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本日の毎日新聞の社説を見て,正直言って実にうれしく思っています。

教育基本法改正 一から論議をやり直す時だ」

まさにそのとおり!って感じです。

教育基本法に関連する問題については,どうも反応が鈍くて,イライラすることが多かったのです。
 今年5月に弁護士会で教育基本法問題を取り上げて声明を出したときは,司法記者クラブで発表をしましたが,全紙とも無視でした。
 先日,再び声明を出したときも,ある程度は取り上げてくれましたが。小さな記事でした。何よりも,最も言いたかった部分(=大事なことなんだから,しっかり議論をしましょうよ!)が,あまり取り上げられず,ステレオタイプ的に「愛国心」がらみのコメントだけでした。

もも
 実は,明日も,大きな取り組みをする予定です。
(その予告編として,「ももちゃんは1年生」の1カットを紹介しましょう。明日,正午から午後1時までの1時間,JR神戸駅前と,JR元町駅前で,ビックリ紙芝居の公演が開かれます。詳報は,追って行います。お楽しみに!)
これも低調に終わるのではなかろうか,と心配していたところです。

 しかし,毎日新聞は,本日,問題点の一つを大きく取り上げてくれました。

 国家百年の計を立てる以上,多くの人々が議論し,しっかり考えないといけないですよね。当然だと思います。
 この点については,10月26日に,読売新聞と産経新聞が,揃って社説を書いていました。
 論調は,
  「教育基本法の改正を急げ!」
というものでした。
 今回の毎日新聞の記事と,180°正反対の主張ですね。

 なぜ,議論を先にしろ,と言うのか?
 それは,現在の諸問題の原因は,教育基本法に根本原因があるのか否かを,しっかり見て欲しいからです。
 むしろ,教育基本法のとおりの施策をして来なかったことが原因であることは,ちょっと議論すれば,容易に理解できるはずだからです。

 法律家が言うのもはばかられますけれども,法律を変えただけでは何も変わりません。
 法律というのは,
   物事を規制したり縛ったりするときには効果的に作用する
のですが,
   物事を創造したり育てたりするときにはあまり効果的でない
という性質があります。

 教育というのは,まさに人間を創造し,育むための「場」です。

 そういう部分につき,事細かに規制や呪縛を持ち込もうという発想は,根本において誤りがあると考えます。

 この点については,いろんな意見があると思います。

 いろんな意見をぶつけあって,一人でも多くの人が本気になって教育問題を考えるところが,これまでのところ一番欠けていた部分だと思いますので,是非,この機会にいろいろ考えてみましょうよ。


毎日新聞の平成18年11月12日の社説を引用しておきます。

教育基本法改正 一から論議をやり直す時だ

 タウンミーティングの「やらせ質問」問題は、政府の「この催しで教育基本法改正案に国民的な理解を深めてきた」という説明に根拠がないことを裏付けた。履修不足問題を文部科学省が見過ごしていたことも発覚した。こうなっては「真理と正義を希求し」(改正案前文)の文言も空疎に響く。改正案成立を焦らず、真に「国民的理解を深める」ため一から論議をやり直すべきだ。

 衆議院特別委員会で再開された審議は、折しも続発した「いじめ自殺」「履修不足」「教育委員会改革」などをめぐる質疑が大きなウエートを占め、法案自体の論議は棚上げになった観がある。

 そこへ「やらせ質問」問題が発覚した。さらに、履修不足問題では、文科省の委託調査研究会が既に02年の時点で大学生の16%が高校必修の世界史を不履修と突き止めていたことがわかった。

 文科省は内部で情報が行き止まっていたといい「問題意識が至らず見逃した。連絡体制の不備を反省する」と苦しい弁明をする。しかし、その時、深刻な問題ととらえ、改善策を講じておれば、校長を自殺にまで追い込んだ今回の大混乱は避けえたはずだ。

 この事態を軽視してはならない。やらせで「民意のでっち上げ」ともいうべき操作をやり、学習指導要領の根幹にかかわる大量履修不足を「問題意識なく」見逃す文科省は今や信を失ったといっても過言ではない。

 こんな状況のままで、基本法の改正案の審議が国民の納得と信頼に支えられて進められるなどというのは絵空事だ。根本から論議を提起し直し、改めて真に国民の理解と意見を反映する努力をしなければならない。それを怠り「審議は十分尽くした」と強弁するなら、「百年の大計」と意気込んで作られた改正案自体が内実のない作文とみなされかねない。

 教育目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」など徳目や公共の精神をうたい、生涯学習の理念や国の教育振興基本計画策定義務などを盛り込んだ改正案は、そもそも何のために法を改めるのかという原点がはっきりしないまま今日に至っている。

 新たな時代にふさわしい理念を追加するとか、国が責任を持って施策を進めるためとか、説明はあるが、現行基本法がネックになっているわけではない。また法を改めずともほとんどのことは現行の教育関連法規の運用で実行できるものだ。その辺もすっきりと納得できる政府側の説明はない。

 結局は「現行法は占領軍に押しつけられた。全面的に改めたい」という認識と動機が第一で、法改正そのものが自己目的化しているのではないかと思いたくなる。それが誤解というなら、深みのある論議を十分に経ないまま「残り時間」を言い立てるようなことはすべきではない。

 そして、実のある論議の大前提として、やらせや履修不足問題看過など発覚した重大な問題について責任の所在の明確化と必要な措置をとることはいうまでもない。



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