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民主党に意見書を出しました。

内容は,民主党の「日本国教育基本法案」に対する意見と提言です。

民主党は「日本国教育基本法」を提唱しています(→民主党の「教育のススメ」をご覧下さい。)

民主党が勝利した今,これからの国会運営で主導権を持つことを期待しつつ,跡形もなく改悪されてしまった教育基本法を,あらためて再改正する「時」に向けて,

   ◆民主党の法案の良いところを支持し

   ◆民主党の法案の難点を指摘し改める


ことを求めて,兵庫県弁護士会の有志13名で8月20日に発出したものです。
既に小沢一郎党首以下,民主党議員の全員に届けました。
これを受けて,民主党が法案の見直し作業を行う際には,助力を惜しまない覚悟です。

この意見書に込めた思いは,起草者である村上英樹弁護士のブログで詳しく書かれていますので,ご覧下さい(→こちらです

この意見書は,以下に引用しておきますが,非常に長いのでご注意・ご留意下さい。
よろしくお願いします。

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民主党「日本国教育基本法案」に対する意見および提言

                    平成19年8月20日     
                         
                         起草者 弁護士 村 上 英 樹
共同提出者 末尾記載のとおり

第1 民主党法案のタイトルについて

 「日本国教育基本法案」について,日本国憲法の準ずる重要な法案であるという民主党の説明は理解できます。
 しかし,新聞等のヘッドラインで「日本国教育基本法案…」と流れるとき,前文の「日本を愛する心を涵養」などを想起させ,それと相俟って,むしろ「国家主義的」印象を与えてしまったのではないかということを危惧します。
 むしろ,「教育基本法」というタイトルを改めるのならば,民主党法案の第2項にある「学ぶ権利の保障」に見られる,学習の主体である主に子どもたちの立場からの発想を鮮明に打ち出すタイトルにすることのほうが良かったのではないかと感じるところです。
 すなわち,例えば,「学習権保障基本法」などです。もとより,今のまま「教育基本法」でも構わないと思いますが,民主党があえて法案の名称を変えたことがその意図するところが上手く伝わっていない(むしろ誤解された部分がある)のではないか,という点を指摘したいと思います。

第2 前文について

 1 前文全体の印象について

 法律家である私たちの目から見ると,まず,かなり色々な思い入れを詰め込みすぎた感,ないし,冗長である感があります。
立法者が,法律に理想を託す,思いを込めるという情熱そのものは,素晴らしいことなのですが,前文とはいえ,法規的な意味があるので,内容を明確で簡潔なものに絞ることの方が望ましいと思います。
全体の分量や,文体としても,旧教育基本法程度のものが限度と思われます。
 実際に,旧教育基本法の前文ですら,「終戦・新憲法制定の時代の時代背景や思いを書き込みすぎである」という批判もあるくらいです。
  内容について,以下に具体的に記します。

 2 多義的な内容ゆえに法律に記すになじみにくい概念を敢えて記すことの危険

 ただ単に多義的な単語,抽象的な単語というだけであれば,法律に書いても「毒にも薬にもならない」という場合はあっても有害というわけではありません。
 しかし,「教育」という子どもに対する働きかけを通して,多義的な概念が,働きかけ方によっては一義的に決めつけられて押しつけられる恐れを拓いてしまうかもしれないような用語の用い方は法律文書としては極力排除すべきと考えます。
 前文の中で,特に気になったのは,「自由と責任についての『正しい』認識」「美しいものを美しいと感ずる心」「日本を愛する心を涵養し」「伝統,文化,芸術を尊び」です。この部分は,是非改めていただきたいと考えるものです。
 以下に,個別に述べます。

 ① 「自由と責任についての『正しい』認識」

 ここで,ただ「認識」とされるだけでなく,「正しい」という言葉を敢えて使われていることが気になります。
もとより,「正しい認識」を教育することはそれ自体良いことですが,たとえば,憲法に保障される各種「自由」がどの範囲で保障されるか,あるいは,どういった場合に制限されるのかということは,憲法学でも論議のあるところです。
 なので,何が「正しい」か?は,殊に「自由」という概念については,法律専門家のなかでも議論の分かれるくらい一概に決められない種類のものです。
 すなわち,厳密に「正しい認識」を要求することそのものが無理であって,言うなれば,「『そこそこまともな』認識」を要求するくらいのことしかできないのが本来です。
 であるのに,敢えて「正しい」を要求されることは,その時代の政府の方針や,雰囲気によって,本来は,価値相対的で多様なはずである考え方,あるいはそういう考え方のぶつかり合いである議論を封殺する方向性に教育が傾く危険性を有しているのではないか,と思います。
 少なくとも,この種の危うさについて無自覚に起草されたのではないか,という思いがしてなりません。

 ② 「美しいものを美しいと感ずる心」

  端的に言って,「豊かな感受性」等と書けば十分な内容ではないでしょうか。
「美しいものを」とはじまるところは,当然「美しい」とされるものが存在する,あるいは,多数人が「美しい」と言うものに対し異論を差し挟むことを許さないような風潮を生みかねないと感じました。
また,奇しくも,安倍首相が「美しい国」というスローガンを掲げている折,民主党がそれに同調するかのような誤解も受けかねないくだりだと思います。

