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 自分への反省を込めて、今枝仁弁護士の「声明  刑事弁護人よ、立ち上がれ」を引用させていただく。
(原文はこちら→http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/view/20070922/1190405400

以下に書かれている内容は、おそらく橋下弁護士も異論の無いところだろうと思う。

  声明  刑事弁護人よ、立ち上がれ

本村洋さんの記者会見の様子をノーカットで見た。
被告人に死刑を求めるスタンスは変わらないが、刑事弁護の意義を認めるなど、本村洋さんの中で刑事司法に対する見方が大きく変わっているのではないか、と感じた。
勝手な分析は失礼かもしれないが、その言葉の一つ一つを精査すると、彼の思考は今まで私が想像していたよりもはるかに洗練されており、十分すぎる謙虚さと配慮を兼ね備え、超越しているように思える。
正直に言って、これまで私は、彼を評価しているつもりであったが、立場の違いからくる反発心もあってか、認識を誤っていた。
私の能力では、彼の段階に追いつくことは、とうてい困難であろうことを、愚かなことに、初めて実感した。

彼は、犯罪被害者遺族の権利を高めるための行動を貫き、達成してきた。弱音も吐かず、涙も見せずに。
私は、刑事弁護人としての自分の能力と精神力の限界に、多くの刑事弁護人の臆病と行動力のなさに、絶望しつつもある。

この10数年、刑事弁護人らは、これまで部外者視してきた被害者遺族の刑事司法内への台頭に戸惑い、直面を避け、混乱し、畏怖するがあまり、刑事弁護人としての社会正義実現の努力を怠ってきた。
本来の否認事件についても、被害者遺族や社会の反発と、審理の長期化、否認態度の厳罰化をおそれ、保釈の早期達成を優先し、妥協し、量刑のための「土下座弁護」で、職務を遂行した自己満足に浸った。
証拠の批判的検討と事実認定を軽視し、謝罪と反省のみが求められる風潮に、我々がしてしまった。
裁判員制度導入を目前にし、国民の刑事弁護の意義への理解は進むどころか、著しい誤解と偏見を招くこととなり、刑事弁護人らは萎縮し、血の通った刑事弁護は死に絶えてしまう危機を迎えている。

刑事弁護人よ、立ち上がれ。

被害者遺族や社会からの非難をおそれるな。配慮と理解をなし、理解されるように努めよう。
自らが理念と唱える刑事弁護を、口先だけでなく、実行する努力を怠るな。行動で示すことこそが、刑事弁護への理解を促進する。
刑事司法に絶望せず、たゆまぬ努力を続ければ、真摯な態度は必ず彼らの心に届き、ともに刑事司法を建設的に支え合う柱として、協同できる日が必ずくる。
刑事弁護人と犯罪被害者遺族は仇敵ではない。
それぞれの社会正義は、対立軸ではない。


わが国の刑事司法に、絶望してはならない。
刑事弁護の再生のために、刑事弁護人よ、立ち上がってくれ。


 私としても、平素の弁護活動が、文中に出てくる「土下座弁護」に甘んじているのではなかろうかという自覚もあって、この今枝弁護士の呼びかけは、胸に突き刺さるものがある。

 一方、声明文中の「刑事弁護人と犯罪被害者遺族は仇敵ではない。それぞれの社会正義は、対立軸ではない。」という部分には、特に共感を覚える。

 私の身近な場面で考えてみる。
 たとえばJR福知山線脱線事故の被害者支援活動を通じて思うのは、被害者の方々は、加害者に求めているものは、決して「土下座」ではないということだ。
 真に求めているのは、一つは、本当の事実を徹底して明らかにすることと、もう一つは、中身のある真摯な対応である。

 被害者遺族から非難・批判されたとき、意味もなく謝罪して逃げるだけだと、被害者をさらに傷つけることにもなりかねない、
ということを間近で何度も見てきた。

 もちろん、両者の間には激しい感情の対立があるから、容易に理性的な協同が図れるものでもない。
 十のうち、九以上がうまくいかないケースだろう。
 しかし、だからといって安易に流れてはいけないという呼びかけであることも分かっているので、このことを肝に銘じておかなければ・・・・と思う。
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 橋下弁護士のブログ(→http://hashimotol.exblog.jp/)と,

 今枝弁護士のブログ(→http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490 とか, http://beauty.geocities.jp/imajin28490/)で,

お互いに激論が交わされています。
論点は,もちろん光市事件や橋下弁護士の懲戒請求扇動事件についてです。

それぞれが裁判所に提出した書面をアップしているので,「裁判」というものに少しでも関心をお持ちの方は,ご覧いただけるといいと思います。

さらに,
   光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ
というのも出来ています(→http://wiki.livedoor.jp/keiben/d/FrontPage



 ところで,議論のやり取りを見ていると,やはり双方とも議論のプロなので,議論自体は噛み合っているように見えます。
 しかし,なんか根本的なところが噛み合っていないので,議論が平行線になっているように見えたり,双方とも瑣末なところにこだわっているように見えるのかなと思いました。

 そういうふうに感じたヒントは,橋下弁護士が裁判所に提出した答弁書の中にありました。
 「司法に携わる者であっても,世間の声に左右されてはいけない場面と世間の声を敏感に感じ取らなければならない場面の両方があるのである。」
 つまり,裁判の場面では「事件」を見るべきだが,
      懲戒の場面では「世間」を見るべきだ,
と,視点の使い分けをするべきだと主張しているわけです。

 これはなるほどと思いました。

 そういう視点で,橋下弁護士の主張をざっと見て感じたのは,ひたすら「世間」,「世間」と繰り返しているところ。
 橋下弁護士は,「世間」を向いて,モノを言い続けているわけですね。

 これに対して,今枝弁護士は「事件」「人間」を向いて主張を発しています。
 今枝さんが,特にこだわっているのは,具体的な「人間」のようです。

 そこに,批判が集中する側面もあれば,強い共感を呼ぶところもあるのだろうと思います。

 橋下弁護士のブログが「橋下徹のLawyer’s EYE」というタイトルで,「弁護士の目」を標題にしながらも,実際に意識しているのが「世間の目」です。
 橋下さんにとっては,目に見えない抽象的なものが,「たいせつなこと」なんですね。

 今枝さんのブログは「弁護士・未熟な人間・今枝仁・・・光市事件と刑事弁護の理解のために」というタイトルで,「人間」「事件」をストレートに前面に出しています。
 あくまでも,具体的なこと,個別的なことが,「たいせつなこと」なんですね。


 そのスタンスの違いが,議論が噛み合っていないと感じるワケなんだと分かりました。

(※ 文中の「たいせつなこと」というのは,先日ご紹介した「青い鳥」という本の中に出てくるキーワードです。「青い鳥」は,徹底して「人間」「事件」にこだわり,「世間」にこだわらない,お話でした。)
 ここで死刑廃止の是非を論じるつもりはない。
 よくよく考え抜かれた刑事訴訟法を前にして,あまりにも低俗な口喧嘩を展開している姿が実に情けなかったので,一言だけ愚痴っておきたいのである。

 鳩山法務大臣と亀井静香議員の発言の経過は以下のとおり。
鳩山 「法相が絡まなくても、自動的に客観的に(死刑執行が)進むような方法を考えたらどうか。法相に責任をおっかぶせる形ではなくて」
鳩山 「(法相は)誰だって判子をついて死刑を執行したいと思わない。精神的苦痛を感じないものではない」
鳩山 「ベルトコンベヤーって言ってはいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば、次は誰かという議論にならない」

亀井 「人間の命を機械みたいにボタンを入れておけば次から次に殺されていくようなイメージで扱っていいのか。」
亀井 「(鳩山氏には)法相の資格もなければ、人間の資格もない」

鳩山 「亀井先生のような尊敬すべき先輩が、私は人間でないとおっしゃっているわけですから、そこまで言われてお会いする必要はないでしょう」
 どうやら,「会わせろ!」,「会わない!」という押し問答になっているようだが,こうした実に低レベルな罵り合い(ののしりあい)をしながら,鳩山大臣は,刑事訴訟法の見直しを検討しようと言うのだ。

 問題となる刑事訴訟法の条文は475条である。
第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
 なぜ法務大臣の命令を要求しているのかというと,回復不能という死刑の性質上,手続きを慎重にしようという配慮があるからである。
 別に,被告人がかわいそうだとかいう感情的な理由ではなく,一旦執行されてしまうと二度と「回復不能」になるという特殊な性質に着目しているのである。

 その慎重さは,刑事訴訟法では,徹底されている。
第475条2項 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。
 但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
 これも,一応6か月という時間的目処を立てながらも,誤りがなかったかどうかの検証のため,できる限りの個別的検討を尽くすように設計されているものだ。

 人道的見地から配慮しているのが479条。
第479条 死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。
 2 死刑の言渡を受けた女子が懐胎しているときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。
 3 前2項の規定により死刑の執行を停止した場合には、心神喪失の状態が回復した後又は出産の後に法務大臣の命令がなければ、執行することはできない。
 こんなふうに,刑事訴訟法は,ありとあらゆる見地から死刑執行に慎重を期するように配慮に配慮を重ねている。
 だから,判決確定から6か月をはるかに過ぎても,異議申し立ての余地がある限り執行を先延ばしにすることも許容されているのである。
 決して,法務大臣の一存に委ねているのではない。

 あたりまえだが,死刑執行の仕組みは,法務大臣の感情や精神的苦痛に配慮したり,また,自動的に進めたりするもんではない。
 死刑の是非は別にして,少なくとも「死刑」の重みについて,誰よりも深く受け止めているのが刑事訴訟法だ。
 法務大臣は,刑事訴訟法をちゃんと勉強しなければならない。

 不勉強な法務大臣が,イヤなことを部下任せにするというのは情けない限りである。
 さらに,亀井氏との口げんかは,低俗極まりない。

 刑訴法の死刑の重み ←→ 不勉強大臣の低レベル喧嘩 

 話題と発言内容があまりにもアンバランスだ。

 これらは,死刑制度の重みや,問題の重要性を,いたずらに軽くするものであって,廃止論についてどちらの立場に立とうが,許されない愚言だと思う。
伊吹文部科学大臣はひどかった。

畑違いの元大蔵官僚だったせいか,
上司である首相が血迷っていたせいか,
そもそも教育について全く無知だったせいか,
理由はいろいろあるだろうけれど,とにかくひどかった。

