新しい発見なので,書き残しておこうと思います。


 あとは,普天間さんが歌ってくれた13曲について,一言コメントして,今日の報告としておきます。


 オープニングは『くちびるに,歌を』。アップテンポな登場曲ですが,声量のある普天間さんの元気さがインパクトを感じさせました。オープニングの定番のようです。

 続いて『R329』。私が好きな歌です。自然が美しいまち「沖縄」と,米軍基地のあるまち「沖縄」の雰囲気をさりげなく歌っています。愛する郷土と平和をさりげなく歌うとこんな感じになるんですね。

 3曲目は『平和の琉歌』で,出だしが「この国が平和だと誰が決めたの?人の涙も渇かぬうちに」と,彼女にしてはすごくストレートな歌詞でびっくりしたのですが,これは桑田佳祐作詞作曲のサザンの歌とのこと(YOUTUBEでもPV見れます)。サザンを聴いてみようと思いました。

 続いて『さとうきび畑』でした。いきなりクライマックス感がありました。「歌に思いを込める」という行為がどんなものか,本当によく分かりました。言葉はありません,ただ感動です。

 前半の区切りが『祈り』でした。彼女のメジャーソングの一つです。「NHKみんなのうた」の歌だそうです。私は「祈り」というより「訴え」というインパクトを受けました。

 次の『一本の鉛筆』というのは,美空ひばりさんの持ち歌で,ひばりさん自身が好きな歌の十指の一つなのだそうです。知りませんでした。「本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く」何ともストレートで訴求力のある歌詞です。ネットで全歌詞,楽譜みれます。
 ジュリーも,美空ひばりも,桑田佳祐も,槇原敬之も,みんなすばらしいです。


 さらに,おなじみ『イマジン』。これを日本語訳で読んでくれたのが良かったです。一つ飛ばして『ハレルヤ』も,彼女のオリジナル歌詞を乗せて歌ってくれました。

 阪神淡路大震災の神戸の地での『満月の夕』。震災時の様子,震災後の様子,復興に向けての思いを,本当に上手に歌ってくれた。普天間さんも「いのちの重さ」を共有しているからなんだと感じた場面でした。

futennma2.jpg 他方で琉球の歴史や先人たちへの思いを込めた『レキオス』。CD化されていないオリジナル曲とのことでした。

 ラストが,普天間さんの代表曲となった『守りたいもの』ですが,ご自身が自筆(上手な字です)で書かれた歌詞をスライドで映しながらの熱唱でした。会場の方々は,それぞれの「守りたいもの」を思い浮かべながら聴き入っていました。

 その後は,やや年齢層が高い(いや,かなり高かったか?)観客層にもかかわらず,大いに盛り上がってアンコールのコールで,朝鮮38度線で分けられた『イムジン河』と,明日への元気を願った『笑って』の二曲で締めとなりました。
 「イムジン河」は主催者実行委員会のリクエストとのこと(この前,韓国訪問したばっかりですものね)。「笑って」は,平和を願う信念を込めたメッセージに満ちた歌が満載だった今日のコンサートを,明日の日常の生活の元気に“転化”させるような感じで,とても爽快感のある余韻を喚起させる歌でした。



 これから,普天間さんは,全国ツアーとのこと。
 神戸にも再び12月6日に来訪されるそうです。
 宣伝を兼ねてチラシをアップしておきます。
 詳しくは,普天間かおりさんの公式HP(http://www.futenma.net/)まで。
明日(11月16日)午後2時から,神戸文化ホールで,
  普天間かおり さん
20081116121210.jpg のコンサートが開催されます。

 テーマは,
    「平和・いのち・心・響く」
 です。

 昨年の「9条の心」でのミニコンサートでの大好評の余韻を味わいたい!というのが目的です。
 (昨年の記事は,案内がこちら で,感想がこちら です。)

 普天間さんは,沖縄ご出身ですが,「自分の想いを歌に託している」という感じが,ストレートに伝わってきて,素直に感動を感じることができたのが印象的でした。

 きっと,今回も,そんな感動を味わうこと出来ることでしょう。

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 歌は,
   「イムジン河」
   「さとうきび畑」
   「守りたいもの」
   「祈り」
など・・・・・

 当日券もあるそうです。どうぞよろしくお願いします!

