(→ニュースはこちら)
これまでの君が代斉唱不起立をめぐって,思想良心の自由に反するかどうかが争われた事件がたくさんある。
最高裁の判断は全て合憲判決で,原告側の敗訴で終わっている(以下のとおり)。
2007年2月27日(第3小法廷) 戒告
2011年5月30日(第2小法廷) 戒告
2011年6月6日(第1小法廷) 戒告
2011年6月14日(第3小法廷) 戒告
2011年6月21日(第3小法廷) 戒告
2011年6月21日(第2小法廷) 命令無効確認(却下)※1
2011年7月4日(第2小法廷) 戒告
2011年7月7日(第1小法廷) 威力業務妨害罪(有罪)※2
2011年7月14日(第1小法廷) 戒告
(※1は仮処分事件,※2は刑事事件なので,ちょっと違う。)
要するに,これまでの判決は,全て「戒告」処分だったのだ。
今回の事件は,停職処分ということで「重い」処分だった。
これを見直すということである。
きっと,懲戒処分を科するとしても,せいぜい「戒告」止まりで,「停職」は行き過ぎだ,という判決になるのだろう。
それはそれで,社会的にみれば,落ち着きやバランスとしては妥当なのだろう。
ただキモチワルさが,かえって引き立つような気がしてしまう。
「戒告」というのは,「いましめる」処分であるが,「いましめ」の語意は「しばる」ということである。
つまり,「心」を「しばる」懲らしめなのだ。
起立行為拒否という客観的・外形的な所作に対する,「しばりという心への懲らしめ」は許されるが,停職という客観的・外形的な処分はダメということ。
最高裁判決の論理は,「起立斉唱行為は,学校の儀式的行事における慣例上の儀礼的な所作として外部からも認識されるものであって,特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難」ということだったはず。
つまり,所作(行為)の外形にのみ着目して,処分を科すというところが最高裁の理屈の核心だったはずである。
今回の見直しが,
「外形的所作の問題」 ← 外形的な減給処分
だったものが,
「思想・良心の問題」 ← 心に対するこらしめ
という形に変わるのであれば,軽くなって良かったという側面よりも,「目には目を,歯には歯を」の延長線上で,「心には心を」という傾向がくっきりと対照され,心に対する呪縛,委縮の効果が一層高まってしまうのではないか,という違和感を覚えてしまうのである。
とはいえ,まだ判決が出ているわけではない。
ちょっと先走り過ぎたかもしれないので,もうしばらく見守ることにしよう。
国旗起立・君が代斉唱事件をめぐる昨日の最高裁判決をよく読んでみよう。裁判官のなんとも言えない苦悩がにじみ出ていて興味深い。
たしかに,判決は,起立斉唱の職務命令を合憲とした。
しかし,決して,国旗国歌に対する強制を広く許容したものではない。
むしろ,「こういうことを裁判の場に持ち込まないでくれ」というメッセージが読み取れる。
国旗・国歌の問題は,「法」によって解決すべき問題ではない,というのが最終結論だ。
第2小法廷の裁判官は4名である。
千葉勝美(裁判官出身),須藤正彦(弁護士出身),古田佑紀(検察官出身),竹内行夫(外交官出身)の4名である(※竹崎裁判官は,長官なので抜けている。)。
この4名のうち,3名が補足意見を書いている。
これらに目を通せば,最高裁判決は,単なる最大公約数を整理しただけのものであることが分かる。
つまり,構成裁判官のうち4分の3が,判決だけでは言い足りないと感じている,あるいは,「言葉が足らない」と思っているのである。
憲法的な議論は,もっと深いところまで展開されていたことが分かる。
たとえば,須藤正彦裁判官(弁護士出身)は,次のような補足意見を述べている。
「もとより,憲法における思想及び良心の自由の保障は,個人の尊厳の観点からして,あるいは,多様な思想,多元的な価値観の併存こそが民主主義社会成立のための前提基盤である」
「思想及び良心の自由は,少数者のものであるとの理由で制限することは許されないものであり,多数者の恣意から少数者のそれを護ることが司法の役割でもある。思想及び良心の自由の保障が戦前に歩んだ苦難の歴史を踏まえて,諸外国の憲法とは異なり,独自に日本国憲法に規定されたという立法の経緯からしても,そのことは強調されるべきことであろう。」
「最も肝腎なことは,物理的,形式的に画一化された教育ではなく,熱意と意欲に満ちた教師により,しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が,教育現場を疑心暗鬼とさせ,無用な混乱を生じさせ,教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば,かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。その意味で,強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。のみならず,卒業式などの儀式的行事において,「日の丸」,「君が代」の起立斉唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると,たとえ,裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。 」
少なくとも,教育行政の場に,「強制」を持ち込むことに,強い警告を発していることは間違いない。
教育行政担当者に寛容の精神と,慎重な配慮を望んでいるが,これは橋下・大阪府知事にこそ読んで聞かせたい部分である。
さらに,千葉勝美裁判官(裁判官出身)は,次のような補足意見を述べている。
「起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため,司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが,必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない。」
「国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって,国民が心から敬愛するものであってこそ,国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである。そうすると,この問題についての最終解決としては,国旗及び国歌が,強制的にではなく,自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要であるということを付言しておきたい。」
これで,今回の判決文は締め括られている。
裁判所が,合憲だと宣言して決着させることが,社会的な最終的解決ではない,と言っているのである。
普通の人は,裁判が最後の砦だと思っているだろうし,私もそのように勉強してきた。
しかし,最後の砦であるはずの最高裁が,自己否定をしている。
「最終解決は社会の環境づくりだ」と言い切っているのである。
これで解決したと思っている勝訴側こそ,社会環境の創生という重い責務を負うことになったという状況を自覚するべきであろう。
おめでとうございます!!
劉暁波さんは,共産党一党主義における中国の民主化運動を進め,言論,宗教,集会,結社の自由などを求める「08憲章」を起草・発表しようとした活動などが評価されたとのことです。
中国の非民主的で,人権軽視の国情からすると,劉さんの勇気ある活動は,大いに賞賛に値するものでしょう。
どうやら,中国としては,ノーベル賞を決めたノルウェーに対し,内政干渉だと批判しているようです。
しかし,それはとんでもない誤解です。大まちがい。
だって,劉さんは,中国の定めた憲法どおり実践したに過ぎないのですから。
あんなふうに人権軽視に見える中国であっても,憲法には真っ当なことが書いてあるのです。
(翻訳は,無料翻訳ソフトの訳をベースに,私が手を加えたものなので,ちょっと自信がありません。乞う御容赦!)
