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 「復興災害」の一つに挙げられている「借り上げ住宅の打ち切り​問題」

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 阪神淡路大震災の時は民法604条で「20年以上の賃貸借は不可」でした。
 しかし,その後,借地借家法が改正されて(同法29条2項),20年を超える建物賃貸借もOKとなりました。
 ですから20年超の借り上げ住宅も,私法的には,特に問題はないはずです。

 東日本大震災では,応急仮設住宅に代わる「借り上げ住宅」が流行ってます。

 次に考えるべき恒久住宅としての「借り上げ住宅」について,今回の神戸の「借り上げ復興住宅」の行く末は,20年後の未来図として,よーく注目しておく必要があります。

(※これは,司法で言うところの法的問題じゃなくって,まずは復興政策・住宅政策の問題ですが。)

神戸新聞より(→こちら
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2011.11.10 やっぱ年賀状
 最近,ツイッターとかフェイスブックとか,新しいインターネット媒体に手を出してみたところ,なかなか面白い。

 こうしたSNSというのには抵抗があったのだが,やはり拡がるだけのシステムの魅力があるようだ。

 ITを利用したコミュニケーションツールとして,これまで,ホームページ,掲示板,ブログときて,いちおうそれぞれちょっとずつかじって見たものの,どうしても長続きしないのが自分の限界。

 さすがに,メールとかグループウェアは,仕事上の必要があるから続いているが,これは必ずしも楽しいもんではない。

 こうしてみると,年に一度の年賀状っていうのは,なかなか優れたコミュニケーションツールではある。
 相手の顔を思い出しながら発送したり,受け取った賀状の名前を見るだけで楽しい。
 あいにく今年は喪中で年賀状は出さないのだが,何らかの挨拶をしたいとあれこれ計画中である。
 こうしてじっくり計画を立てるのも,また楽しい。
 友人が亡くなった。

 家族ぐるみのお付き合いもあって,突然の訃報に言葉を失う。

 彼はあまりにも若すぎる。

 同年代で,同年代の妻や子どもたちを遺して逝ってしまった。

 親より先に逝ってしまった。

 通夜の席,遺族となった彼女らを直視し,どんな思いで参列しているかと想像する。

 しかし,こういう思索は,いろんな思いと絡み合ってしまい,なかなか前に進まない。

 自分の姿に重ねて考えてみようとした。

 しかし,こうした思考を家族の存在が拒絶する。

 読経の響く中,重たい夜を過ごす。

 Hくん,どうぞ安らかに。
 津谷裕貴先生がお亡くなりになって明日で1年目を迎える。

 無念の思いは未だに続く。


 一周忌に際して,記念シンポジウムが開催され(→こちら),追悼論文集も発刊された(→こちら)。

 今なお,津谷先生の死を惜しみ,社会を問う動きは熱い。

 私も感じた。
 とにかく津谷先生の「思い」を受け継いで,誉めてもらえるような良い仕事をしていくぞ。
 それこそ,最善の供養である。
 そんな思いを新たにした日であった。
(特に共感したのは荒井弁護士のブログ→こちら

 ところで,津谷先生が,地元のヒューマンクラブというところで講演されたことがあり,その講演録を目にした。

 演題は「法律・写真・ワイン」という,大々自己紹介のような講演だったのだが,それだけに,御本人のお人柄がよく伝わってくる。

 今日は文化の日。
 「文化」について講演録には,次のようなくだりがある。

 
 弁護士の仕事は,本質的に人を幸せにすることだと私は考えています。・・・(中略)・・・
 文化とは,何のためにあるのだろうという話で,結局それは,人を勇気づける,元気づける,そして幸せにするためにある,と。
 これと同じことが,私の原点であったし,改めて,きちんと自覚しなければいけないと思っています。
 最初に申し上げました様に,死ななければいけない,どうしようかと,真っ暗な気持ちで私の法律事務所のドアを開けた人が,帰るときはほっとして希望を持って帰れるようにしたい,と心がけて仕事をしております。


 あらためて津谷先生のお考えに共感した。

 「文化」も「法」も,人の希望や幸せのためにある。
 文化の日(11/3)と憲法記念日(5/3)はワンセット,という話をしたことがあるが,それは「人の希望や幸せ」という目的を同じくしているからでもある。

 津谷先生を前にして恥ずかしくない仕事をしていこう。
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