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 「理」と「情」

 これらを兼ね備えるのは人間としてなかなか至難の業だ。
 夏目漱石の『草枕』の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」というのは,今の世でも変わらない。

 こうした「理」「情」を,職業人として具備することが求められるのが「弁護士」稼業の難儀なところだ。

 「理」だけの弁護士は掃いて捨てるほどいる。
 しかし,「情」だけの弁護士ではプロとは言えない。
 その両方がなければダメなのだ。
 市民弁護士を標榜して仕事をやり続ける以上,これは永遠の難題なのである。


 秋元理匡さん(享年38才)は,極めて高い質の「理」と,底抜けに優しい「情」を兼ね備えた,希有な人材であった。
 職業の魂たる「理と情」において,並ぶ者のない傑出した弁護士だった。
 秋元さんの経験と勉強に裏打ちされた深い理論的な思考力に,どれだけ私たちが助けられ,
 秋元さんの社会的に弱い立場の人々に注ぐ無私の姿勢と真摯な志に,どれだけ私たちが刺激を受け,
 その甲高い声と,人懐っこい笑顔と,明るい人柄に,どれだけ私たちが頼ってきたか。


 こうして秋元さんのことを過去形で語らなければならないこと自体,
悲しいと言うよりも,
腹立たしさがこみ上げてくるというのが私の現在の偽らざる心境だ。

  「なぜ逝ったのか!」
  「これからどうしたらいいのか!」
  「君がいないとみんな困るじゃないか!」

という気持ちが口を突いて出てしまうのは正直なところだが,
しかし一方で,
  不勉強な自分たちのふがいなさ,
  何もかも頼り切っていた情けなさ,
  負担を掛けた申し訳なさ

などで,やはり無性に腹が立つ。

 本夕に執り行われた秋元さんの通夜で,声を掛け合った仲間の弁護士たちが,多かれ少なかれ,同じような思いをもっていたようだ。

 「彼のやり残したことを継がねばならぬ」

 通夜の葬儀のとき,お坊さんが「これだけ多くの人が来られたのは故人がそれだけ多くの貴重の働きをしてきたらだ。また,臨終の際に“もっとやりたいことがあった”,“もっと言いたいことがあった”と誰よりも苦しんだのが本人だ。だからお経を唱えたのです。」とお話しされた。
 少なからぬ数の葬儀に出たが,お坊さんの言うことがこれほど的確に思えたことはなかった。

 秋元さんの戒名は「法輝院情厚理正清居士」と授けられた。
 秋元さん,あなたの生き様そのまんまだ。


 ご葬儀の際に渡された挨拶状が,秋元さんのことを,秋元さんらしさを伝える,すばらしい文章だったので,恐縮だが,引用させていただきたい。

「力の限り駆け抜けた生涯を偲んで・・・」

 幼い頃から優しい息子でしたが,自分には甘えを許さない真面目な性分で,曲がったことは嫌い。社会的弱者を救う弁護士という職を志すようになったのは,自然の流れだったのかも知れません。

 持って生まれた“情”に,努力の末 法律の“知識”が加わると,息子は原発訴訟や布川事件に携わり力を尽くす毎日。頑張れば頑張るほど人との縁は仕事の枠をこえたものになり,酒を酌み交わすこともしばしばでした。そんな時間をもっと味わって欲しかったのですが,多くの出会いに支えられて理想を胸に生きた歳月は,年数だけでは はかれないほど中身の詰まったものだったとも思います。今はゆっくり休んでくれるように願い,「お疲れ様」と「ありがとう」を繰り返して安らぎの地へ見送ります。

 長男秋元理匡は,平成25年5月7日,満38歳にて短くも命輝く生涯を終えました。

 息子と出会い,ひとかたならぬご厚情を賜りましたすべての皆様へ,家族一同深く感謝申し上げます。
 本日はご多用中 ご会葬いただき,誠にありがとうございました。
 略儀ながら書状をもって謹んでお礼申し上げます。

   平成25年5月13日


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改憲論は,「米軍の押付け憲法を廃して,自主制定を!」と声高に叫ぶ。