ね。中国の国家の基本法でも,人権尊重が明記されているのですよ。第三十三条 凡具有中华人民共和国国籍的人都是中华人民共和国公民。
中华人民共和国公民在法律面前一律平等。
国家尊重和保障人权。
↓
第33条 中華人民共和国に国籍のある者は全て中華人民共和国の公民である。
中華人民共和国の公民は,法律の前にすべて平等である。
国家は人権を尊重・保障する。
さらに,
第三十五条 中华人民共和国公民有言论、出版、集会、结社、游行、示威的自由。
↓
第35条 中華人民共和国の公民は,言論,出版,集会,結社,行進,デモの自由を有する。
劉さんは,憲法どおりの行動を取っただけのことです。
本来であれば,中国国家が,憲法実践を行った劉さんを褒めてあげるべきところ,
中国が憲法を忘却してサボっているので,ノーベル賞が代わりにしてくれただけのことです。
中国は,騒いだり,怒ったり,隠したりする必要は全くないのです。
こうしてみると,自国の憲法に忠実な実践をすることこそが,ノーベル平和賞への近道だということでしょう。
日本も,憲法9条を実践さえすれば,ノーベル平和賞など,決して夢ではないですよ。

検察審査会が小沢氏の強制起訴の議決に及んだのは,
三権分立に対する国民のフラストレーション
の一つのあらわれですよね。
検審の議決要旨は,
検察官に対する及び腰な態度と,
(政治の中枢にいる)小沢氏の説明の不合理性
を,厳し〜く糾弾していますけれども,その最後の締めのところで
「国民の責任において,公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけよう」
と,スパッと言い切っているところが,実に潔いです。
はい,「国民の責任において」,というところがキモです。
三権分立は,上の図(横浜市選挙管理委員会のHPより引用)のように権力を3分割して,お互いに牽制しあって,パワーのバランスを取りましょうという,近代国家の原理です。
何のために三権分立をするかっていうと,
国民の自由を確保し,
民主主義を正常に機能させるため,
にほかなりません。
ところが,日本の場合は,
立法と行政が,ベッタリくっついて,抑制原理は,すっかり機能不全
司法は,よくいえば「孤高」ですが,「司法消極主義」の名の下で,三権分立の一翼を担っているという意識は,ほとんど持ち合わせていない,
ものですから,結果として,国民の民主主義の発展に寄与していないんですよね。
小沢さんが,立法府(=議論の場)を数の原理で押し切り,行政を迷走させ,司法を軽視するものだから,国民の目には,三権分立が,すっかりさび付いている感を与えたのだと思います。
上の図のとおり,中心にいる国民が,三権それぞれに喝を入れる仕組みがあります。
その一つが検察審査会です。
国民の手で,三権分立をしっかり機能させよう,というのが,
「国民の責任において,公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけよう」
ってことなんでしょう。
だから,今回の検審の判断の矛先は,小沢さんだけではなく,私たち司法にも向けられているということですよ。
国民としては,選挙で一票を投じた後も,まだまだやるべきことがあります。
望む施策を単なる「期待」にとどめることなく,
それを声にして具体的に要求していく必要があります。
2 ところで,法律の条文で示されるメニューは,
大事なことから順番に並べるのが常道です。
これは憲法であっても同じこと。
憲法の人権メニューは,バラエティ豊富に揃っていますが,次の順番に並んでいます。
つまり,この順番で,大切な権利と位置付けられているということです。
「幸福追求権」(個人の尊重/13条)
↓
「平等権」(法の下の平等/14条)
↓
「参政権」(公務員任命罷免権/15条)
では,次の人権メニューの順番は何でしょう?
参政権の次に期待される人権ってなんでしょう?
たいへん地味な人権ではありますが,
「請願権」(16条)
です。
憲法16条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
「請願権」は,政治に対し,いろいろな施策を要求する権利です。
受益権といわれる種類の権利です。
3 請願権は,歴史的には,近代人権宣言などにも見られる古くからある権利の一つです。

民意を国政に反映させる方法として,あの明治憲法下でも保障されていました。
(大日本帝国憲法第30条「日本臣民は相当の敬礼を守り別に定むる所の規程に従ひ請願を為すことを得」)
確かに,条文の体裁としては,請願する行為を保障するだけで,希望や苦情を国政に届けたからといって直ちに国が具体的責務を負うものではありません。
しかし,参政権と同じように国政に注文を付ける機能を持つ点で重要な権利であることに変わりありません。
参政権と請願権をセットにして能動的権利と呼ぶこともあります。
実際,憲法が公布された昭和21年11月3日から
施行された昭和22年5月3日までの間の半年間の帝国議会では(→こちらから検索可能),
衆議院,貴族院に,それぞれ「請願委員会」などが置かれていた上,
数多くの請願が国会に上程され,
まさに,請願の花盛りの様相を呈していました。
憲法黎明期に,請願権が数多く行使されたということは,
政治だけでなく,国民も一生懸命に取り組んでいたということであり,
新しい時代を物語るエピソードです。
4 現代社会では,国民の国政参加の道が多様化していることから,請願権の意義が薄れているという指摘があります。
あるいは,民主主義の成熟や,政党制度の定着により,請願の必要が低下したという指摘もあります。
しかし,実質的な政権交代が現憲法下ではじめてのことであることを考えると,
基本に立ち戻って,請願権をしっかり行使することこそ,
今,新しい時代を迎えるタイミングに,
憲法が国民に求めていることだと考えられます。
幸い,現代は,昔ながらの足を運んでの陳情だけでなく,
それぞれの議員たちが,メール等での意見の受付をしているほか,
重要施策には,パブリックコメントの募集も行われており,
請願権を行使するツールもたくさんあります。
やろうと思えば,いくらでもできる!
参政権の次は,請願権です。
憲法改正発議は,「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」(憲法96条)が必要。
つまり,改憲ラインは320人。
民主+社民他連立政党=319人。
暴走可能領域3分の2の,ほんまにギリギリ1歩手前でとどまった。
勝ちすぎはこわい。
日本人は,風向きによって我も我もと一挙に雪崩を打ったように流れてしまうところが弱点だ。
インフルエンザが蔓延するのも怖いけど,付和雷同はもっともっとコワイ。
ちょっと古いが「赤信号みんなで渡れば怖くない」が,実はすごくコワイことだ。
(〜「戦争もみんなで行けば怖くない?」 「悪政もみんながよければ怖くない?」)
もっとも,
民主党のなかで,憲法改正賛成が57%,反対が24%
9条改正については,賛成17%,反対66%
また,連立を組む社民党は100%護憲。
(ただし,候補者段階 →毎日新聞えらボートより)

憲法についてしっかりと議論をする「論憲」を行うには,もっとも適した環境が調ったと言えるかも知れない。
日本国憲法の生みの親,鈴木安蔵氏が,憲法公布の際に発刊した
「新憲法 解説と批判」
では,あとがきを次のように締め括っている。
国民こそが統治権の根源であり,
総覧者となったのであって
国民の責任
今日のごとく重大なるはない
のである。
政権の完全交代という,戦後初の民主的革命が起こった今,同じことがあてはまる。
「国民の責任が今ほど重大なことはない!」
「勝ちすぎ」による慢心で,問答無用の改憲論をぶっ放した2年前の安倍内閣の愚が繰り返されないことを祈りつつ(=これが市民のトラウマになっている),政権交代の成果が,国民の生活に反映されることを願うばかりだ。
(※それにしても,東京&比例区で保坂展人議員(社民党)が落選したのは,衆議院・法務委員会における貴重な良心を失ったわけで,共謀罪反対問題や,子どもの権利の実現にとって,大きな痛手である。誰が彼に代わりうるのか?)
言うまでもなく,今,憲法は岐路に立たされている。
国際的には,オバマ大統領の登場で,平和政策とりわけ核問題は大きく舵を切ったところだ。
内政的にも,貧困,失業など,生存権などの社会権のあり方に,大きな転換が求められている。
何よりも,来年5月18日には,改憲国民投票法が施行される。
どのような道筋を通ろうとも,憲法を避けて通るわけにはいかない状況にあるはずだ。
そうすると,今回選ばれる議員の人たちが,今後の憲法のカギを握っているのは,火を見るより明らかである。
しかし,憲法問題については,今や埋もれつつある小政党が語るのみで,
自民党は口を閉ざし,
民主党も多くは語らなかった。
民主党のマニフェストのダイジェスト版の締め括りは
「国民の自由闊達な憲法論議を」
となっているけれども,今,自由闊達さなど微塵も感じない。
憲法問題をタブーにしたのは,「投票につながらないから」というつまらない理由よりも,
「寝た子を起こすな」という,事なかれ主義が本音なのだろう。
マザーテレサが,「『愛』の反対語は,『無関心』である」と語っているとおり,
瀕死の病身にある憲法にとって,一番の薬は「関心」や「議論」である。
とどめを刺すのは,「威勢の良い改憲論議」よりも,むしろ「無視(黙殺)」に違いない。
私が入会した青年会議所は改憲派なので,私の信条とは基本的に合わないけれども,
西宮青年会議所が開催した,候補者たちによる公開討論会では,憲法問題も,テーマとして取り上げた(→こちらです)
今回の選挙で,憲法問題を黙殺をしてしまったツケは,
いつ,どこに,どういう形であらわれるのだろうか?
