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原発技術者である山田太郎氏の論文
 「原発を並べて自衛戦争はできない」
(季刊誌『Ripresa』07年夏季号・リプレーザ社発行)について,安原和雄先生が,紹介をしている。

 →「安原和雄の仏教経済塾」の記事はこちら
 →「日刊ベリタ」の記事はこちら

 私がごくごく簡単に要約すると,その趣旨は以下のとおり。
◆原子力発電所の設計条件には,武力行使を受けたときの安全性は入っていない
          ↓
◆攻撃を受けたとき,原子炉の安全性を保つことはできない。使用済み核燃料への攻撃も同様またはそれ以上に危険。
 (火力発電所は停止させれば足りるが,原子炉は冷却しないと崩壊する)
          ↓
攻撃されたらそれでオシマイ。もう日本には住めない。平和でなければ原発の安全は保てない。それが,原発の原理的・構造的な宿命。
          ↓
◆日本の商業用原発55基。これを保持するならば,どんな相手からも武力攻撃を受けないようにしなければならない。
 そのためには,平和的な手段で国際紛争を解決する努力をするのが最も現実的な方法。
 なんだか当たり前のような話に聞こえるかも知れないが,本当にこのことを真面目に考えて,平和政策を語っている人はどれだけいるだろうか?

 なんとなく予想できる反論者の意見として,
   ◇武力行使にも絶対安全な原発を作る
   ◇攻撃を受ける前に相手をやっつける
   ◇攻撃を受けないように武装して強い国になる
というのがあり得る。
 もちろん,実際そういう研究も行われているだろうし,現実にそういう国もあるし,日本にもそういう過去もあった。
 ところが,どれも結局は失敗してばっかりで,観念的な理想主義的と言わざるを得ず,およそ,まともに勉強した人の現実論とは思えない。

 安原さんの次のコメントは,なかなか痛快である。
 安倍首相ら憲法9条(=戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)の改悪志向派、すなわち軍事力重視の安全保障派=日米軍事同盟依存派は、以上のような最悪の事態を頭の片隅にせよ、考えてみたことがあるのだろうか。

 彼らは憲法9条擁護派、すなわち生命・人間重視の安全保障派=日米軍事同盟批判派に対し、しばしば「平和ボケ」という冷やかしの言葉を投げつけてきたが、その彼らこそ平和・安全地帯に身を置いて戦争時の惨事を想像すらできない「平和ボケ」ではないのか。

 原発という名の事実上の「原爆」を列島上に55基も抱え込んでいて、それでもなお軍事力にしがみつき、戦争という火遊びをする、その愚かさにいつ気づくのか。亡国への道をひた走ろうとするその狂気からいつ醒(さ)めるのか。いいかえれば非武装こそが生き残る唯一の賢明な道であることにいつ気づくのか。

 私は,経済モデル的に見て

  【完全に安全な原発の開発維持費】 > 【脱原子力エネルギーにかかる費用】

  【原発に崩壊による事後処理費用】 > 【総防衛費用】 > 【平和外交費用】


というコストの関係は明らかなので,

  ◆このまま軍備拡充路線で行くなら,原発をやめる

  ◆原発を持ち続けるなら,憲法どおり平和外交政策に大転換する


のどちらか二者択一で考えたらどうかと感じた。

(※早速,安原先生からコメントをいただいた。上記は,とりあえずの思いつき半分だったので,あらためて考えてみて,「非武装中立と脱原発(=自然エネルギーへの転換)の両立」というのが,正論だと思うので,私はそのように考えていこうと思い直した。)

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