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過去に「やめよう元号」という運動があったとのこと。

田島征彦さん
が,神戸新聞の随想(8/31付夕刊)に話題提供しているのですが,
◆ひとりの人間の死で年号が変わるのは,世界中で日本だけである。
◆大変に不便で不合理だ。
◆元号付きの書類に対して,元号の意味や,拒否する理由の返事を書くから,ぼくは忙しくなり,気分も良くない。
◆これはほとんど「ビョウキ」である。
などとご自身のお話をユーモラスに語っておられました。
じごくのそうべえ
なお,田島征彦さんは,絵本,
   「じごくのそうべえ」
の挿絵を描かれている方で,私も,この絵本は子どもらに軽く百回以上は読まされていますが,この本のことはご存知でしょう。

田島さんの記事に触発されて,ちょっと調べてみましたが,元号の根拠となっている,
 「元号法」は,本当に短い法律です。
 ■元号法
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
 附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする
 ところが,この法律の文言にもあるとおり,これは元号を定めたり改めたりする法律に過ぎず,必ずしも元号の使用を義務づけるものではないのですね。

この法律は,もともと旧皇室典範12条で
践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト 明治元年ノ定制ニ従フ
と定められていたものが,戦後廃止され,その後,何ら法的根拠がないまま慣習として使用されてきた元号を,昭和54年に復活・法制化したものです。

 法律があるからといって,特に使用を強制するものではありません。
 何よりも,政府の統一見解としても,同法制定当時の国会の議事録を見ても「この法律それ自体には使用上の義務づけあるいは制約というものは、そういう法律の内容はございません」とあります(昭和五十四年四月二十日内閣委員会議事録)。

 ただ,一方で現場の行政では,
◆政府見解/元号制度は法律でもって国会が定めた以上,国の機関としては特に理由のない限り,元号を使用すべきことは当然であり,地方公共団体も国に準ずるものと考える

◆文科省の教科書検定の方針/教科書の記述について,元号・西暦の併用は認めながらも,元号の記述を先に出して西暦を後ろに併記する
ということにもなっているようです。
 ヘンな話です。


 私は,年の数え方も一つの文化だろうとは思っています。国旗や国歌も,程度の差こそあれ,同種の問題だと思っています。
 だから,純粋な国粋主義者の方々や,逆に,田島さんのように,元号について,特に崇拝思想もアレルギーもありません。
 2つも数え方があるのは面倒くさくて不便だなあと感じていましたが,文化というのは,必ずしも便宜や能率は考慮していないので,それでいいかと思ってました。

 ただ,そういう文化や慣習という,目に見えないモノに法律が介在すると,こんなふうにややこしい問題に発展してしまいます。

 法律の副作用を改めて感じました。
 なんでもかんでも法律にするっていうのは良いものではありません。

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