教育基本法を改悪したのは最大の失政だが,
教育三法改定についても文科官僚が慌ててブレーキをかけなければならない程だった。
教育再生会議なる井戸端会議や,全国共通学力テストを持ち出したり,
給食費問題や,未履修学科問題など,つまらぬ事柄を騒ぎ立てて,
現場をどうしようもないほど混乱・困惑させた。
何一つ役に立つことをしなかったのに,
大臣の最大のお仕事である「教育費をしっかり確保する」という役目は果たさず,
お粗末な教育財政下で,教師や親・子が,汗水をたらして精神努力を強いている。

こんな失政大臣が,党の重役に昇進するのだから,やっぱり日本の未来は暗い。


さて,新たに文部科学大臣に就任したのは,兵庫県選出の渡海紀三朗氏だ。

渡海大臣は,今朝の日経のインタビュー記事で,
   ◆教育現場に競争原理を持ち込むべきではない
   ◆バウチャー制度はいらない
   ◆いじめ問題には子どもと接する環境づくりが大事
   ◆教員の定員増のために予算要求する
   ◆教育は国家の基礎だから何よりも大切だ

などと,まあまあ殊勝なことを言っている。
もっとも,渡海氏の経歴(→こちら)からして,教育問題に造詣が深いとは,とうてい思われない。

これは,文部官僚の作ったメモどおりに回答しているに相違ない。
ただ,文部科学省も,安倍政権下のママゴト的教育改革には辟易していたのだろう,
ということが,この記事からうかがえる。

私には,今日の教育の混迷を,トップダウン方式で一挙解決できるとは思えない。
決まりや道徳や秩序で,物事が収まるのは一時的現象に過ぎず,
恒常的な安定を形成するには,土壌の改善から始める,すなわちボトムアップ方式の方が現実的である。

そうすると,教育を良くするために文部科学大臣にできることは極めて限られている。
きっちり教育予算を確保することだ。
おそらく,教育問題はトーンダウンするだろうが,現場がきちんと機能できるだけの予算をしっかり確保すれば大臣の仕事としては及第点だ。
重松清著「青い鳥」(新潮社/2007年7月20日初版)はお薦めの一冊です。
青い鳥
短編8話の連続小説ですが,取り上げているテーマは,
  いじめ(た側),いじめ(られた側),いじめ自殺,
  非行,過労死,学校,学級崩壊,虐待・・・

いずれも現代的で,かつ,身近に感じられる重たい問題です。

そして,それを
  ■ひとりぼっち
  ■たいせつなこと(≠正しいこと)
  ■寄り添うこと

という軸で見事に括って,これらの問題で何が欠けているのかを,私たちの心を総動員して考えさせられ,感動させられる(私は何度も涙腺がゆるんだ)好著です。

 吃音でうまくしゃべれない臨時講師(脇役的な主人公)が,様々な問題を心に負った子どもたちに,寄り添うことで,「たいせつなこと」を伝えていく,というストーリーですけれども,こむずかしい御託や理屈じゃなくて,単純に,「泣かせる話だ」というだけでも読む価値があります。

 大人が読む本かも知れません。
 子どもが読む本かも知れません。
 いずれにしても,
 子どもや教育に関心を持つ人だけが読む本ではないと思います。

 今,神戸ではいじめによる自殺の事件が起きています。
 問題の切り口はいろいろあると思いますが,関係者のうち一人でもこの本が伝えようとしているスピリッツに出会っていたら,どうだったろうかと悔やまれるような気がします。
tumori10.jpg 日経新聞で知りましたが,高尾山山頂には「つもり違い十か条」と書かれた看板があるそうです。

   高いつもりで低いのは  教養

   低いつもりで高いのは  気位

   深いつもりで浅いのは  知識

   浅いつもりで深いのは  欲の皮

   厚いつもりで薄いのは  人情

   薄いつもりで厚いのは  面の皮

   強いつもりで弱いのは  根性

   弱いつもりで強いのは  我

   多いつもりで少ないのは 分別

   少ないつもりで多いのは 無駄


 まったくそのとおりだとうなづける内容です。
 恒例の政治パロディにしてみました。永田町のど真ん中に「ああ勘違い十か条」とタイトルを付けて看板を立てておきたいですね。

   高いはずなのに低いのは  政治倫理

   低いはずなのに高いのは  公租公課

   深いはずなのに浅いのは  国会討論

   浅いはずなのに深いのは  財界癒着

   厚いはずなのに薄いのは  福祉予算

   薄いはずなのに厚いのは  軍事予算

   強いはずなのに弱いのは  民意反映

   弱いはずなのに強いのは  米国依存

   多いはずなのに少ないのは 良政治家

   少ないはずなのに多いのは 大臣失言
9月23日に高校の同窓会に行って来ました。
2年3組の同窓会なので,23日になりました(?)。

20年ぶりだったので,どれだけみんな変わったかと思ったら,外貌も人柄も,ほぼ全員ほとんど変わらず,唯一変わっていたのは,私の体型だけでした。

しかし,同級生というのはいいもんです。
現在の状況はみんなそれぞれバラバラであるにもかかわらず,直ちに20年前のモードにスイッチが入って,何も気を使うことなく大いに盛り上がりました。
私もバカみたいに飲み過ぎてしまいました。

…が,酔いから覚めて,ふと我に返ると,すっかりだらけてしまった精神と体型に猛省を余儀なくされました。
あらためて,初心に返ることと,身体を絞ることを決意することとなりました。
同窓会はいろんな意味でよい刺激になります。
 兵庫県弁護士会では,「少年警察活動規則におけるぐ犯調査権限の新設に反対する会長声明」というのを公表しました。

 執行先は以下のとおりです。
 安倍内閣に対する最後の意見具申となりました。
 内閣総理大臣    安倍晋三
 国家公安委員会委員長 泉信也
 警察庁長官   吉村博人
 法務大臣    鳩山邦夫
 衆議院議長   河野洋平
 参議院議長   江田五月
 文部科学省大臣  伊吹文明
 衆議院法務委員長  下村博文
     理 事  倉田雅年 武田良太 棚橋泰文 早川忠孝 大口善徳
     委 員  赤池誠章 稲田朋美 近江屋信広 後藤田正純 清水鴻一郎
          七条 明 実川幸夫 柴山昌彦 杉浦正健 長勢甚遠
          古川禎久 馬渡龍治 水野賢一 武藤容治 森山眞弓
          矢野隆司 保岡興治 柳本卓治 石関貴史 枝野幸男
          加藤公一 河村たかし 中井 洽 古本伸一郎 細川律夫
          神崎武法 保坂展人 滝  実
 参議院法務委員長  遠山清彦
     理 事   千葉景子 前川清成
     委 員  小川敏夫 今野 東 鈴木 寛 松岡 徹 松野信夫
          青木幹雄 谷川秀善 舛添要一 丸山和也 山内俊夫
          山崎正昭 木庭健太郎 仁比聡平 近藤正道 山東昭子
          松浦大悟
  政 党    自由民主党 社会民主党 日本共産党 公明党 民主党
  県内児童自立支援施設,県内児童相談所,保護観察所,神戸保護観察所
少年警察活動規則におけるぐ犯調査権限の新設に反対する会長声明

 警察庁は,本年6月1日に公布された「改正」少年法の施行に伴い,少年警察活動規則の改正を検討している。公表された規則案では「第三節 ぐ犯調査」の節が新設され,同節中の第27条には「ぐ犯少年に係る事件の調査(以下この節及び第四節において「ぐ犯調査」という。)については,少年法及び児童福祉法に基づく措置に資することを念頭に置き,少年法第三条第一項第三号に掲げる事由があって,その性格又は環境に照らして,将来,罪を犯し,または刑罰法令に触れる行為をするおそれがあることを具体的に明らかにするように努める」などと規定されている。
 しかし,これら規定は「改正」少年法の国会審議経過に明らかに反するものと言わなければならない。
 もともと政府提出の改正少年法案6条の2には「警察官に対し,触法少年とぐ犯少年である疑いのある者に対する調査権限を付与する」と規定されていたところ,「ぐ犯少年である疑いのある者」などという曖昧な文言では警察の調査対象が広がりすぎて歯止めが無くなってしまうとの問題が各方面から指摘された。この指摘を重く受け止めて審議された結果,ぐ犯少年の調査については現行少年法の規定を維持することで全政党が一致し,与党修正案において,上記法案から「ぐ犯少年」の文言が削除されたという経過がある。当会としても,この文言削除については評価・支持する声明を発したところである。
 しかし,今回の少年警察活動規則改正案は,警察官が調査の開始する段階では「罪を犯すおそれが具体的ではない」ことを当然の前提としており,これでは警察官が主観的に「将来,罪を犯すおそれがある」と判断すれば,少年に対する調査を実施できることになってしまう。これは,まさに「改正」少年法案の国会審議で削除された「ぐ犯少年である疑いのある者」に対する警察官の調査権限の復活にほかならない。
 現在,家庭裁判所に送致される「ぐ犯少年」は年間800人程度であるが,「ぐ犯少年である疑いのある者」となれば,少なくとも不良少年として補導されている年間140万人程度の少年が警察官の調査権限の対象となる。ここに上記改正案の文言の不明確さと相俟って,警察官の権限が無限定に拡大するおそれが極めて強いと言うべきである。
 国会が国権の最高機関であり唯一の立法機関であること,警察の権限行使については憲法上も適正手続きの順守が強く求められていることからすれば,警察自身が国会で制定された法律を無視し規則形式で自らの権限行使の要件や方法を定めることは到底許されるものではない。
 当会は,少年警察活動規則にぐ犯調査の項目を新設することに強く反対する。
   
2007年(平成19年)9月20日
                 兵庫県弁護士会
                   会長  道  上    明

「美しい国づくり」会議を廃止
 政府は21日、安倍晋三首相の退陣表明を受け、首相の下に設置していた「美しい国づくり」企画会議(平山郁夫座長)を廃止した。同会議は首相が掲げる国家像「美しい国、日本」を内外に発信する企画の検討などを目的に4月に発足した。

 日経ネット9月22日午前7:01配信の記事の引用です。

 この「美しい国づくりプロジェクト」については、4月3日の記事で書きましたが(→記事「美しいと感じるもの」=「日本国憲法」と青い鳥)、それなら答えは簡単で、私たちの「日本国憲法」こそ、世界に誇る美しい宝物だと言いました。

utukusi.jpg もちろん、半分は安倍氏に対する皮肉を込めて言ったのですが、この「美しい国づくり」プロジェクトのホームページを見てみますと、意外な収穫がありました。

