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 近畿でインフルエンザ騒動が始まって1週間経った。

 最初の月曜日は,猫も杓子もマスクをしていたけれども,
 日を追って,感染者数が増えてきたにもかかわらず,
 逆に,マスクをする人は減ってきた。
 (全国放送のTVでは,相変わらず全員マスクのように報道されているかも知れないが,事実と異なる。)

 熱しやすく冷めやすいなあとも感じるが,
 今回の件を通じて,よく分かったことがある。

 ひとつ目。
 わたしたち日本人というのは,ちょっとした政府(と過度の報道)の号令に従って「右へならえ!」と集団的に行動することができること。
 たとえ疑問に思うことがあっても,それが果たして正しいことか,意味があるのか,分からないのに・・・である。

 ふたつ目。
 オカミというのは,ひとりひとりの国民や市民のために物事を決めるのではなく,全体の秩序や治安を最優先で物事を決めるのだということ。
 だから,感染者の増大と,対処の徹底が,比例しない。

 みっつ目。
 報道というのは,とても日和見的だということ。
 別にこれって,今回に始まったことではないけれど。

 してみると,
   ○オカミが国家総動員体制を言い渡し,
   ◎報道が大きく喧伝すれば,
   ●日本人は(心中おかしいと思いながらも)国是に従う
というわけで,大がかりな臨戦シミュレーションが検証できたことになる。

 とてもこわいことだ。
   
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 今日は,私は,東京霞ヶ関の日弁連に出張です。

 東京に行ったら,「兵庫から来た~!」というだけで,「封じ込め」られてしまうのではないかと,気後れするような,気が引けるような,なんとなくヤナ感じがします。
 当地にいるときと違う感覚を覚えます。

 こうしてみると,地域的に,既に私も「当事者」なのだ,ということを身に染みて感じます。

 すると,現在の政府対応,行政対応,報道対応に,いろいろと疑問が湧いてきます。

 そんな中,昨日,兵庫県弁護士会が会長声明を出しました。
 たいへん優れた内容だと思います。
 患者の方々への配慮,過剰反応への警鐘,震災の教訓などにも触れてます。
 
 以下,紹介します。

 県下で新型インフルエンザの感染が確認されたことに関する会長声明

 本月16日,神戸市内において,水際の検疫を除いて国内で初めての新型インフルエンザの感染が確認されました。
 また,今日までに新たな感染が確認されています。
 現在療養中の皆様には,心からお見舞いを申し上げますとともに,一日も早いご回復をお祈りします。

 既に,医療機関,行政機関において迅速に対応を取られていることを評価すると共に,今回の感染が海外渡航歴のない人から人への感染であると認められ,その急速な拡大が懸念されることから,よりいっそうの医療関係機関の体制強化,行政の相談窓口の更なる充実はもとより,警察署,拘置所,刑務所等の施設内での感染拡大防止の対策と十分な医療も必要です。

 また,新たな疾病の発生に際しては,残念ながら,少なからず誤った情報が流布されたり,風評被害が発生し利することがあります。
 また,何よりも一番辛い思いをされている患者やその家族の方々の名誉やプライバシーといった関係者の人権保障の観点が忘れられがちです。
 新型の疾病だからといって,過剰な反応をするのではなく,正確な情報に基づいた冷静な行動を取ることが求められます。

 さらに,新型インフルエンザ対策が,県民の健康被害を防ぐものであると同時に,県民の生活や社会機能を混乱させないようにすることも重要な視点です。
 感染発生地域の学校や保育所を一定期間臨時休校とすることは致し方のないところですが,保護者の勤務等に相当な支障が出ることも考えられ,さらには今後万一感染の範囲が大きく拡大したような場合に,大半の公共機関が休業となれば,県民の社会生活は立ちどころに停止してしまいます。

 新型インフルエンザの感染拡大を阻止し,県民の安全を守るという要請と人権保障や社会生活機能の確保という要請は,相互に衝突対立しかねない問題ですが,これら要請のいずれもが重要かつ必要であることに留意し,感染拡大阻止の対策が進められることを望むものです。

 当地は1995年(平成7年)の阪神淡路大震災を経験しています。
 そのときの教訓としても,県民,行政,各種団体などが一体となって,きめの細かい対策を立て,危機管理に取り組んでいくことが重要です。