日時 : 11月16日(日)
  開場13:30 開演14:00

会場 : 神戸文化ホール大ホール

チケット : 前売り¥2,300 当日¥3,000
70歳以上・大学生以下・身体障害者¥2,000 手話・保育有

主催 : 普天間かおりコンサート実行委員会 TEL078-361-9199
共催 : 9条の心 ネットワーク


<<普天間かおりさんのご紹介>>

出身地  沖縄県中城村
生年月日 1973年9月23日
琉球王朝の流れに生まれる。

 田母神俊雄・航空幕僚長が,突然,更迭された。

tamogami.jpg 突然のことでびっくりした。

 更迭の理由は,田母神氏の『日本は侵略国家であったのか』と題する論文が,10月31日に,懸賞論文で最優秀賞を受賞したからだ。
 その論文中に,「我が国が侵略国家というのは濡れ衣だ」などと政府公式見解と異なる主張があって,立場上ふさわしくないとされたからということだ。

 その論文は,公表されているので,興味があったら,各自ご覧いただきたい。
 文章はとても分かりやすくて,論旨も明快だ。
 いくつか刺激的に感じられる主張を引用すると,
「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」
「人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた」
「もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない」
「東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている」
…という感じである。
 もっとも,おおむね,よく主張されている歴史観であり,初めて聞くようなオリジナリティのある主張ではないと思うけれども,ここまで堂々と書かれると,総選挙を控えた政府与党としては,見て見ぬフリをするわけにいかなかったのだろう。
 →http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 しかし,「表現の自由」「言論の自由」を尊重すべき国,わが日本で,論文を投稿するしたことで更迭されるというのは,なんとなく気持ちが悪く,違和感を感じる。
 だって,田母神氏は,航空幕僚長に就任する以前から,堂々と,この種の主張を展開していたのである。
   『航空自衛隊を元気にする10の提言』
というのがある。
 そこでは,同種の主張を勇ましく展開している。
 おそらく,自衛隊内では,多くの信望を集めていたに違いない。
 その中には,航空自衛隊を元気にする合計30の提言があって,そのうちの一つに,
   「月刊誌へ論文を投稿する」
というのがあり,そこには次のような主張がある。
「中国や韓国は相変わらず靖国神社、教科書、慰安婦、遺棄化学兵器問題など不当な物言いを続けている。そんな場合には、きちんと反論すべきであろうが、・・・(中略)・・・日本国内において自衛隊は更に言論の自由を放棄してきた。いや、放棄させられてきたというのが正しいのかもしれない。・・・(中略)・・・国家や国民のためにと思って発言し、その結果も特に悪くはないのに更迭される。・・・・(中略)・・・しかし時代は今変わった。・・・(中略)・・・自衛官にも言論の自由があることを、再び防衛庁長官(←注;石破氏)から明言して頂いたのだ。・・・(中略)・・・。「私にも言わせて欲しい」の心意気がいま自衛官に求められている。ものを言っただけで大騒ぎになり、職を辞さなければならないような時代はいわば暗黒の時代である。・・・(中略)・・・私はすぐにでもできるのは月刊誌に論文を投稿することだと思っている。部内の雑誌への投稿に止まることなく外に打って出ることが大事である。正論、諸君、VOICE、This Is 読売などに論文を投稿してみることだ。」
 これは,平成16年7月に書かれたもので,就任前の主張だ。

 内容はともかく,表現の自由を尊重するという意味では,良いことを言ってるんじゃないか?
 今回の田母神氏の行動も,このときの主張通りにしたことであって,言動一致,首尾一貫している。
 今回の論文(表現)が悪い,というなら,最初から就任させるべきでなかった,ということになってしまうではないか。