 最終報告書は「美しい日本の粋(すい)」という無粋な表題でまとめてありますが、「日本らしさ」をあらわすものとして全国から応募された結果の中には、
 日本国憲法、平和憲法
というのが、ちゃんとありました。
 うれしく思いました。
(もちろん、報告書のまとめの中では、きっちり無視されていましたが・・・)。

 また、さらなる副産物も発見しました。
 プロジェクトのメンバーのうち、何名かは、憲法理念に沿ったことを発言していたのです(一部は、改憲論者のようですが、憲法的スピリッツが共有できれば、私としては、それでよいのです。)。

 山内昌之(座長代理・東京大学大学院総合文化研究科教授)の発言
「自己中心的にならずに「平和な国づくり」としても努力しなくてはならない。世界とも理解しあい、共感しあうためには、外国の国民とも認め合う視点が必要となる。とくに、日本人の姿や行動を堂々と発信するためにも、過去の歴史をめぐる近隣諸国との摩擦を解消しつつ、共通の価値観や美意識をもてるようなテーマづくりが不可欠になるだろう。」

 川勝平太(静岡文化芸術大学学長)
「『富国強兵』の国是は経済力と軍事力とを一体とした強い国づくりのためのものでした。日本は、敗戦を経験して軍事立国のアナクロニズム(時代錯誤)を認識し、経済立国も心を豊かにするとはかぎらないことも経験済みです。 ・・・中略・・・軍事力は防衛と国連の平和維持活動に、経済力は文化の向上のために使う。」

 弘兼憲史(漫画家)
「十七条憲法の「和を以って尊しとなす」に表される「和」の精神・・・中略・・・日本は戦後一切戦争を行っていない平和国家となり得た。英国調査機関が先日発表した「平和な国ランキング」では日本は世界5位、G8諸国では1位。日本が戦争を行わない平和を愛する国ということを世界に向けて発信する価値は十分にある。」


 まあ、引っかかる部分がないわけではありませんが、基本的部分はOKです。

 「美しい国」については、
  ◆「憎いし苦痛」という名回文を生み出し
  ◆「美」という言葉が「命の犠牲」を意味し、
  ◆「美国」が「アメリカ」を指す、

   (→記事「「美しい国」の隠れた恐ろしさ→「優しい国」でどう?」をどうぞ)
という、面白い副産物もありました
ので、もうここらでTHE ENDで全く構わないのですが、せっかく得た貴重な知見だけは財産としてストックしておくべきだと思います。

 なお、安倍氏と一緒にゴミ箱行きにするなら、この会議は安倍氏の個人的道楽だったというほかありませんから、費用は私的にまかなってもらうべきでしょう。
(というか、THE END(≒「自」END)だから、自民党の党費かな。)
 このところTVでは毎日,福田・麻生の顔ばかり。
 あまりTVを見ない私でさえ,もう飽きてしまいました。
 現在は,国会会期中です。自民党総裁選は,いわば場外の裏舞台。
 表舞台であるはずの,国会での政策審議,法案検討の問題が,すっかり影をひそめています。
 これじゃあ,逆さまじゃないですかね。

kobe3.jpg そんな中,地味ながら,被災者生活再建支援法の改正について,与党プロジェクトチームが,昨日,改正案をまとめました。

 こういう本来の表舞台にもちゃんと目を向けないといけないなあ,と思い直させられました。

 この神戸新聞夕刊の一面記事を引用します。

住宅建設に200万円
被災者再建支援法改正案 自民が了承


 自民党は20日午前、内閣部会と災害対策特別委員会などの合同会議を開き、自然災害の被災世帯に現金を支給する「被災者生活再建支援法」の支給要件を大幅に緩和し、住宅の建設・購入に200万円を定額支給するなどの改正案を了承した。
 臨時国会に、与党案として公明とともに議員立法で提出する予定。

 現行制度は、生活必需品の購入などにあてる「生活関係経費」に最大100万円、住宅の解体撤去費、ローン利子などにあてる「居住関係経費」に同200万円を支給するが、住宅本体の再建費用は対象外。
 年齢・年収要件が複雑なため居住関係の支給実績は限度額の28%にとどまっている。

 改正案は、年齢制限を撤廃し、世帯年収を800万円以下(現行は原則500万円以下)に緩和。
 生活関係経費に代わるものとして全壊世帯に100万円、大規模半壊世帯に50万円を定額支給した上で、住宅を建設・購入する世帯に200万円、補修する世帯に100万円、民間賃貸に入居する場合に50万円を定額支給する。


 現在は被災者の実費請求にもとづく積み上げ方式で支給しているが、手続きが煩雑なため、相次ぐ災害の被災地からは改善の要望が強い。

 新制度では住宅再建の手法に応じた定額方式に変更し、手続きも簡素化することで現行制度の限度額いっぱいの利用を可能にする。

 ほかに、敷地の地盤が崩れ住宅の解体がやむを得ない場合も「全壊」とし、持ち家・借家の区分や居住場所の県内外の区分による支給内容の差は設けない。

 同案は与党プロジェクトチームで公明側が提案していた内容とほぼ同一。
 公明も午後から政調全体会議などを開いて了承する。
 民主党は、住宅本体の再建費用を含め最大500万円を支給する改正案を今国会で参院に提出する方針。


 民主党案とはかなり内容は違うが,コンセプトは共通なので,ぜひ前向きな議論をして,政策を実現してもらいたいものです。

 もちろん良いことばかり法案化されているわけではありません。
 一方では,一昨日にレポートした「ぐ犯少年への警察の調査権限の新設」について,誰も注目していないのを良いことに,改悪がひそかに進められています
 兵庫県弁護士会からは,緊急の会長声明を発したので,あらためて報告します。

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 日本という国の戦後のウリは「戦後焦土からの驚異的な復興」だった。
 たいていの伝記や美談も,「前半は苦労話で,後半は成功話」という構成になっている。
 阪神タイガースのファンも,万年最下位の弱小球団時代を知っているからこそ,今の強さがたまらないのである。

 私たちは,マイナスからのたたき上げてのし上がるところに魅力を感じるという文化感を持っている。

(※だから,名家のお坊ちゃん若手首相には生理的な反感を感じたのだろう。健全な感覚だ。そういう意味では,福田氏も麻生氏も同じだ。だから,福田氏の,苦労人を装う作戦には要注意である。

 最近は,勝ち組・負け組に格差を固定化する傾向が顕著で,一旦マイナスに転落すると,徹底的に叩きまくって負け組を再起不能にしがちである。
 這い上がる泥臭さにも嫌悪感を呈する風潮もある。
 我が国の誇る美しい再生・復興文化感が衰退の危機にある。
 しかし,既に私たちの国や社会は,経済的にも,感覚的にも,どん底にあると思う。
 だからこそ「マイナスから出発して,再生,復興する」という文化感を,今こそ見直すべきである。

 なんだか,やたらおおげさなことを書いたが,本題は珍キャラのことである。
 丹波の井村弁護士から教えてもらった夕張夫妻を紹介したい。
 以下は朝日新聞の2007年9月18日記事である(→こちらより
「負債夫妻」夕張の救世主になるか? PRキャラ登場

負債抱えた夕張夫妻の自虐キャラ
fussaifusai.jpg
 「金はないけど愛はある」。
 そんな標語のもと、財政破綻(はたん)した北海道夕張市の再建をかけたPRキャラクターを東京の広告プランナーが提案。
 藤倉肇市長も乗り気だ。

 名付けて「負債を抱えた夕張夫妻」。
 「夕張父さん(倒産)」と「まっ母(真っ赤)さん」。
 発案者の「負の資産は隠すより活用するに限る」との哲学から生まれた。

 11月22日の「いい夫婦の日」にJR夕張駅に初登場させ、観光会社にキャラクターにちなんだツアーを企画してもらう計画だ。
 “負債夫妻”が夕張の救世主となるか?


 私は,この記事中の「負の資産は隠すよりも活用するに限る」という哲学に大賛成だ。
 弁護士の仕事をしていると,毎日が,再生,再起,復興,立ち直り,やり直しの場面の連続なので,余計にそう思うのかも知れない。
 が,この感覚こそが,没落日本の社会の中にある自然治癒力,免疫力だと確信する。

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「ぐ犯少年」って知ってますか?
少年法3条3号には次のように定められていて,これに該当する少年を「ぐ犯(虞犯)少年」といいます。

 次に掲げる事由があつて、その性格又は環境に照して、将来、罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をするおそれのある少年
 イ 保護者の正当な監督に服しない性癖のあること。
 ロ 正当の理由がなく家屋に寄り附かないこと。
 ハ 犯罪性のある人若しくは不道徳な人と交際し、又はいかがわしい場所に出入すること。
 ニ 自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖のあること。

 要するに,かなりハメを外した不良少年たちのことです。

 この「ぐ犯少年」に対して,警察が「調査」という名目で,その権限を広げようとしています。
 そんでまた,そのやり方がずるいんだ。

 あまり知られていませんが,今年6月1日に公布された「改正少年法」では,この「ぐ犯少年」に対する警察官の調査を盛り込むかどうかで,国会でかなり揉めました

 現在,家庭裁判所に送致される「ぐ犯少年」は年間800人程度ですが,「ぐ犯少年である疑いのある者」となれば,年間140万人程度にのぼるとされているので,曖昧な文言に改めると,現実に警察官の権限が無限定に拡大するおそれが極めて強いのです。

 結果として,与野党一致で,この「ぐ犯少年への警察調査権限」の項目は削除されました

 参議院の平成19年5月24日の法務委員会での,木庭健太郎議員(公明党)の発言を引用しておきましょう。

 衆議院において、こうしますと、結局、警察官等は虞犯少年である疑いのある者を発見した場合においては必要があるときは事件について調査することができるというような規定になっておりますから、これをそのままにしますと、やっぱり警察による調査権限の及ぶ範囲というのが不明確ではないかというのが最終的な衆議院の議論であり、これが過度に拡大するおそれがあるという懸念の中から明文での規定を除去したという経緯がございました。

