上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 女性を「産む機械」とみなしているのは一大臣だけでなく,日本の法律や行政も同じだ。
 離婚から300日以内に生まれた子は前夫の子であるなどと「機械的」に運用しているのは,法律や行政ではないか。

というのは,柳田邦男さんの意見(本日付神戸新聞朝刊8面)。

具体例として,

 ◆最近は医学の進歩により妊娠200日台で出産する例も多い

 ◆離婚後292日目の出産であり,状況上あり得ないのに,役所は「前夫の戸籍にしか入れない。裁判手続を取ってくれ」と冷たい対応をした

 ◆この問題は1980年代から認識されているのに,民法の規定を変えようという動きは,行政・議会からは,いっこうに出てこない

ということがあげられている。
(→2月17日のブログをご参照されたい)
 指摘のとおりで,明治時代の因習に基づく規定にとらわれて,現実の問題に対処できない,法律や行政は,初めて問題に遭遇した出産婦にとっては「無能」「有害」というほかない。
 法律の大原則を前提にしつつも,現実の困難に,柔軟かつ適切に対応することが本来の「人間力」である。


柳田さんは,最近「潤いのある2.5人称の視点」を持論としている。

これは,
 ◇公正で客観的な三人称の視点を持ちつつ
 ◇「自分がその身になったら」という当事者の視点を持つ
 (=一人称,二人称=自分自身や家族)

という意味である。

確かに,日本では,行政も司法も,
   「公正,公平,客観的」
というお題目を頑迷に繰り返し,これをもって「第三者」であると勘違いし,これに固執する傾向にある。
血が通っていないとか,冷たい,現実離れしているという批判が出るのは当然だ。

柳田さんは,これまでの災害・事故の数々の取材のほか,公害被害者,原爆被害者の問題に取り組む中で,この視点に気付いたという。

「その人の身になって」という視点は,いじめ問題の解決にせよ,真の意味で「美しい国」創りのためであれ,現代の諸々の難問に挑む上で不可欠の視点であると思う。

 たいしたこともしてこなかった安倍氏がにわかに人気を博したのも,拉致問題で,当事者の立場に立って頑張った経過があるからではなかったか。

 私たちの弁護士としての日常業務は,幾多の証拠から「事実」を探求・発見するという営みである。
 裁判を通じて「第三者性」に頑迷に固執する裁判官等に出会うことがあるが,そういう人は,たいてい事実の見方が浅かったり,判決に説得力がなかったり,時に無能ではないかと感じることがある。
 証拠を目の前にした上で,「当事者の立場だったらどのように見えるだろうか」という想定力があってこそ,はじめてリアルな真実に迫れるのである。
 そういう意味で,「2.5人称の視点」というのは,法律家にとっても非常に重要な姿勢ではないかと思う。

今,社会に求められているのは「2.5人称の視点」である。
この柳田さんの持論に共感する。


クリックして下さいクリックして下さいクリックして下さい
Secret

TrackBackURL
→http://tukui.blog55.fc2.com/tb.php/262-6d9c6291
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。