選挙後に,最初に行うべき行動は,憲法の議論だ。
切り口は,平和問題,外交問題,経済政策,社会保障,教育問題・・・なんでもよい。
どの問題であっても,憲法の理念を活かしているかどうかという視点で,モノを考え,モノを語れば,それが必ず生きてくるのだから。
黙殺は公約違反であり,国民にとっては自殺行為である。
「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付(す)」
それから,裁判所法41条では,次のように定めています。
「(最高裁判所の裁判官の任命資格) 最高裁判所の裁判官は、識見の高い、法律の素養のある年齢四十年以上の者の中からこれを任命」
今回の衆議院選に合わせて行われる「国民審査」ですが,バッテン(×)を付けるリコール制のようなイメージがありますけれども,
条文の書き方からすると,むしろ,
「識見が高くて法律の素養のある人」
を
「主権者である国民が任命する」
手続だと考えた方が素直ではないかと思います。
(この点,学説は分かれていますが,単なる解職制度に過ぎないという見解には与しません。)
実際,最高裁判所の裁判官紹介のページをみますと(→こちら),
各裁判官の,過去の経歴が,比較的,詳しく出ています。
特に,行政官出身の裁判官の場合,役職もかなり詳しく出ています(たとえば,竹内行夫裁判官の場合は,→こちら)
国民審査となると,その裁判官が最高裁で出した主な判決が参考情報として紹介されたりします。
しかし,それを理由に解職を求めるのは,裁判官独立の原則からすると,私は少々違和感を覚えます(それはそれで,最高裁への民主的コントロールの観点からすると正しいのですけど)。
むしろ,その人が最高裁判事に就任するまでにどんなことをしてきたのか過去・経歴が問われる,のが国民審査の任命のあり方としては正しいのではないでしょうか。
「竹内行夫裁判官にバッテンを」の活動に,私は賛同です。
竹内裁判官の過去の経歴や,やってきたことを考えますと,とても任命すべき人だと思えないからです。
司法における国民主権を実現するには,裁判員制度より前に,まず既存の国民審査制度をきちんと活用しないと!

「告示」ではありません。
「公示」は,国会議員の総選挙の投票日を告知することです。
これに対し,「告示」は,地方選挙や国会議員補欠選挙の投票日を告知することです。
広辞苑(第6版)によると,
「公示」は,「公の機関が広く一般に示すこと」
「告示」は,「国家・地方公共団体などが広く一般に向けて行う通知」
ということで,公示の方が一般的には広い意味で使われる言葉ですけれども(〜私らの業務では「公示送達」とか「公示催告」など,よく使う親近性のある言葉です。),
選挙の場面では,「公示」の方が限定的で,しかも,格上でなんですね。
「公示」の根拠条文は,憲法7条に定める,天皇の国事行為です。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散すること。
4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
(後略)
簡単にいえば,「公示」も「告示」は,意味も内容も変わらないのですが(公職選挙法では,ほとんどの条項で「公示又は告示」と書いて,十把一絡げにしています。),
あえて両者の違いを言うとすれば,
憲法に「国民のために」と明記
されていること。
すなわち,憲法前文などでも冒頭の一文は,
前文から始まっています。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・・
そこから示されているとおり,国会議員の総選挙が,日本における最も重要なイベント宣言だというところなのでしょう。
すなわち,憲法の下に行われる選挙だということを,国民自身もよくよく自覚し,投票に臨むべし,というところかしら・・・。(かなり,こじつけっぽいですが。)
つまらない言葉のおはなしでした。
なかなかタイトルがイカしてますよね。
「誰でもわかる9条の窮状」
だそうです。
YWCAに行くのは初めてですけれども,平和活動の歴史は長く,9条の会ブーム以来の活動者である私の方が勉強することが多そうです。
以下は朝日新聞神戸版より引用です。(→こちら)
◆29日10時〜正午、神戸市中央区二宮町1丁目の神戸YWCA(078・231・6201)。津久井進弁護士が憲法9条の意義や、来年施行される国民投票法などについて話す。参加費一般1千円、大学生500円、高校生以下無料。

6月27日に出動した「宝塚九条の会/憲宝ネット」での講演の感想です。
改憲手続法(憲法改悪国民投票法)の,行政・自治体における萎縮的効果の一例です。
↓
久々に出動したのが「宝塚9条の会」。
正式には,宝塚市内にある21個の様々な9条の会が集まったネットワークでして,その名も『憲宝ネット』。
「憲法は宝」&「憲法のまち宝塚」というのをかけた,二度と忘れることのできない座布団3枚級の名称でした。
場所は,日本キリスト教団宝塚教会です。この写真は教会の聖堂です。
正面にあるのは,厳かなる聖書台ですが,開いていたのは聖書ではなく六法全書です。
私が公演したのは,普段は牧師さんが説教する「説教台」。
慣れた法廷などよりよっぽど気が引き締まります。
今回のテーマは
「ご存知ですか?憲法改悪国民投票法」
というお題であり,来年5月18日に施行が予定されている「日本国憲法の改正手続に関する法律」の問題点ということです。
私は,この法律について以前からブログで“改憲手続簡略化法”とか“インスタント改憲手続法”だとか言って,散々,悪法だ!悪法だ!と主張してきたので,2年前に書いた自分のブログを読み直して,臨みました。
この悪法の最たるところは萎縮的効果です。
話の中で,まだ法律が施行さえもされていないのに,自治体がことさら萎縮して,千葉県野田市などは,市民による戦争平和展の開催の後援要請を,同法の「公務員の地位利用」に当たるとして拒否した例があると紹介しました。(→記事はこちら)
すると,憲宝ネットのみなさんも,昨年,同様の憂き目にあったという話でした。
どういうことかと言いますと,
宝塚市営の公園(末広中央公園)で
憲宝ネットの方々がつくる実行委員会が主催して,
「憲法フェスティバル」というお祭りを開催しようとしたら,
宝塚市が野田市と同様の理由で平成20年7月2日付で後援の不許可決定を出し,
結果的に公園の使用が許されなかったということです。
(その後,宝塚市に不服を申立てたが棄却されてしまったとのことです。
市議会でも審議され,宝塚市のHPの議事録〜平成20年10月2日産業建設常任委員会−10月02日-01号〜にも出ています。→議事録はこちら)。
全くヒドイ話ですね。
この日の最後は,今後の活動を支える元気を共有するため,憲法実現のために普段から「不断」の努力をしていきましょうと締めくくりました。
憲法記念日に生まれたことは,私の誇りでもあり,アイデンティティでもありますが,
憲法の方は,記念日を迎えるたびに「改正,改正」などと退陣の突き上げを食らってばかりで,気の毒になります。
ですから,
「しっかり,惑わずに,憲法マインドを実践していくこと」
が,40歳の誓いということになります。
ところで,不惑というのは「惑わない」とか「まよわない」という意味だと思い込んでいましたが,どうも,それだけの意味はないようです。
原典は,ご存知のとおり,孔子の論語です。
子曰(しいわく)ここで,「不惑」というと,そのまま「まどわない」と訳されていて,広辞苑でも「まどわないこと」という程度の訳しか書かれていません。
吾十有五而志于学(吾,十五にして学に志し)
三十而立(三十にして立つ)
四十而不惑(四十にして惑わず)
五十而知天命(五十にして天命を知る)
六十而耳順(六十にして耳に順い)
七十而従心所欲不踰矩(七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず)
しかし,東京大学教授で,中国文学者の第一人者だった藤堂明保先生によれば,
「惑」という字には,
国や境界を区切るとか,
限定する,
枠にとらわれる
という意味があるとのことで,
孔子が,「四十而不惑」と書いたのは,
四十歳で狭い枠にとらわれないようになった
という意味なのだそうです。
確かに,そういう風に読んだ方が,
15歳で学び,30歳で自らを知り,40歳で視野を広げ,50歳で真実を知り,60歳で懐を広げ,70歳で自由になった,
という感じで自然に流れていく感じがします。
これまで,40歳の不惑というのは,「まどわない」という,ともすると頑迷さの緒を連想する意味のように捉えていましたが,
むしろ,
「狭い枠や,狭い視野にとらわれず,広くグローバルになる」
というものだと受け止め,さきほどの40歳の誓いを少し改めて
「しっかり惑わず,広い視野をもって,憲法マインドを実践していくこと」
としたいと思います。
ちなみに,憲法の40歳の記念日には,西宮市役所の真ん前にある朝日新聞阪神支局襲撃事件が発生しました。
因果を感じます。
憲法は,「まどわない」存在であって欲しいところですし,
狭い視野から叫ばれるヘンテコな改憲論議などにもとらわれないで欲しいですが,
憲法マインド自体が,「狭い枠にとらわれない,広い視野」を持ったものですので,
「不惑の最高法規」
として,今後も活躍してもらいたいと思います。
本当に残念でなりません。
2005年4月24日,忌野清志郎さんが,東京・代々木公園で開かれたアースデイ東京2005のステージで,ファンにアピールしたそうです。
「戦争はやめたほうがいい。地球にもよくない」
「ロックの基本は愛と平和だ。」
「一番の環境破壊は戦争なんだ。」
「この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか」
・・・・いいじゃないっすか!
