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 「外食」というと,私の場合,ラーメン屋オンリーのような感がありますけれども、実は、街角の洋食屋の隠れファンでもあります。

 神戸で言うと「赤ちゃん」とか、「金プラ」とか、「もん」なんか、たまらないですね。

 事務所の近所の「トゥール・ド・ボー」なども、私にとって特別のお店です。


 目の前の厨房で、コック帽子をかぶったおっちゃんが、フライパンをガチャガチャやっている姿は、なんとなく庶民的で、身も心もリラックスされます。

 こうして,ほぐれた舌と心によって、旨さが倍増するのではないかと、勝手に解釈しています。


 だいたい近所に1軒ぐらい洋食の名店があるものです。
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 10年通してはじめて近所の洋食屋「グリル飯田」に行ってみました。

 ボリューム満点でした。

 ドカーンと,ビフカツとオムライスを注文しましたが,目の前で肉を切って叩くところから始まる,クッキングプロセスがぜ~んぶ丸見え,というのも食欲を高まらせる小店のならではの見事な演出です。

 おなか一杯で,大満足。
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本日の,朝まで生テレビに,復興学会でお世話になっている医師
   青木正美先生
がご出演されます。

 テーマは,
   医療崩壊
ということです。

 こちらのブログでも,青木先生からは,医療崩壊の危機を訴えるコメントを何度かいただいています。

 司法改革は,法曹が「社会生活上の医師たること」を目指して進められてきました。
 ですから,「医療崩壊」は,決して,職業人として,他人事とは思えません。

 今夜は,是非とも,興味を持ってみてみたいと思います。

 ・・・・しかし,朝まで生テレビを見るのは,十数年ぶりだなあ。
2009.02.27 引っ越し
 今日から明日にかけて自宅の引っ越しです。

 これまでの借家は、10年間住んでいたので、我が家のような感覚があって、なんとなく感傷的になってしまいます。

 所帯を持ってからは、まだ2度目の引越ですが、私自身は父親が転勤族だったこともあって、結婚までに10回以上は引越を経験してます。

 また、仕事に就いてからも、なぜか事務所の引越も多く、個人的には慣れっこの感がありますが、我が子どもたちにとっては、生まれて初めての引越で、随分、興奮している様子です。


 最近は、引っ越し屋さんのサービスが充実していて、至れり尽くせりで、仕訳けから、箱詰めから、取り付け取り外しから、廃棄まで何でもしてくれます。

 引っ越し業界の競争の激化は周知のとおりですが、実際に引っ越し作業の有様を目の当たりにすると、サービス内容のありがたみ以上に、厳しさを感じてしまいますね。
IMAGE_033.jpg ヤメ蚊さんのブログで,大江健三郎「沖縄ノート事件」訴訟の高裁判決の真骨頂を知ることができました(→「『沖縄ノート』訴訟、控訴審判決に感動! 」より)

 私自身,大阪地裁の原審判決が出てから,はじめて『沖縄ノート』を読んでみたのですが,この本は,戦争責任者を糾弾するという類のものではなく,
むしろ,
日本人であって,また,本土の人間として,沖縄問題にどのように向き合っているのか,という自分自身(=われわれ自身)への問いかけの文章だということがよく分かり,
(→大江健三郎さんご自身も,高裁判決のコメントで「沖縄の人々の犠牲の典型です。それを本土の私らはよく記憶しているか、それを自分をふくめ同時代の日本人に問いかける仕方で、私はこの本を書きました。」と言っておられます。こちらより。)

(→『沖縄ノート』の締め括りは,日本人とはなにか,このような日本人ではないところの日本人へと自分を変えることはできないか,という暗い内省の渦巻きは,新しくまた僕をより深い奥底へとまきこみはじめる。そのような日々を生きつつ,しかも憲法第22条にいうところの国籍離脱の自由を僕が知りながらも,なおかつ日本人たりつづける以上,どのようにして自分の内部の沖縄ノートに,完結の手だてがあろう?」で終わっています。まさに,この著作は,日本人としての自分への問いかけが本旨です。)
かえって,今回の訴訟が,どういう目的で提起されたのかが,よく分かってきました。
(高裁判決も,部分的な言葉尻ではなく著書全体を見よ,と指摘しています。)

 『沖縄ノート』が執筆されたのは,ちょうど私が生まれた前後(昭和44~45年)にかけてのことです。
 私としては,約40年も経って,その内容の良し悪しが論議されること自体がナンセンスではないかと,表面的な疑義を感じるにとどまっていました。
 また,争点は,「軍による集団自決の強制の有無」に尽きる,と単純に理解をしていました。

 しかし,今回,ヤメ蚊さんの指摘を受けて高裁判決をプリントして読んでみたところ,むしろ,ハッとさせられました。
 「寛容さこそ民主主義社会の存立基盤」ということに気付いたからです。