 ③ 「日本を愛する心を涵養」

  この点は,残念ながら,民主党法案,および,教育改革に関する民主党の提言の全てについて,ある種の「レッテル」を貼られるきっかけになった点だと思います。
  私たちが残念なのは,ただ「レッテル」を貼られただけでなく,この文言のせいで,きちんと読めば民主党が明記しておられる「学ぶ権利」「高等,幼児教育の義務化」「教育予算の確保」等の提言(国民の大多数が異論なく歓迎するであろう提言)が国民に届くことを妨げてしまっている,ということです。
 「涵養」であるから,あるいは,前文であるから,強制力をもたない,という民主党の御説明についても,法律家の目から見てもかなり苦しいと感じざるを得ません。ましてや,一般市民の目線からすれば,納得できる説明というにはかなり遠いと思います。
 前文については,やはり一般的に,当該法令全体の原則・理念を定める部分として,そこに書き込まれた規範は法令全体を拘束します。そういう「規範的効力」があることは否めません。
 「涵養」ということも,「自然に水がしみこむように育つ」とはいっても,やはり「教育」である以上「自然に…育つ」わけではなく,「日本を愛する」という状態を意識して「育てる」ことであることを否めないと思います。そうすると,現場において起こる事態として,与党案の定め方とどう違うか,もっと具体的に言えば,東京都における式典での国旗国歌の極端な強制のような事態に途を拓く(あるいはお墨付きを与える)意味で,与党案と同様の効果を持つとみるのが自然であるといえます。
 このような観点から,このような文言を盛り込むことには危険性が大きく,私たちはどうしても賛成できません。ぜひ,再考ねがいたいとおもいます。

 ④ 「伝統・文化・芸術を尊び」

  「伝統」について敢えてここで「尊び」とすることの意義が見出し難く,復古調との批判を逃れがたいように思います。
たとえば,「伝統を尊び」というと,素直には,我が国の社会に伝統的に伝わる良いものを破壊するなどの行為をしないようにするというイメージですが,そもそも人間社会はもともとその地域にあるものをもとに作られ継続してゆくものなので,伝統の良いものは自然に継承されてゆくはずのものです。
 つまり,生活を良いものにする合理的な判断のなかで,自然と伝統は承継されてゆくはずであるし,古来そうなってきたはずのものです。
 そうであるのに,敢えて「伝統」を「尊び」という文言を入れるのが,特定の古来の価値観などに(因習的なものも含めて)仮にそれが不合理であっても従え,という発想であるかのように受け取られかねないものであり,妥当でなく,また,法律に入れるのに馴染みにくいくだりだと思います。

※ 民主党が,教育にまつわる現代的な課題とされるものに対する答えをここに盛り込み,説得力のある法律案の前文にしようとした意図は伺えます。また,そういう「答え」を示すことにより,与党主導の国家主義的方向性の強い改革に歯止めをかける意図であったことも十分理解できます。
  ただ,教育観や問題に対する対処の方向性について,やや与党らがアピールしてきたことに引きずられた感があるように思います。
むしろ,与党と違って,教育にまつわる諸問題について,問題の主原因を個人の心や在り方といった自己責任に帰するような捉え方はせず,予算措置を含む諸条件の整備,殊に格差是正に役立つ施策により,国が責任を持って,構造的・科学的に改善してゆく,という方向性を分かりやすく鮮明に打ち出していただきたいと思います。
 「あくまで,国が国のやるべきことをしっかりやった上で,個人個人の豊かな心をいかにはぐくむかという課題に取り組む」ということを与党との大きな違いとして訴えて欲しいと思います。
   
第3 各条文について 

1 第1条 教育の目的

  書かれていること自体には基本的に賛成です。
 ただし,「人材」という表現は,個人を尊重することよりも人を何かの役に立てるという発想に捉えられかねず,この部分は普通に「人間」としたほうが良かったのではないか,と思います。
 また,「『真の』主権者」も,言わんとすることは分かるのですが,『真の』という表現は法律における条文としては違和感があります。むしろ,その前の「日本国憲法の精神に基づく」だけで意図は十分に理解できるし明確なので,「真の」は省いたほうが良いと思います。

 2 第2条 学ぶ権利の保障

 この条文が新設されていること自体は,学ぶ者が主体となった権利の存在を明記するという画期的な内容であり,これは極めて進歩的であり,大いに賛成します。
 また,「何人も」の表現は外国人も含み,とても配慮されたものだと言えます。
 ただし,「学ぶ権利」については,旭川学テ最高裁の判示「みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる」に見られるように,「学習要求を提出する」権利ということを法的権利として鮮明に打ち出す表現が入ればなお良いのではないか,と思います。
 すなわち,「学びを十分に奨励され,支援され,及び保障され」の部分で尽くされているという解釈も可能ではあるのですが,若干解釈上の議論を残してしまうような懸念があるのではないか,という意味です。
多少意味内容的に重なるかもしれませんが,上記部分(「学びを十分に奨励され,支援され,及び保障され」)のあとを,「自らの学びの要求を充足するための教育を施すことを要求する権利,および,その内容を選択し,及び決定する権利を有する」としたほうが,今日にふさわしい学習権概念を明確にし,手厚い保障に資すると考えます。

 3 第3条 適切かつ最善な教育の機会及び環境の教授等

  2項に差別禁止事由として「言語」が入っていることは,上記2条の「何人も」の表現と共に,高く評価されるものだと思います。
  経済的貧困者に対する奨学も改正前基本法を継承しておられ,評価されるべきものです。
  内容・表現について,特に異論はありません。