もちろん清志郎さんは,愛国心にも満ちていた。
不謹慎ソングだと言われた「君が代〜清志郎バージョン」も,形式的に歌う君が代なんかより,ずっと心がこもっていていいと思うんですけど。
自作の名曲「君と歩く道」に続くアンコールに応えて,SMAPの「セロリ」を歌ってくれました。胸に染みる歌声でした。
しかし,どうして草君がメインソロであるこの歌を選曲したのか,草君が釈放された直後だっただけに,その意図について,いろいろ考えがめぐりました。
私は,憲法をテーマにした講演をするとき,(同僚の徳岡宏一朗弁護士の受け売りですが…,)憲法の最高価値である「個人の尊重」(憲法13条)をあらわした象徴として,
「世界に一つだけの花」
を紹介することが多いです。
「ナンバーワンではなく,オンリーワンにこそ価値がある」
という,「個人の尊厳」という,まさに憲法の神髄を一言で言い当てた秀逸ソングです。
ご存知の方も多いでしょうけれども,この歌は槇原敬之さんが過ちで処分を受けた後の謹慎期間を経た後に作られた歌です。
つまり,弱い立場,辛い立場,苦しい立場に立った経験を踏まえて,
まさに絞り出すようにして得られた一つの価値観ではないかと思っていたのですが,
歌い手であるSMAPも,決して「勝ち組」の集団ではなく,
稲垣さん,草さんといった,同じように「弱い立場,辛い立場,苦しい立場」を味わった人たちも加わっているわけで,
きっと,「オンリーワン」という言葉に,より深みが出てくるのではないかと期待をします。
痛みを知る人は,
「勝ち組ナンバーワン」
よりも,
「一人ひとりのオンリーワン」
の方が,ずっと価値があるということを,自らの体験を通じて知っています。
私は「世界で一つだけの花」に,より一層深みが出てくるに違いないと期待をしています。
草さんが苦しい謹慎期間を経て復帰した暁には,是非,万感の思いを込めて「世界で一つだけの花」を歌って欲しいと思います。
法の抜け穴くぐり
の典型というべきものです。
旅館業法や風営法の「趣旨」(≒本質)から見たら,許されない(≒違法)はずなのに,
法律の条文の「字面」(≒表面)から,許されてる(≒適法)と開き直るわけですから,
こういうものこそ「偽装」と呼ぶにふさわしい業態です。
(だいたい,法律を分かっているかどうかは,「趣旨」を理解しているか,「字面」しか見ないか,によって区別できます。)
神戸の住民が「偽装ラブホテルをなくす会」を立ち上げて,声を上げ,
この活動に応えて,兵庫県警が,「偽装ラブホテル対策室」を設置していました(→こちら)
昨年11月に捜索差押に及んだ上,
とうとう,逮捕となりました(→こちらです。)
他の捜索先も書類送検されるなどして(→こちら),刑事事件となっています。
既に,偽装ラブホテルに対しては,民事的(行政法的)には,これを許さないとする上乗せ条例が適法であるとの判決が出ていて(名古屋地裁17年5月26日判決&名古屋高裁平成18年5月18日判決→こちらが詳しい),すでにNOの結論が出ています。
さらに,今回は,犯罪としてNOが出されたわけですから,
法の抜け穴はふさがれた
と見て良いでしょう。
今後は,さらなる全国的な広がりとなっていくかどうかが注目です。
「憲法」の先生として、特別授業をするためです。
対象は、小学6年生の児童のみなさんでした。
約70名の将来の日本を担うみなさんに、
憲法とは何か
を話しするという,実にエキサイトな企画です。
教材は,奈良弁護士会が誇る特製絵本
「憲法って,何だろう?」
です。
私が,現時点で,最も優れた日本国憲法の案内書だと思う本です。
◆憲法は私たちの日々の生活と関係がないと思いますか?
◆憲法の中で一番大切な価値ってなんだろう?
◆民主主義って「多数決」とどう違うの?
◆「平等」って、みんな同じようにするということかな?
◆ケンカと戦争はどこが違うんだろう?
◆なぜ「戦争」はいけないんだろう?

