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 いじめた側の子どもが自殺したとされる松戸市の件について(真相は分かりませんが,報道で取り上げられている限度で)考えてみます。

 いじめには厳しい態度で当たるべきだ,というのが,一貫した現在の政府や文部科学省の考えです。

  大人が「悪」に厳しく接するのが正義だ

と言っているわけですが,子どもは大人の真似をしますから,

  子どもも「わるい子」には厳しくしていいんだ

と理解して行動します。

 「わるい子」であると民主的に認定して集団で厳しく接する
(≒「あの子やだよね~」とクラスの大多数で仲間はずれにする)
 →これが,いじめの「芽」になります。

 それがエスカレートして度を過ぎると「いじめ事件」になります。

 今回自殺した子どもは生徒会役員もしていたそうで,いじめもゲーム感覚で,集団のうちのひとりに過ぎなかったということです。
 どうして,それが「自殺」にまで至ったのでしょうか?

 この点,教師の厳しい一言が引き金になったのではないか,という報道がありました(→こちら

ここで,安倍さんの国会答弁と,ニュースの記事を対比してみましょう。
まず,先に紹介した2月7日の朝日新聞の記事です。
 千葉県松戸市の市立中学2年の男子生徒(14)がマンションから飛び降り自殺した問題で、松戸市教委は6日、この生徒が自殺前日に加わった同級生へのいじめの様子や、その後に教師からいじめについて「最低のことだ」などと指導を受けていたことなどを明らかにした。市教委は「指導は通常の範囲内だった」としている。
(中略)
 教師側は4人で、自殺した生徒が加わった後の指導は約40分。教師は「相手の身になって真剣に考えてみて。私だったら耐えられない。最低のことをしたんだ」などと叱責(しっせき)したという。

ここでの論調としては,
    子どもに「最低のことだ」というのは言い過ぎではなかったか
ということを言いたいんでしょうね。

これとほとんど同じことを,日本の総理大臣が,国会ではっきりと述べています。
以下は,全て安倍晋三氏の国会発言です。
平成19年01月29日衆議院本会議
  「いじめは、人間として絶対に許されないことであります」
平成18年11月30日参議院教基法特別委
  「いじめは絶対に許さず、見て見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する」
  「直ちにいじめをやめるべく厳しく指導していく、それもやはり私は大切ではないか。また、先生にとってもそういう厳しい指導をすることもできるということでなければ、なかなか問題の解決は私は難しいのではないかと思います」
  「いじめているというのはとっても恥ずかしいことであって、それはいけないことなんだ」
平成18年11月24日参議院本会議
  「いじめは人間として絶対に許されない
平成18年11月22日参議院本会議
  「いじめという行為自体が恥ずかしい行為である」

別に言葉尻を捉えるつもりはありませんし,また,松戸市の教師を弁護する気もありませんが,総理大臣が再三口にしていたことと,現場の教師が口にしたことは,同じことではないですか。

国が目指そうとしている教育方針が,早くも,一つの形としてあらわれているということを認識しておくべきだろうと思います。

子どもの死を無駄にはしてはいけない。
大人は,子どもの命から,大切なことを学ばなければならない。

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