 4 第4条 学校教育

① 学校設置者に関する規定の削除について

  この点に関する批評として「新自由主義的」発想,あるいは,学校間競争をあおるとの論評があります。
 ただ,私たちとしては,「建学の自由」の条文と合わせてみても,「新自由主義」というよりは,むしろ学問の自由を豊かにする,リベラルな考えに合致し,国家による統制主義に抗するものと肯定的に捉えています。
 但し,一部の株式会社立大に見られた不祥事のような問題が起こらないよう手だてをしてゆくこと等も必要と考えます。

② 「外国人」を条文に入れたことは,前記同様,大いに賛成です。

③ 第2項「我が国の歴史と伝統文化を踏まえつつ…国際社会…対応するものでなければならない」
 この点について,「対応するものでなければならない」という義務付けは表現が少し強すぎるように思います。
 また,「国の歴史伝統」と「国際化への対応」がバランスよく在るべきとの発想そのものに異論はないのですが,この両者が二項対立するかのような発想であると読めてしまう恐れも感じます。
 すなわち,国内外の色んな文化的要素について,国の内外で,区別したり,対立するものという視点から自由に,これからの時代を生きる子どもたちにとって何が大切かという視点で合理的科学的に選び取ってゆくことが本来の在り方であると思います。
 なので,第2項に関しては,特に規定する必要性を感じません。あるいは,端的に学校教育が「社会生活に対応するもの」であるということの要求で足りるのではないか,と思います。

 5 第5条 教員

① 第2項 待遇保障
 これは,表現が不十分だと思います。
 この点は,改めていただきたいと思います。
「待遇が適正に保障されなければならない」は,「適正な待遇が保障されなければならない」に改めなければなりません。
 語順の違いですが,意味内容,保障内容は全く違ってきます。
「適正に保障」ならば,「保障」を制限する側が恣意的な判断をする根拠になる恐れがあります。
 そうでなく,「適正な待遇を保障」として,最低限確保されなければならない教員の待遇というものを確立するのでなければ,現場の自由・創意工夫を活かす教育の実現が危ういものになります。

 ② 第1項「崇高な」の表現
  これも意図するところはよく分かるのですが,法律の条文としては,いささか違和感があります。「崇高な」を削除し,「自己の使命を」であっても,内容とするところは変わらないはずであり,一義的明確であることが要求される法文としては適当であると考えます。
  「崇高な」の表現について,ややもすれば教師の「聖職」性ばかりが強調され,制度的な不備等の原因が主たる要因となっている問題でも,教員個人の資質等に責任が向けられてしまうような風潮を生みかねない,という点も危惧されます。

 6 第6条 幼児期の教育
   賛成です。第2項の「無償教育の漸進的な導入」の点は特に良いことだと考えます。

 7 第7条 普通教育及び義務教育
  ① 第1項 
    民主党の説明によれば,期間について規定を撤廃されたのが,さらに長くするという趣旨であるとのことですが,この法案に対する批判の中には「短くするのでは?」とか「公教育をエリートとそうでない者とに複線化するのでは?」というものがあります。
    であれば,例えば「別に法律で定める9年以上の期間の」等にしてはいかがでしょうか。

  ② 第2項
    「義務教育の目的」について,第一に「国家,社会,家庭の形成者を育成すること」としている点に異論があります。第一の目的はやはり,教育を受ける者の「人格及び能力の向上発展(ないし発達)」等(1条参照)とされるべきものでしょう。かつ,義務教育であるということからすれば,「全ての」子どもにそれを行き渡らせることという点をまず最初に踏まえた条文にすべきです。
    その上で,続いて「主権者」「国家…の形成者」とすることが良いと思います。

  ③ 第3~5項
    条項に異論はありません。特に第5項,義務教育費用の負担軽減の規定は民主党独自のもので,大いに賛成します。
    第3項について,条文は,「教育の機会を保障」とあり,教育の外的事項に関する条件整備を中心とする内容に解釈できるので,賛成です。
    ただ,気になるのは,164国会答弁において,民主党議員から,ここに明文化されていない「教育水準維持」にも国の教育内容に関するスタンダード設定権限が導かれるかのような答弁がなされていたように思う点です。
    この点に関しては,旭川学力テスト事件最高裁判決が示した線引き,教育の一定水準維持という要請もあり国の介入が一切許されないわけではないが,それ(例えば,全国一斉テストなど)によって教育の在り方が画一的になったり変容させられたりしないよう細心の注意が払われるべきである,という点に留意していただいたくように強くお願いしたいと考えます。

 8 第8条 高等教育
① 第1項 
  記載されていることそれ自体は,必要なことだと思います。
しかし,「学問の自由」「真理の探究」という概念を明確に打ち出すべきと考えます。つまり,「国の水準向上」「担い手育成」よりも,「学問の自由」「真理の探究」が先に来なければならず,それこそが民主主義社会の発展を支える学問の本質であるというのが憲法の学問の自由保障の趣旨です。
    まず,「学問の自由」「真理の探究」を明記する文言を先に入れることを強くお願いしたいところです。
② 第2項
  一般的な大学の在り方として,実用に役立つことも望まれるところであることは異論がありませんが,特に法規(基本法)に定める必要があるか疑問です。
  特に「…図るものとする」と大学の義務であるように書かれていますので,むしろ大学自治を制限する方向性を有する可能性があることも考えますと,この項目は削除したほうが良いようにおもいます。
③ 第3項
  無償教育の漸進的導入,奨学制度の充実は,国際人権規約の水準をめざすものとして非常に評価される内容です。賛成です。
民主党案のとても良い点だと思います。