という内容で、なかなか盛り沢山でした。
しかし、生徒のみなさんは、たっぷり2時間,最初から最後までしっかりと聴いてくれたました。
生徒のみなさんから、感想文をいただきました。
とても嬉しかったです。
また,とても励ましになりました。
何より,感想文の内容は,これまた優れた憲法の副読本のように思えます。
むしろ,私の方が,かえって新しい発見をいただいたような気がします。
どのように改正されるかというと、次のとおり。
【現行法】
(準正による国籍の取得)
第3条 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
↓
【改正法】
(認知された子の国籍の取得)
第3条 父又は母が認知した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
たった、これだけのこと。
ついでに、これまでは偽装届出について国籍法には罰則がなかったところ、今回、新たに罰則が設けられ、違法な国籍取得に対しては、むしろこれまでよりも厳正に対処することとなりました。
【新設の罰則】
第20条 第3条第1項の規定による届出をする場合において、虚偽の届出をした者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
この改正は、平成20年6月4日の最高裁判所大法廷の違憲判決を受けて行われるものです。
三権分立の日本としては、立法府(国会)が、当然に行わなければならない措置です。
放置していたら、国会が不作為責任を負わされることになってしまいます。
【判決要旨】
1 国籍法3条1項が,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子につき,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した場合に限り日本国籍の取得を認めていることにより国籍の取得に関する区別を生じさせていることは,遅くとも平成17年当時において,憲法14条1項に違反する
(→簡単に言うと、パパ日本人・ママ外国人の子が、出生後に認知されても国籍が取得できないのは、「出生前認知だったらOK」、「出生後にパパママが結婚したらOK」というケースと比べて不平等だし、国際的に時代遅れだよ、ということです。)
2 日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子は,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の国籍取得の要件が満たされるときは,日本国籍を取得する
(→簡単に言うと、現行の国籍法の上の赤字部分は無視するよ、ということです。)
世間では、国籍法の改正に反対する意見も多いようです。
どうやら・・・
感情的な国家純血主義や、外国人嫌いの意見が高じて、要件緩和を許さないとする論もあるようですが、それは、国籍法そのものの根本的なあり方の話(=生地主義ではなく、血統主義をどこまで徹底するかという話)、今回の改正の問題とは別次元の話です。
偽装国籍取得が増えるのではないか、という懸念を示す議員も多いようです。
どうやら・・・
それは、根本的には、事実認定の問題や、事務手続き、あるいは民法の家族法における認知手続きの問題であって、国籍法の条文で解決すべき問題とは別次元の話です。
(むしろ、今回の改正で、新たに罰則が新設されることになったのですから、偽装手続きに対する対応は、改正前よりも改善されたということになるでしょう。)
法的には、
最上位法規範である憲法
と
次順位の規範である世界人権宣言
に従って、
下位法規範である法律を改正する
というだけのことです。
【憲法】
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
【国際人権規約】
第15条 すべて人は、国籍をもつ権利を有する。
2 何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。
ホント,ただ当たり前のことをするだけなんですけどね。
まさに副題どおり「平和への祈りと,いのちの大切さが,心に,響いた」コンサートで,放っておくとすぐに枯れてしまいそうな「人の良心」にたっぷりの栄養と元気を与えてくれました。2時間余の時間のうち半分近くはトークでしたが,普天間さんの語りは,とても率直で心地よく,やわらかに心に染みるものでした。
文化人や知識人の理論的な話も勉強になって良いですが,彼女の話は心に響きます。
「心に響く話」というのは,誰にでも共感できる感性や,何気ない日常の一コマを大切にしながら,素直な思いをストレート&シンプルに伝えるところが違うのだなあと思いました。
まずは,トークの部分で感じたことを3つ。
1 彼女は沖縄本島で生まれ育ち,青い海とさとうきび畑の緑とゆったりとした時間にあふれた郷土の豊かさを,東京に出てきてはじめて感じたということです。琉球人の古くからの平和思想にも誇りを持っているとのこと。
このエピソードや沖縄での人とのふれあいを聞いて,本当の郷土愛は,地域や人が当たり前のように自然に育むもので,そして異文化との交流の中で目覚めるものだと再認識しました。
2 彼女の曾祖父は防空壕の中で銃弾で斃れたそうです。それを目の当たりにした祖父母が「いくさ」の悲しさや平和の大切さを,彼女に語り継ぐ中で,彼女の平和への思いが育まれたということです。
識者と呼ばれる人々の薄っぺらい歴史認識論争と違って,ひとりひとりの市民の平和への真の思いというものは,世代を繋ぎながら伝わっていくものなのだと,感動をしました。
3 彼女は,『さとうきび畑』に特別な思いを持って,歌うこと自体に躊躇があったと語りながら,実際,歌いながら泣いていました(会場にもすすり泣く声があちこちから…)。阪神大震災から生まれた「満月の夕(まんげつのゆうべ)」も情感を込めて歌ってくれた。
「いのちの重さ」というものは,歌や詩に乗せてダイレクトに人の心に届けると,自然に心が震えるものなのだ(=それだけ重いもの)ということを,知りました。
もちろん感じたことは,他にもいっぱいありましたが,ひとまずこの3点は,私なりの新しい発見なので,書き残しておこうと思います。
あとは,普天間さんが歌ってくれた13曲について,一言コメントして,今日の報告としておきます。
オープニングは『くちびるに,歌を』。アップテンポな登場曲ですが,声量のある普天間さんの元気さがインパクトを感じさせました。オープニングの定番のようです。
続いて『R329』。私が好きな歌です。自然が美しいまち「沖縄」と,米軍基地のあるまち「沖縄」の雰囲気をさりげなく歌っています。愛する郷土と平和をさりげなく歌うとこんな感じになるんですね。
3曲目は『平和の琉歌』で,出だしが「この国が平和だと誰が決めたの?人の涙も渇かぬうちに」と,彼女にしてはすごくストレートな歌詞でびっくりしたのですが,これは桑田佳祐作詞作曲のサザンの歌とのこと(YOUTUBEでもPV見れます)。サザンを聴いてみようと思いました。
続いて『さとうきび畑』でした。いきなりクライマックス感がありました。「歌に思いを込める」という行為がどんなものか,本当によく分かりました。言葉はありません,ただ感動です。
前半の区切りが『祈り』でした。彼女のメジャーソングの一つです。「NHKみんなのうた」の歌だそうです。私は「祈り」というより「訴え」というインパクトを受けました。
次の『一本の鉛筆』というのは,美空ひばりさんの持ち歌で,ひばりさん自身が好きな歌の十指の一つなのだそうです。知りませんでした。「本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く」何ともストレートで訴求力のある歌詞です。ネットで全歌詞,楽譜みれます。
ジュリーも,美空ひばりも,桑田佳祐も,槇原敬之も,みんなすばらしいです。
さらに,おなじみ『イマジン』。これを日本語訳で読んでくれたのが良かったです。一つ飛ばして『ハレルヤ』も,彼女のオリジナル歌詞を乗せて歌ってくれました。
阪神淡路大震災の神戸の地での『満月の夕』。震災時の様子,震災後の様子,復興に向けての思いを,本当に上手に歌ってくれた。普天間さんも「いのちの重さ」を共有しているからなんだと感じた場面でした。
他方で琉球の歴史や先人たちへの思いを込めた『レキオス』。CD化されていないオリジナル曲とのことでした。ラストが,普天間さんの代表曲となった『守りたいもの』ですが,ご自身が自筆(上手な字です)で書かれた歌詞をスライドで映しながらの熱唱でした。会場の方々は,それぞれの「守りたいもの」を思い浮かべながら聴き入っていました。
その後は,やや年齢層が高い(いや,かなり高かったか?)観客層にもかかわらず,大いに盛り上がってアンコールのコールで,朝鮮38度線で分けられた『イムジン河』と,明日への元気を願った『笑って』の二曲で締めとなりました。
「イムジン河」は主催者実行委員会のリクエストとのこと(この前,韓国訪問したばっかりですものね)。「笑って」は,平和を願う信念を込めたメッセージに満ちた歌が満載だった今日のコンサートを,明日の日常の生活の元気に“転化”させるような感じで,とても爽快感のある余韻を喚起させる歌でした。
これから,普天間さんは,全国ツアーとのこと。
神戸にも再び12月6日に来訪されるそうです。
宣伝を兼ねてチラシをアップしておきます。
詳しくは,普天間かおりさんの公式HP(http://www.futenma.net/)まで。
普天間かおり さん
のコンサートが開催されます。テーマは,
「平和・いのち・心・響く」
です。
昨年の「9条の心」でのミニコンサートでの大好評の余韻を味わいたい!というのが目的です。
(昨年の記事は,案内がこちら で,感想がこちら です。)
普天間さんは,沖縄ご出身ですが,「自分の想いを歌に託している」という感じが,ストレートに伝わってきて,素直に感動を感じることができたのが印象的でした。
きっと,今回も,そんな感動を味わうこと出来ることでしょう。

歌は,
「イムジン河」
「さとうきび畑」
「守りたいもの」
「祈り」
など・・・・・
当日券もあるそうです。どうぞよろしくお願いします!