 要するに,「ぐ犯少年への警察調査権限」を法制化しないことで一致したわけです。

 ところが,警察庁というところは,このままでは引き下がりません。

 今回,少年警察活動規則の改正を地味に検討しているそうです。
 この規則案では「第三節 ぐ犯調査」の節を新設し,同節中の第27条では
「ぐ犯少年に係る事件の調査(以下この節及び第四節において「ぐ犯調査」という)については,少年法及び児童福祉法に基づく措置に資することを念頭に置き,少年法第三条第一項第三号に掲げる事由があって,その性格又は環境に照らして,将来,罪を犯し,または刑罰法令に触れる行為をするおそれがあることを具体的に明らかにするように努める」
などと規定されているのです。

 これって,国会で削除された項目の復活にほかなりません。
 警察庁としては,リベンジのつもりでしょうか。


 ■国会が国権の最高機関であり唯一の立法機関であること(憲法41条)

 ■警察の権限行使は適正手続きの順守が強く求められていること(憲法31条)


などからしてみれば,警察自身が,国会で制定された法律を無視して,規則の形式で自らの権限行使の要件や方法を定めることは,許されません。
 こんなふうに国会での削除法案を復活させるウラ技が通るようでは,法の支配などは成り立ちません

警察庁のパブリックコメント募集はこちらです→http://www.npa.go.jp/comment/index.htm

この規則案改正に対する意見はこちらのメルアドへどうぞ→syounen@npa.go.jp

 こういうズルイことは許してはなりません。

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神戸新聞に書評が出ました。

syohyomission.jpg


 こんなふうに書評は出たものの,本屋にはまだまだ置いてもらえるほどの認知度がありません・・・(冷汗)。
 ですが,この書評の最後の締め括りの部分,

阪神・淡路大震災から12年余。
日本は今も災害に見舞われ続け,住宅を再建できない被災者が苦悩している。
災害復興とは一体,何なのか。
「ミッション」を見失っている官僚や政治家,被災者の厳しい現実を知らない人々に,ぜひ読んでほしい。

という主張は,まさに私たちの言いたいことを端的に表現して下さっています。

 じわじわで良いので,ミッションや憲法の大切さが広がっていけばありがたいです。

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 光市における母子殺害事件の弁護団の一人である今枝仁弁護士が、ご自身のブログを開設された。
(→こちらからどうぞ

 刑事裁判に関心のある方は、是非、一度は生の弁護人の声に耳を傾けてみてほしい。
 ・・・というよりも、再来年から裁判員制度が始まれば、刑事裁判は、“あなた”ご自身がかかわることになるわけだから、自分自身の問題として、ちょっとだけでもよいので、関心をお持ちいただきたい、と思う。

imaeda.jpg

 以下はブログの冒頭コメントだ。

 他の弁護士ブログに勇気を出して思いを赤裸々に書きつづったところ、意外とご理解を頂きました。
 ご批判もありますが、事件や自分の状況、意見を書きつづってみようと思います。
 ときには弁護士というフォームを脱いで、一人間として真剣に考えてみたいと思います。

 私は、今枝弁護士の取り組みは、
 (1) 事件について、率直かつ積極的な発信活動を行っている点
 (2)事件だけでなく、弁護人としての思い(感情)もストレートに語っている点
 (3)弁護人としてだけでなく、「人としての感性」についても言及している点

で、非常に勇気があるし、また、斬新な取り組みだと感じた。

 今枝弁護士は、この光市事件を担当する前に、広島女児殺害事件(被告人がペルー人男性)の弁護人として、マスコミからの取材要求を拒絶せず、むしろ積極的にコメントを発し続けた経験もお持ちだ。
 この事件における対応は、弁護人のマスコミ対応について一石を投じた事件でもあった。

 そういう経験も踏まえて、今回の光市事件の弁護団対応もあるのだということが理解できた。

 こうしてみると・・・・
 社会的発信について、弁護士も変わりつつあるといえそうだ。
 そして、被害者も変わりつつあるのも間違いない。
 しかし、マスコミは良い方向に変わってきているのだろうか?
 何よりも、受け手である「世間」は変化を感じ取っているのだろうか?


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bokupapa.jpg 奈良県で高校1年の長男が自宅に放火して家族が焼死した事件を扱った『僕はパパを殺すことに決めた』という本が売れているそうです。

 この少年の供述調書を外部に流出させて関係者の秘密を漏らした疑いがあるとして,精神鑑定を担当した医師が強制捜査を受けました。
 被疑罪名は,秘密漏示罪です。
(秘密漏示罪)
刑法第134条 医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

 この条文からも明らかなように,秘密漏示罪の対象となるのは,医療関係者だけでなく,法曹関係者も含まれています。
 被疑対象になり得るという意味では,ちょっと他人事とは思えません。

 この点に関しては,最近,社会から注目を集めている刑事事件に関して,弁護人には「世間」に対する説明責任があるのではないか,という議論もあります。
 橋下弁護士が,光市事件で積極発言しているのも,そういった問題意識があってのことだと思います。
 弁護士が,世間ウケを狙って過度の説明を行った結果,秘密漏示罪に問われたら,それはもはやプロとは言えないでしょう。

 また,新聞報道を見ると,
   「少年法」と「表現の自由」の対立
という軸組みで,議論をしているようなものもあります。

 これって,よく見られる対立構図なんですけど,こういう風な議論の立て方をすると,
   ◆重大事件を起こした少年を甘やかしてどうすんだ!
      とか
   ◆表現の自由であっても度が過ぎたのは許されない!
などという意見が出てきて,「少年法」にも「表現の自由」にも両方とも強い逆風が吹いて,結果として,
   →少年法の厳罰化
   →表現の自由に対する規制強化
につながっていくのがオチです。
 なんかオカシイなと感じてしまうのです。

 こういうときは,「少年法」と「表現の自由」のどっちを取るんだ!という二項対立的な議論をするのではなくて,組み合わさったいろんな要素を一旦バラバラにして,考えた方がいいはずです。

 ◆この本の出版によって少年の更生に障害が出来たのならば,あくまでも,今後の更生プログラムの軌道修正に力を注ぐ

 ◆表現の自由の濫用と見られるものかどうかは,あくまでも客観的に見て,表現そのものは尊重すべきことを確認する

 ◆医師,弁護士などの専門家は,あくまでもプロ職業倫理と目的・結果のバランス感をもって,秘密を取り扱う


 こうしてみると,今回の事件のポイントは,少年法や表現の自由の問題にあるのではないといえるでしょう。
 まさしく,秘密取扱者の職業倫理の問題であって,だからこそ秘密漏示罪が問われているということになるのではないでしょうか。
 とても考えさせられる問題です。

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 おそらく福田康夫氏が次期首相となるだろう。
fukudayasuo.jpg
 私にとって,最大の関心事は,憲法に則した政治を行うかどうかにある。

 もちろん,福田氏も自民党員である以上,改憲派である。
 しかし,大切なポイントは,護憲か改憲かという形式的な問題よりも,憲法の意味や内容を良く理解し,その趣旨に沿った政治が行えるかどうかというところにある。

 そこで,前向きな期待を込めて,福田氏の憲法に対する姿勢をさぐってみたい。

 福田氏は,小泉純一郎氏の靖国参拝について,
 「靖国参拝は国家的使命という人がいる。それは首相という形でやるしかない、と思うが、それは取れない方法だ。憲法違反だ」
と語っていたらしい。憲法20条を正しく理解している。

 また,福田氏はアジア外交重視派で知られるが,平成18年3月25日に都内で行った講演で,憲法改正について
「日本を正しく理解してもらい、改正しなければならない。若干時間がかかるかもしれないが慎重にやるべきだ」
と語り,アジア諸国の理解を得る努力が必要との認識を明らかにした。前文をはじめとする国際協調主義を正しく理解している。

 官房長官時代に,小泉純一郎が首相に就任する前日である平成13年4月25日の記者会見で,小泉氏が憲法9条改正に言及したことに対し,
「(小泉氏は)『今ある自衛隊を軍隊でないというのはおかしいのではないか。本音と建前を使い分けるような形はしないで率直に表現できるような形が好ましい』というように言ったのではないか、と解釈している」
と小泉氏の暴走の予兆に対し,やんわりと釘を刺して,憲法9条改正の方向性について,軌道修正を施した。9条改正論議のポイントを的確に理解している。

 9条に関して言えば,政府がMDシステム(ミサイル防衛システム)を導入した際,当時の官房長官として
「あくまでわが国を防衛するものであって、第三国の防衛のために用いられることはない」
と言い切っていた。個別的自衛権は肯定するが,集団的自衛権を否定したものである。9条の解釈としては通説的な見解だ。

 目下の話題のテロ特措法について,これを制定した際の国会での政府代表としての法案趣旨説明(第153会国会 参議院本会議 平成13年10月19日)も見てみよう。
「政府としては、毅然とした対応なくしてはテロの一層の助長を招きかねないとの考えに基づき、このようなテロリズムと闘う米国等による軍事行動を強く支持するとともに、憲法の枠内でできる限りの支援をしていく考えであります。
 このような政府の立場を申し述べた上で、『平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法案』(テロ特措法)について、その趣旨を御説明いたします・・・・」

 この法律も,あくまで憲法の枠内の法律であって,その限界が「憲法」にあることを言い切ったものだ。

 私は,これらの発言を見る限り,福田氏の憲法に関する見識は,十分に理解可能なレベルだと感じた。
(安倍氏・小泉氏のスットンキョー程度があらためて認識される。)

 もっとも,福田康夫氏の憲法についての理解は,同氏も憲法調査会の一員であったことから,ある程度の深みがあって当然だが,いずれにせよ,これまでの安倍氏の暴走転落路線を食い止めるだけの良識を持っているのではないかとうかがわれる。

 念のため,憲法調査会での福田氏の発言(→もちろん「改憲すべき」という意見だが)を確認して,今日のレポートを締めくくっておく。
 以下,続きはこちら。
    ↓

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<8月31日初版発行です。>
====================================
fukkoumission.jpg 本を出しました。
 今日(8月4日),私の手元に初版本が届きました。

 できたてで湯気が立っているように見えます。

 手にして読んでいただけるとありがたいです。
 (テーマがかなり地味ですから,あんまり書店で並んでいるとは思いません。お声掛けいただければ,お届けします。)

 災害復興とそのミッション
   ~復興と憲法


  片山善博 ・ 津久井進 著

  (クリエイツかもがわ発行)


 出版社の方で,作成された帯(腰巻き)は,上手に本のことを紹介しているので,ここにそのまま引用します。
災害復興のミッション(使命・任務)は,
目の前の被災者を救うこと

日本復興の原点・憲法こそ災害復興基本法だ!

