「現行憲法は,占領軍から押し付けられたもの。だから変えなければならない」
もう耳にタコが出来るほど何度も聞いた,実にくだらない改憲論の理屈です。

 既に,多くの良心的な論客によって論破されている論点ではあります。いまさら取り上げる必要もないかもしれません。
 しかし,池田香代子さんのお話を聞いて,刺激を受け,是非,多くの人に誤りを知っていただく必要があるな,と思いました。
 そこで,ここに書きとどめておくことにします。

abeutuku.jpg あんまり人格に深みのない安倍晋三さんは,その薄っぺらい著書「美しい国へ」の中で次のように書いています(27~28頁)。
「戦後日本の枠組みは,憲法はもちろん,教育方針の根幹である教育基本法まで,占領時代につくられた」
「国の骨格は,日本国民自らの手で,白地からつくりださなければならない。そうしてこそはじめて,真の独立が回復できる。」
「まさに憲法の改正こそが,『独立の回復』の象徴であり,具体的な手だて」
 こうして,あらためて引用してみると,その不勉強さに呆れてしまいますが,その点はさて置いて,この文中の
    「白地からつくる」
という部分は,膨大な過去の歴史と教訓を踏まえない,という意味でしょうか。
 そうであれば,学習能力ゼロということで,著しいナンセンスとしか言いようがありません。まさか,そういう意味でないでしょう。
 ここは,「日本国民自らの手で」作るというところに重点があるんでしょうね。

 そうだとすると,もともと,日本国憲法は,名実ともに日本人の手で作られているのだから,改正する必要はありません。

 ついては,この日本国憲法が,純和製である(made in japan)ことを,あらためて確認しておきたいと思います。
 よく言われているのは,次の流れです。
 (→国会図書館のHP「日本国憲法の誕生」を参考
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   憲法問題調査委員会(松本委員会)が改正案を提出
         ↓
   GHQがこれを拒否し,GHQ草案を提示
         ↓
   これに基づいて再度,憲法問題調査委員会が起草
         ↓
   帝国議会での審議を経て,1946年11月3日に公布


 こういう経過から,結局GHQが作ったのではないか,といわれています。

 確かに,松本委員会の当初の改正案は,明治憲法の焼き直しで,とうてい受け入れられる代物ではありませんでした。
(仮に,この改正案が通っていたならば,今ごろ,私たち市民が「政府の押し付けだ」と主張していたことでしょう。)

 では,これに対抗するGHQ案は,GHQオリジナルか?
 違います。
そうではありません。
 GHQ案の基になった原案は日本人の民間案だったのです。

 当時,民間から出された改正案は,実にたくさんありました。
(→HPで一覧を確認できます
 市民レベルも含めた憲法論議が活発化していたことを示す事実です。

 そのうちの一つである,鈴木安蔵らの憲法研究会「憲法草案要綱」(1945年12月26日発表)が,間違いなくわが日本国憲法の叩き台です。

 ちょっと,その案の一部を見てみましょう
 (→解説HPはこちら)(→全文はこちら
 (分かりやすく,ひらがなに変換しておきました)
一、日本国の統治権は日本国民より発す
一、天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る
一、国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基く一切の差別は之を廃止す
一、国民の言論学術芸術宗教の自由に妨げる如何なる法令をも発布するを得ず
一、国民は拷問を加えらるることなし
一、国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す
一、男女は公的並私的に完全に平等の権利を享有す

