12月20日に,日弁連の会長談話が出ていました。
(→HPはこちら,あとで全文を引用しておきます)

 今回の談話は,実に良い内容と言えます。

 ちなみに,改正論議が起きた今年4月25日の時点の声明は,あんまり内容がなく,中途半端なものでした(→HPはこちら
 その後,9月15日に意見書が出されましたが,ちょっと総花的な感じが否めませんでした(→HPはこちら
 さらにその後,衆議院で与党単独の強行採決がなされた11月16日の時点で出た声明も,各都道府県の単位会が出していた声明に比べると,かなり淡泊なものでした(→HPはこちら

 しかし,今回の談話は,とても実践的・戦略的で,メッセージ性が高く,何よりも奥深いものを感じます。

 かくいう私も,この2~3ヶ月で,「教育基本法」という法律の背景や,内実あるいは意義に,はじめて触れました。
 ですから,今年の4月に兵庫県弁護士会としての声明を検討していた時点のことを思い返してみると,教基法の理解の程度は実に不十分で浅かったと思います。

 今回の声明・談話の流れを見てみると,まさに日弁連レベルでも,
   法律家自身が教基法のことを十分に理解していなかった
ということであります。そして,反面では,この間の濃密な議論を通じて,
   法律家の理解が急速に深まり,
   法律家の役割を強く認識するようになった,
ということが言えるかも知れません。

 今回の会長談話のどこが「良い」というのか。私の独断によれば,次の点です。
 まず,第1に,今回の改正教基法も,憲法の下で解釈されなければならない,と言い切っていることです。
 政府の勝手な道具にさせないぞ,という法論理を堂々と宣言しています。

 第2に,ちゃんと法解釈の方向性を明らかにしています。
 言葉は難しいかも知れませんけれども,理論的な分析と主張を,しっかり展開しています。さすが日弁連だ。

 第3に,日弁連が法律家の先頭に立って頑張るぞ,と表明していることです。
 ともすれば,教育問題は教育者の領域だと考え勝ちで,法律家は消極的になりがちですが,この会長談話は,自ら主体的に頑張ろうと言っている。

 第4に,この一連の教基法改正問題は,たんなる成立過程の議論の整理に過ぎない,と切り捨てていることです。
 確かにそうですよね。首相の言葉を借りれば「戦後レジュームからの脱出」のための改正なのですから,中味までいじる必要性は全くなかったんですから。
 そうだとすると,単に自らの手で作り直しただけ十分なのであって,内容そのものは従来通り一貫していると理解するのが正しいでしょう。

 とにかく,私も,今日この談話の存在を知ったばかりですので,もう少しよく読んで,今後の武器にしていきたいと思います。


以下,その会長談話を引用しておきます。
(※読みやすいように段落分けを変えています)
(※太字・強調などは津久井による)
(→なお原文はこちら



改正教育基本法の成立についての会長談話

 改正教育基本法が12月15日の参院本会議にて与党の賛成多数により可決・成立したが、この間、国民に開かれた議論があまりにも不十分であったことは、極めて残念である。

 戦後60年間、その成立経過(「生い立ち」)についてなされてきた議論に終止符がうたれ、ひとつの区切りとなった。
 今後は、教育基本法の生い立ちについての議論ではなく、教育基本法の根本精神を踏まえた教育のあり方が問われる。その精神は歴史の真理であり、真理の書き換えは許されない

 教育基本法は、憲法の諸原則にのっとり、憲法の理想を実現することを目的として制定された教育に関する根本法である。
 国家に対して、すべきこと、またはしてはならないことを義務づける権力拘束的な規範と解されている点で立憲主義的性格を有する。
 この立憲主義的性格が最も端的に表れているのが、教育に対する不当な支配を禁じ、教育に関する諸条件の整備を教育行政の目標として定める改正前の10条にほかならない

 改正前の10条は、「教育は、不当な支配に服することなく、」の後に、「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と続く。
 ところが、改正法では「教育は、不当な支配に服することなく、」の後の文言が「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、」と改正された(改正法16条1項)。
 このような文言の変更により、「教育は、不当な支配に服することなく」の部分についての解釈も変わってくるのではないか、同条が持っていた立憲主義的性格が損なわれるのではないか、ということが最も危惧されたのである。

 この危惧に対し、改正法案をめぐる国会審議における政府答弁は、改正前の10条から改正法16条へと変わっても、旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決(昭和51年5月21日)の趣旨は変わらないとの立場を明言した(例えば、11月24日、12月5日の参議院教育基本法特別委員会)。

 この大法廷判決は、

 教育は、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでないこと、

 教育内容に対する国家的介入についてはできるだけ抑制的であるべきであること、

 個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されないこと、

 及び、これらのことが教育についての憲法上の要請であること


を明らかにした。

 そして、「不当な支配」についてはその主体のいかんを問わないこと、教育行政機関が行う行政についても「不当な支配」にあたる場合がありうるということを判示している。

 改正法16条1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」と規定されているところ、
 これは、

 ①教育は不当な支配に服してはならない、

 ②教育行政は法律に基づいて行われなければならない、

 ③教育行政は公正かつ適正に行われなければならない、


という教育に関する原則を定めたものとして理解されるべきものである。
 これらの原則は、教育の政治的中立性・不偏不党性、自主性・自律性、公正・適正を確保するための歯止めとしての役割を果たすものであると解釈されなければならない。
 そして、上記の憲法上の要請に反する教育への支配・介入は、仮に、法律に基づく教育行政であったとしても、「不当な支配」に該当するものであると解されなければならないのであって、このことは今回の法改正によっても、当然維持されるべきことである。


今後、日弁連に課せられた役割は大きい。

 前述のとおり、当連合会が最大の問題としてきた「教育は、不当な支配に服することなく」の解釈については、改正教育基本法の下でも維持されるべきことを、当連合会は、まず、法律専門家としての立場から世に明らかにしていく責任がある。

 次に、今後見込まれる教育関係諸法令の改正作業についても注視することを怠ってはならない。
 今後の教育行政のあり方、特に、改正教育基本法2条が、実際の教育現場でどのように実施されるかは、
  学校教育法
  地方教育行政法あるいは
  学習指導要領
についての改正がどのようになされるか、さらには
  改正法17条に基づく教育振興基本計画
がどのように定められるか、にかかっている。

 なぜなら、これから改正が見込まれる教育関係諸法令は、直接、子どもの学ぶ権利の内容を規定していく性格を有するものであって、その内容の当否や適正性は、日々の教育現場に直接作用するからである。

 当連合会は、今後見込まれるこれら教育関係諸法令の改正作業についても、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする法律専門家としての立場から、憲法の教育条項をふまえた提言を行うとともに、教育現場での思想信条の自由、教育を受ける権利や学習権が侵害されることのないよう不断に取り組み続けることを、ここに改めて表明するものである。

 2006(平成18)年12月20日

                        日本弁護士連合会
                        会長 平山 正剛


 いやあ,今回のこの日弁連談話は本当に素晴らしい内容です。
 自分の所属団体を褒めるのもおかしいのですが,さすが日弁連だ!と今回は思いました。

 日弁連が「日弁連に課せられた役割は大きい」と言っているのですから,地方の一マチ弁としては,今後の提言等に大いに期待したいと思います。


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