 当会としても,新型インフルエンザの感染拡大によって生じる法律問題の解決に対応し,県民の人権保障と安全安心な生活確保のために努力する所存です。

   2009年(平成21年)5月18日
         兵庫県弁護士会
            会長   春名一典
 まさか地元が国内感染の震源地になるとは思ってなかった。
 昨日から,神戸市を中心に,新型インフルエンザで大騒ぎだ。
 週明けから,弁護士会としても,早急な対応が必要である。

 しかし,まずもって申し上げたいことは,神戸高校,兵庫高校をはじめとする高校生の患者のみなさまに,
    「お大事に。早くよくなって下さいね。」
のお見舞いの言葉である。

 さて,さて,こういう当たり前のお見舞いの言葉が,どういうわけかあんまり聞かれない。

 マスコミのニュースを見ていても,テレビのニュースを見ていても,お見舞いの言葉は聞こえてこない。
 ちょっと検索をしてみたけれども,報道も,行政も,政府も,患者さんへのお見舞いはすっかり忘れているようだ。

 今回の感染騒ぎで,一番ショックを受けているのは,ほかならぬ患者さんご自身のはずだろう。

 それを,なんだか知らないけれど,
    事件の客体
のような扱いをしている。

 さすがにダイレクトに人権侵害するような表現は見られないが,「感染源」として扱っているだけで,「人」として尊重しているのかどうか疑問に感じるところもある。

 以前に,
  「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」
のことをちょっと紹介したけれど,あの法律を作った背景の一つには,伝染病の患者さんに対する人権侵害を行ってきたわたしたち社会全体の反省もある。

 患者さんの身になって考えてこそ,はじめて「我が事」として考えられるのではないか。


 「感染予防は,非感染者にとっての関心事であろうが,

 「感染対策は,感染した人の状況を具体的かつ真剣に考えてみないと意味がない。

 いつまで経っても「感染予防」ばっかり声高に叫んでいるようでは,「感染対策」は全く進化しないし,放っておくと,人の道を外れてしまう危険もある。
 魔女裁判や,犯人捜しのような発想は,もってのほかの愚行である。

 新型インフルエンザの患者さんたちは,今,あらゆる機会から隔離され,我が身を案じている。
 まず,私たちは,人の道として,患者さんとご家族の方々にお見舞いの気持ちを持ち,平癒を祈り,その上で感染予防に努めよう

 危険やリスクばっかり言いふらす片面的な報道・政府・行政対応では,真の「感染対策」は期待できない。
 ブログの紹介です。

 うちの事務所の徳岡さんも弁護団に入っている原爆症訴訟近畿弁護団が,手作りで立ち上げた
    「原爆症認定訴訟 近畿弁護団通信」
というブログがあります。

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 最近,原爆症訴訟団は現在9連勝中とのことですが,来週15日には高裁第2弾の判決が控えていて,たいへん活気のある弁護団です。

 最新のログでは,
   「被爆者の共通の思いは核兵器廃絶です。」
とありますが,被爆者のみならず,国を挙げてやらんといかん課題ですよね。

 原爆加害国である米国は,オバマ大統領の,4月5日のプラハ演説で,
  「核を使用した唯一の保有国としての道義的責任」
    として,
  「核のない、平和で安全な世界を米国が追求していくことを明確に宣言する」
と言い切りました。
 こういうことであればアメリカ追従でもよいので,・・・というよりも,日本がアメリカをリードすべきなのでしょう。
 この訴訟を通じて得られたパワーを,さらに外に向けて発信してもらいたいものだと思います。

 今日,国会でも,民主党を中心に
    「核廃絶・軍縮・不拡散に向けた努力を一層強化すべきだ」
などとする決議案文を策定したらしいです。

 河野洋平議長も,すかさず
    「プラハ演説直後に日本も『その通りだ』と言うべきだった。非核保有国が機運を作らなければいけない」
と発言したそうです。

 ホントそのとおりですね。

(ところが,同じ今日,麻生首相は「核の抑止力は日本にとって大きな要素を持っている」と国会答弁で話したそうです。世界的KYだなあと思いませんか。)
 裁判員裁判の対象事件の中に,性犯罪があります。