 9 第9条 建学の自由と私立の学校の振興
   この条文に書かれていることそのものに異論はありません。
ただし,民主党「教育のススメ」のなかで読んだところによると,この条文はバウチャー制度導入が念頭に置かれているとのことでした。
バウチャー制度については,より慎重に議論されるべき点であると考えます。特に小中学校において,現状で直ちにバウチャー制度等で自由選択制を導入することについては,東京都にみられるように,不人気校の固定化や学力テストでの不適切な取り扱い等の弊害を生じる恐れが大きく,公教育の機能を却って損なう危険性があることに十分留意されるべきです。
むしろ,ここで記される「助成」「支援」が,奨学制度等の充実を図るものとして運用されることを望みます。
なお,昨年の国会論戦(臨時国会)の中でも取り上げられており,最近ニュースになっておりますが,株式会社立大学が十分な内実を備えていない等の事態が生じていること等に鑑み,その様なことが起こらないような立法的対策が必要と感じます。

10 第10条 家庭における教育
① 第1項
  家庭・保護者の役割のあり方そのものについて,この条項に書かれていることが良いとは思います。
ただし,以下の二点について,改められてはどうかと思います。
  第一に,この条項に関しては,「家庭教育の自主性の尊重」がまず明記されるべきであると考えます(改正後の教育基本法ですら「自主性」はうたっています)。
  第二に,同項前段(「…期待される。」まで)は,訓示調であり,家庭に要求される役割を細かく規定しすぎの感があり,ややもすれば,改定後教育基本法のような「徳目」重視に受け取られかねない部分があります。民主党が参考にされたという,子どもの権利条約18条1項は,「締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする。」と規定されておりますが,これは民主党教育基本法案の第10条1項よりもずっとシンプルであり,かつこれで必要十分だとおもいます。家庭において基本的な生活習慣を育む等のことはもちろん重要なことだとは思いますが,それは,「子どもの養育及び発達」「最善の利益」の中に含まれる具体的事項ですから,敢えて基本法・理念法の法文に記す必要を感じません。もし書くとしても,記す順序としては,「子どもの養育及び発達」「最善の利益」をまず掲げて,その具体的内容として次に記すべき内容であると思います。

  以上から,私たちは10条1項については次のように改めるのがよいと考えます。
 「家庭教育の自主性は尊重されなければならない。保護者は,子どもの最善の利益のため,その能力及び資力の範囲内で,子どもの養育及び発達について第一義的な責任を有する。」

② 第2,3項
この条項は,保護者が国に援助等を要求できることが基礎づけられ,福祉的配慮がなされたものであって,大いに賛成します。

11 第11条 地域における教育
この条項は大変よく考えられたものであり,民主党案の良さの大きな点だと思います。
愛知県犬山市にみられるようなコミュニティースクール構想として,説得力も大いにあります。
また,政府案の国家から下りてくるトップダウン型,統制型とは異なって,条文の文言上も「自発的取組が尊重され」「期待」「奨励」というかたちの「控え目」な表現も,現場中心・国民の取り組みを応援するという在り方を良く意識されたものと評価できます。
この条項は,まさに,世界的な学びの潮流(たとえば,フィンランドの教育にみられるような)を先取りする優れたものであると私たちは思います。大いに賛成です。

12 第12条 生涯教育及び社会教育
   特に異論はありません。

13 第13条 特別な状況に応じた教育
   この条項が置かれたことは大変意義深く,与党案にはない民主党独自の弱者への配慮が伺える点で大いに賛成します。
ただ,若干改良された方がよいと考える点もありますので,その点を含めて指摘させていただきます。
まず,障害児が有する「権利」を明記した点は大変意義が深いと思います。そして,非障害児と共に学ぶための多様な手段の確保を要請する内容が盛り込まれており,特別支援のみが中心になる与党案よりもずっと優れていると思います。
但し,「適切な生活を享受するため」という表現には,誤解の恐れがあるかもしれません。前の「自立」等とあわせて,社会のお荷物にならないよう経済的に自立させる,というような発想に使われてしまわないか,という懸念があります。
私たちは,ここを,子どもの権利条約23条3項の「全面的な社会的統合ならびに文化的および精神的発達を含む個人の発達を達成すること」という表現に改めてはどうかと考えます。

14 第14条 職業教育
   この条文そのものについては特に異議はありません。
   ただし,民主党「教育のススメ」の,「ニート・ゼロ作戦」の説明記述は不十分だと思います。「ニートやフリーターの問題の深刻化は,日本社会の根底を揺るがしかねない」という記述は,どちらかといえば,ニートについて社会的に望ましくない人たちと捉えるきらいが強すぎるように思います。
   「ニート」問題については,「ニートって言うな!」(光文社新書 本田由紀ら著)という本に特に詳しく分析されていますが,多くの若者が「社会的に望ましくない」生き方をしているという捉え方をするのではなく,実際には,経済格差や企業の正規雇用の減少・合理化等のなかで「はたらきたくても働けない」若者が増えている面の方が大きいのです。
   ですから,是非,民主党の施策の中で,
  「ニートを,単に心の問題,すなわち若者の心の持ち方の問題であるかのような一面的な捉え方をするのではなく,民主党は,社会構造的視点から,若者の立場に立って各種の現実的・具体的な支援策を講じる考え方からこの条文を作り,それに沿う具体的な立法をしてゆく」
  という提言をし,ともすれば,「規範意識」等で全てが解決するかのような現政権・再生会議の方針との違いを打ち出していただきたい,と期待します。