日時 : 11月16日(日)
開場13:30 開演14:00
会場 : 神戸文化ホール大ホール
チケット : 前売り¥2,300 当日¥3,000
70歳以上・大学生以下・身体障害者¥2,000 手話・保育有
主催 : 普天間かおりコンサート実行委員会 TEL078-361-9199
共催 : 9条の心 ネットワーク
<<普天間かおりさんのご紹介>>
出身地 沖縄県中城村
生年月日 1973年9月23日
琉球王朝の流れに生まれる。
突然のことでびっくりした。更迭の理由は,田母神氏の『日本は侵略国家であったのか』と題する論文が,10月31日に,懸賞論文で最優秀賞を受賞したからだ。
その論文中に,「我が国が侵略国家というのは濡れ衣だ」などと政府公式見解と異なる主張があって,立場上ふさわしくないとされたからということだ。
その論文は,公表されているので,興味があったら,各自ご覧いただきたい。
文章はとても分かりやすくて,論旨も明快だ。
いくつか刺激的に感じられる主張を引用すると,
「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」…という感じである。
「人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた」
「もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない」
「東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている」
もっとも,おおむね,よく主張されている歴史観であり,初めて聞くようなオリジナリティのある主張ではないと思うけれども,ここまで堂々と書かれると,総選挙を控えた政府与党としては,見て見ぬフリをするわけにいかなかったのだろう。
→http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
しかし,「表現の自由」「言論の自由」を尊重すべき国,わが日本で,論文を投稿するしたことで更迭されるというのは,なんとなく気持ちが悪く,違和感を感じる。
だって,田母神氏は,航空幕僚長に就任する以前から,堂々と,この種の主張を展開していたのである。
『航空自衛隊を元気にする10の提言』
というのがある。
そこでは,同種の主張を勇ましく展開している。
おそらく,自衛隊内では,多くの信望を集めていたに違いない。
その中には,航空自衛隊を元気にする合計30の提言があって,そのうちの一つに,
「月刊誌へ論文を投稿する」
というのがあり,そこには次のような主張がある。
「中国や韓国は相変わらず靖国神社、教科書、慰安婦、遺棄化学兵器問題など不当な物言いを続けている。そんな場合には、きちんと反論すべきであろうが、・・・(中略)・・・日本国内において自衛隊は更に言論の自由を放棄してきた。いや、放棄させられてきたというのが正しいのかもしれない。・・・(中略)・・・国家や国民のためにと思って発言し、その結果も特に悪くはないのに更迭される。・・・・(中略)・・・しかし時代は今変わった。・・・(中略)・・・自衛官にも言論の自由があることを、再び防衛庁長官(←注;石破氏)から明言して頂いたのだ。・・・(中略)・・・。「私にも言わせて欲しい」の心意気がいま自衛官に求められている。ものを言っただけで大騒ぎになり、職を辞さなければならないような時代はいわば暗黒の時代である。・・・(中略)・・・私はすぐにでもできるのは月刊誌に論文を投稿することだと思っている。部内の雑誌への投稿に止まることなく外に打って出ることが大事である。正論、諸君、VOICE、This Is 読売などに論文を投稿してみることだ。」これは,平成16年7月に書かれたもので,就任前の主張だ。
内容はともかく,表現の自由を尊重するという意味では,良いことを言ってるんじゃないか?
今回の田母神氏の行動も,このときの主張通りにしたことであって,言動一致,首尾一貫している。
今回の論文(表現)が悪い,というなら,最初から就任させるべきでなかった,ということになってしまうではないか。
だから,私は,更迭は遅すぎたと思うのである。
本来は,名古屋高裁イラク派兵違憲判決が出たときに,
「そんなの関係ネエ」
と発言したとき(=記者会見で,「純真な隊員には心を傷つけられた人もいるかもしれないが、私が心境を代弁すれば大多数は『そんなの関係ねえ』という状況だ」と言ったこと)に,更迭するのがベストタイミングだったと考える。
なにせ,このときの田母神発言は,
憲法尊重擁護義務違反(=憲法99条違反)
司法を堂々と無視(=三権分立違反)
文民統制の形骸化(=憲法66条2項の無力化)
であって,名古屋高裁判決をないがしろにする違憲的言動だったからである。
しかも,今回の個人的な論文投稿(=表現の自由)と異なり,航空幕僚長としての公式見解だったからだ。
ここらあたりの感覚のズレが,気になって仕方がない。政府の鈍感力か?
田母神氏にとっては,せっかく最優秀賞(懸賞金300 万円・全国アパホテル巡りご招待券)がもらえたのに,嬉しさ消滅ってところだろうか。
(RAFさんのHPは,こちらです。)
RAFさん(本名;姉川真弓さん)には,教育基本法の改変問題のときに,弁護士会で開催したシンポで披露した紙芝居を作ってもらいました。
「ももちゃんは1年生」
というタイトルです。
実は,今もこのブログのバナー(左上)に出ていますし,HPも未だ健在なのです。

その後も,私関連では,阪神・淡路まちづくり支援機構のロゴやパンフ作りをお願いしたりしていて,それらも今回の個展で披露されていました。
10月25日から11月3日まで,西宮市田代町19−9−101(阪急西宮北口の駅の南東出口から,梅田方面に徒歩5分)の,アクセサリーショップ『変』で開催中です。
どうぞ,お近くのみなさんには,足をお運び下さいませ。
沢田研二Part1と題して,「我が窮状」を熱唱しました(→番組案内はこちら)
「我が窮状」は,憲法9条を守っていこうというストレートな歌です。
作詞は,ジュリー(沢田研二)ご自身で,9月13日の朝日新聞には,
「還暦に憲法への思いを歌う」
というサブタイトルで,「ひと」の欄に取り上げられていました。
まずは,歌詞を見て下さい(あちこちのサイトで取り上げられていますが,CDを買いましょう!)
私が,さすが一流アーティストだなあ,とセンスを感じるのは,
「麗しの国 日本」
「日本に生まれ 誇りも感じている」
「英霊の涙」
というフレーズで,ステレオタイプな護憲派であれば決して使わないような(というかアレルギーを感じる人もあるだろう)言葉を,前面にドーンと出しているところです。
誇りある愛国者を自負する私としては,大いに共感。
また,「真の平和」とか「日本の核」とか「老いたる」とか「過ち」といった,難しい言葉を使いながら,素敵なバラードに仕上げているところも,うならせるポイントです。
朝日新聞の記事では,
「60歳になったら,言いたいことをコソッと言うのもいいかな」
とか
「言葉に出さないが9条を守りたいと願っている人たちに,私も同じ願いですよというサインを送りたい」
などという,ちょっと控えめなコメントをしています。
しかし,天下のジュリーの一言を,タイガース世代が放っておくはずがないでしょう。
「我が窮状」の歌詞は,憲法9条に関する問題の所在,現状認識,あるべき方向性,主張,全て揃った完成品です。
むしろ「還暦世代よ!オレに付いてこい!」というアニキ的な風格さえ感じます。
この混沌とした時代に,憲法9条という難解な代物を,ストレートな思いで文化・芸術に高めるセンスと勇気に,私は感激を覚えました。
そして,関西の文化人としての気骨をたたえたいです。
SONGSの再放送は,20日(土)の3:40〜 23日(火)の3:15〜
「沢田研二 LIVE 2008 還暦だぞ!! ROCK’N ROLL MARCH」の予定は→こちら
(黄色い声で)キャ〜,ジュリ〜!
