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hinomaru.jpg 国旗起立・君が代斉唱事件をめぐる昨日の最高裁判決をよく読んでみよう。

 裁判官のなんとも言えない苦悩がにじみ出ていて興味深い。



 たしかに,判決は,起立斉唱の職務命令を合憲とした。


 しかし,決して,国旗国歌に対する強制を広く許容したものではない

 むしろ,「こういうことを裁判の場に持ち込まないでくれ」というメッセージが読み取れる。

 国旗・国歌の問題は,「法」によって解決すべき問題ではない,というのが最終結論だ。


 第2小法廷の裁判官は4名である。
 千葉勝美(裁判官出身),須藤正彦(弁護士出身),古田佑紀(検察官出身),竹内行夫(外交官出身)の4名である(※竹崎裁判官は,長官なので抜けている。)
 この4名のうち,3名が補足意見を書いている。

 これらに目を通せば,最高裁判決は,単なる最大公約数を整理しただけのものであることが分かる。

 つまり,構成裁判官のうち4分の3が,判決だけでは言い足りないと感じている,あるいは,「言葉が足らない」と思っているのである。


 憲法的な議論は,もっと深いところまで展開されていたことが分かる。


 たとえば,須藤正彦裁判官(弁護士出身)は,次のような補足意見を述べている。
「もとより,憲法における思想及び良心の自由の保障は,個人の尊厳の観点からして,あるいは,多様な思想,多元的な価値観の併存こそが民主主義社会成立のための前提基盤である」

「思想及び良心の自由は,少数者のものであるとの理由で制限することは許されないものであり,多数者の恣意から少数者のそれを護ることが司法の役割でもある。思想及び良心の自由の保障が戦前に歩んだ苦難の歴史を踏まえて,諸外国の憲法とは異なり,独自に日本国憲法に規定されたという立法の経緯からしても,そのことは強調されるべきことであろう。」

最も肝腎なことは,物理的,形式的に画一化された教育ではなく,熱意と意欲に満ちた教師により,しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が,教育現場を疑心暗鬼とさせ,無用な混乱を生じさせ,教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば,かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。その意味で,強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。のみならず,卒業式などの儀式的行事において,「日の丸」,「君が代」の起立斉唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると,たとえ,裁量の範囲内で違法にまでは至らないとしても,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。


 少なくとも,教育行政の場に,「強制」を持ち込むことに,強い警告を発していることは間違いない。
 教育行政担当者に寛容の精神と,慎重な配慮を望んでいるが,これは橋下・大阪府知事にこそ読んで聞かせたい部分である。

 さらに,千葉勝美裁判官(裁判官出身)は,次のような補足意見を述べている。
「起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため,司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが,必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない

「国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって,国民が心から敬愛するものであってこそ,国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである。そうすると,この問題についての最終解決としては,国旗及び国歌が,強制的にではなく,自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要であるということを付言しておきたい。」



 これで,今回の判決文は締め括られている。


 裁判所が,合憲だと宣言して決着させることが,社会的な最終的解決ではない,と言っているのである。

 普通の人は,裁判が最後の砦だと思っているだろうし,私もそのように勉強してきた。


 しかし,最後の砦であるはずの最高裁が,自己否定をしている。

 「最終解決は社会の環境づくりだ」と言い切っているのである。


 これで解決したと思っている勝訴側こそ,社会環境の創生という重い責務を負うことになったという状況を自覚するべきであろう。

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 本日,
   Q&A被災者生活再建支援法
という書籍を新刊で出しました(商事法務発行)。

 本書のはしがきを引用しておきます。

 少しでも被災地の役に立てば幸いです。

       ↓

siennhou.jpg 東日本大震災の衝撃はあまりに大きく,片時も私の頭から離れることがない。
1か月が経過した今もなお,被災地では余震が続き,瓦礫の中で愛する家族やかけがえのない思い出を捜し歩く人々が絶えない。
また,原発事故の底知れぬ恐怖は,日を追う毎に深刻化している。
被災者ならびに被災地の全ての方々に心よりお見舞い申し上げると共に,今後の復興の歩みには我が事という思いで寄り添っていくことを改めて誓いたい。