 高裁判決は,地裁判決を支持しながらも,判決の肝の部分で,次のような指摘をしています。
特に公共の利害に深く関わる事柄については,本来,事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ,それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ更にそこで深められた論点について新たな資料が探索されて再批判が繰り返されるなどして,その時代の大方の意見が形成され,さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判されてゆくというような過程をたどるものであり,そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。
 「批判を許さない」というのではなく,
主張に対し,批判,再批判が繰り返され,また,時代を超えた再批判がある。
こういうプロセス,つまり真摯な議論こそ,民主主義社会の存立基盤だ
というのです。

 さらに,これを受けて,判決はこう言い切っています。
仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も,言論の場において無価値なものであるとはいえず,これに対する寛容さこそが,自由な言論の発展を保障するものといえる。
 まさに,民主主義と自由の関係を的確に表現しています。

 寛容さが,自由な言論を育て,民主主義社会を創る
 (≒誤りを許さない厳格さが自由な表現を萎縮させ,民主主義社会を形骸化させる)

という,ことです。

 格調高い判決,というのはこういうのを言うのだろうと,しみじみ感じ入りました。

 また,大江さんが『沖縄ノート』を記したときに,日本人全体に向けて発信したメッセージが,判決を通じて,日本全体さらには民主主義全体に向けたメッセージに昇華したようにも,感じられました。

 (訴訟を提起した運動家の方々にとっては不本意かも知れませんが,)教科書検定の再見直しや,今回の判決の成果など,今回の訴訟を通じて,得られた収穫は非常に大きいと思いました。

 判決全文はこちらからどうぞ。全281頁の力作です。
 偽装ラブホテル(=一般のホテルとして営業許可を受け,実態はラブホテルとなっているもの)というのは,
    法の抜け穴くぐり
の典型というべきものです。

 旅館業法や風営法の「趣旨」(≒本質)から見たら,許されない(≒違法)はずなのに,
 法律の条文の「字面」(≒表面)から,許されてる(≒適法)と開き直るわけですから,
 こういうものこそ「偽装」と呼ぶにふさわしい業態です。
 (だいたい,法律を分かっているかどうかは,「趣旨」を理解しているか,「字面」しか見ないか,によって区別できます。)

 神戸の住民が「偽装ラブホテルをなくす会」を立ち上げて,声を上げ,
 この活動に応えて,兵庫県警が,「偽装ラブホテル対策室」を設置していました(→こちら

 昨年11月に捜索差押に及んだ上,
 とうとう,逮捕となりました(→こちらです。
 他の捜索先も書類送検されるなどして(→こちら),刑事事件となっています。

 既に,偽装ラブホテルに対しては,民事的(行政法的)には,これを許さないとする上乗せ条例が適法であるとの判決が出ていて(名古屋地裁17年5月26日判決&名古屋高裁平成18年5月18日判決→こちらが詳しい),すでにNOの結論が出ています。
 さらに,今回は,犯罪としてNOが出されたわけですから,
     法の抜け穴はふさがれた
と見て良いでしょう。

 今後は,さらなる全国的な広がりとなっていくかどうかが注目です。
 神戸で「第1回 津久井会」を開催しました。

 なんやそれ?と思われるでしょうね。

 決して怪しげな集まりではなく,「津久井」の姓を名乗る人が3人集ったというだけのことです。

 この関西では,津久井姓が珍しいのですが,
偶然にも,毎日新聞阪神支局に津久井達さんという記者さんがいらっしゃったので,
一度,メシでも喰いましょうか,という話が発展したものです。

 そして,もう一人,今回はじめてお声掛けしたのが,人と防災未来センター語り部(かたりべ)としてご活躍中の,津久井幸子さんです。

 津久井幸子さんは,阪神大震災で生き埋めになるなどの被災体験をされましたが,その経験を伝える貴重な役目を果たしておられます。
(→津久井幸子さんの語り部としてのお話は,こちらや,こちらや,こちらをどうぞ。きっと,誰もが何か感じるところがあることでしょう。)

 震災当時の話や,
 それぞれの出身(ルーツ)の話などで,和気藹々と盛り上がりました。
 楽しいひとときでありました。

 また関西在住の津久井さんと出会ったら,第2回津久井会を開きたいと思います。

(ところで,「つくい」と言っても「フクイ」と聞き違いされるとか,「ツクイって,大津のツに,ひさしいと書いて,井戸のイです。」という名前の書き方の説明の仕方など,共通体験も多かったのですが,一緒に話をしながら呼びかけるときに,いちいちお互いに「つくいさん」と呼び合うのが,何となく不思議な感覚でありました。)
 2月23日、日弁連災害復興支援委員会のメンバーで東京都庁を訪問した。

 目的は、都庁庁舎の9階にある
     防災センター(災害対策本部室)
の見学である。IMAGE_031.jpg

 災害に対応する部署が集中する9階には、消防だけでなく,警視庁、海上保安庁,さらには,陸上自衛隊、航空自衛隊、海上自衛隊などの部屋も並んでいる。

 防災センターには、特大のグラフィックのパネルがそびえ立っている。
 パネルには,人的被害(死亡、負傷)や、建物浸水、建物倒壊、火災、公共土木施設・鉄道被害、ライフライン被害などの情報が一目でわかるようになっている。