 だから,私は,更迭は遅すぎたと思うのである。
 本来は,名古屋高裁イラク派兵違憲判決が出たときに,
   「そんなの関係ネエ」
と発言したとき(=記者会見で,「純真な隊員には心を傷つけられた人もいるかもしれないが、私が心境を代弁すれば大多数は『そんなの関係ねえ』という状況だ」と言ったこと)に,更迭するのがベストタイミングだったと考える。


 なにせ,このときの田母神発言は,
   憲法尊重擁護義務違反(=憲法99条違反)
   司法を堂々と無視(=三権分立違反)
   文民統制の形骸化(=憲法66条2項の無力化)

であって,名古屋高裁判決をないがしろにする違憲的言動だったからである。
 しかも,今回の個人的な論文投稿(=表現の自由)と異なり,航空幕僚長としての公式見解だったからだ。

 ここらあたりの感覚のズレが,気になって仕方がない。政府の鈍感力か?
 田母神氏にとっては,せっかく最優秀賞(懸賞金300 万円・全国アパホテル巡りご招待券)がもらえたのに,嬉しさ消滅ってところだろうか。
 知り合いの学生さんRAFさんが,個展を開くことになりました。
 (RAFさんのHPは,こちらです。)

 RAFさん(本名;姉川真弓さん)には,教育基本法の改変問題のときに,弁護士会で開催したシンポで披露した紙芝居を作ってもらいました。
   「ももちゃんは1年生」
というタイトルです。
 実は,今もこのブログのバナー(左上)に出ていますし,HPも未だ健在なのです。
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 その後も,私関連では,阪神・淡路まちづくり支援機構のロゴやパンフ作りをお願いしたりしていて,それらも今回の個展で披露されていました。

 10月25日から11月3日まで,西宮市田代町19-9-101(阪急西宮北口の駅の南東出口から,梅田方面に徒歩5分)の,アクセサリーショップ『変』で開催中です。
 どうぞ,お近くのみなさんには,足をお運び下さいませ。
 昨日のNHKの「SONGS」はご覧になりましたか?
 沢田研二Part1と題して,「我が窮状」を熱唱しました(→番組案内はこちら

 「我が窮状」は,憲法9条を守っていこうというストレートな歌です。
 作詞は,ジュリー(沢田研二)ご自身で,9月13日の朝日新聞には,
   「還暦に憲法への思いを歌う」
というサブタイトルで,「ひと」の欄に取り上げられていました。

 まずは,歌詞を見て下さい(あちこちのサイトで取り上げられていますが,CDを買いましょう!)
 私が,さすが一流アーティストだなあ,とセンスを感じるのは,
   「麗しの国 日本」
   「日本に生まれ 誇りも感じている」
   「英霊の涙」
というフレーズで,ステレオタイプな護憲派であれば決して使わないような(というかアレルギーを感じる人もあるだろう)言葉を,前面にドーンと出しているところです。
 誇りある愛国者を自負する私としては,大いに共感。

 また,「真の平和」とか「日本の核」とか「老いたる」とか「過ち」といった,難しい言葉を使いながら,素敵なバラードに仕上げているところも,うならせるポイントです。

 朝日新聞の記事では,
  「60歳になったら,言いたいことをコソッと言うのもいいかな」
    とか
  「言葉に出さないが9条を守りたいと願っている人たちに,私も同じ願いですよというサインを送りたい」
などという,ちょっと控えめなコメントをしています。
 しかし,天下のジュリーの一言を,タイガース世代が放っておくはずがないでしょう。

 「我が窮状」の歌詞は,憲法9条に関する問題の所在,現状認識,あるべき方向性,主張,全て揃った完成品です。
 むしろ「還暦世代よ!オレに付いてこい!」というアニキ的な風格さえ感じます。

 この混沌とした時代に,憲法9条という難解な代物を,ストレートな思いで文化・芸術に高めるセンスと勇気に,私は感激を覚えました。
 そして,関西の文化人としての気骨をたたえたいです。

