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「命」を何かの「手段」にしてはらない。

 どういうことかというと,「命」はそれ自体が何よりも大切だということ。「命を大切にすること」が最大の「目的」であって,「命」は何ものにも代え難いということです。そして,命と引換えになるようなモノは何もないということです。
 したがって,
  ◇何かのために「命」を捧げたり,
  ◇「命」をもって責任を償ったり,
  ◇「命」を投げ打って抗議をしたりすること,

すなわち「命を手段にすること」は,絶対にあってはならないことだ,という結論に行き着きます。

 憲法においても,最も大切なのは「個人の尊重」とされています。つまり「ひとりひとりの命」は何よりも最優先することになっています。
 このことは,たとえば「国家のために命を捧げる」という論理を,憲法は正面から否定している,と言えば分かりやすいかも知れません。

 現行教育基本法は,憲法の理念を国民に根付かせることを一つの大きな目的としていました。
 したがって,教育基本法どおりの教育が実現されていれば,「命の大切さ」を何よりも重視する価値観が浸透するはずだったわけです。


 ところが,実際はどうでしょうか?
 現在,毎日のように報じられている自殺の連鎖は,あまりに痛々しくて,目を覆わざるを得ないぐらいの惨状です。
20061113055024.jpg
 ◇校長先生が履修問題について「責任を取るために」自殺する。
 ◇生徒の不祥事について校長先生が「謝罪のために」自殺する。
 ◇いじめにあった生徒が「抗議のために」自殺する。
 ◇教育現場で悩んだ末に新任の先生が「おわびのために」自殺する。
 (その先生が遺した遺書が公開されていました→)

 亡くなられた方々を責めるつもりは毛頭ありません。
 ただ,このように「命を手段にして行動を示す」ようなことを,当たり前のように受け止めている現代社会の病理現象は,あまりにも異常だと思うのです。

 そして,その病理現象の発信地が,「教育現場」だとすれば,これはあまりにも深刻な課題であるということです。
 命の大切さを教えるべき現場において,
 命を道具や手段に使う事件が頻発している,
ということです。

 もういちど基本に帰って「教育基本法を実現する」というところから始めることが重要ではないか,というのが私の意見です。
ちなみに,現在,審議中の教育基本法改正案(政府案)では,
  「国家と社会の形成者として必要な資質を備えること」
を,目的としています(第1条)。

 言い過ぎかも知れませんが,
   国家や社会の有能な歯車
を製造することを目的とする教育を目指しています。

 その代わり,現行教育基本法の第1条に規定されていた
   「個人の価値をたっとび」
という文言は削除されています。
 つまり,個人の価値は従前よりも軽く扱われることになりますから,命の価値も相対的に軽くなってしまうでしょう。

 新しい教育基本法による教育が施行されると,国家や社会に役立たない人間の価値は否定されかねません。
 その結果,「自分が役に立たない」とか「周りに迷惑をかけた」と悩んだ人間の行き着く先には,「自ら命を絶つ」という選択肢も当然あり得ることになるでしょう。

 この国を健全な「良い国」にしたいのであれば,少なくとも「命の大切さ」を正面から訴えている現行教育基本法を大事にしないといけないと思います。
 いかがでしょうか?


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