 いろいろな無線網(通信基盤としての防災行政無線網)やら災害情報システム(DIS)やら,何かやたら最新鋭の装備をご紹介いただいた。
 電気系統の専門家や,こういうのが好きそうな石原都知事には,たまらない大規模・ハイテク・システムだろうけれども、こういったITがらみの機械に弱い我々としては、なんだか圧倒されるばかりであった。
 私などは、口をポカーンと開けて「な~んか すげーなあ~」と聴くばかりだった。

 まあ,ウルトラマンの地球防衛隊に出てくるシステムが、既に現実の物として出来上がって,動いているということだ。


 東京は災害の宝庫とのこと。
 脆弱な高層都心部。
 広く広がる海抜0m地帯。
 伊豆諸島はすべて活火山。
 西部の奥の土砂災害。

 しかし,これまで,この場所を使ったのは2回だけらしい。
 1回は三宅島の噴火で、もう1回は2000年問題の大晦日の晩。

 総合防災部のみなさんは都庁から徒歩圏内に200名ぐらいが災害対策住宅に居住されているらしい。
 月のうち20日程度は2.5キロメートル範囲内で生活をしなければならないということで自由がないようだ。
 防災に関わる職員の方々の宿命である。


 なお,私は,霞ヶ関にある弁護士会館から都庁までの移動で,すっかり迷子になってしまった。
 30分以内で移動できるところ,たっぷり1時間かかってしまった。
 (霞ヶ関駅ー(丸の内線/200円)→新宿駅ー(都営地下鉄/170円)→新宿三丁目駅ー(徒歩)→新宿駅ー(都営大江戸線/170円)→新宿都庁下)
 私はプチ難民と化してしまった。
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 東京というマチ自体が,複雑で,平時のぼぉーっとした感覚では,やっていけない。


 もうひとつ,ついで・・・。
 都庁の高層階には食堂があるが,夜は居酒屋としても営業している。
 高層からの眺めで,リーズナブルな飲食が楽しめる。
 東京というマチは,思いがけないところに,いろんなものが転がっていて,中都市人の感覚だと,驚くばかりだ。

 駄文,雑文,失礼しました。
 今日(2月22日)が何の日かご存知ですか?

 猫ちゃんの日(にゃん,にゃん,にゃん)とか,おでんの日(ふう,ふう,ふう)というのも,実は正解ですけれども,そういうテーマではありません。

 今日は,島根県が定めた「竹島の日」ということです。
 もともと,2005年2月22日に,島根県が竹島を編入して100周年を祝って定めたのがきっかけだそうです。
 そして,この日を記念日の設定をきっかけに,韓国との間で領土問題が深刻化した日でもあります。

 そういう由縁もあって,全国の青年会議所では,領土問題を考えましょうということで,署名活動を展開しました。
 私も,西宮青年会議所の一員として,署名活動に参加して参りました。

 私もこの日のことを知りませんでしたが,街頭でお聞きした市民も,ほぼ100%ご存知ありませんでした。

 そもそも,領土問題は,国盗り合戦の時代よりもっと古来の昔から,国際紛争のタネでした。
 ですから,この問題をどう考えるのか,というのが現実的な国際協調を考える上で,もっとも基本問題と思われます。

 面白いことに,我が家の日めくりカレンダーを見てみると,同じ2月22日は「世界友情の日」(あるいは「国際友愛の日」)だそうです。

 竹島問題というと何となく世界の友情にヒビを入れる要素のように思われがちです。
 しかし,いつまでもそういうマイナス思考では,いけないでしょう。

 むしろ,こういった難しい領土問題を,いかに平和的に解決できるか,という難問が,平和憲法を擁する国「日本」に試されているのだと受け止めたいです。

 憲法前文の
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
という部分を,実際にどうやって隣国に説得し,実現するか。
 「自国の権益」と「圧力・制裁」と「駆け引き」というカードだけで考えると,現在の政府がそうであるように,「領土問題」という重要課題を,政局の一材料としてしか使えなくなってしまうでしょう。
 また,各国間で行われている行き当たりばったりの戦争も,愚策としか言いようがありません。

 この難問を解く鍵として,
 世界友情,政治道徳の法則,他国と対等関係,名誉,崇高な理想,そして,経済,文化,勇気,信頼・・・・・,実に様々なキーワードが転がっています。
 これらの複合的な使い方を考えないといけませんね。

 私なりには、いろいろ考えるよい機会をいただきました。
 無論,難問ですが・・・・。
 今日,加藤周一さんのお別れ会が有楽町で開かれます。
 私の手帳に,ずっと前から書き込んであるのですが,行けるかどうか・・・・。