 SONGSの再放送は,20日(土)の3:40~ 23日(火)の3:15~
 「沢田研二 LIVE 2008 還暦だぞ!! ROCK’N ROLL MARCH」の予定は→こちら

 (黄色い声で)キャ~,ジュリ~!
 自衛隊イラク派兵違憲判決(4/17の名古屋高裁の9条違憲判決)から,半年近くで,航空自衛隊部隊のイラク撤収が決まりました。

 やはり判決の威力というのはすごいなと感じました。

 政府(町村官房長官)は,判決が出たとき「空自の活動継続に何ら問題はない」と言い切りました。航空幕僚長は「そんなの関係ねえ」とも言いました。
 しかし,それからまだ半年も経っていないのに,180°方向転換です。

 撤収の理由は「期限切れ」という形式的なものですが,そんなのは,本気で何とかしようと思えば何とでもなるはずです。
 それこそ,選挙で勝ちさえすれば,堂々と押し通せるはずですから。
 しかし,選挙結果を待たずに,この段階で撤収を決めたのは,次の選挙で「違憲」という錦の御旗を民主党に掲げられるのはかなわない,という危機感が作用したものと思います。

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 これこそ,
民主主義の機能復活(=衆参両議院の均衡)と,
司法の存在感(=積極的な司法チェック)によって,
憲法が実現する,
ということであり,
これぞまさに国家の理想形だと思いました。


 名古屋判決を,草の根的に広げていく活動をしてこられた弁護団の方々の努力も見逃せません。

 ちょうど昨日,神戸に,名古屋弁護団の川口創弁護士を招いて,講演会をしたばかりでした。
 彼らは,名古屋判決の意味を伝え,その価値を広げるために,全国に遊説して回っておられるのです。

 弁護団がつくるHPもあります。
 名古屋判決を,とってもわかりやすく解説し,文字どおり「自衛隊イラク派兵違憲判決~その後」の活動を,大きく展開しておられます。

 たとえば,「空輸」というと,資材を運んでいるだけみたいに聞こえますが,実際には,軍隊を運んでいるということなどを,詳しく説明してくれています。

 判決は、航空自衛隊の内容にも踏み込みます。政府が情報を一切開示しようとしていないことを批判的に示しつつ、明らかとなった事実を丹念に認定をしてます。
 2006年7月末に、陸上自衛隊がサマワから撤退しましたが、米軍からの「陸自撤退の代わりに」という強い要請により、航空自衛隊がイラクの隣国クウェートからバグダッドへの輸送活動を開始しました。「空輸」では、物資はほとんど運んでおらず、大半が武装した米兵であることが判明しています。
 自衛隊がバグダッドに「空輸」を開始した直後の2006年8月、アメリカはバグダッドに兵を「増派」しはじめます。そして、2006年年末からバグダッドを中心にイラク全土で大規模な「掃討作戦」と展開し始めます。 そして、2007年1年間、米兵は1447回もの空爆をイラク全土で行いました。 
航空自衛隊が輸送活動を開始した後に、米軍はイラク全土での空爆や掃討作を飛躍的に拡大しているのです。
 これは、私たちが送り込んだ米兵が、イラクの市民を殺していることに他なりません。判決はこのことを厳しく断罪し、「自ら武力行使をしているにひとしい」として、憲法9条1項違反と判断したのです。
 判決は、今戦争をしている、という重い真実を正面から示したわけです。この判決は政府に対してだけでなく、「加害者」であることに無自覚・無関心な私たち主権者に対する「有罪判決」でもあるかもしれません。

 

 こういった活動を通じて,彼らは,早期イラク撤退を求めていたわけですが,その活動の真っ只中で,目的を達することができたわけです。

 国民が自ら,事実を直視し,その意味を学び,広め,そして共に考え,その結果が,ストレートに国政に反映されていく,という過程(プロセス)が,生き生きと感じられる希有なことがらだといえるでしょう。
 やはり判決の重みを感じます。
兵庫県弁護士9条の会の「Newsletter No.40」に載せた記事を転載します。
内輪の文章ですが,あらためて読んでみると,まあオモシロかったので・・・