15 第15条 政治教育
   「真の」という表現が法文になじみにくいことは前記同様です。
   そのほか,「教育上尊重される」のが,「自覚と態度を養うこと」となっていますが,そうなると現行法(新法)の徳目の「態度」を教育の目標とした第2条と同様の難点が出てきます。
   ある種の望ましい「態度」が要求されるという法文は,やはり,「態度」を表すことを強要することによる思想・良心の自由の保障を狭めることに繋がりかねません。
   ここは,改正前の基本法とおなじ「政治的教養」は「尊重されなければならない」とするほうが良いと思います。

16 第16条 生命及び宗教に関する教育
   この条文は大きな問題点が幾つかあると思います。
   条文を通しての起草者の願いはよく分かるのですが,教育に関する法文としては問題が多いといわざるを得ません。
  ① 第1項
    国会質疑の中で,民主党議員のかたも,「以上の点は,むしろ哲学的な考察とも考えられますが…」と述べておられますが,やはり,価値的な命題について,在るべき姿勢を法文に盛り込むことは馴染まないと思います。
    「命を尊重する」ということそのものは大変良いことで,このことをしっかり教育で活かされることが必要なことも全く異論がありません。
    しかし,教育において,例えば教室で実践されるべき教育の具体的な一内容そのものを,教育基本法で書くということは次元の違う問題です。
    また,項を分けて書いてありますが,「命」の考察は宗教性と極めて繋がりやすく,ともすれば,教育の宗教的中立性を脅かす要素も内包している危険性について,十分な考慮がなされなかったのではないか,と思います。
    この条項は削除されるべきと考えます。
    また,前文・第1条の「人間の尊厳」の尊重という部分にてこの点は尽くされていると考えられます。    
② 第2項
この条項も大きな問題があります。
民主党案のなかで,ここにおいてだけ「教育上『重視』」という表現が使われています。
まず,「宗教的な伝統や文化に関する基本的知識」については,たとえば,日本史や世界史,倫理の授業科目の中で行われていることですが,これをことさら規定し「重視」するという必要はないと考えます。たとえば,「数学の基本的教養」や「基本的な言語能力」に比べて,宗教知識のほうが重要であるということは言えないからです。
それが「宗教の意義の理解」となればなおさらであり,宗教の意義については様々な考え方・立場があり,逆に,教育においては慎重に取り扱うべきものです。
現在の民主党案の規定では,立法意図とは裏腹に,批判的能力を十分持たない子どもたちの内心に対して,特定宗教が遠慮なく侵入してくるような教育が行われるような危険を招くものになってしまっています。
この点は,十分な警戒が必要で,法規としては,この条項には賛成できません。
③ 第3項
「宗教的感性の涵養」の点は,特に再考をお願いします。
この条項も,民主党案が,その進歩的提言を多く含むのに,国民に良いアピールが届く前に「レッテル」を貼られ,封殺されてしまった原因の一つになったのではないか,と考えます。
確かに,宗教的な働きかけというのは,人を救うことが多々あります。「いじめ自殺」や色んな問題に対して,有効な対処となりうるだけの力を持っていることを否めません。
しかし,宗教にはそれだけの力があるがゆえに,常に,公的なものはそれと距離を保たなければならないのです。
それが出来なければ,国家と宗教はともに堕落する恐れがあるがゆえに政教分離原則が存在するのです。
「宗教的感性」というものそのものを持ちたいと思うものもおれば,そもそも持ちたくないと思うものもいます。それは信教の自由,内心の自由として憲法で保障されています。
「涵養」という表現も,やはり「教育」過程である以上,ことに宗教というものを取り扱う場合,「洗脳」的な働きかけを招いてしまう恐れが強いと思います。

第3項のうち「宗教に関する寛容の態度」こそが,信教の自由,宗教を持つもの持たないもの双方への配慮をよくあらわしており,この部分が後の方に来てしまって,その前に1項「生命…を尊ぶ」,2項「宗教の意義…重視」,3「宗教的感性の涵養」を規定してしまっている点は,憲法19条,20条の規定する精神的自由の保障の在り方とは整合性しないと思います。
与党の法案に対して,現場の自由や子どもたちの立場を憲法の考え方を活かして守ろうとしたはずの民主党案が,このようにむしろ憲法の規定する精神的自由の保障の在り方に整合しない規定を設けていしまい,それが批難の対象となっていることは非常に残念なことです。
この条文は,特に改められることを望みます。

17 第17条 情報文化社会に関する教育
   ここに書かれている方針そのものについてはもっともだと思うのですが,「基本法」として見た場合,少し具体的詳細部分に入りすぎている点が難点だと思います。
   というのは,「基本法」ですから,たびたび改正されることは予定されていないので,例えば1項のインターネットにおける近時の問題への対処という部分については非常に今日的問題であり,逆にいえば数年後には状況はまた違っている可能性も大いにあるので,具体的に書きすぎることは,「基本法」としての通用領域を逆に狭める恐れがあると考えるからです。
   思い切って全体を削除された方がいいと思いますが,各項別に意見を申しあげると次のとおりです。
  ① 第1項は,なくてもよいと考えます。
  ② 第2項は反対ではありません。
  ③ 第3項については「有害な情報」の輪郭がハッキリしない部分が少し気になります。根本的な発想としては賛成ですが,敢えて教育基本法に書かなくても良いようにも思います。