 昨日,「科学」について,ちょっとしたカルチャーショックを受けたばかりですが,こういうときは,加藤周一さんの著作に接してみたいです。

私にとって,たとえば,
 広辞苑は,語句の意味を知るツール。
 Wikipediaは,雑学を深めるツール。
そして,
 加藤周一著作集は,物事の思考のあり方を案内するツールです。

 『居酒屋の加藤周一2』の「科学,そして価値について」には,こう書いてあります。
「科学」といえば,そのまま「正しい」というのとほとんど同じ意味で使われているんですね。
 しかし,私の理解するところでは,科学は仮説の体系です。
 今まで知られている限りの事実に基づいて,できるだけ精密な論理によって,たぶんこれが正しいだろういう結論を組み合わせた知識の体系を科学という。
 ということは,その結論に変更の余地があるということです。
 「絶対に正しい」とは言わない。
 私の理解する「科学」は,最も確からしいことについて叙述しますが,これが真理だとは主張しないわけです。
 ・・・・・(中略)・・・・・
 ですから「『科学的』ということは同時に真理だ」と思うことは,科学に対する誤解だと思います。

 なるほどー,とあらためて感じました。

 昨日のミニ実験おじさんの繰り広げると重ね合わせてみると,
 「実験」と「失敗」により,「発見」を経て,「進歩」につなげるのが「科学」なのですから,
 加藤さんの指摘は,まさにズバリそのものであったわけです。

 「これが真実!」と言い切るマヤカシの非科学性を,あらためて認識する機会を得ました。
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 昨日,西宮JCの委員会(地域変革・青少年関係の委員会)に,
父親サポート関西
の代表の中原和文さん(写真の方)に来ていただいて,「科学実験」のミニ講義をしていただいた。

 不思議な科学おもちゃをいくつも紹介してくれて,米村でんじろうさながらのビックリ実験をいくつも紹介してくれて,いい大人達が,すっかり世界に引き込まれてしまった。

  ■ポカリスエットの缶とシーチキンの缶のどちらが早く転がるか

という定番の実験クイズを紹介いただいた。
 これまた,大のおとなが十人ぐらい揃って,真剣に考えたが,みんな間違えまくってしまった。

 「間違い」を通じてこそ「発見」や「進歩」があるのだ,という真理を,この目でしっかりと見届けることが出来た。

 おもしろいことに,中原さんの話は,単なる科学ネタに止まらない。

 仕事や,事業,社会,政治,全てに通じる話で,非常に興味深かった。

 とりわけ,一般のコンビニと違う,セブンイレブンの成功に秘訣について
    ■一人ひとりの店員さんに,判断を任せる
    ■そういう「実験」の積み重ねで,「方針」を培っていく
    ■上から押し付ける全体主義的な経営とは全く違う

という話を,強調されていた。

 社会の仕組みも「実験」の積み重ねである。
 「失敗」から

 「理由」を科学的に突き詰め

 「進歩」につなげていく

という営みが,発展なのだということが,よく分かった。
 楽しいながらも,ジーンと来た。

全然科学的な紹介になっていないが,父親サポート関西のHPから,代表の中原さんの挨拶文(「設立趣意書」)を紹介しておく。
すごくイイことをおっしゃっている。
       ↓
2009.02.19 足立昌昭先生
 昨日、阪神合同法律事務所の足立昌昭先生を偲ぶ会があって、出席をさせていただいた。

 足立先生は、弁護士になると同時に尼崎支部で活動を始め,39年間にわたって,第一線で弁護士活動を実践された。
 私が、現在、39歳。
 私自身の全人生の歩みと同じ時間だけ弁護士人生を送って来られたわけで、その長さを思うと,あらためて先生の弁護士活動の重みを感じる。

 同席していた先生方も,重鎮と言われる方々ばかりだったが,異口同音に
    決して笑顔を絶やさず
    勉強熱心な理論家で
    依頼者を大切にしてマメに対応し
    実務家としてとても丁寧な仕事ぶりだった
と話しておられた。
 マチ弁の鏡というべき弁護士である。

 私は,尼崎支部に来てから10年弱のお付き合いだったが,確かに,学ぶべき「資質」というものが多かった。
 相手方として,法廷で対峙させていただいたこともあったが,後輩だからといって決して手を抜かず,また,年上だからといって偉そうにすることも絶対になく,常に優しく接してくれた。
 今思えば,あれは,われわれ後進の法曹人に対して,情と熱意を込めて,あるべき法曹像に導いて下さったのだろう。
 そのメッセージの意味や,後進への思いを,もっとストレートにいろいろ聞いておけば,よかったと,つくづく後悔の念が去来する。

 これから若手弁護士が大増員される,という時代を前にして・・・本当に残念である。

 また,激しい闘病の末に斃れたにもかかわらず最期まで笑顔は絶やさなかったとのこと。
 人間として,そのようにありたいとも思った。
 (・・・私のヘラヘラ笑いと,足立先生の笑顔は,かなり質が違うから。)

 39年間にわたってパートナーだった川西譲先生が,追悼文を書いておられる(→こちらです。
 私が,ポピュリズムをおそれるのは,新手のファシズムに結びつくのではないかと思うからです。