ミッションを忘れた日本の役人と政治家に喝!


憲法違反とまでいわれながらも
「住宅再建の支援策」を実施した
片山善博鳥取県知事(当時・現在慶應義塾大学教授)が
「ミッション」という視点から災害復興と憲法を論じる。

若き法律家 津久井進弁護士が憲法を再発見!

どうぞよろしくお願いします。

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 安倍氏が首相を辞任したということで,その真相について,いろんな憶測が飛んでいる。

 ご本人は,小沢代表が党首会談に応じてくれなかったのが理由だと言い
 (→本人の会見「本日、小沢党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと。残念ながら、党首会談については実質的に断られてしまったわけであります。…中略…大変残念でございました。今後、このテロとの戦いを継続させる上において、私はどうすべきか、むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理のもとで、テロとの戦いを継続をしていく、それを目指すべきではないだろうか。」)

 与謝野官房長官は,病気のせいだと言い
 (→時事通信9月12日19時1分配信「与謝野馨官房長官は12日午後の記者会見で、安倍晋三首相の辞任の理由について『首相がたった1つ言わなかった問題は健康状態だろう。個人の問題だから病気などについて詳しく言えないが、仕事と健康の両立について、深い苦悩の中にあった』と述べた。)

 下馬評では,安倍家の脱税疑惑が出てきたからと言い
 (→毎日新聞2007年9月12日15時00分配信「安倍首相辞意『週刊現代』が『脱税疑惑』追及で取材 突然辞意を表明した安倍首相については、「週刊現代」が首相自身の政治団体を利用した「脱税疑惑」を追及する取材を進めていた。同編集部によると、安倍首相は父晋太郎氏の死亡に伴い、相続した財産を政治団体に寄付。相続税を免れた疑いがあるという。晋太郎氏は91年5月に死亡し、遺産総額は25億円に上るとされていた。編集部は安倍首相サイドに質問状を送付し、12日午後2時が回答期限としており、15日発売号で掲載する予定だったという。)

そのほか宗教関係のことが問題だとか・・・,なんだか理由はよく分からないけれども,どうせ数日経てばある程度ハッキリすることなので,今のところは,野次馬的な興味の対象として置いておけばよい。

 問題は,安倍氏が辞めたことで,うやむやになってしまう問題が無いかどうか,十分に注意をしておくことだ。

 とかく日本という国は,私的なことと公的なことの混同が起こりやすい。
 責任者が,辞任したり,自殺したりすると,同情を寄せたり,あるいは,なんだか大事な問題もカタが付いたような気になってしまう傾向がある。
 私的な感情はあくまで私的なもの。
 公的な問題は辞任したとしても,放置されたまま残っている。

 こういう場面では,なぜ安倍氏がこれほどまでに支持を失ったのか,もう一度,確認しておかないといけない。

  ◆国民の生活を軽視してきたこと
   (年金問題,格差社会の放置,弱者切り捨て 等々)

  ◆戦後レジーム脱却と称した憲法改悪
   (国民投票法,全体主義化,立憲主義軽視,教基法&教育改悪 等々)

  ◆政治に対する不信増大
   (政治資金問題,大臣らの失言,組閣の恣意性 等々)


 どうだろう?これらは,安倍氏が辞めたから直ちに解決が付く問題だろうか?
 仮に,新総裁が,小泉純一郎氏とか麻生太郎氏とかに決まって,なんとなく刷新ムードでうやむやになってしまった場合,これらの課題はどうなるのだろうか?

 もし,この流れが変わらなければ,今回の辞任劇は,単なる「首のすげ替え」というか,「トカゲの尻尾キリ」(~首相には失礼だが,求心力の弱さからして「トカゲの尻尾」の方がピタッと来る~)で終わってしまう。
 そうなれば,為政者の思う壺だ。

 とりあえず安倍氏の個人的な理由は横に置いといて,なぜ安倍氏を辞めさせなければならないのか,首相を下ろさなければならないか,という原点を忘れないように,国民自身こそが自問自答する必要があるように思う。
 これまで,政治家に「公私混同はダメ!」と強く申し立ててきたのだから,国民自身も「首相辞任に私的感情を混同しちゃダメ!」ということである。

 私たちは,国民の力で政治が変わる,というシュミレーションを現実のものにしたのだ。
 だからこそ,ここから先を良い展開にしていくために,この1年の悪政の総括を,今こそ徹底して行っておくべきだろう。

 今必要なのは,安倍氏への個人的同情でも,安倍氏の人格攻撃でもない。
 安倍氏のやってきた「良くないこと」「失政」の洗い出しと,再確認だ。
 安倍氏のような人材が,再び,首相の座に就くような愚を繰り返さないように!

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今日は,朝から夕方までぶっ通しで,証人尋問があります。
その準備で忙しいため,ブログを書くのを止めようかと思いましたが,一息入れて,ちょっとだけ書き残しておこうと思います。

今日の事件は「商品先物取引被害」の事件です。
私は,先物事件については,特に力を入れて取り組んでいるつもりです。

神戸先物・証券被害研究会というのがあって(→ホームページはこちら),そこの一員でもあります。
先物取引に関して,そちらのページで会員の一言コーナーがあり(→こちらです),
そこで私は『先物取引は危険で難しくてタチの悪いギャンブルだ』と言い切っています(→私の記事はこちら

私は,普段は,受任している事件のことはあまり書きません。
依頼者のプライバシーや守秘義務などに配慮しているのはもちろんですが,相手方への配慮がないわけでもありません。
事件の捉え方について,いろんな考え方がありますが,私は,物事のバランスや妥当性が大事だという思いがありますので,なんでもかんでも一方的に決めつけて主張を展開するのはいかがなものか,という感覚もあります。
なので,係属中の事件については,どうしても筆の進みがにぶくなるのです。

しかし,無知な消費者を相手にした先物取引は絶対悪に近いものがあると考えています。

たとえば,今日の証人尋問の相手方であるオリオン交易という会社。
この会社を相手にするのは,私の受任事件だけで5件もあります。
5件が全て,依頼者は主婦でした。
相手方からいろいろ弁明・釈明が出ていますが,どれも被害パターンはよく似ており,同じ会社でこれだけ同じような被害が立て続くと,偶然の結果とはとうてい思えません。
(先物取引被害救済の第一人者である東京弁護士会の荒井哲朗先生のホームページでは,具体的な被害例がたくさん紹介されています。同社の分もあります。→こちらをどうぞ。

最近は,食品に関して賞味期限の虚偽表示によって,企業の存続が危ぶまれるケースが多発しています。もちろん,それは悪いことです。
しかし,その一方で,詐欺的商法を断罪する判決をいくつも受けたり,苦情の絶えない先物会社がいくつもあり,これらが平然と業務を続け,深刻な被害が垂れ流され続けているのに,「なあ~んだ,先物取引かぁ」って感じで誰も何も言わないを見ると,世間の感覚の矛盾を感じざるを得ません。

きっと,食品の問題はわが事として捉えられるけれども,先物被害は「そんなのあたしは絶対引っ掛かることないわ~。騙された人にも落ち度があるんでしょ~。」という感じで,他人事として捉えているからだろうな,と思います。

しかし,うちの事務所に訪れる先物取引の被害者の圧倒的多数は,一般の市民の方々です。
欲に駆られた人はほとんどおらず,むしろ善良な性格な方(いわゆる「いい人」というタイプ)が多いです。
そしてそのうちの多くの方が,全財産を失うという深刻な被害を受けています。
実際を知れば,とても他人事とは思えないと思うんですよね。

もちろん,相手方の手口も日々進化しています。
様々な手口を知っている私でさえも,「こんなふうに言われたら,やられちゃうだろうなあ。」という巧妙な甘言に驚くことがしばしばあります。
そういう意味で,こちら側に問題があるというよりも,相手方にこそ問題の本質があると思うんですよね。

他人事だと思っている「あなた」が,「もしかしたら自分も被害に遭うことがあるかも知れない」とちょっと想像してみるだけで,被害の撲滅は大きく進歩するのだろうなと思います。

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 今日は9月11日

 6年前には,アメリカ同時多発テロが起き,テロとの戦いの名の下で,アフガニスタン戦争とイラク戦争につながっていった。
 2年前には,衆議院総選挙(郵政選挙)があり,与党議員が3分の2以上を占め,国政は大きく反動化して,強行採決に象徴されるように,立憲民主主義の弱体化につながっていった。

 そういう意味で9月11日という日は,平和や立憲主義を考える上で,節目の日なんだなあという気がしている。
 新聞紙上では,そのあたりに触れたものが少ないが,昨日の国会での首相所信表明の内容をめぐる姿勢転換と,その評価・批判を見ていると,やはり,この時期は何かの節目となるめぐり合わせなのだなあと感じる。


 ところで,9月11日の直前に「9月9日」という日がある。
 これを,「9条の日」にしようじゃないか,という思いつきで始まった
     「9月9日の『9条の心』のイベント」
だが,この週末に神戸で,第4回目となる「ひろげよう!9条の心」が開かれた。

 当日のレポートを書くようにと,お玉さんから水を向けられているが,あまりにも多くのことに感銘を受けたので,なかなかまとめきれない。
 当日の雰囲気を伝えるのも,参加者の役目だと思うが,手に余るので,ごく簡単にだけコメントしておく。


 まず,冒頭に元気よく展開された,若手による「ファッション」「ダンス」「合唱」のパフォーマンス
 兵庫の9条の集いの目玉であるが「いろんな人たちのつながり」を目に見える形で,ダイレクトに心に訴えかける素晴らしい取り組みだ。
 今回も合唱は,『美しい国』が目指す「規律正しくまとまる」という形ではなく,「いろんな個性が,一つの思いを核にしてまとまる」という形が伝わったので,会場にさわやかな感動を呼び起こした。


 記念講演の作家;辻井喬さん(=経済人;堤清二さん)は,素直な気持ちで共感を感じることができる内容で,決して派手さはないがウイットの効いた語り口で,本当に聞いて良かったと思った。
 「勉強をしていない人は強い。戦後レジームを転換するなどと平気で言う。」というのは会場も大笑いだった。
 また,歴史,社会,経済,人間を,素直に見れば,何が間違っているのかが容易に見抜けることが分かった。
 「日本は,憲法で平和を宣言し,軍事にエネルギーを費やさずに済んだので,奇跡的な経済復興を成し遂げることができた」というのは,辻井さんだけでなく,一流の経済人も口を揃えるところだ。
 「○か×か?という二者択一を迫る議論は間違っている」との指摘もあり,小泉流の単純劇画的な発想方法に麻痺してしまった日本人にとっては,日常の生活や会議での議論にも役立つ知恵だと感じた。