18 第18条 教育行政
  ① 第1項
    「不当な支配」を削除し,「民主的な運営」に改めている点について,規定の仕方を再考願いたいと思います。
    新・旧の教育基本法にある「不当な支配に服することなく」という表現そのものにおける難点(二重否定である。「不当」という表現が基本法に馴染むのか)は確かに,民主党の説明はもっともだとも思います。
    しかし,「不当な支配」と憲法26条等について,これまで解釈論が深化し,最高裁旭川学テ判決を中心とした,いわゆる「国家と現場」の領分の線引きがなされてきたという積み重ねは,法律解釈・運用上,その意義を積極的に認めるべきだと思います。
    そのことを反映して,難点のある表現を改めるのならば異論はありませんが,今回の「民主的な運営」という文言では極めて不十分だと感じます。
ただ「民主的」とだけ記せば,基本的に,多数派が作る法律によっていかなる教育的介入も正当化されうる方向性に理解される恐れがあります。
このことに関する警戒,歯止めを表すのが「不当な支配」であって,表現を改めるならば,「不当な支配」にかわる新たな「歯止め」になる文言を入れなければなりません。このことが極めて大切です。
「歯止め」として考えられるのは,

「教育の自主性・政治的中立性」または「独立性」

   等の文言です。
たとえば,「教育は自主性,独立性及び政治的中立性のもとに(国民全体に対し直接に責任を負って)行われるべきものであり,これを踏まえた上で,教育行政は,民主的な運営を旨として行われなければならない。」等(カッコ内は旧法の条文を残した方がいいと思います)の条文にすることで,党派的介入が教育内容に無限定に入ってくることを阻止する表現をもうけていただきたいと思います。

② 第2項~第4項
  現在の文科省を頂点とする縦割り教育行政の難点を打破すべく,ドラスティックな改革案を提示されていると思います。
教育監査委員会,学校理事会という組織の自主的・自律的な働きにより,行政(首長中心)とのパワーバランスにより,権力分立による適正確保・現場の自由も含めて守るという構想について,その発想そのものは賛成します。
しかし,以下の理由により,民主党ご提案の教育行政の仕組みの改革については,さらにじっくりと議論を重ね,慎重かつ多面的な党内議論をし,実際に行う場合に予想される諸問題等を十分に検討していただく必要があると思います。

現実面をかんがえると,良い見通しとしては,かかる政策によって本当に現場が活き活きとしてゆくということが考えられますが,悪い見通しとしては,学校間格差の拡大により学校間競争のような状態を招いてしまわないか,という両面が考えられます。
このような改革を成功に導くためには,絶対必要な条件があるとおもいます。
ひとつは,「資源が十分であること」特に教育予算です。全国どこの学校でも,少人数学級で,教師はそれなりのゆとりをもって指導に創意工夫を凝らすことが出来るという十分な状況がなければなりません。そのための予算確保の必要が絶対に必要です。(これが出来ない場合,今より悪くなる学校が出始め,保護者らの恐怖心から学校間競争という負のサイクルへの傾斜がはじまります)。この意味で,民主党が19条で予算確保を要求していることは意義が深いと思います。それが本当に早期に実現されねばなりません。

もうひとつは,首長交代等による方針の不安定さの懸念等へどう対処するか,ということだと思います。教育監査委員会・学校理事会を通じて「公教育の政治的中立性・安定性・継続性」(現行の教育委員会が果たすべきとされている重要な機能のひとつ)を十分に維持することができるかは,よく検討されねばなりません。

民主党の新しい発想を活かしつつ,しかし,具体的な実現の見通しを十分に持った上で,現行の教育委員会制度では何ができないか,どうしても変えなければならない点はどの点かを十分に検討し,議論して,また,そのための条件整備の部分までを盤石にしていただき,よりよい教育行政システムを提言し続けていただきたいと思います。

19 第19条 教育の振興に関する計画
20 第20条 予算の確保
   これらの条文が,教育に対する予算を確保する目的にあることは非常に意義が大きいと思います。
   これは,民主党法案の最も優れた部分の一つだと思います。
   結局,「公教育崩壊」等といわれることの要因のうち最大のものは,やはり,教育予算が貧弱な中での無理が限界に来ているということだと思います。
   この点を,民主党はもっと国民にアピールしていただきたいと思います。
   そうでなければ,国民は,若者の「心」がダメであるとか,教師の心掛けがなっていないとか,そういう現代国家の本来的責務(教育条件の整備等)を棚に上げた政府の説明を鵜呑みにしてしまいます。
   私たちは国会論戦を連日インターネットでみるなかで,民主党の多くの議員が,明らかに政府と違う発想に立ち,教育条件をお金をかけて良くしていかなければならない,教育における格差を社会における格差もひっくるめて是正していかなければならない,ということを真剣に議論していることを知りました。
   しかし,私たちほど教育法制に関心があるわけでもない大多数の国民はそのことをなかなか知る機会はありません。
   この民主党の新法案も,結局「与党案と同じ愛国心」という面だけが着目され「与党案より右寄り」という評価になり,その他の良い提言は国民に全く伝わっていません。
   