 被災者生活再建支援法は,阪神淡路大震災の教訓から生まれた法律である。
私人に対する公的補償を拒絶する堅く厚い壁に,市民の力が原動力となって風穴を開けた画期的な公的支援制度である。
当初は,支給額が最高100万円に止まり,要件や手続に様々な障壁があった。
しかし,その後,鳥取西部地震,三宅島噴火,新潟中越地震,能登半島地震,新潟中越沖地震や,幾度も全国各地を襲った台風や豪雨災害などの大災害を経るたびに,問題点を克服し,現在の形に到達している。
創設時と比べれば,かなり使い勝手の良い制度となったと思う。
しかし,真の意味で「被災者の生活の再建を支援する法律」となるためには,まだまだ改善が必要である。
被災地となった阪神の法律実務家として,より一層,被災者のために役立つ制度にしていかなければならないと考えている。


 東日本大震災でも,被災者生活再建支援制度に対する期待は大きい。
政府は,支給上限額の増額等を検討するとのことであり,世論もそれを支持している。
ところが,被災者生活再建支援法について,これを解説した書籍,資料がないことに気付いた。
行政担当者に向けた手引きはあるものの,支援の享受者である被災者の視点から解説した手引き書がなかったのである。
これだけ被災者が大きな期待を寄せているにもかかわらず,これではいけない。
それが本書出版に至った動機である。


 本書の特長は3点である。
ひとつは,被災者及び被災地の実務担当者(行政職員,法律実務家等)に分かりやすいようQ&A方式にしたことである。
ふたつ目は,制度の趣旨・目的や運用の在り方に照らして踏み込んだコメントをできるだけ書くように努めたことである。
三つ目は,今後の制度の改正・改善の方向性について積極的に言及したことである。
その結果,体系性,網羅性,学術性を犠牲にして,私見や立法意見に及ぶ箇所が増えてしまった憾みもあるが,その点は本書を利用する読み手の側で上手に活用いただきたい。


 もとより本書の執筆は,私の知識・経験が不十分であり,能力の限界を明らかに超えている上,何よりも緊急性を重視し1週間足らずで脱稿したことから,内容に至らぬ点が多々あることは自覚している。
被災者生活再建支援法の制定の際,被災地では「小さく産んで大きく育てる」が合い言葉だった。
本書も,とりあえず出来るところから始め,今後の改正に伴って内容の充実に努めたいと思う。
また,支援法の運用で最も重要なポイントは「柔軟性・弾力性」であるから,本書の内容も,上記の事情を忖度して柔軟かつ弾力的に解していただきたい。


 今,私は岩手県内で,このはしがきを書いている。
岩手弁護士会が主催する被災者に対する避難所での巡回相談にご一緒させていただいたところである。
三陸海岸沿いの津波被害の惨状に言葉を失ったが,被災者のために役立ちたいとの一念で奔走している被災地の弁護士や行政職員の方々の姿に触れ,あらためて身の引き締まる思いがした。
そして,我慢強く避難生活を送る被災者の方々が,被災者生活再建支援制度について,ほとんどご存じないという実態に触れ,一日も早く本書を被災地に届けなければならないと痛感した。
被災者生活再建支援法の最大の役割は,絶望の淵にいる被災者の方々に,わずかでも希望があることを伝えるところにある。
被災者の方々に,被災者生活再建支援法のミッションが速やかに届くことを祈っている。


 本書は,株式会社商事法務の浅沼亨氏の熱意に依るところが大きい。
一刻一秒でも早く出版できるよう,寸暇を惜しんで尽力をしていただいた。
これは,被災者生活再建支援法に脈打つ志に共感して下さったからにほかならない。
さらに,関西学院大学災害復興研究所の法制度委員会のメンバーの示唆と,被災者支援にかかわる数多くの弁護士の仲間の情報交換・意見交換があってはじめて執筆ができた。
ここに,関係者各位に,心より御礼を申し上げる。


 被災者の方々に,一日も早く支援金が届き,生活再建の第一歩が踏み出されることを願って。


 平成23年4月17日 津久井 進
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