 なによりも,感動したのは,普天間かおりさんのライブだ。
 普天間かおりさんの歌声をはじめて聴いた人も,私も含め,たくさんいたと思う。それでも,会場で心を動かされなかった人は,皆無だったに違いない。
 歌声もさることながら,曲間のトークが,素晴らしかった。
 沖縄で生まれ育ち,平和の意味を肌で感じながら歌い続けてきた彼女は,たんなる抽象論や空論で,他人事のように平和を議論する人々と全く格が違うと感じた。
 歌の中に,毎日の生活や,恋人や家族との恋愛を通じて,平和の持つ意味をさりげなく織り込んでいるのがよく分かったのである。決して歌詞にストレートに平和を歌っているわけではないのだが,トークを聞くと,そこに込められた思いがよく分かり,歌声への共感を誘うのだ。
 プログラムの演目には記載がなかったが,「さとうきび畑」を歌ってくれた。普天間さんは,「この曲は,最近まで歌えなかった。生まれ育った沖縄の風景が浮かび,悲しくて辛かった。ただ,歌うことによって、その気持ちを背負って,引き継いでいかなければいけないと思います。」と,凛とした声で語っていた。
 渾身の絶唱にこみ上げるものがあった。会場のあちこちからすすり泣く声も聞こえてきた。
 ニューシングル「守りたいもの」を買って帰って聴いているところだ。


 兵庫県弁護士の九条の会の大将である羽柴修弁護士が最後の挨拶をした。
 このあいさつを聞くだけでも,来た甲斐があったと思う。
 「単に自分の主張を訴えるだけではダメ。自分基準では,夫婦喧嘩をはじめ,争いが起きてしまう。相手基準で,ものごとを考え,訴えていかないと!」という話は,何事にも通じる真理だと思ったし,この姿勢は,
     ◆効果的な平和活動に有益
     ◆立憲民主主義の基本的スタンス
だと思った。


また,どなたかが当日のレポートをしていたら,紹介をします。
(こんなところで,どうでしょうか?お玉さん。)

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★光市事件の弁護団の一人である今枝仁弁護士のコメントを転載させていただいた

 世間から大バッシングを受け,橋下徹弁護士の扇動で懲戒請求まで受け,刑事弁護のあり方自体が問われている光市事件の弁護団が,勇気をもって発信の努力を講じ始めた。

 言うまでもなく,弁護人というのは,もともと世間の批判の矢面に立つ宿命にあるし,被害者の方から厳しく批判を受けるのも当然の立場にある。
 弁護活動を行う弁護士たちは,自らの身をもってそれをよく知っている。


 今回の事件では,被害者である本村洋さんが勇気を振り絞って思いを訴えたのに対し,世論が共感した。
 そのこと自体は,被害者を単なる興味の対象でしか見てこなかった社会にあっては,犯罪をわが事と思えるようになり,とても貴重で価値あることだったと思う。


 また,橋下弁護士も,世間に対する配慮が必要だと指摘をした。
 それも,このように極端に情報が氾濫し,何かあるとすぐ国民的ヒステリーに増幅する社会にあっては,世論を全く無視すると大変な目に遭う,ということを気付かせた点で重要な指摘だったと思う。
 (ただ,その危うい傾向を逆に利用して,善良な世論を扇動した点は,問題であるが。)


 そういうことを全て踏まえた上で,光市弁護団の一人である広島弁護士会の今枝仁弁護士が発信しているコメントを見ていただきたい。

 今枝弁護士は,先に紹介した東京の坂井弁護士さんのブログ
    「超初級革命講座」のコメント欄
と,名古屋の寺本弁護士さんのブログ,
    「弁護士のため息」のコメント欄&本文
で紹介されているコメントを転載させていただく。

 私も,今枝さんに直接連絡を取って転載の了解を得た。
 今枝さんは,「現時点では情報発信のチャンネルが限られているので,転載はむしろ歓迎です。非常にありがたい。」とおっしゃっていた。
 「情報流通促進」というヤメ蚊弁護士さんのブログのタイトルの重要性を,あらためて感じる。

 以下とても長くなるが,10個のコメントを,まとめて引用させていただく。
 以下の「続きを読む」をクリックして下さい。
    ↓
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 今日は神戸文化ホールで「ひろげよう!9条の心」が開催されます。

 「9条の会」は、考え方や党派を超えて、9条の趣旨をまもる、という一点の
みで集まっています。
 まさに「小異を棄て大同につく」の実践です。

poster9-9-2.jpg


 こちらは、サロン・ド・北神戸「九条の会」で紹介されている、未公開チラシです。
 なかなか素敵でしょ。

 こういったものも「小異を棄て大同につく」というおおらかな心がなければ、作れないセンスあふれるチラシです(実際、お金さえあれば、これも配れたでしょうね)。

 ところが、日本共産党というところは「小異にこだわり大同を損なう」という行動でこれまで一貫してきました。
 せっかく良い事を言っていても、なかなか多くの支持を集められない理由の一つがそこにあったと思います。
 私もそういう気持ちをもっていましたので、評価できませんでした。

 落選すると分かっているのに、中央の方針であえて小選挙区に立候補して,やはり落選していく方々の姿は、御国のためにと若い桜を散らしていった特攻隊員の姿と、ほとんど変わらないように見えました。
 同情はすれども、とても支持する気持ちになれませんでした。

 しかし、昨日の報道によると、
「共産党は次期衆院選小選挙区候補をめぐり『全小選挙区で擁立を目指す】とする従来方針を見直し、大幅に絞り込む考えを表明した。」

とのことです(→毎日新聞記事はこちら)。

 理性的に、合理的に考えてみれば、当たり前のことなんですが、こういうふうに当たり前のことが、当たり前にできるようになったことは大きな進歩だと思うので、高く評価したいと思います。
 先日の参議院選挙の副産物と言えるかも知れません。

 自民党も現代化の兆候がうかがえる中、共産党も現代化し、各政党の役割も、現代的に変化してきたんでしょう。
 私たち国民も、この変化の兆しを敏感に感じ取る必要がありそうです。

 今日のイベントでは「9条の心」という大同の実現の手応えを感じられたらいいと思います。

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 橋下徹さんは,昨日から今日にかけて,ご自身のブログ(→http://hashimotol.exblog.jp/)で大いに気炎を吐いていた。
hasimoto2.jpg
 彼は,なかなか文章も上手で,その内容も面白く,何よりも威勢が良い。
 だから,共感を覚える人もきっと多いだろう。

 では,彼の言いたいことをひとことで言うと,どんなふうになるのだろう。

 私も,あらためてざっとエントリーを読み直してみたが,9月7日の
    「私が提訴されたことにつきまして」
というエントリーで,「世間」という言葉が,何度も何度も,繰り返し繰り返し使われていることから明らかなとおり,
   弁護士は,世間の声をきけ!
というところに尽きるようである。

 橋下さん自身も「被害者や国民への説明義務を果たしていない」のが懲戒請求の理由だと,別のエントリーで言っている(→こちら)。

 読み手に「私も『世間』の一人だ」という意識がある場合,なんだか当事者の一人のような気がして,思わず納得してしまう,という面もあるだろう。


 では,弁護団は説明を行っていないのだろうか。

 まず,あまり売れてなさそうな地味な本だが「光市裁判」という本が出ている。
 私も,実はその本の存在自体を知らなかったが,最高裁において批判された弁護団活動の顛末はかなり詳細に明らかにされているようだ。
hikarisi
 本を作るには,大変な汗と時間を消費する。
 彼らは「世間」への説明を行うために,実際に汗をかいている。
 橋下さんのようにマスコミ寵児ではない上,アピール方法は高視聴率の「そこまで言って委員会!」と違って極めて地味だが,「説明をしていないじゃないか」というのは,どうやら違うみたいだ。

 それから,今回,提訴に及んだ原告(光市事件弁護団)の一人である広島弁護士会所属の今枝仁弁護士は,東京の坂井弁護士さんがやっている「超初級革命講座」というブログのコメント欄で,かなり具体的なことをお話しされている。
 是非,そちらに行って(→こちらをクリック),今枝さんのコメントを見て欲しい。
(あるいは,この件で連続して記事を書かれている寺本弁護士さんのブログ「弁護士のため息」を見て頂きたい。)

 私も,ひとまず弁護士を離れ,一市民の感覚で読んでみて,感銘を受けたり,なるほどと思う点がいくつもあった。
 たとえば・・・・・
◇刑事事件に力を入れてるのは,自分が社会の底辺をさまよっていた経緯や,多くの過ちを犯した自覚があって,人間が失敗することと人生に再チャレンジすることへの思い入れがあるから

◇検察官をやめたのは,18歳の女子高生が飲酒運転の車にはねられ,顔を複雑骨折したというせい惨な事件の公判立ち会いで泣いてしまい,検察官失格と思ったから

◇事務所を銃撃され,事件後しばらくは緊張感で頭が狂いそうで,家族らも心配で仕事も手に付かなかった。自分も,犯罪被害者としての苦悩を,何百分の1に過ぎないが,少しは実感しているつもりだ

◇光市弁護団は,全員が死刑廃止論者ではない。自分は元検察官であり、現行法を前提に弁護活動をなすのが正当だと思っている。弁護団の中で死刑廃止論の議論などなされていない

◇報道では多くの誤報があり,弁護団として説明したいこともあったが,本村さんに対する遺族攻撃と批判される可能性もあり,あえて自粛してきた。
 コメント欄では,事件そのものの内容についても,かなり突っ込んで触れられている。
 もしかしたら,何も知らないで,雰囲気だけでワアワア騒ぐことが恥ずかしくなるかも知れない。

 (なお,これら弁護団に関する件の決定版は,ヤメ蚊弁護士さん「光事件Q&A~弁護団への疑問に答える~光事件弁護団」です。こちらをご覧下さい。)


 いつものように前置きが長くなってしまった。悪い癖だ,反省,反省。
 本題に入りたい。

 私は,今枝弁護士のコメントの中で,あえて,
     人の情に訴える
部分だけを抜粋して紹介した。
 それは,人の心を動かすということが大切な事だと思うからだ。

 しかし,記者会見の場や,弁護団のコメントなどで,そんな話をしていない。
 司法という場は,まずは「理」で動かなければならないと理解しているからだろう。
 私は,それでいいと思う。
 法と良心(=「理」)にのみ拘束されるとする「司法」の特性・独立性がそこにあるからだ(憲法76条参照)。