   もっともっと,教育現場をよくするのに必要な条件は何かを,科学的・客観的に検証し,提言することを続けていっていただきたいと思います。  


第4 「教育のススメ」中の「『法と心』について」に関して
民主党パンフレット「教育のススメ」14,15頁における「『法と心』について」の記述について,ご意見申しあげます。
民主党が,この点についてよく検討されたあとであること,多大なジレンマの中で案が作成されたことをここから伺い知ることができます。
しかし,全体としては,やはり,法規と道徳との混同(すくなくともそう誤解されること)を招く恐れを払拭できていないと思います。
やはり,よほどの普遍的価値のある文言以外はなるべく法規の文言からは除外したほうが,法律が法律の守備範囲内で有効なものになり得たであろうし,また,国民から誤解されることも少なかったのではないかと思えてなりません。
以下,個別に述べます。
 
1 近代法の原則と「涵養」「期待」の表現
民主党「教育のススメ」では,「近代法においては,国家が国民の内心に介入しないとの原則が確立しており,近代憲法である日本国憲法においても,17条…」として,近代法の原則は,心や道徳の問題に法が介入しないという在り方であることが記されています。
そして,それに続く部分で,「『涵養』や『期待』という文言を用いることによって,国家による強制や介入に繋がる可能性を完全に払拭しています。」とされています。
この部分について,「涵養」等の文言で,国家による強制や介入のおそれを払拭できるとはとても考えられません。
前述の通り,もともと,教育は,どうしても個人の内心,それも批判能力の乏しい子どもの内心に働きかけるという側面を持っています。
「涵養」であっても,やはりそのような個人の内面への働きかけという要素を避け得ない教育に関する規定にあっては,一定の価値観が示されれば,それが,ともすれば強制や行き過ぎた介入に繋がる恐れは払拭しきることが出来ません。
ましてや,「完全に払拭」という表現は,教育行政といえども権力的な作用であり,権力的営みの持つ危険性に対して,余りに無自覚な表現と言わざるを得ないと思います。
よく考えて作られた規定とは存じますが,それでもなお,やはりこの部分は,法と道徳が混同することへの警戒,また,権力的(行政)作用の行き過ぎがおこる危険への警戒が希薄すぎると思います。

 2 現在の社会問題と「心」について
   この点の,民主党「教育のススメ」の記述は,不十分だと思います。
現代社会のあらゆる問題に「心」が関係していることは,確かにそうだと思います。
しかし,あるべき「心」を国民に持たせることによって,公的サービスの予算の厳しさによる社会問題を解消してゆくかに読める「教育のススメ」の記述は,不十分だと思います。
せっかく,民主党が現在「生活維新」「生活が第一」という標語をかかげ格差是正にまじめに取り組むことをアピールしているなかで,ここの「教育のススメ」「法と心について」の表現は,全く逆で,「予算が足りなくとも美しい心をもって国家・社会を支えよ」と受け取れる安倍首相の発想と同じように受け取られかねません。
私たちは,この問題について,民主党は次のようにアピールすべきであると考えます。
「民主党は,今起こっている社会問題を,個人の心の持ちようだけの問題にすることはありません。
 仮に『心』に問題があるとしても,なぜ,その様な状況に人が追い込まれているのかを考えます。
 教育においても,民主党案18条,19条で,国家予算を十分に確保して,十分な教育環境を整えることにまず取り組みます。経済等の社会生活全般についても格差是正の具体策に取り組みます。「美しい国」という抽象的なスローガンではなく,具体的な言葉で政策提言をします。
 あらゆる人を取りまく環境を変え,できるだけ豊かな条件を実現するなかで,無理なく自然な形で,各人がより豊かな『心』を持ちうる社会を実現していきたいと思います。」
 これこそが,国民の気持ちに適うのではないか,と存じます。
 どうか,与党のような,「心」強調による本末転倒状態にならないように,また,誤解されない記述をお願いしたいと思います。

 3 「心理学の発展と教育」について
心理学と教育の関連そのものはその通りではあると思うのですが,だからといって,基本法に理想とする心の在り方を書き込むことも良いということにはならない,と思います。

 4 「パーソナリティ,アイデンティティと日本」について
たしかに,私たちたちのパーソナリティ,アイデンティティと,日本人であることとは大きく関係しています。それ抜きでは語れません。
しかし,それは仮に「愛国心」条項に反対する人であっても全く同様です。
また,「日本を愛する」とは言わない人であっても同様です。
一方で,「日本を愛する」という表現が,「愛国心」と言い換えられるように,ともすれば戦前の無批判に国家の在り方を礼賛する態度を求めることに繋がる恐れを多くの人が警告しているのです。
「愛する」という表現は,日本と関連するそれぞれのアイデンティティの表現方法をも一方向に決めてしまう意味で適切でないと思います。