やはり判決の威力というのはすごいなと感じました。
政府(町村官房長官)は,判決が出たとき「空自の活動継続に何ら問題はない」と言い切りました。航空幕僚長は「そんなの関係ねえ」とも言いました。
しかし,それからまだ半年も経っていないのに,180°方向転換です。
撤収の理由は「期限切れ」という形式的なものですが,そんなのは,本気で何とかしようと思えば何とでもなるはずです。
それこそ,選挙で勝ちさえすれば,堂々と押し通せるはずですから。
しかし,選挙結果を待たずに,この段階で撤収を決めたのは,次の選挙で「違憲」という錦の御旗を民主党に掲げられるのはかなわない,という危機感が作用したものと思います。

これこそ,
民主主義の機能復活(=衆参両議院の均衡)と,
司法の存在感(=積極的な司法チェック)によって,
憲法が実現する,
ということであり,
これぞまさに国家の理想形だと思いました。
名古屋判決を,草の根的に広げていく活動をしてこられた弁護団の方々の努力も見逃せません。
ちょうど昨日,神戸に,名古屋弁護団の川口創弁護士を招いて,講演会をしたばかりでした。
彼らは,名古屋判決の意味を伝え,その価値を広げるために,全国に遊説して回っておられるのです。
弁護団がつくるHPもあります。
名古屋判決を,とってもわかりやすく解説し,文字どおり「自衛隊イラク派兵違憲判決〜その後」の活動を,大きく展開しておられます。
たとえば,「空輸」というと,資材を運んでいるだけみたいに聞こえますが,実際には,軍隊を運んでいるということなどを,詳しく説明してくれています。
判決は、航空自衛隊の内容にも踏み込みます。政府が情報を一切開示しようとしていないことを批判的に示しつつ、明らかとなった事実を丹念に認定をしてます。
2006年7月末に、陸上自衛隊がサマワから撤退しましたが、米軍からの「陸自撤退の代わりに」という強い要請により、航空自衛隊がイラクの隣国クウェートからバグダッドへの輸送活動を開始しました。「空輸」では、物資はほとんど運んでおらず、大半が武装した米兵であることが判明しています。
自衛隊がバグダッドに「空輸」を開始した直後の2006年8月、アメリカはバグダッドに兵を「増派」しはじめます。そして、2006年年末からバグダッドを中心にイラク全土で大規模な「掃討作戦」と展開し始めます。 そして、2007年1年間、米兵は1447回もの空爆をイラク全土で行いました。
航空自衛隊が輸送活動を開始した後に、米軍はイラク全土での空爆や掃討作を飛躍的に拡大しているのです。
これは、私たちが送り込んだ米兵が、イラクの市民を殺していることに他なりません。判決はこのことを厳しく断罪し、「自ら武力行使をしているにひとしい」として、憲法9条1項違反と判断したのです。
判決は、今戦争をしている、という重い真実を正面から示したわけです。この判決は政府に対してだけでなく、「加害者」であることに無自覚・無関心な私たち主権者に対する「有罪判決」でもあるかもしれません。
こういった活動を通じて,彼らは,早期イラク撤退を求めていたわけですが,その活動の真っ只中で,目的を達することができたわけです。
国民が自ら,事実を直視し,その意味を学び,広め,そして共に考え,その結果が,ストレートに国政に反映されていく,という過程(プロセス)が,生き生きと感じられる希有なことがらだといえるでしょう。
やはり判決の重みを感じます。
内輪の文章ですが,あらためて読んでみると,まあオモシロかったので・・・
私がピースツアーで拝命した役目はカメラマンでありました。
「いかに国際的に成果ある有意義なツアーであったか!」
を,きちんと可視化できるようにしようという使命感で臨んだものです。
思いはただそれだけでした。
したがって,中心メンバーのみなさんのように
韓国の勉強もしなかったし,
国際平和への熱い思いも深めなかったし,
荻野先生のように完璧な翻訳文を作る作業もしませんでした。
往路の飛行機内の1.5時間が唯一の勉強タイムという体たらくでございました。
それでも,「訪問してホントに良かったなあ〜…」と心から思えるのは,同行したみなさんの魅力溢れるパーソナリティーおかげです。
とりわけ,石田・吉田・野上3人組の精密な下見と,白・韓2人組の見事な現地案内には絶大な感謝を申し上げたいです。
そして,私の,韓国ピースツアーの感想と平和への思いは,500枚を超える写真を援用し,代えさせていただきます(御所望の方がいらっしゃったらCDを送りますので,遠慮なくお声掛け下さい。)。
さて,これだけだと中身がないので,私の思い出ベスト3を挙げさせていただきます。
まず,第3位ですが,『実弾射撃場』でマグナムをぶっ放したことです。
白先生の,“ピストルで枢要部を狙って撃つのがいかに難しいかを体験すれば,殺意について,迫力ある刑事弁護ができるぞ”という,怪しげにも説得的な呼び掛けにつられて,多数が足を運ぶ一大イベントとなりました。
「絶対にイヤよ!」とおっしゃっていた某先生がキャーキャー言いながらバンバン撃っていたのも印象的でしたし,見事トップの座を射止めた前野先生の意外な才も印象的でした。
そして,私も,ほぼ満点に近い射撃率で「意外と簡単やな」と思い,かえってヤミツキ感さえ覚え,当初の目的に反する逆効果が得られたのが印象的でした。
ところで,この日,繁華街にはデモを規制する軍隊(機動隊)が大勢立ち並んでいたのですが,隊員の多くは徴兵された思しき若者たちでした。
いかにも頼りなさそうで,不安げな表情をたたえた彼らが,軍隊で射撃訓練をしているのかと思うと,日本と韓国の戦争文化の違いを感じずにはいられませんでした。
第2位は,何と言っても韓国料理の数々です。
キムチ,ピビンバ,焼肉といったお馴染みの料理も,本場の食べ方で接すると,ひと味もふた味も違います。
隣に座った梁先生に,本場の指導を受けながら食べた焼肉は,まるで初めて喰べた御馳走のように新鮮に感じられました。
ソンロンタンとか,宮廷料理とか,韓国弁当といったソウルの味に感動を覚え,若手&小沢先生と繰り出した路地の屋台の名前も分からない妙ちくりんな食べ物も最高でした。
大げさかも知れませんが,生きてて良かったなあと感じることができました。
そして,第1位は,ナヌムの家でペ・チュニさん(85歳)とお会いできたことです。
彼女は,戦中の慰安婦経験の後も,ロシア,中国,日本と移住を余儀なくされ,本当に辛い人生を送られたとのことです。
音楽や絵が好きとのことで,羽柴先生の歌唱に続き,彼女と一緒に日本の童謡を歌ったのも印象的でしたし,絵も胸を打つものがありました。
日本語も堪能でしたが,それは日本では尼崎に長く住んでいたからとのことで,尼崎市民の私としては,ご近所的な親近感を覚えました。
こうして人として交流する中で親近感を感じると,彼女の慰安婦としての屈辱と悲痛の体験が,よりリアルに迫ってきました。そして,非体験者が「知る」ことの重要性を感じました。
長くなりましたが,私の感想として,原稿を提出させていただきます。
そして,今年は,なんと,あの伊勢崎賢治さんが講演されるとのことです。

伊勢崎さんは,
『自衛隊の国際貢献は憲法九条で−国連平和維持軍を統括した男の結論』
の著書でも知られていますが,このタイトルに,考えの真髄があらわれています。
ちょっと一見すると,
「自衛隊の国際貢献」 と 「憲法九条」
というふたつの言葉が矛盾するようなニュアンスに感じませんか?
読めば,そうではないんだなあ〜,ということがよく分かるはずです。
マガジン9条でのインタビューで,伊勢崎さんは,
「憲法9条があるから、とにかく(武装・非武装にかかわらず)どんな形でも自衛隊の海外派遣はダメ、海外の紛争地への派遣はダメ」とやってきていたわけですが、それによって、日本が国際情勢に対応できなくなってしまったら、逆に平和憲法の良さが失われてしまうと語っていますが,じゃあ,どうしたらいいの?と疑問が湧き出てくるでしょう。
伊勢崎さんの呈示する一つのあり方を,私なりに受け止めてみると次の公式が成り立つと思います。
「正しい法律の解釈」 + 「正しい現実を知ること」 + 「勇気ある実践」
= 「正しい9条の使い方」
7月19日には,神戸で,是非,この公式の解き方を教えて頂きましょう!