 しかし,大衆を動かすには,「理」より「情」を訴える方が簡便で効果的だ。

 そのことは,昔からよく知られているとおりであり,その人間の習性を利用して国家を大きく扇動することがあった。
  「ナチスドイツ」
  「911直後のアメリカ」
  「天皇崇拝の戦前日本」
等々・・・・
例を挙げれば,枚挙にいとまがない。

 これらに共通している特徴は,
   ◆威勢が良くて勇ましく,
   ◆歯切れの良くて耳心地がよく,
   ◆「そうだ!そうだ!」と大合唱しやすい単純な内容,

というところかなと思う。
 また,行き過ぎると大きなアヤマチを招いてしまうというところも共通した経験則のようだ。

 政治の世界で,こういうふうに大衆を利用した政治手法を取る場合,「ポピュリズム」とか,大衆迎合主義とか,衆愚政治などという。

 「ウィキペディア(Wikipedia)」によると,ポピュリズムというのは
カリスマ性を有すると見なされた為政者が、一般大衆と立場を同じくすることを強調して行う政治手法

ポピュリストは、既存の政治エリート以外から現れることが多い。選挙戦においては、大衆迎合的なスローガンを掲げ、政党、労組等の既存の組織を利用せず大衆運動の形を採る。ここでは、しばしばマスコミを通じた大がかりな選挙キャンペーンが打たれる
とある。

 どうだろうか?
 この太字強調の部分は,今回の件に関する,橋下さんの行動原理とピタッと一致していると思えないか。


 光市事件弁護団の方々には,お世辞にも,大衆に対するカリスマ性や,大衆迎合的なスローガンがあるとは言えないし,マスコミの使い方など橋下さんの足下にも及ばないだろう。
 その姿は,ポピュリスト政治家の代表格・小泉純一郎の前で,大きく後退してしまった旧来の有力政治家たちの姿と重なって見える。
 しかし,ポピュリズム的な手法がへたくそであることが非難されるべきことだろうか?誤りなのだろうか?猛省すべきことなのだろうか。
 否,絶対に違う!

 ウィキペディアには,
 「ポピュリスト政治家は、一般大衆との近さを装うために、従来の政治過程や官僚制度をパイパスした政策を実行する
という指摘もあるが,本来,刑事訴訟など裁判の場で裁かれるべき問題を懲戒請求制度という飛び技を使ってバイパスさせた橋下さんのやり方は,やはり,これに似ている。

 私は,橋下さんの今回の一連の活動は,「世間」という言葉を多用して,大衆迎合主義を,堂々と表明しながら,一般大衆の運動力や影響力を実験しているように見えてならない。

 あなたは,橋下さんの歯切れの良さに迎合して,ポピュリズムの「大衆」の一員になっていないか?
 懲戒請求に及んだ3900人の考えを知る由もないが,私は,いろいろ心配してしまう。

 橋下さんの言動を見るにつけ,日本のポピュリズム化が,急速に進んでいることに,かなりの危うさを感じるのである。

 先日も別の記事でも書いた,
    ■不正かどうかを,形式的に簡単に決めつける
    ■悪いとなると,社会全体で一斉に袋叩き(バッシング)する
    ■それが一気に国民的ヒステリーに高まる

という傾向が猛スピードで進行していることに,多くの国民が気が付かなければならない。
 近い将来,我が身に返ってくることなのだから。

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小田実さん。


あなたが阪神淡路大震災で被災した後,

数多くの被災者の悲しみ,苦しみを代弁し,

あなたが先頭に立って展開した市民運動の結果,

「被災者生活再建支援法」
が制定されましたね。


「自然災害は,自己責任が原則」
と言い切って公的支援を頑なに拒絶した政府の厚い壁を,

あなたが先頭に立って,

大きな風穴を開けました。


ただ,その法律はあまりに小さく無力な法律でした。

「小さく産んで,大きく育てる」


を合い言葉に,真に被災者を支援する法律になるよう,

ずっとずっと,改正を呼び掛けてきましたね。


あなたは,道半ばで逝ってしまわれましたが,

今日,改正の道筋が見えてきました。


日経新聞の今日の夕刊の1面トップ記事をお届けします。


nikkei0907.jpg


今回の改正案は,
   (1)住宅本体への支給を認める
   (2)端的に,再建に200万,補修に100万,賃貸に50万を出す
   (3)年齢要件を撤廃する
   (4)収入要件を800万円に引き上げる

という地味な内容ですが,地に足の付いた現実的な内容です。

何よりも,これまでの流れを大きく変えるものであることには違いありません。


小田実さん,どうでしょう?

まだまだ気を抜けませんが,

この法律をめぐる問題が,政争の具にならないよう,

注意を払って,行く末を見守っていきます。


小田さん,あなたが,最後の著「中流の復興」の中で,

「自分の政策をもっていれば,今日は共産党に投票する,次の日は社会党,次の日は自民党と,市民主体で次から次に変える。そうなっていくのが,主権在民だと思います。」


と語っておられたのが思い出されます。


なんとか法改正が実現し,

あらためて,朗報が届けられますように・・・・・・。

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 現場で普通に仕事をしている弁護士の大多数は,橋下徹弁護士批判的だったり,嫌がっていると思います。
 それは,彼の物言いが,現場の弁護士の感覚とは違っていて,むしろ,世論に迎合的なマスコミ文化人的な雰囲気があるからだろうと思われます。

hasimoto.jpg
 ところが,実を申しますと,私は,
彼なりの考えをもってそれを堂々と述べている姿勢や,
やや単純ではあるが分かりやすくて明快な意見を述べているところ
が気に入っていて,隠れファンだったのです。

 なんというんでしょう…,何となくモヤモヤした事柄について,スパッと割り切った発言をするので,気分がいいのです。
 きっと,自分にできないことを,彼がいとも簡単にやってくれているのがいいのかなと感じています(ただし,意見の方向性や内容は,私とかなり違うが…。)

 しかしながら,実際の弁護士の仕事の本質
       迷い や 悩み
連続というところにあります

 スッキリと割り切れないものを,どんなふうに折り合いを付けようかとグズグズと迷ったり,ドロドロした嫌なモノを鼻をつまみながらあえて素手で取り上げてみるとか,ダメなモノを何とかものにならないかと悩んだりするところに現実のしんどさがあります。

したがって,

   ○悪いヤツをやっつける!

   ○正義の味方だ!

   ○かわいそうな人の人権をまもる!


という世間の人々の抱いている単純イメージは,現場の弁護士からすると,かなりかけ離れたものになります。

 たとえば刑事事件。

 弁護士の仕事は,被告人の利益に資するように活動するところにあります。
 冤罪事件の弁護なんていうとカッコイイですが,99%以上は有罪者の弁護です。
 「なぜ悪い人の弁護をするんですか?」
 というお尋ねは何度聞いたか分からないほどですが,そこにこそ弁護士の仕事の本分があるわけです。

 もちろん,弁護士も人ですから,被害者に遭った方のことを思えば,弁護活動など気分の良いものではありません。自分が同じ立場だったら,と思うとやりきれない思いも感じます。
 また,依頼者である被告人と,激しく意見対立したり,被告人に腹を立てることもしばしばあります。 

 そんな割り切れない思いや悩みを抱きながらも,あえて被告人の立場に立って弁護するところにこそ,弁護士が弁護士たる理由があります。

 もし,そこを踏み外してしまうと,弁護・検察・裁判という,それぞれの役割は崩壊し,何のために弁護士が存在するのかという底知れぬ哲学的な迷いに陥ることになってしまいます。

 橋下弁護士も,問題になったTVを見る限り,そこはもちろん理解をしているようです。
 ただ,今回問題になった発言,

「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ」

 「懲戒請求を1万,2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ」

というのは,ダメなモノは絶対的にダメと決めつけてバッサリ切り捨てた上の扇動ですから,もはや弁護士としての「悩み」や「迷い」から離れた発言と言わざるを得ず,弁護士としての地位を利用した単なる個人的な思いをぶちまけたもの,と受け取られても仕方がないと思います。

 橋下ファンの一視聴者として,お茶の間の大衆の一員として,橋下さんの堂々とした記者会見はなかなか立派に見えました,
    が,
 現場の一弁護士としては,とても共感できるものではありませんでした。

◇弁護士は立憲主義国家には欠かせない存在ですけれども,

◇弁護士は大衆の支持によって成り立つ存在ではないですから。  


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 今週末の9月9日に,「ひろげよう!9条の心」が開催されます。
(詳しくはこちらをどうぞ→http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-463.html

hyirogeyo9jo_20070827063900.jpg この日に開催するのは,「9月9日を“9条記念日”で国民の祝日にしよう!」という,オモシロゲな発案からでした。
 そんでも,実際,この平成19年9月9日の9時9分に,全国同時一斉イベントをしよう,という動きもあるようで,盛り上がりの契機にするには,一つよさそうです。

 「ひろげよう!9条の心」で,当日,配布されるパンフレットに,私も案内文を掲載させていただくことになりました。
 当日前のフライングですが,ここで引用して,紹介させていただきましょう!

 お時間のある方は,是非,お越し下さい!!!

