原爆の日に寄せて、多くの方々の思いに触れることができました。
私が感じたことは、2つあります。
どちらも当たり前のことですし、また、ちょっと時機を失してしまいましたが、書き残しておきます。


 一つ目は、原爆の悲劇を、他人事とは思わず、わが事として捉えることの大切さです。

 広島、長崎の人々が、毎年、平和宣言で訴えようとしていることは、平和の問題、あるいは、戦争の悲劇が、決して他人事ではないということだと感じます。

 広島の平和宣言のなかで
「ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
 しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫忘れてはなりません。」
の部分は、そこを訴えているように思いました。

 原爆は、決して広島・長崎だけのことではありませんでした。
 これに前後して,原爆の投下実験が各地で数多く行われていました。広島・長崎は,その延長線上にあったに過ぎません。
 模擬原爆(原爆投下の訓練として、米軍第509混成群団が1945年7月20日から8月14日にかけて行った実験)は、東京富山長岡敦賀福島島田焼津浜松名古屋春日井豊田大垣四日市大阪和歌山宇部新居浜など1都2府15県29市町の44地点で行われました。 
 その実験の結果、約420人が死亡、約12万人が負傷したということです(「春日井の戦争を記録する会」の調べ)。

 地理的に見れば、決して他人事ではなかったということです。

 既に62年が過ぎ、時間的な隔絶は大きいですが、それを埋めるために、リアルな声に耳を傾け、想像力を総動員する必要があると思います。


 もうひとつは、平和だからこそ平和を語れる、というありがたさを感じたと言うことです。

 広島の平和宣言も、長崎の平和宣言も、戦後、1度だけ中止されたことがありました。

 1950年です。
 いうまでもなく、この年は朝鮮戦争が勃発した年です。
 核兵器を使用する可能性もあったため、GHQの働きかけもあり、平和集会が取りやめになったとのことです。
(過去の平和宣言の全文 広島はこちらから 長崎はこちらから

 「平和だからこそ平和が語れる」、というのは当たり前のようですが、すごく大切なことだと思うのです。

 神戸新聞の昨日のコラム「正平調」(→こちら)では、こんなことが書かれていました。
非正規雇用の若者の間に「戦争が起こってこんな世の中つぶれてしまえばいい」との声が広がっているという。息苦しく、やけっぱちな空気も感じられる今の社会を映すのか。
貧困が戦争を生み出すということは、憲法前文にも書かれています。

 「今の世界に平和が失われつつあるからこそ、平和が語られにくくなる。また、今の社会から豊かさが失われつつあるからこそ、戦争が語られるようになっている。」ということでしょうか。

 一人ひとりがより強く平和を訴えていくこと
 一人ひとりがより経済的に豊かになっていくこと
が平和を維持するための基本作業かな、と思います。


***ランキング参加中***応援クリックお願いします応援クリックお願いします応援クリックお願いします
          
Secret

TrackBackURL
→http://tukui.blog55.fc2.com/tb.php/451-8fecf48a