「名古屋高裁判決を踏まえて航空自衛隊のイラク早期撤退を求める会長声明」
というのを出しました。
ポイントが簡潔に整理されていて、よいと思いますし、何よりも「法の支配」という切り口で、判決を評価し、政府を批判している点が、ズバッとしていてよいと思います。
ここに引用して、重要部分に下線を引いておきます。
名古屋高裁判決を踏まえて航空自衛隊のイラク早期撤退を求める会長声明
1 名古屋高等裁判所は、本年4月17日、いわゆる自衛隊イラク派遣差止訴訟において、現在イラクで行われている航空自衛隊による多国籍軍の空輸活動は憲法9条1項に違反するとの画期的な判決をした。
「戦争を廃絶するための9条世界宣言」
が採択されました。

まもなく公式HPでも掲載されることでしょうけれど,私の興奮醒めやらぬうちに,とにかく,この宣言を記録にとどめておくことにしましょう。
★PDFファイルはこちらです→http://www.ancl.biz/9jo-sekaisengen.pdf
★テキスト化した文は,以下のとおりです。
(※なお,これは関西会場で売っていたペットボトルです。「世界は,9条をえらび始めた めっちゃええやん 9条世界会議」とあります。)
(※ついでですが,関西会場には,たくさんのこどもたちが本会場内外に訪れていて,そんなところも関西らしくて「めっちゃええやん」って感じでした。)
<以下は宣言の引用です〜誤字・誤変換があったらご指摘下さい>
戦争を廃絶するための9条世界宣言
2008年5月4〜6日 9条世界会議
日本国憲法9条は、戦争を放棄し、国際紛争解決の手段として武力による威嚇や武力の行使をしないことを定めるとともに、軍隊や戦力の保持を禁止している。
このような9条は、単なる日本だけの法規ではない。
それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることができるものである。
9条世界会議は、戦争の廃絶をめざして、9条を人類の共有財産として支持する国際運動をつくりあげ、武力によらない平和を地球規模で呼びかける。
9条世界会議in関西の開催中です。


この臨場感をお伝えしたく,レポートします。
世界会議では,専門家や研究者といわれる方々のお話もたいへん貴重ですけれども,この「in関西」でよかったなぁ〜と思うのは,そうではないフツーの人たちの生の言葉でした。
午後の部の冒頭に,関西の各大学から集まった大学生・留学生6人のスピーチがありました。一市民参加者である私は,彼らの率直で飾ることのない心情や見解に,大いに共感を覚えました。
若者の「平和を愛する大人たちへ,この9条のある国に生んでくれてありがとうございます!」という清々しく溌剌とした叫びに,会場から大きな拍手が送られました。
(なお,司会の〔神戸としては毎度おなじみの〕小山乃里子さんが,東京の大学生対象のアンケートで,原爆投下日を知っている学生は,わずか4分の1程度だったという話を紹介され,会場がどよめきました。しかし,これに抗するように,良識のある若者が多数いることを知って勇気付けられた次第です。)
私が今回,参加した最大の目当ては,ベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演でした。
ベアテさんは,言わずと知れたGHQの一員であって,日本国憲法の起草担当班のお一人です。
ベアテさんは,終始,日本語でユーモアを交えながら,憲法制定当時のご自身の行動,戦後の焼け跡の有様と感想,GHQと日本政府との議論の状況,などをリアルに語ってくれました。
具体的な内容は,次に箇条書きにすることにして,とにかく「感動」したことをお伝えしておきます。
(昨年の東京新聞のインタビュー記事も引用しておきます。)
広いひろ〜い会場内を2周りしてみましたが,人はギッシリ満員で,行き帰りのシャトルバスも文字通りピストン輸送状態でした。
これだけ多くの人々が集って来ることに興奮を禁じ得ませんでした。

初日の5/4には,予想を大幅に上回る人々が集まり,3000人以上が,会場外に集ったらしい(→東京新聞の記事は後掲のとおり)
とても,すばらしいことだと思う。
残念ながら,私は会場に集えなかったが,多くの参加者が感動を覚えたという話を聞いて,参加者のみなさんのレポートを早く拝見したいと,うずうずしている。
ところで,このような取り組みが,憲法制定後61年目,つまり2廻り目に入って初めて開催されたということを誇らしく思うと共に,他方で,日本国民の一人としてうっかりしていたという憾みを禁じ得ない。
憲法の前文には次のとおり明記されていたはずだ。
…われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。…日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。つまり,国際社会において,平和を実現するための活動や呼びかけをしていき,名誉ある地位を占めるために全力を尽くすと誓っていたのである。
そして,それを行うのは,誰であろう「われら」すなわち「日本国民」の仕事だと誓っていたのである。
そうしてみると,市民が主となって,全世界から多くの方々を集めたこの「9条世界会議」こそ,
国際社会において名誉ある地位を占める
具体的行動であると言えるのではないか。
ところで,まもなく洞爺湖サミットが開催される。
政府としては,世界の先進諸国の首脳が集まるこの貴重な機会こそ,「国際社会における名誉」を勝ち取る格好のチャンスだと思っているだろう。
たしかに,洞爺湖サミットのテーマにも
◆大量破壊兵器の不拡散
◆イラン・北朝鮮の核問題
◆テロ,地域情勢
など,平和に関するテーマが盛り込まれている(→公式HPのテーマはこちら)
(そうだとすると,本来は,このサミットの場こそが,本来「9条世界会議」が行われるべき場なのかも知れないが,それはさておくこととして…)このサミットの場で,今回の「9条世界会議」の開催の意義について一言でも触れられるかどうかが,日本の勇気とアイデンティティーを示せる「名誉ある地位」への第一歩ではないか(と思っている人も少なくないだろう。)
原作になった,こうの史代さんの漫画(双葉社;800円)と,映画と,両方を見た。映画は原作にとても忠実だったが,映画も,原作も共に見るべきだと思った。
この物語は,とてもさりげない日常を描きながら,その中に,ヒロシマの被爆後の真実をしっかりと伝えている。
多くの映画にあるような戦争描写は一切無い。
しかし,かえって「戦争を知らない私たち」に,リアルな共感を感じさせてくれる。
ただ,この映画は,ストレートに反戦を訴えているのではない。
むしろ,この映画を見て,私は,この中にある3つの悲哀が,現代にも通じていると感じた。
1 ひとつは,若くして逝った一人目のヒロイン平野皆実が,戦後10年にわたり,「自分だけ生きていて良いのか」と思い悩み続ける心情である。
これは,いわゆる『サバイバーズ・ギルド』と言われる,死の現場に臨場した者が直面する罪悪感である。
まさに現代でも,事故や災害に直面した際に,人が感じる感情だ。
2 ふたつ目は,10年経った広島の銭湯のシーン。ケロイドの跡を残した人々が,「あのこと」(=原爆投下のこと)を誰も語ろうとしないシーンである。
聞けば,広島や長崎では,原爆について硬く口を閉ざす人が多いらしい。
事故,災害なども含め,事実を「語り継ぐ役割」は,決して当事者だけでなく,その周辺者にも課せられた責務だと思われるのである。
(実際,原作者のこうの史代さんも,被爆者でも被爆二世でもない自分が,「踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた」という後ろめたさを克服して,この話を描かれたそうだ。あとがきより。)
3 3つ目は,被爆二世に対する差別である。
映画では,被爆者あるいは被爆二世との婚姻について,現実に立ちはだかる実態が描写されている。
注目したのは,差別をする側よりも,むしろ被差別者側の心の中に刻み込まれた深い傷が問題だというところである。
克服するためには,悲しいルーツを辿ることが必要で,それを正しく知るというプロセス(=その役目を果たすのが二人目のヒロイン田中麗奈である。)は,全ての差別の場面に通ずるあり方である。
こうしてみると,この映画(お話)は,単なる平和映画として捉えるのはもったいない。
私たちの身近な風景を,さりげなく捉え直して,深い問題意識を呼び起こすきっかけにするべきものかな,と思う。