 “9条の心”にこそ本当のHAPPYがある

                   兵庫県弁護士9条の会 弁護士 津久井進

1 今年の「9条の心」は「ひろげる」こと


 「9条の心」の催しも,早いもので今年で4回目を迎えました。この日を迎え,静かに少しずつではありますが,幅広く,かつ,着実に“憲法の根”が広がっていく確かな手応えを感じつつあります。

 思えば,第1回の「9条の心」が開催されたのは2005年9月9日でしたが,その直後,衆議院の3分の2超を与党が占めるという思いがけない選挙劇がありました。あの日の「9条の心」の達成感は,すぐさま強い危機感に置き換えなければならなくなりました。

 それから2年が経ちました。この間に,政治状況は大きく変わりました。数を武器に次々に悪法が強行採決され,憲法喪失の危険が目の前に迫ってくる事態となりました。しかし,7月末の参議院選挙で,与党が歴史的な大敗を喫し,強く猛省を求められる結果となり,情勢は再び大きく変わりました。

 そんな中で開催されるのが今年の「ひろげよう!9条の心」です。今,私たちに求められることは,文字どおり「ひろげる」ことなんだろうと感じます。


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 自然災害の被災者の生活の再建を支援する「被災者生活再建支援法」の改正をめぐる問題について,この9月2日に,一般の方々からパブリック・コメントを募集する手続き終了しました。
 この後は,9月10日から始まる臨時国会に向けて,非常に地味ながら,静かに動きが活発化しはじめています。

 ところが,新しい泉信也/国家公安・防災担当大臣は,どうやら治安維持にしか関心がなかったらしく,神戸新聞の9月2日朝刊のインタビュー記事では,
Q 個人の住宅の再建や補修も助成対象にすべきだとの意見がある---

A 私有財産についてどう考えるかはこれからの議論。ただ被災者が困っているからといって,何にでも公金を出せばいいとはならない。
などと,なんだか10年ぐらい前に議論された,化石のような感覚のピンボケコメントを出していて,少々不安がありますが,きっとこれは,おそらく単なる不勉強に過ぎないでしょうから,ちゃんと勉強し直して,考えを改めてくれるものと期待します。

 大臣のピンボケ発言はさて置いて,
 この点について,改正を後押しするニュースとしては,

(1) 民主党が今国会に改正案を提出するというニュースが早くから出ていました。
   ※例えば,http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000530077.shtml
   ※こちらも,http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/2002ashita/070826.htm

(2) 昨日の神戸新聞には,与党である公明党が,今国会に独自の改正案を提出すると
の報道がありました。
 (→まだWebには出ていないようなので,以下引用しておきます)
 公明党案は,なかなか簡潔明瞭で,良さそうな感じです。こういう地味なところで,公明党の存在感を発揮してくれれば,存在価値が光るんですが。

(3) もともと,社民党,共産党も,改正推進派ですし,もっと元を辿れば,本法制定時の自民党の案も,なかなか良いものだったので,初心に立ち返ってもらえばよいだけです。
 政党の動きとしては,良い追い風を感じます。


 しかし,一方では,強いブレーキもかかっています。
 政府の方では,パブリックコメントを終えてすぐに,首都直下地震で支援金を出した場合,7000億円かかるので,国の制度が破綻すると発表して,支援の財源がないことを強調しています。
  (例えば,http://www.asahi.com/national/update/0901/TKY200709010240.html
  財政的な危機感を強調して,盛り上がりつつある雰囲気の高まりに,冷や水を掛けようという意図を感じざるを得ません。
 (おそらく,冒頭で紹介した泉大臣のコメントも,政府の用意した原稿によるものでしょう。)


 ちなみに,「平成19年度災害・地震対策関係予算」は以下のPDFファイルで見ることが出来ます。
 http://www.bousai.go.jp/oshirase/h18/061221sankousiryou.pdf
  国家予算全体としては約6753億円ですが,そのうち,生活再建支援金のために付けられているのはわずか3億円(0.044%程度)に過ぎず,かなり冷遇されているように見えます。

 首都直下地震の問題は確かに大きな懸案ですけれども,東京以外の地域の問題とごっちゃにして議論して良いものかどうか考えてしまいます。
 大都市の将来の懸念のために,地方都市の今まさに苦しんでいる状況を見殺しにするのは,安倍首相の新しいスローガン「国民にやさしく,ぬくもりのある政治」とは言えないでしょう。

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 新しい農水大臣は,社会の空気を読んで速やかに辞任した。
 さすがに何度も失敗を重ね,迅速な対応の必要性だけは学んだようだ。
 辞任は当然の結末だし,任命者の責任も当然に問われるべきだ。

 ただ,ちょっと十年ぐらい前を振り返ってみれば,おそらくこの程度の不正であれば,見過ごされたことだろう。
 昔は「秘書がやったことだ」という弁解もよく耳にしたが,そんな言い訳も十分に通用していた。
 今だったら,社会的にはとても許されない

 この国や社会が,急速に「法令遵守」に進んでいるのを感じる。
 一見,それはとても良いことのように聞こえる。
 しかし,コンプライアンスの本当の意味を理解せずに,やみくもに形式的な「法令遵守」を振り回すのはとても危険だ。
 この社会の雰囲気には,注意を要する。 

    ■不正かどうかを,形式的に簡単に決めつける
    ■悪いとなると,社会全体で一斉に袋叩きする
    ■それが一気に国民ヒステリーに高まる


という社会的な動きが,パターン化しつつあるとしたら問題だ。
(先の朝青龍の問題にも似たものを感じるが。)

 そのようなヒステリックな大衆エネルギーが,一市民である私たちに同じように向けられるとしたらどうだろうか。
 とても怖いことである。

 法令遵守の美名の下で「共謀罪」「国家機密」「テロ対策」などという看板を掲げて,私たちの日常生活に,同じような矢が向けられつつあることも知っておくべきだ。

 痛めつけられた政治屋たちが,息苦しく締め付けられた自分たちへの仕打ちを,今度は,私たち国民の日常生活へも,同じように押し付けてくる可能性は大である。


 政治資金規正法で1円単位の領収書を必要だと改正されるのは良いが,その後,私たちの生活・活動にも,同じ水準の規制を求められたらかなわない

 ここは,憲法に立ち戻ろう
 国務大臣には,特権もあるが,その反面,高度の責任が要求されている(憲法73条,99条など)。
 公務員として,国民から,罷免される地位にあり(憲法15条1項),全体の奉仕者であらねばならない(憲法15条2項)。

 権力者と,国民は,全く立場が違う
 権力者は,憲法という縄で縛られており,国民の信頼を失ったらそれで終わりである
 その憲法の精神が,ようやく社会に浸透し,それが実現されるようになり,速やかな不適格大臣の辞任につながっていると見るのが正しいだろう。

 決して,単純に一個人として不正の責任を取ったという理解に流れないようにすべきだ。

 おそらく,政治屋の多くは自分たちの置かれた立場が,一般国民や企業とは,性質的に違うのだ,ということを理解していないと思われる。
 彼らは,一般国民と違うのは,せいぜい,政治力学の関係上,進退を決する時がある,という程度の認識だろう。 
 しかし,憲法上,「国会議員だからこそ」「国務大臣だからこそ」特に問われる責任があるのだ,ということを,しっかりと認識しておいてもらう必要があるだろう。

 自分たちへの締め付けと,国民への締め付けでは,全く意味も性質も異なるのである。
 私たち国民も,そのことをよく理解しておかないといけない。



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過去に「やめよう元号」という運動があったとのこと。

田島征彦さん
が,神戸新聞の随想(8/31付夕刊)に話題提供しているのですが,
◆ひとりの人間の死で年号が変わるのは,世界中で日本だけである。
◆大変に不便で不合理だ。
◆元号付きの書類に対して,元号の意味や,拒否する理由の返事を書くから,ぼくは忙しくなり,気分も良くない。
◆これはほとんど「ビョウキ」である。
などとご自身のお話をユーモラスに語っておられました。
じごくのそうべえ
なお,田島征彦さんは,絵本,
   「じごくのそうべえ」
の挿絵を描かれている方で,私も,この絵本は子どもらに軽く百回以上は読まされていますが,この本のことはご存知でしょう。

田島さんの記事に触発されて,ちょっと調べてみましたが,元号の根拠となっている,
 「元号法」は,本当に短い法律です。
 ■元号法
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
 附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする
 ところが,この法律の文言にもあるとおり,これは元号を定めたり改めたりする法律に過ぎず,必ずしも元号の使用を義務づけるものではないのですね。

この法律は,もともと旧皇室典範12条で
践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト 明治元年ノ定制ニ従フ
と定められていたものが,戦後廃止され,その後,何ら法的根拠がないまま慣習として使用されてきた元号を,昭和54年に復活・法制化したものです。

 法律があるからといって,特に使用を強制するものではありません。
 何よりも,政府の統一見解としても,同法制定当時の国会の議事録を見ても「この法律それ自体には使用上の義務づけあるいは制約というものは、そういう法律の内容はございません」とあります(昭和五十四年四月二十日内閣委員会議事録)。

 ただ,一方で現場の行政では,
◆政府見解/元号制度は法律でもって国会が定めた以上,国の機関としては特に理由のない限り,元号を使用すべきことは当然であり,地方公共団体も国に準ずるものと考える

◆文科省の教科書検定の方針/教科書の記述について,元号・西暦の併用は認めながらも,元号の記述を先に出して西暦を後ろに併記する
ということにもなっているようです。
 ヘンな話です。


 私は,年の数え方も一つの文化だろうとは思っています。国旗や国歌も,程度の差こそあれ,同種の問題だと思っています。
 だから,純粋な国粋主義者の方々や,逆に,田島さんのように,元号について,特に崇拝思想もアレルギーもありません。
 2つも数え方があるのは面倒くさくて不便だなあと感じていましたが,文化というのは,必ずしも便宜や能率は考慮していないので,それでいいかと思ってました。

 ただ,そういう文化や慣習という,目に見えないモノに法律が介在すると,こんなふうにややこしい問題に発展してしまいます。

 法律の副作用を改めて感じました。
 なんでもかんでも法律にするっていうのは良いものではありません。

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今日(9月2日)が
  「被災者生活再建支援制度に関する検討会中間報告に対する意見」
の締め切りです。
 何度もしつこく呼びかけて申し訳ありませんでしたが、まだあと数時間ありますので、最後の呼びかけをします。

 パブコメは、
  こちら→http://www.iijnet.or.jp/cao/bousai/opinion-fukkou.html
からどうぞ。


 今日までに、多くのみなさんが意見を出されました。
 私が出した分も紹介し、併せて、災害復興の第一線でご活躍されている他の方々が提出された意見も紹介させていただきます。
 インターネットで送信する場合は次数制限(1000字)があるので、みなさんコンパクトにまとめておられます。
 今回、多くの皆さんの意見に触れて、本当に勉強になりました。

<津久井進の送信した意見>

 私は,あらためて憲法の理念に立ち戻って支援法の見直し作業を行うべきだと思います。

 すなわち,「災害復興」は,国民の「損害の救済」(憲法16条)の一場面であり,かつ,条件の平等(14条)を保障し,財産権(29条)の制度的保障を図り,生存権(25条)実現政策を行う場面にほかならず,これにより憲法の最高価値である個人の尊重(13条)を図る機会だと思うからです。

 具体的には,次のように考えるべきだと思います。


(→以下続く)

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