 平成19年度の統計によると,
   強姦致死傷       286件
   強制わいせつ致死傷 168件
   強盗強姦        129件
   集団強姦致死傷     23件
   小計           606件
という数です。
 決して少なくない数字です。

 ところが,裁判員裁判の選任手続では,被害者の氏名が候補者に知られてしまう可能性があるようです。
 読売新聞の九州版2009年5月6日の記事(→こちら)によると,
 裁判員は事件と無関係でなければならず、数十人から約100人の候補者に被害者の氏名などを伝えることになる。
 選任されなかったほとんどの人は、裁判員法が定める守秘義務を負う必要がない。
 被害の経験者からは「制度が始まると、ますます被害を訴えにくくなる」との声も上がっている。
とのことです。

 なんとか配慮できないもんでしょうか。

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 私が愛読する福岡若手弁護士のblogでは(このブログは,実務弁護士の率直な視点から,様々な事件をストレートに喝破します!ちなみに,4人の「若手?」のうち,一人気を吐いて更新を続ける「ろぼっと軽ジK」さんは,私と修習同クラスのKさんです。),2ちゃんねる等を通じて,この手の情報が,流布してしまうのではないかという具体的な懸念も出されています。

 既に,刑事訴訟法では,たとえば次のような配慮規定があります。
第290条の2 裁判所は、次に掲げる事件を取り扱う場合において、当該事件の被害者等(被害者又は被害者が死亡した場合若しくはその心身に重大な故障がある場合におけるその配偶者、直系の親族若しくは兄弟姉妹をいう。以下同じ。)若しくは当該被害者の法定代理人又はこれらの者から委託を受けた弁護士から申出があるときは、被告人又は弁護人の意見を聴き、相当と認めるときは、被害者特定事項(氏名及び住所その他の当該事件の被害者を特定させることとなる事項をいう。以下同じ。)を公開の法廷で明らかにしない旨の決定をすることができる。

 憲法で保障された公開の法廷でさえ,非公開とすることができるわけですから,裁判員の選任手続においても,一定事件については,被害者との利害関係の有無についての辞退事項は,後回しにするなど別扱いできるのではないでしょうか。

 裁判員制度が始まる前に,この種の対応は,早くやっておくに限ります。
 「ブタのいた教室」を,レンタルで観た。

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 きっかけの一つは,昨年に発売された,
   「屠場(とじょう) みる・きく・たべる・かく
    - 食肉センターで働く人びと」

という本である。
(関西学院大社会学部の三浦耕吉郎教授の編著)

 本の内容を紹介した神戸新聞の記事(2008年8月18日記事→こちらより)によれば,次のとおりである。
 肉を食べる以上、動物の解体は絶対に必要な過程だが、そこには差別や偏見も深くかかわる
 執筆した四人も調査開始から二年が過ぎるまで写真撮影が許されず、センターで働く男性からも「見て、どないするの?」などと問い掛けられた。

 三浦教授自身、動物を解体する行為について、当初は「非常にかわいそうだし、ひどいこと」と考えていたが、その印象は初めて見学した日に大きく変わった。
 牛を失神させる役割の男性が、暴れる牛の額をなで、自分の手をなめさせる様子を見て「ひどいことをしているわけではないな」と思い込みが崩れるのを感じた、という。

 働く人の内面に踏み込みながら聞き取ったエピソードは時に明るく、時に深刻だ。
 内臓を洗う仕事を始めたことで親族と一時的に疎遠になったこと。
 職場に連れてきた息子が、現場に驚きながらもアルバイトに前向きな気持ちを示したこと。
 センターに就職した若者には「三カ月辛抱し。ええとこも分かるし、わるいとこも分かる」と励ましていること…

 かなり記事の表現は抑えめだけれど,本の方にはもっとリアルなことが記されている。

 こんなふうに,いのちを考えることの大切さは,日々の食卓に並ぶ食材を深く考えるところからも得られる。

 西宮市食肉センターの跡地は,うちの事務所から目と鼻の先にある。
 これまで無意識に通り過ぎていた場所から,得られるものも多い。

 ところで,「ブタがいた教室」のエピソードは,実話である。

 こちらの話も,川西から延びる能勢電鉄でちょっと行ったところにある大阪府の豊能町立東能勢小学校でで行われた実践授業であり,ここから近いところにある。
 一番近い屠場(食肉センター)は,やはり西宮市食肉センターである。
 主人公のブタさんも,うちの近くまで運ばれてきたのかな?と思うと,物語を身近に感じる。

