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 JR西日本福知山線の脱線事故から,まもなく2年目を迎えます。

 事故が起きたのは,平成17年4月25日午前9時18分ころ。場所は,尼崎市の塚口駅~尼崎駅の間の第1新横枕踏切近くのカーブでした。

 2年目を迎えるにあたり,様々な取り組みが予定されています。
(現在のところ予定されている取り組みは,「市民事務局かわにし」のブログで確認できます。→こちら

 その一つ目として3月17日(土)に「4・25メモリアル市民の集い」が開催されました。
 会場は,事故現場のすぐ裏にある尼崎市久々知3丁目の工場跡地でした。20070317141801.jpg
 そこからは,事故現場となったマンション(「エフュージョン尼崎」)が見えます。この写真で見ると,左上に写っている建物がそれです。

 ステージでは,音楽演奏のほか,事故車両の1両目に乗車していた山下亮輔さんのお話や,踏切で事故状況を目撃し救助に当たった吉野さんのお話が語られました。
(そのときの様子は,後に引用する新聞記事をご覧下さい。→こちら

 1両目に乗車していた方の状況については,山下さんと同じく1両目に乗車していた吉田恭一さんが,
  「福知山線5418M 一両目の真実」
という本を出しておられ,ご自身のHPにおいても,当時の状況を赤裸々に,また,極めてリアルに綴っておられます。
(→こちらです 非常に参考になります。)
 あのときを,市民ひとりひとりが忘れないようにするために,あらためて振り返ってみる必要があると思います。

 「風化」というのは,当事者の問題ではなく(被害者にとって「風化」ということはあり得ない!),当事者以外の一般市民の問題意識の有無やレベルをあらわすものだと考えます。
 「安全」に少しでも関心を持つのであれば,当時のことを忘れてはならないと思いますから。
20070317150637.jpg
 会場は,当時と同じように澄み切った青空でした。
 この日の取り組みの最後に「千の風になって」の歌と共に,各人がメッセージを書いた風船を空に飛ばしました。
 当日は風が強く,あっと言う間に風船は遠くへ飛んでいきました。

  20070317153314.jpg
 また,会場には,昨年の4月25日に,福知山線沿線の各駅で,乗客のみなさんにメッセージを書いてもらった「空色のメッセージボード」が展示されていました。
 1年ぶりにメッセージを読むと,いろいろこみ上げてくるものがあります。

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神戸新聞の記事です。
尼崎で「市民の集い」JR脱線事故

 尼崎JR脱線事故で負傷した乗客の話を聞き、犠牲者らの冥福を祈る「4・25メモリアル市民の集い」が十七日、事故現場近くの尼崎市久々知三の工場跡地であった。地域の特定非営利活動法人(NPO法人)など十四団体でつくる実行委員会が主催。集まった市民らは、事故当時の模様など生々しい体験談に聞き入っていた。

 集いでは、事故を起こした快速電車の一両目に乗車していた近畿大一年、山下亮輔さん(20)=大阪府東大阪市=が、負傷者らを支援するNPO法人「市民事務局かわにし」副理事長兼事務局長の三井ハルコさん(51)=川西市湯山台=の質問に答える形で、「揺れが大きくなって、ガーッという音とともに窓に地面が近づいてきた」と脱線直前の様子などを話した。

 一年近く入院生活を送ったが、「事故に遭って、『人のために何ができるか』を考えるようになった」と山下さん。ミュージシャン志望で「夢は自分の歌が人の支えになることです」と結んだ。

 最後は、事故で亡くなった人の数と同じ百七個の風船に、参加者らが「安らかにおやすみください」「みんなの分まで生きます」などのメッセージを書き込み、空へと飛ばした。(小川 晶)



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