 もともと「ファシズム」という言葉自体が,いろんな意味で使われています。
 独裁主義だとか,軍国主義だとか,全体主義の代名詞みたいになっています。
 しかし,語源は,もともと戦前イタリアの「国家ファシスト党」から来ていて,これを直訳したら「国家の下にみんなが結束しよう党」みたいなものです。
 まあ,「民衆よ!一致団結しようじゃないか!」というスローガンです。

 実際,ファシズムという動き自体は,決して右翼とは限らず,左翼から出発する場合もあるし,社会主義者や,労働者の結束の姿をまとう場合もあるでしょう。
 だいたい「ナチス」も,名前は「国家社会主義ドイツ労働者党」ですもんね。

 ムッソリーニも,ヒトラーも,大衆の大きな支持を受けてトップに立ちました。
 つまり,トップに立つまでは,いわば「民主主義」の衣を装っていたわけです。
 上から押しつけるのではなく,「下から沸き上がるようにして」成し遂げたのです。

 しかし,理性,客観性,リベラリズムを欠いているから,歴史の中で,ファシズムの烙印を押されました。

 さて,ポピュリズムの依って立つ基盤も「民衆」です。

 日本の場合は,「民主主義」が,
    本来の「議論を尽くす手続」という意味ではなく,
    単に「多数の民意に支持される」という意味で誤解されています。


 だから,大衆の支持を受けているからいいじゃないか,という安直な結論に陥りがちです。
 これこそ,「ポピュリズム的な民主主義」であって,構造としては,戦前ファシズムの成長過程と似たり寄ったりだと思うのです。

 戦前のようなワイルドで復古主義的でノリはもう流行らないと思いますが,
ソフトな感じや,専門性や新規性を打ち出して,同じことを実現することは可能でしょう。

 旧型インフルエンザウイルスが,抗生物質のバリアーを破って,新型インフルエンザウイルスに成長して猛威を振るうのと同じように,新しい現代社会に適合した,
 「ポピュリズム的な民主主義」
(=ニュータイプ ファシズム)

を懸念します。

 「真の民主主義」と「ポピュリズム的な民主主義」の違いは,
 感情に流されない「理性」や「客観性」,そして「リベラリズム」があるかないか,
だと思います。
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 日本における試金石(リトマス試験紙)となり,大胆かつ大規模な社会実験となるのが,裁判員制度だろうと思います。

 先にご紹介したシンポジウムのチラシを見ると,開催趣旨について次のように説明をしています。
 たいへん示唆深い内容なので,以下のとおり引用させていただきます。

 「Penal Populism」とは,直訳すると刑罰のポピュリズム化を意味し,マスコミが劇場的な犯罪報道を繰り返すことで犯罪不安が高まり,専門家の意見や客観的事実が軽視され,世論の気分によって厳罰化が推し進められる現象のことをいいます。
 世論調査によると,戦後,殺人の認知件数が一貫して減少傾向にある日本で,80%の市民が治安の悪化を信じ,同じく80%の市民が死刑を支持しています。そして,そうした世論の支持を受けて厳罰化が押し進められています。
 このことは刑罰のポピュリズム化そのもののようにも見えます。
 まもなく日本でも裁判員制度が始まります。
 その行方を占う意味でも,本シンポジウムでは,刑罰研究で国際的にも最も著名な研究者たちを招聘し,グローバルな視点から厳罰化とポピュリズムについて考えてみたいと思います。

 「ポピュリズム」という言葉は,聞き慣れない言葉ですが,なんとなくかわいらしい響きがします。
 関西だとオール阪神さんのCM「ク~ルマにポッピ~♪」って連想しちゃいそうです。

 しかし,私にとって「ポピュリズム」は,目下のところ,最も「オソロシイ」言葉です。

 広辞苑に依ると,
ポピュリズム【populism】
一般大衆の考え方・感情・要求を代弁しているという政治上の主張・運動。
と書いてあります。
 これだと,難しくて,なんだか意味がよく分からないです。

 私なりの理解によると,

   ◆大衆の感情的な雰囲気に流されて政治を行うこと

   ◆なんとなく世間の空気を読んで,決断し行動すること

   ◆世論や雰囲気の方が,理性や客観性よりも重視されること


がポピュリズムです。
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 このポピュリズムが,刑事司法と結びついたらどうなるか?

 来る裁判員制度で最も懸念されるのが,この点です!