 実話の方も,Youtubeで,観ることが出来る。



 もう既に何度かTV番組でレポートされているらしいが,私たちの世代でも「いのち」のリアル感を考えるには本当によい教材だと思う。
 ゴールデンウィークの子どもへのサービスで,USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行って参りました。

 「って参りました」という文字通り,「大行列で,まいった,まいった」の一日でした。

 ちなみに, この写真は,夜のパレードの先頭に立っていたスヌーピーとエルモです。
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 開園から閉園まで,丸々12時間は在園していたはずなのですが,昼食で30分,移動で計30分,アトラクションで計30分(←たった5つだけですからね)を使ったとしても,残りの10時間余は,ただただ行列ばかりの1日でした。

 USJには,順番抜かしできる有料の切符(エクスプレスなんとか・・・)というのがあって,これを目当てにしていたのですが,早々に売り切れで,素直に並び続けたのでした。
 準備を抜かった,,,ということです。

 まあ,しかし,わが息子も,これだけ長い「待つ」ができるのだから,立派になったものだと思います。
 「待つ」というのは,高度な動物にしかできない,極めて人間的な行動ですので。

 ちなみに,大阪にあるナニワのテーマパークですので,「おらおら~!列にワシらを入れたらんか~い!」などと吉本新喜劇さながらの,輩でもいないかと注視していましたが,そういう不届き者はあらわれませんでした。
 「待つ」ことのできる日本人は,実に人間的で,えらいです。

 もうひとつちなみに法律ブログらしいことを申しますと,「オラオラ~!」と言って,行列に割り込みをしたら,軽犯罪法違反です。
 「横入りのどこが悪いネン!」などという不作法な人には,「犯罪ですよ!」とズバッと言ってあげましょう。
軽犯罪法第1条13項 公共の場所において多数の人に対して著しく粗野若しくは乱暴な言動で迷惑をかけ、又は威勢を示して汽車、電車、乗合自動車、船舶その他の公共の乗物、演劇その他の催し若しくは割当物資の配給を待ち、若しくはこれらの乗物若しくは催しの切符を買い、若しくは割当物資の配給に関する証票を得るため待つている公衆の列に割り込み、若しくはその列を乱した者(・・・は、これを拘留又は科料に処する。)
・・・・しかし,長い条文ですね。
 ちょっと古めかしいところが愛嬌です。
 USJのアトラクションは,「その他の催し」に該当するんでしょうね。
osietesaibanninn.jpeg コミュニティ放送局 FM宝塚([83.5MHz] )で,4月から始まっている「教えて!!裁判員制度」のコーナーですが,
宝塚に住んでいない私は,残念ながら電波が届かず聴くことが出来ません。

 そしたら,既放送分をネットに流してくれるとのことで,第1回放送分を聴くことが出来ました。

 ホンマに,適当な雑談だったやり取りを,なんかうまくまとめてくれています。
 (TV放送と違って,シナリオも何にもないのです・・・)

 ホントは本業の対策として,しっかり裁判員制度を勉強しないといけないのですが,別の切り口からよい勉強の機会を与えていただいたと思い,感謝です。
 私は,本日,誕生日を迎え不惑の40歳となりました。

 憲法記念日に生まれたことは,私の誇りでもあり,アイデンティティでもありますが,
憲法の方は,記念日を迎えるたびに「改正,改正」などと退陣の突き上げを食らってばかりで,気の毒になります。
 ですから,
       「しっかり,惑わずに,憲法マインドを実践していくこと」
が,40歳の誓いということになります。


 ところで,不惑というのは「惑わない」とか「まよわない」という意味だと思い込んでいましたが,どうも,それだけの意味はないようです。

 原典は,ご存知のとおり,孔子の論語です。
子曰(しいわく)
吾十有五而志于学(吾,十五にして学に志し)
三十而立(三十にして立つ)
四十而不惑(四十にして惑わず)
五十而知天命(五十にして天命を知る)
六十而耳順(六十にして耳に順い)
七十而従心所欲不踰矩(七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず)
 ここで,「不惑」というと,そのまま「まどわない」と訳されていて,広辞苑でも「まどわないこと」という程度の訳しか書かれていません。