 5 「ユネスコ憲章」「子どもの権利条約」と「法と心」について
   心や価値観の規定について,「ユネスコ憲章」「子どもの権利条約」の規定を紹介され,これらも心や価値観を規定していることを民主党案の「心」に関する条文の許容性の根拠とされています。
   しかし,「ユネスコ憲章」「子どもの権利条約」と,日本における教育基本法の性格の大きな違い,また,問われる「心」「価値観」の内容の違いは無視できず,この根拠で「心」の条文の正当性を基礎づけるのは無理があります。
   「ユネスコ憲章」における,「心の中に平和のとりで…」については,平和を志向することそのものは(例えば日本国憲法の9条の規定をどうするかという論議にかかわりなく)誰しもが持つべきと言っても良い,普遍的な価値です。たしかに,この「心」なら許されるというのは「心」の特別扱いの感はありますが,しかし,教育基本法論議で言う「日本を愛する心」のような賛否両論別れるような(また歴史経緯から抵抗を感じる人がいるような)「心」とは次元が違います。
   次に,「子どもの権利条約」ですが,たしかに,29条1項Cには「国民的価値観…尊重を育成すること」とありますが,国際条約ですから「締結国は…と同意する」という内容の一部です。つまり,同条約を締結している国は,どこの国であってもその国で国民的価値観を尊重する教育がおこなわれているとしたら,お互いにそのことを認め合わなければならない,というところに重点があります。要するに,他国のことを「互いに認め合う」ことがこの条約の本旨であって,「締結国になったら自分の国では国民的価値観を教えねばならない」という方向性を持つものではありません。
   むしろ,「子どもの権利条約」全体の趣旨からすれば,第14条「 締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。」等のように,子どもの内心の自由を保障することの方に重点がおかれていることは明らかです。
   ゆえに,これらの条約等の規定を参考に,民主党案の「心」規定(日本を愛する心,宗教的感性の涵養等…)も許容されるとする根拠づけは無理があると思います。 
    
   これらの点相当頭を悩ませた結果の,法案だと言うことは分かりますが,やはり,民主党案の「心」の規定のいくつかには,法が「心」を強制するのか?という与党案(新教育基本法)と共通する難点は払拭しきれておらず、また,結果として,「右寄り」という「レッテル」を貼られることによって,民主党案の具体的政策提言として非常に優れた部分が国民に伝わることを妨げる結果を生んだことが残念でなりません。

第5 むすび
民主党の起草担当者の皆様の苦心の作である法案に対して,上記では,一部強く批判することも含む意見を述べさせていただきました。
どうしても,意見を述べるとなれば,問題があると思う部分が長くなります。

しかし,私たち自身は,民主党の法案の大部分は,世界における児童らの権利保障の在り方,学びの在り方をよく調べられた上での,また,現在の日本社会の在り方を直視された上での,非常に進歩的で現実的な政策提言であると考えています。

私たちは,民主党案の全体を賛成か反対かと問われれば,どうしても賛成できない点が一部にあるために「反対」と答えざるを得ませんが,しかし,その他の部分で,民主党案の内容は非常に優れていると感じています。
多くの教育学者や法学者(民主党案に反対すると表明していた人も含めて)も,民主党案の内容をよく読めば,私たちの上記意見と近い感想,すなわち,民主党案による具体的な改革提言そのものには賛成できるものが多い,という考えの人が多いのではないか,と思います。(例えば,広田照幸教授(日本大学 社会教育学)は,教育基本法反対の立場を明言されていましたが,国会の参考人質疑の中では,民主党案の進歩的提言を大いに評価する発言をされていました。)

私たちの希望は,民主党案について,上記で指摘させていただいた内容を今一度御議論いただき,国民に誤解を受けるような表現や条項の恣意的な運用によって予期せぬ事態を招くような表現については,法の文言の恐ろしさを今一度吟味していただき,修正していただきたいというものです。
そして,民主党の考えた明日の教育についての真意が,国民に伝わり,国民の立場に立った,物心ともに豊かな教育が実現することを願ってやみません。

民主党も反対されたように改正後の教育基本法には多くの無視できない問題があります。改正法のもとで,現在も安倍政権は,教育予算を十分に確保せず,貧弱な教育条件を改めようともしないまま,教員に対する締め付けや,愛国心など「あるべき態度」を表面的な押しつけることを助長するような政策ばかりを進めようとしています。

このような現政権の施策は一刻も早く改めなければならないと思いますし,また,その出発点である教育の理念法についても,改めるべきです。

民主党におかれては,本意見書で記した諸問題点を是非子細に検討していただき,現在の民主党案を改良して,「与党案と同じ」と言われるような種々の難点を取り除き,子どもの権利条約・日本国憲法等とより調和する基本法案に改め,その良き提言が国民に素直に受け入れられる法案にし,また,学者・法律家の多くも賛同できるものにしていただきたいと願います。

ともかく,今一度,子どもの権利条約・日本国憲法のもとでの教育の理念法の在り方について,同法案を逐条的に再検討して,一人一人の子どもが学ぶこと育つことにとって何が一番大切かという視点から,十分な議論をしてください。

そうして出来た新しい,そしてより進化した「教育基本法案」を国民に,適切な時期に提示していただければ,と願っております。

そして,本当の意味で,国民の目線で,現場が活き活きとするような教育改革がなされていくことに,民主党が大きな力を発揮されることを願ってやみません。
参院選で大きなきっかけをつかまれた今だからこそ,民主党に上記の点を心よりお願い申しあげたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
以  上

共同提出者一覧

代表
弁護士  村  上  英  樹

弁護士  伊  藤  明  子

弁護士  内  海  陽  子

弁護士  柿  沼  太  一

弁護士  定  岡  治  郎

弁護士  武  本  夕 香 子

弁護士  辰  巳  裕  規

弁護士  田  中  賢  一

弁護士  津 久 井     進

弁護士  土  居  由  佳

弁護士  徳  岡  宏 一 郎

弁護士  八  木  和  也

以上


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