 龍谷大学・矯正保護センターで,以下のようなシンポジウムが開催されるとのことです。

 基調講演は,
    「なぜアメリカは過酷なまでの厳罰化に走ったのか?」
というテーマです。

 既におそれている事態は,ポピュリズム大国アメリカで起こっているようです。
 たいへん興味深いテーマなので,紹介したいと思います。

国際シンポジウム 「グローバル化する厳罰化とポピュリズム」

日時:2009年3月21日(土)13時~18時

場所:龍谷大学深草学舎(京阪「深草駅」,JR奈良線「稲荷」) 21号館604教室

参加費無料

★事前申し込み必要(通訳機を用意されます。)添付の文書参照
問い合わせ:075-645-2040(龍谷大学・矯正保護センター:担当・丸山氏)

基調講演「なぜアメリカは過酷なまでの厳罰化に走ったのか?」
(マイケル・トンリー ミネソタ大学教授)

パネルディスカッション
・刑罰を通して,アメリカ型の規制緩和とポピュリズム(大衆迎合主義)が社会に何をもたらしたのかを考える。

2009.02.16 pomeraでblog
◇東京パブリック法律事務所の井村華子先生に紹介(≒自慢)されて,
◇知的好奇心を触発され(≒うらやましくなって),
◇事務処理の向上を図るべく(~などという言い訳を考えつつ),
◇慎重検討の上,入手したのが(≠実際は単に衝動買いしてしまったのが),

    pomera
   (デジタルメモ「ポメラ」)


です。

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一言でいうと,フルタッチキーボードのエディタ専用機です。

キーボードが折りたたみ式になっていて,これを畳んでしまえば,メモ帳と同じサイズぐらいの小さい大きさに収まります。

乾電池で動き,起動も早いので,ナントカ使いこなしたいと思っています。

ただし,キータッチは独特なので,まだ慣れてません。

まずは,日ごろの文書書き仕事や,ブログネタのメモにチャレンジです。

(さっそく,近くの昼飯屋のカウンターで開いてカチャカチャやっていたら,店員さんから「これ何ですかぁ~」と声を掛けられ,既に事務機器オタクの自分としては満足です。)
 昨年から,兵庫県の青少年愛護審議会の委員をやっている。
 十数名の委員は,青少年育成や教育事業にかかわる第一線のプロの方々が大半を占めている。

 審議会では,何をやっているのかというと,
    青少年愛護条例 の 改正
の検討の審議である。

 具体的には,インターネットを通じた青少年に対する有害情報への対応が問題だった。

 ちょうど,昨年6月18日には,国会で,
  『青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律』
  (通称;青少年ネット規制法
が成立したばかりのところだった。

 この法律は,フィルタリング(インターネットの有害情報をブロックする機能を付けること)を義務付ける内容で,数多くのブログも,フィルタリングに引っかかるので,ブロガーとしても重要課題なわけである(たぶん,私のブログも,既にフィルタリングでブロックされているだろう。)

 そういう点で,兵庫県の審議会の課題は,実にタイムリーで重要な検討課題だったわけだが,これは,なかなか難しい問題である。

    青少年の愛護
という目的に照らすと,大胆な規制も必要だという方向に傾きがちのようにも思われる。
 しかし,
    今後のネット社会で生きていく青少年の育成
という観点からすると,インターネットに接する機会を十分に持たせて,対応力を育てるべきだ,という考え方も出てくる。

 どうも昨年の司法試験では,フィルタリング規制の違憲性を問う問題が出題されたらしい。
 うちに来ていた修習生に,今回の青少年愛護審議会の課題を検討してもらったところ,表現の自由の観点から,法律的な深みのある意見を述べてくれた。
 そりゃあ,試験でパスしたばかりの問題だから,たいへん見事な意見となるのも頷ける。
 もちろん,表現の自由のあり方からの観点は,やはり絶対に欠かせない視点でもある。

 兵庫県では,保護者,携帯電話業者,ネットカフェ事業者らに対し,一定の義務を課す方向で,条例改正をする方針を固め,既にパブリックコメントの募集も済ませ,いよいよ議会にかけられる段階にある。

 他の自治体に先駆けての条例改正だけに,今後の展開に要注目である。
 先日、神戸市内の小学校に行ってきました。
 「憲法」の先生として、特別授業をするためです。

 対象は、小学6年生の児童のみなさんでした。

 約70名の将来の日本を担うみなさんに、
     憲法とは何か
を話しするという,実にエキサイトな企画です。

 教材は,奈良弁護士会が誇る特製絵本
     「憲法って,何だろう?」
です。
 私が,現時点で,最も優れた日本国憲法の案内書だと思う本です。

 ◆憲法は私たちの日々の生活と関係がないと思いますか?

 ◆憲法の中で一番大切な価値ってなんだろう?

 ◆民主主義って「多数決」とどう違うの?

 ◆「平等」って、みんな同じようにするということかな?

 ◆ケンカと戦争はどこが違うんだろう?

 ◆なぜ「戦争」はいけないんだろう?