 私がピースツアーで拝命した役目はカメラマンでありました。
   「いかに国際的に成果ある有意義なツアーであったか!」
を,きちんと可視化できるようにしようという使命感で臨んだものです。
 思いはただそれだけでした。

 したがって,中心メンバーのみなさんのように
   韓国の勉強もしなかったし,
   国際平和への熱い思いも深めなかったし,
   荻野先生のように完璧な翻訳文を作る作業もしませんでした。
 往路の飛行機内の1.5時間が唯一の勉強タイムという体たらくでございました。

 それでも,「訪問してホントに良かったなあ~…」と心から思えるのは,同行したみなさんの魅力溢れるパーソナリティーおかげです。
 とりわけ,石田・吉田・野上3人組の精密な下見と,白・韓2人組の見事な現地案内には絶大な感謝を申し上げたいです。

 そして,私の,韓国ピースツアーの感想と平和への思いは,500枚を超える写真を援用し,代えさせていただきます(御所望の方がいらっしゃったらCDを送りますので,遠慮なくお声掛け下さい。)。

 さて,これだけだと中身がないので,私の思い出ベスト3を挙げさせていただきます。

 まず,第3位ですが,『実弾射撃場』でマグナムをぶっ放したことです。
 白先生の,“ピストルで枢要部を狙って撃つのがいかに難しいかを体験すれば,殺意について,迫力ある刑事弁護ができるぞ”という,怪しげにも説得的な呼び掛けにつられて,多数が足を運ぶ一大イベントとなりました。
 「絶対にイヤよ!」とおっしゃっていた某先生がキャーキャー言いながらバンバン撃っていたのも印象的でしたし,見事トップの座を射止めた前野先生の意外な才も印象的でした。
 そして,私も,ほぼ満点に近い射撃率で「意外と簡単やな」と思い,かえってヤミツキ感さえ覚え,当初の目的に反する逆効果が得られたのが印象的でした。

 ところで,この日,繁華街にはデモを規制する軍隊(機動隊)が大勢立ち並んでいたのですが,隊員の多くは徴兵された思しき若者たちでした。
 いかにも頼りなさそうで,不安げな表情をたたえた彼らが,軍隊で射撃訓練をしているのかと思うと,日本と韓国の戦争文化の違いを感じずにはいられませんでした。



 第2位は,何と言っても韓国料理の数々です。
 キムチ,ピビンバ,焼肉といったお馴染みの料理も,本場の食べ方で接すると,ひと味もふた味も違います。
 隣に座った梁先生に,本場の指導を受けながら食べた焼肉は,まるで初めて喰べた御馳走のように新鮮に感じられました。
 ソンロンタンとか,宮廷料理とか,韓国弁当といったソウルの味に感動を覚え,若手&小沢先生と繰り出した路地の屋台の名前も分からない妙ちくりんな食べ物も最高でした。
 大げさかも知れませんが,生きてて良かったなあと感じることができました。


 そして,第1位は,ナヌムの家でペ・チュニさん(85歳)とお会いできたことです。
 彼女は,戦中の慰安婦経験の後も,ロシア,中国,日本と移住を余儀なくされ,本当に辛い人生を送られたとのことです。
 音楽や絵が好きとのことで,羽柴先生の歌唱に続き,彼女と一緒に日本の童謡を歌ったのも印象的でしたし,絵も胸を打つものがありました。
 日本語も堪能でしたが,それは日本では尼崎に長く住んでいたからとのことで,尼崎市民の私としては,ご近所的な親近感を覚えました。
 こうして人として交流する中で親近感を感じると,彼女の慰安婦としての屈辱と悲痛の体験が,よりリアルに迫ってきました。そして,非体験者が「知る」ことの重要性を感じました。


 長くなりましたが,私の感想として,原稿を提出させていただきます。
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