要するに「Made in USA」はイヤだから,是非「Made in JAPAN」にという血統主義的な御説なのだが,

「中身が良ければどっちでもいいじゃん」,「中身がダメなら純和製でもダメでしょ」
という実用性重視の現実派の私としては,こういうセンチメンタルな情緒論には,あまり本気で議論する気になれない。

しかし,世の中では,こういうブランド志向で判断が左右されることも多いので,無視は出来ない。


そこで,憲法9条は,GHQの押し付けではなく,
逆に,日本側からGHQに押し付けたものである,


という内幕の事実をきちんと確認しておきたいと思う。

下記に引用した『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』と題するメモは,憲法調査会事務局において保管されていて,平成16年11月10日の第161回国会参議院憲法調査会でも引用されている。

 以下は,幣原喜重郎・元首相の語りの一部である。

■ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。
 そうだ。誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。

■この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

■そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心した

■僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。(中略)
 すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。
 それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。




 幣原喜重郎・元首相は,理想を語り,現実を知り,巧妙な策に長けた名政治家だったんだと,あらためて感じる。


※なお,法的にも,手続き的にも,日本の自主判断で憲法が改正されているのだから,「Made in USA」ということはありえないし,
 また,実質的にも,主権者たる国民の圧倒的支持を得て成立・公布されているのだから,権威の源泉も「Made in JAPAN」である。
 要するに,GHQが下書きしたのが気に入らないということなのだろうが,しかし,構想は幣原喜重郎大臣によるものだから,やっぱり日本製なのである。
 イメージ押し付けで世論を洗脳するような改憲論は,国民を見くびったアンフェアな手法だと思う。


なお,下記の憲法調査会事務局の資料は,下線を引いたり,強調を付けたりしていますが,これらは私の手によるものです。
 わたしは,日本を愛しています。
 また,そこで暮らす人々を敬愛しています
 だから,日本が,北朝鮮のような国になってほしくありません。


 でも,北朝鮮のような国にも,憲法はあります。
 その北朝鮮憲法にとてもよく似ているのが「自民党憲法改正草案」
 [北朝鮮化]=[自民党憲法改正草案]×[日本共産党的組織性]
 これで,日本は北朝鮮と化してしまうでしょう,いとも簡単に。


 実際,北朝鮮と重なって見える戦前日本は,たやすく狂気に陥りました。
 一度は辿ったことのある道です,「大日本帝国憲法」の下で。
 いま世の中に漂う閉塞感と国際緊張は,まるでデジャヴのように映り,歴史の一巡性を感じます。


 たとえば,
 北朝鮮憲法67条では,“公民は国家の法を徹底的に守らなければならない”とあります。
 自民党改正案102条でも国民に憲法尊重擁護義務を負わせ,12条で国民に義務と責任を強いています。
 近代国家が創り上げた「立憲主義」を捨て去る点が,北朝鮮と自民案の共通点です。


 それに,
 憲法改正について,
 北朝鮮憲法82条でさえ,最高人民会議代議員全員の3分の2以上の賛成が必要なのに,
 今,日本では,憲法96条を改めて,両院の3分の2の賛成を,2分の1にしようとしています。
 北朝鮮憲法よりも劣ったレベルに成り下がるのは,本当に情けなく,本当に恥ずかしいことです。


 憲法96条の歯止めを失ったとき,私たちは愛すべき国を失うこととなるでしょう。
 毎年のようにコロコロ首相が変わってしまうような私たちの国が,
 唯一の礎となっていた憲法さえも,根無し草のごとく変転し,
 政権が変わるたびに,憲法をおもちゃのようにいじくり回し,
 そして,刹那的な情緒に流される理性の乏しい利己的な国になる。
 まるで,北朝鮮のように。


 理性を重んじ,他人への思いやりを求め,一人ひとりの人間をたいせつにする,
 そんな,現在の日本国憲法の真価を知らないまま

 これを捨て去ることは,憲法を学んだ者として,はなはだ残念に思います。
 誇りある国家と,世界に誇れる憲法は,目を見開けば,今ここにあるのです。


 目を覚まして,憲法の真価を知って欲しい。
 この誇りある憲法の記念日に。
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