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 という内容で、なかなか盛り沢山でした。

 しかし、生徒のみなさんは、たっぷり2時間,最初から最後までしっかりと聴いてくれたました。

 生徒のみなさんから、感想文をいただきました。

 とても嬉しかったです。

 また,とても励ましになりました。

 何より,感想文の内容は,これまた優れた憲法の副読本のように思えます。

 むしろ,私の方が,かえって新しい発見をいただいたような気がします。

 PFIというのは,
   「プライベート・ファイナンス・イニシアティブ」
の略で,日本語に訳したら,
   「民間資本の導入」
という意味になります。

 具体的には,公共施設の管理や運営を,民間企業が行う(自治体や利用者が代金を支払う)というものです。

 民営化することによって,民間活力が注入されて,悪しき官僚主義が排され,
    ヤスイ・ウマイ・スバラシイ!
となるはずのものでした。


 しかし,ナンデモ民営化したらいいわけではないのと同じように,PFIだって万能ではありません。

 日弁連は,PFIで運営している刑務所について,懸念と提言を示しています。
 (→こちらです
 たしかに「営利性」と「刑事処遇」って,なんとなくピンと来ませんよね。

 同じようにPFIがピンと来ない業種に「公立病院」があります。

 PFI方式の病院は,全国で12件あるそうですが,近江八幡市の総合医療センターは,PFI契約を解除したそうです。
 全国に先駆けて導入し,また,全国に先駆けて撤退するということです。

 理由として経営難が指摘されていますが,
もともと自治体の財政負担を減らすために民間に押し付けるのが目的だったのですから,
なるべくしてなった事態とも言えるかも知れません。

 ただ,そもそも,病院は
    「非営利」の活動を主目的としているので,
    民間の「営利性」と,
相容れない点があるのも無理はありません。

 神戸市立中央病院も,平成18年8月に一般入札で事業者を選定したところ,神戸製鋼・伊藤忠商事グループが落札したそうですが
(税込み1023億7815万円~なんと予定価格は1023億8000万円だそうです!),
他に入札者はありませんでした。

 全く競争原理が働かないまま,ほぼ最低入札価格で入札されたとのこと。

 それよりも,注目すべきは,入札時の提案内容の評価です。
 提案内容は600点満点でわずか274点という低水準だったとのこと。
 医療は,安ければいいというものではありません。
 いささか今後が心配です。

 弁護士は「在野」で,「民間」ではありますが,法律事務所の経営に民間資本の流入は認めていません。
 もし,法律事務所がPFI方式で運営されるとなったら,どんなふうになるでしょう?
 既に大都市部では,そういう雰囲気を感じる事務所もありますが・・・・
 宣伝ですが,兵庫県弁護士会では,メールマガジンを発行しています。

 2004年が創刊で,既に50号を数えています。

merumaga.jpg

 こちらのHPから,簡単に申し込みができます。

■神戸新聞掲載の「くらしの法律相談」(兵庫県弁護士会編集),

■弁護士会での催しの案内(裁判傍聴会、模擬裁判、電話法律相談等)

■ニュースの読み方,

などが面白いコーナーです。

 昨日ご紹介の
   「偽装ラブホテル問題」
が,『ニュースの読み方』のコーナーで取り上げられています。

 筆者の藤本尚道先生は,サンテレビのニュースシグナルのリーダー役で,裏プロデューサーで,たいへんお世話になっている兄貴弁護士です。
 この「偽装ラブホテル問題」も,2008年8月21日の放送分のリニューアル版です。

 とても分かりやすいので,引用します。
 神戸では,「偽装ラブホテル」問題が,熱いです。

 「偽装ラブホテル」というのは,なんでしょう?
 単なる「ラブホテル」とはどう違うのでしょう?

 これは,建築確認の申請をする際や,営業許可の申請をする時には,「リゾートホテル」とか「ビジネスホテル」として届け出て,許可を得て建てて置きながら,スタートしてからは「ラブホテル」として営業しているホテルをいいます。

 典型的な法の抜け穴くぐりですね。

 神戸の魚崎地区の住民の方々を中心に,「全国偽装ラブホテルをなくす会」が立ち上がり,元気に活動中です。

lovehotle.jpg この活動に刺激されて,兵庫県内では,違法ラブホ業者の摘発が立て続いています。

 それでも・・・・・,偽装ラブホテルを建てようとする業者は後を絶ちません。

 この問題は,実は,歴史の古い問題です。

 判例なんかを探してみると,昭和55年の旅館業法違反事件なんかは,「モーテル類似旅館」の適法性について,侃々諤々議論をしています。
 この「モーテル類似旅館」が,現代的に言うと,「偽装ラブホテル」なんですね。

 これら議論や社会問題を踏まえて,現在の新・風営法の規制が出来ています。

 しかし,時代の変化のスピードは急で,この規制の網は完全に破られています。

 たとえば,大阪府内で,ラブホテルとして覚知されているホテルが700軒ほどあるそうですが,風営法の届出を受けて営業しているのは,わずか98軒だけとのこと。
 7軒に6軒は偽装ラブホということです。
 兵庫県でも,172軒のうち正規のラブホテルは61軒だけ。3軒に2軒は偽装ラブホテル。

 法律の「外枠」だけで行政が行われ,
 法律の「趣旨」がないがしろにされている,

という我が国の法感覚の傾向が,こんなところに顕著にあらわれていると思います。
 去る平成21年1月27日,私たちの事務所の弁護士として,名を連ねておられた,
    田中 治 (たなかおさむ) 先生
が鬼籍に入られました。
 84歳でした。