現行の日本国憲法の内容とそっくりそのままですよね。

さらに,もうちょっとさかのぼりましょう。
日本が明治憲法を制定・公布したのが,1889年(明治22年)2月11日です。
現行憲法ができる57年前のことです。

このときにも,数多くのリベラルな憲法案が公表されました。
(→一覧はこちら

 このうちの,1881(明治14)年植木枝盛が発表した「東洋大日本国国憲法」が,現行憲法,あるいは,憲法研究会「憲法草案要綱」のタネになっているのです

 これも,条文を見て頂ければ,現行憲法の内容とそっくりであることがすぐに分かるでしょう。
 一部を引用します。読みやすいように,ひらがなに変換しておきます。
(→HPはこちら
第四十二条 日本の人民は法律上に於て平等となす
第四十三条 日本の人民は法律の外に於て自由権利を犯されざるべし
第四十六条 日本の人民は法律の外に於て何等の刑罰をも科せられざるべし
第四十八条 日本人民は拷問を加へらることなし
第四十九条 日本人民は思想の自由を有す
第五十条 日本人民は如何なる宗教を信ずるも自由なり
第五十一条 日本人民は言語を述ぶるの自由権を有す
第五十二条 日本人民は議論を演ぶるの自由権を有す
第五十三条 日本人民は言語を筆記し板行して之を世に公けにするの権を有す
第五十四条 日本人民は自由に集会するの権を有す
第五十五条 日本人民は自由に結社するの権を有す
第五十九条 日本人民は何等の教授をなし何等の学をなすも自由とす
第六十二条 日本人民は信書の秘密を犯されざるべし
第六十五条 日本人民は諸財産を自由にするの権あり
第六十七条 日本人民は正当の報償なくして所有を公用とせらるることなし
第七十五条 皇帝は国政の為に責に任ぜず
 つまり,今から約130年ぐらい前から,現行憲法の趣旨は,この日本に生まれていたということになるわけです。
 この植木枝盛の憲法案と現行憲法との符合については,池田香代子さんの講演で,初めて知りました。素直に,ちょっとした驚きでした。
 むしろ,このプリミティブな明治時代の「白紙」からのスタートした時代の方が,
   「法の支配」や「立憲主義」
を正しく理解できていたのかも知れないな,と感じました。


 さらに,さらに,戦争放棄・戦力不保持の条項については,当時の幣原喜重郎首相の意思に基づいて設けられたものである,ということは,既に常識的に知られていることではないかと思います。

 たとえば,「米軍軍事・外交合同聴聞会記録」(1951.5.5)では,マッカーサーが次のように発言したとされています。
「内閣総理大臣幣原氏が私のところにやってきて,こういったのです。『私は長い間熟慮し、信じてきたことがあります』と。幣原氏は大変賢明な老人で、最近亡くなられたのですが,彼は『これは、長い間熟慮し、信じてきたことなのですが、この問題を解決する唯一の方法は、戦争をなくすことです』といいました。」
「彼はいいました。そして『私は,現在起草している憲法の中にそのような規定を入れるように努力したいのです』と言ったのです。私はこれを聞いて思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、これこそ取られうる最も建設的な道の一つだと思う、と言いました。そうしないではいられなかったのです。」
「私は彼を励まし、彼らはこの条項を自らの憲法に書き込むことになったのであります。そして、その憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があるとすれば、それはやはりこの条項でした。」


幣原首相自身も,国会で次のように発言しています(1946.8.27貴族院本会議)。
(分かりやすいように一部口語化しています)
「実際この改正案の第九条は戦争の放棄を宣言し、わが国が世界中で最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります。
今日の時勢になお国際関係を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするがごときは、過去における幾多の失敗を繰り返すゆえんでありまして、もはや我が国の学ぶべきことではありませぬ。
文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。
私はかような信念を持ってこの憲法改正案の起草の議にあずかったのであります。」

 後の1956年に自民党単独による憲法調査会が設置され,その調査会長となった高柳賢三東大教授も「天皇・憲法第九条」の中で
「憲法9条は(中略)調査会の集めたすべての証拠を総合的に熟視してみて、私は幣原首相の提案とみるのが正しいのではないかという結論に達している」
と断じているところです。

 ところで、当時、南原繁氏が総長であった東大(東京帝国大学)では,「憲法研究委員会」(委員長:宮沢俊義)を結成し,新憲法案を検討していました。
 この「東大憲法研究委員会報告書」では,政府案を受けて、次のような意見を表明していました。
(→原文はこちら
第9条は日本国の世界政策の根本理念を表明するものであるから,これを「総則」に編入し,第2条とするのが適当である。その場合,その表現も日本国の平和主義的理想を積極的に表明するやうな簡潔なものに改める。
「第2条 日本国は,国際紛争の解決の手段として,国家主権の発動たる戦争によることを否認すべしとする世界普遍の主義に従ひ,国策の具としての武力
の行使又は威嚇を永久に抛棄し,国家が陸海空軍を保持する現代の制度を廃棄する」


 このように,日本国憲法の中身は,古くからの日本人の英知と,当時の日本の市民の良識が源泉になっているのであり,内容については,和製そのものといわなければなりません。

 そもそも,日本国憲法の制定手続は,当時の明治憲法の改正の手続きに沿って行われており,また,国会審議は,日本人の手で進められたのであって,形式的な手続きも,適法に進められました。

 すなわち,名・実ともに,メイドインジャパンなのです。

どうしてこれが押し付け憲法になるのか。
それは,この憲法を押し付けられて,不自由な思いをする人たちが,気に入らないからでしょう。
憲法で縛られて不自由になる人は誰でしょうか?
それは,権力者(=政府)です。

 政府が「押し付けだ!」と言っているということは,憲法が正しく機能していることにほかならないので,とてもよいことだと言えるでしょう。

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