 しかし,東京大学教授で,中国文学者の第一人者だった藤堂明保先生によれば,
 「惑」という字には,
    国や境界を区切るとか,
    限定する,
    枠にとらわれる
という意味があるとのことで,
孔子が,「四十而不惑」と書いたのは,
    四十歳で狭い枠にとらわれないようになった
という意味なのだそうです。
    
 確かに,そういう風に読んだ方が,
  15歳で学び,30歳で自らを知り,40歳で視野を広げ,50歳で真実を知り,60歳で懐を広げ,70歳で自由になった
という感じで自然に流れていく感じがします。


 これまで,40歳の不惑というのは,「まどわない」という,ともすると頑迷さの緒を連想する意味のように捉えていましたが,
  むしろ,
「狭い枠や,狭い視野にとらわれず,広くグローバルになる」
というものだと受け止め,さきほどの40歳の誓いを少し改めて
       「しっかり惑わず,広い視野をもって,憲法マインドを実践していくこと」
としたいと思います。

 ちなみに,憲法の40歳の記念日には,西宮市役所の真ん前にある朝日新聞阪神支局襲撃事件が発生しました。
 因果を感じます。

 憲法は,「まどわない」存在であって欲しいところですし,
 狭い視野から叫ばれるヘンテコな改憲論議などにもとらわれないで欲しいですが,
 憲法マインド自体が,「狭い枠にとらわれない,広い視野」を持ったものですので,
    「不惑の最高法規」
として,今後も活躍してもらいたいと思います。
 忌野清志郎さんは,ホンモノのアーティストでした。
 本当に残念でなりません。

 2005年4月24日,忌野清志郎さんが,東京・代々木公園で開かれたアースデイ東京2005のステージで,ファンにアピールしたそうです。
「戦争はやめたほうがいい。地球にもよくない」

「ロックの基本は愛と平和だ。」

「一番の環境破壊は戦争なんだ。」

「この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか」


・・・・いいじゃないっすか!

もちろん清志郎さんは,愛国心にも満ちていた。
不謹慎ソングだと言われた「君が代~清志郎バージョン」も,形式的に歌う君が代なんかより,ずっと心がこもっていていいと思うんですけど。
 最近は4月に前倒しで集会を開くせいか,本来のメーデー(=May Day)である5月1日であるにもかかわず,新聞にはメーデー関係の記事が見当たらない。

 私が取っている日刊紙は日経新聞と神戸新聞だが,一面,社会面,経済面のどこを見ても,クライスラー民事再生やら,インフルエンザやらの記事ばかりである。

 憲法27条には
   「すべて国民は,勤労の権利を有し,義務を負う」
と定めてあって, 「働く権利」 が人権であると謳っている。

 今ほど「働く権利」が風前の灯火のように消えかかりそうな危機状態にある時期はなかっただろうが,それにもかかわらず働く権利が叫ばれず,盛り上がらないのは,なぜなのだろうか。

 ところで,自由経済国家であるアメリカでは,一私企業の民事再生手続に対し,大統領が「政府がクライスラーを支えていく」とコメントした。
 日本なんかは,アメリカよりもよっぽど社会国家だったのに,数多くの民事再生事案で(→これまでの民事再生大企業の一覧はこちら),総理大臣がちゃんとコメントを発したことなどはなかった。

 企業が倒産の危機に瀕したときに,経済への影響しか口にしない。
 個別具体的な方針については,経営の問題であるとして,距離を置くのが日本スタイルだ。
 しかし,労働者の勤労権を確保するというのは,政府の責務なのだから,そういう観点から政府は堂々と口出しもできる立場にあるはずだ。

 きちんと練られた企業の民事再生の事業は,「無策な倒産」や,「無計画なリストラ」,あるいは「目前の金惜しさの人員削減」などと違って,トータルで見れば,安定した雇用確保につながる道である。
 米国にならって,政府は,もっと主体的にかかわりながら,我が国の企業再生に取り組んでみたらどうだろうか。
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