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 最近の被災地では,自衛隊による炊き出しが目立っている。

 被災地でもありがたいことと受け入れられ,ひとつの美談として語られている(→たとえば中越沖の記事はこちら

 もちろん,炊き出しそのものは,心あたたまる行為だけれど,
 これを何も考えず安易に自衛隊に任せてしまうのは,ちょっと問題がありそうだ。


 ひとつは,上げ膳据え膳の食料供給があまり長期にわたってしまうと,被災地の方々が立ち上がるタイミングを失ってしまうということだ。
 やはり何より大切なことは,被災者の自立による生活再建である。
 何もかもお任せの自衛隊の炊き出しスタイルは,ときに自立のタイミングを遅らせる。


 また,被災自治体が行うべき災害救助の取り組みを,「自衛隊なら安心だ」と,安易に下請けに出しているということも言えそうだ。
 自治体の姿勢が,市民ボランティアの活用に消極的であるのに,自衛隊依存が強い場合は,そういう安直な意図を感じてしまう。
 被災からしばらく経った後は,地域の活力再生を大所高所から考えた方がいいだろう。


 そして,自衛隊に任せるということは全て公費で処理されるということだ。
 つまり,被災地経済の再生には寄与しない。
 これは,中越沖地震で展開された「弁当プロジェクト」(=地元の材料を,地元の業者が弁当にして,地元で消費する。地産地消で,地元経済を再生させるプロジェクト)の,ちょうど反対である。


 もともと炊き出しは,材料の供給は公が行うが,調理作業は市民ボランティアが行いながら,だんだんと,地域市民の手で自ら行うようになるのが望ましい。

 河北新報の記事は,自衛隊とボランティアのコラボレーションとして,注目すべきだ(→「母の味で元気出して 婦人クラブなど炊き出しに奮闘」
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 災害の甚大さを伝える報道を見ていると,死者数や,倒壊した家屋,崩れた山肌を,大写しにするというのが慣例だ。
 確かに,災害の悲惨さを直接的に印象づけるには,もってこいであるし,一般市民の関心事も,被害そのものに向けられる。

 しかし,「学ぶ」という観点からすると,
   「生き残れた理由」
   「倒れなかった原因」
   「崩れなかったワケ」
というのも,非常に大切なことである。

 そういう意味では,震度もマグニチュードも似通った能登半島地震では,1人しか死亡しなかったというところに着目をすべきである(室崎益輝先生も,そこを強調しておられました)。

 倒壊家屋は,圧倒的に能登地震の方が多かったし,山崩れの箇所も少なくなかった。
 もし,何か違いがあるとすると,
   「伝統」 とか 「生活の知恵」 とか 「地域力」
といったものに答えがありそうだ。

 ・能登の家はほとんど全て木造伝統家屋であった(=住まいする居室の安全が保たれていた)

 ・当日は祭りの日だった(=多くの人が地域活動のため外出していた)

 ・能登では90歳を過ぎたおばあちゃんが現役だった(=それだけ足腰・体力が都会の人より勝っていたということ)

 ・ただちにお互いに声を掛け合い救助し合えた(=それだけコミュニティが充実していた) 


 被災地から学ぶべきものは,まだまだたくさんありそうだ。
 本日,梅雨の晴れ間に,小学校の運動会が開かれました。

 うちの2人の息子たちは,私の遺伝のせいか運動神経が控えめで,これまで運動会の「かけっこ」(幼稚園時代の呼称ですね。小学校では「徒競走」だ。)で主役になることは,かつて一度もありませんでした。

 しかし,父は一念発起しました。
 この3月から,朝のジョギングを始めたのです。

 わずか20~30分程度のことですが,雨天(と私の二日酔いの日)以外は,欠かさず走りました。
 とりわけ,この10年近い人生において常にブービーメーカーに甘んじてきた長男坊は,この3か月余り,一日も欠かさず(ただし,スピードは遅く,手抜きも多かったが…),頑張りました。

 その甲斐あってか・・・・,
 今日の運動会の徒競走では,2人揃って1等となりました。


 客観的に見れば,4人中の1番に過ぎないとか,他の走者との組み合わせに救われたとか,コースの有利性とか,そもそも梅雨の晴れ間のこの珍事が文字どおり青天の霹靂に過ぎないとか,いろいろありますが,とにかく結果は結果。
 自分も,息子らの年齢では果たせなかった「かけっこ一等賞」は厳然とした事実です。

 あたしゃ~,もう嬉しくて,ただただ感涙の極みでありました。
 6月21日は忘れません。
 621を私のラッキーナンバーにしよう!
 ・・・親バカ感を噛み締めた一日でした。
 岩手・宮城内陸地震の被災者の方々にお見舞い申し上げます。
 現時点で、死者6人、行方不明者11人ということで、人口密集地でないことからすると実に大きな被害だということになります。

 今回の地震の規模は、マグニチュード7.2ということで、未知の活断層が原因と言うことでした。
 しかし、「未知の活断層」というのを聞いても、もう驚きません。
 当たり前のように「意外な地域」での大地震が立て続いています。

 鳥取県西部地震(M7.3)も、未知の活断層が原因でした(→こちらを参考に
 能登半島地震(M6.9)も、未知の活断層が原因でした(→こちらを参考に
 新潟県中越沖地震(M6.8)も、未知の活断層が原因でした(→こちらを参考に

 我が国の活断層は、リストアップされているものだけで2000以上あると言われています
 (→防災科学技術研究所のHPへ

 しかし、調査の対象となっている活断層は地表から「見える」ものに限られていて、地中にあって「見えない」ものは、数えられていません(というか、簡単に見つけることができない。)。
  
 活断層は無数にある、と考えた方がよいようであり、第一線の地震学者もそういう発想に立っておられます。

 今回の地震の被害を見て、自分の暮らす地域で、同じようなことが起こる、と想像できるでしょうか。
 明日、同じような被害に遭うと考えられるでしょうか。
 地震活動期は今後40年は続くだろうと言われています。

 そんな中で、今回の地震を我がこととして捉えられるかどうか、単なる他所のニュースとして眺めるにとどまるかが、問われていると思います。
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