 田中治先生は、平成7年の阪神大震災に前後して第一線を引き,国選弁護人活動のみを担当しておられました。

 私が弁護士会尼崎支部に移籍したころは,既にすっかり引退モードでらしたのですが,いつ弁護士会控室に行っても,主のように鎮座しておられて,面白い話を聞かせてくださいました。
 たいへん人を惹き付ける魅力に溢れたお人柄でした。

 この阪神の地域で,古くから活躍され,「アマシブに田中弁護士アリ」と言われるほどだったといいます。

 知に富み,情に篤い庶民派弁護士として鳴らしただけでなく,西宮市の市会議員も一期務め、調停委員等としても大いに活躍されました。

 晩年,田中先生の国選弁護を拝見したり,ご一緒したこともあります。

 「おい,あんた。ぬすっと(盗人)はイカンぞ,ぬすっとは。」

 「あんたねえ,クスリなんか,やったらアカンやないか。ええことないやろ。」

という感じで,実に味のある尋問や,情の溢れる弁護をされていました。
 知り合いの検事さんも,田中先生の弁護活動のファンで,田中先生と対峙するのを楽しみにしていたということです。

 秘話として,拘置所から出る被告人に,個人的に軍資金を渡し,当面の生活を支援するなどしていたという話も聞いています。

 とにかく,型破りな弁護活動をしておられた方です。

 もうそのお姿に接することができないと思うと残念でなりません。
 田中先生の冥福をお祈り申し上げます。
 
2009.02.03 加藤周一さん
 私の考え方に,最も大きな影響を与えた文化人は誰か?
 と尋ねられたら,間髪入れず,
   加藤周一さん
の名前を挙げることでしょう。

 加藤周一さんのことは,高校時代の友人の三宅芳夫くん(今は千葉大学でヨーロッパの社会や思想などを教えているらしい。)から,その思想と書物を紹介されたのがきっかけでした。

 三宅君の言うことは,常日頃からたいへん興味深かったのですが,少々難解なところがあってポカーンと聞いていることが多かったのです。
 しかし,その源泉に,加藤周一さんの思想があるということを知って,彼の発言を理解するために,セッセと読んだのを思い出します。
 そのうち,加藤ワールドに引き込まれて行ったという経過です。

 加藤周一さんの論述も,なかなか難しい言い回しも多く,極めて理屈っぽい思考過程も特徴ですが,
     結論とするところは極めてシンプル
だと思うのです。

 また,そのシンプルな結論は,
     現実的で,客観的で,理性的な
ところに個性があらわれていたと思うのです。

 私にとって,昨年末の加藤周一さんの逝去の報は,非常にショックでした。
 加藤さんのことについて,何度かに分けてコメントしたいと思います。
 2008年7月に,社団法人西宮青年会議所西宮JC)に入って,その活動の一端に加わらせてもらっている。
(西宮JCのHPは→こちら

 JCというのは「青年経済人」が主体となるので,参加には年齢制限があって,40歳(の年の年末)で卒業である。
 私は,39歳で入会だから,ほんのちょっとの期間だけ,ということになる。

 しかし,真面目に参加するとなると,かなりハードで,時間がいくらあっても足らない,という感じだ。
 入会して,半年余りが経過したけれども,費やした時間はとても多い。

 ただ,活動の中身は,なかなか刺激的で,多様な価値観に触れることができる。
 毎回,例会の際には君が代を斉唱したりもするし,道徳の必要性を正面から議論したりもする。
 私のこれまでの弁護士としての活動の延長線上に,JC活動を位置づけてみると,視野が広がり,考え方に厚みが獲得できるのではないかと感じることが,しばしばである。

 また,面白い活動に参加したら,レポートさせていただこうと思う。
 ブログの世界っていうのもいろいろあるというか,奥が深いですよね。

 「炎上ブログ」に,「不適切発言」,「名誉毀損の誹謗中傷コメント」などなど・・・時代を映す鏡みたいな役目も果たしているような感じです。

 私も,大した動機もなく,気楽にブログを始めたのですが,ノリや雰囲気に乗って何やら大きなことを言ったりして,肩肘張った社会派ブログみたいになってた時もあります。

 しかし,リアル世界における,社会の混迷や,経済の悪化は,もはやブログでコメントできる域を超える深刻な様相を呈しています。

 そんな中,私が訪問するいくつかのブログも,閉店・閉鎖したり,更新が止まったりしています。
 いろいろ事情はあるのでしょう・・・

 ・・・が,私のブログも,そんな風になって来つつあります。
 しかし,せっかく3年近く続けているので,止めちゃうのはもったいない。

 ということで,短いながらもボチボチと身の丈に合った簡単なコメントを続けるというスタンスで,やっていきいたいと思います。
 目標! 1日あたり,1センテンス,1コメント!ってところです。
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