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私は兵庫県立の長田高校の出身です。
昨日、兵庫県下の県立高校でも3校の履修不足が発覚したと報道され、TVでは、我が母校がヤリ玉の中心となっていました。

校長先生は「ルールを守っていなかった」と泣きながら陳謝していました。
インタビューされた生徒は「関係ないことだ」と言い捨てていました。
とても身近なところまで手が及び、気持ちの上でもすっかり身近な問題になりました。

長田高校のライバル校の神戸高校では、先日、生徒間のいじめの問題が大きく取り上げられていました。
そういう意味で、いじめの問題も、とても身近な感覚を覚えます。

「いじめ」の問題も「履修不足」の問題も、現場である学校や教師に、主たる責任があるように取り上げられ、学校や教師を叩き直せ!という論調が支配的になってきています。
私は、学校や教師がかわいそうだと思います。
また、世論に翻弄され不安をあおられる生徒もかわいそうだと思います。

私は、この問題は、学校や教師に主たる責任を求めるのは、視点に根本的な誤りがあると思います。
そうではなく、「統制ある教育」・「全国一律の水準」などという考え方自体に、問題があると考えます。

この視点の切り口は10月9日のブログ 競争やめたら学力世界一~教育基本法の改正の前に考えること!で指摘した点にあります。
今回の履修不足問題は、そもそも、情報の出所に疑問があります。
最初に各紙で報道された時は、情報源について「我が社の調査によれば」という書き出しで誤魔化されていました。
このことから、どこかが意図をもってリークをしたということがうかがわれます。
(私は、与党筋あるいは文科省筋からの情報提供だと思っています。)

もともと、履修不足は以前からずっと行われていた問題であり、別に今に始まった問題ではありません。
進学校で、受験指導体制をしっかり取って独自のカリキュラムを組むということについては、むしろ社会のコンセンサスさえ得られていた、あるいは賞賛されていた時期もありました。
私立学校などは、今も独自のカリキュラムを売りにしているわけです。
そういう意味では、ずっと前から、関係者レベルでは、誰もが知っていた事柄でした(我が母校も、過去から、履修不足の点は指摘されていたとのことです。)。
その事実を知った上で,現場を尊重し,弾力的な運用がなされていました。
およそ、こんな大きなニュースになるような話ではなかったわけです。

なぜ、この時期に、しかも受験勉強が本格化するこの時期に、これほど大きく取り上げなければならないか。
頑張っている生徒たちに「卒業できなくなるかもしれない」などと声高に言って不安をあおらなければならないのか。

いうまでもありません。教育基本法改正に向けた、一つの政治的材料に利用されている、に違いありません。

現在、国会で審議されている教育基本法改正案の目玉は、「愛国心」ではありません。
  教育権を、国が、教育現場から奪い取る
というところが目玉です。

現行教育基本法では、10条において、
  「教育に不当な支配をしてはならない」
  「教育行政は、教育内容に口を出してはならない」
ということを定めています。
  (参考条文です。)
    ↓
(教育行政)
第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
 2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。


この教育基本法がある限り,行政が教育内容に口を出すことには限界があるのです。
そこで,
 「国」・「行政」
   指揮命令
 「学校」・「教師」
という支配関係を作りたいのです。
これまでは、それをやりたくても、なかなか実現できませんでした。
教育基本法が歯止めとなっていたのです。

日本の教育法制については、おかしなネジレが存在します。
 根本理念法である、憲法や教育基本法では、
   教育は現場を尊重する 「現場」>「行政」
となっているのに、
 下位法規である、学校教育法や学習指導要領では、
   現場は行政の指導に服する 「現場」<「行政」
となっています。

今、国会で審議され、変えられようとしてる教育再生の方向性は、目の上のたんこぶである、憲法や教育基本法を骨抜きにすることです。
 頭のてっぺんから足の先まで、
  「行政」>>>「現場」
とさせたいわけです。
履修問題や、いじめの問題が、政争の具とされ、いまや教育基本法は風前の灯です。

履修問題についていえば、
  学習指導要領は絶対のルールである
   →学校はルール違反を犯している
     →学校は悪い
       →現場に任せていたらこんなふうになる
         →指導・チェック体制を強化すべき
           →国と行政がリーダーシップを取るべき
            →今回、安倍や伊吹大臣は、見事な救済を果たした
             →これを機に国や行政の権限をガッチリ固めよう
              →これに背反する教育基本法は改めよう
という流れを意図しているようにしか見えません。

子どものいじめについても同様の意図がうかがわれます。
  いじめ自殺は深刻な問題
    →学校の指導体制に問題がある
       →学校の指導体制や支援体制を行政がしっかり行うべき
          →行政の指導・支援体制を充実させる
             →教育基本法を改正しよう
    →子どもの心に問題がある
       →道徳教育がしっかりできていないところに原因がある
          →心の教育をしっかり整備すべき
             →教育基本法を改正しよう
というシナリオが見え見えです。

いじめ問題については、10月27日のブログにも書きましたが、競争社会あるいは格差社会がまねく強者・弱者/勝者・敗者の論理や風潮を改めるのが先だろうと思います。
再チャレンジなどといって、チャレンジを強要し,競争による強者と弱者の分離構造を改めない国である以上は、いじめは無くならないでしょう。
(美しい国だが,冷たい国 ≒ 美しくないものは否定→いじめ。)


冒頭の10月9日のブログで指摘したように、フィンランドでは、教育内容は現場にゆだねられており、国家はそれを尊重するのが当たり前とのことです。
そもそも、教育内容を現場に委ね、学習指導要領をこれほど強固な規範として位置付けなければ、こんな問題は起こらないはずです。

そもそも、この教育指導要領自体に問題がないのか、あるいは、生徒の人生を犠牲にしてまで教育指導要領等という行政通達を守らなければならないのか、というところを考えるべきではないかと思います。

現場の教師は、行政通達の遵守と、親の顔色をうかがいながら、毎日を過し、やがて生徒と向き合うことを忘れてしまう。
いやはやなんとも、教師も生徒も、気の毒でなりません。



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