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 橋下徹さんは,昨日から今日にかけて,ご自身のブログ(→http://hashimotol.exblog.jp/)で大いに気炎を吐いていた。
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 彼は,なかなか文章も上手で,その内容も面白く,何よりも威勢が良い。
 だから,共感を覚える人もきっと多いだろう。

 では,彼の言いたいことをひとことで言うと,どんなふうになるのだろう。

 私も,あらためてざっとエントリーを読み直してみたが,9月7日の
    「私が提訴されたことにつきまして」
というエントリーで,「世間」という言葉が,何度も何度も,繰り返し繰り返し使われていることから明らかなとおり,
   弁護士は,世間の声をきけ!
というところに尽きるようである。

 橋下さん自身も「被害者や国民への説明義務を果たしていない」のが懲戒請求の理由だと,別のエントリーで言っている(→こちら)。

 読み手に「私も『世間』の一人だ」という意識がある場合,なんだか当事者の一人のような気がして,思わず納得してしまう,という面もあるだろう。


 では,弁護団は説明を行っていないのだろうか。

 まず,あまり売れてなさそうな地味な本だが「光市裁判」という本が出ている。
 私も,実はその本の存在自体を知らなかったが,最高裁において批判された弁護団活動の顛末はかなり詳細に明らかにされているようだ。
hikarisi
 本を作るには,大変な汗と時間を消費する。
 彼らは「世間」への説明を行うために,実際に汗をかいている。
 橋下さんのようにマスコミ寵児ではない上,アピール方法は高視聴率の「そこまで言って委員会!」と違って極めて地味だが,「説明をしていないじゃないか」というのは,どうやら違うみたいだ。

 それから,今回,提訴に及んだ原告(光市事件弁護団)の一人である広島弁護士会所属の今枝仁弁護士は,東京の坂井弁護士さんがやっている「超初級革命講座」というブログのコメント欄で,かなり具体的なことをお話しされている。
 是非,そちらに行って(→こちらをクリック),今枝さんのコメントを見て欲しい。
(あるいは,この件で連続して記事を書かれている寺本弁護士さんのブログ「弁護士のため息」を見て頂きたい。)

 私も,ひとまず弁護士を離れ,一市民の感覚で読んでみて,感銘を受けたり,なるほどと思う点がいくつもあった。
 たとえば・・・・・
◇刑事事件に力を入れてるのは,自分が社会の底辺をさまよっていた経緯や,多くの過ちを犯した自覚があって,人間が失敗することと人生に再チャレンジすることへの思い入れがあるから

◇検察官をやめたのは,18歳の女子高生が飲酒運転の車にはねられ,顔を複雑骨折したというせい惨な事件の公判立ち会いで泣いてしまい,検察官失格と思ったから

◇事務所を銃撃され,事件後しばらくは緊張感で頭が狂いそうで,家族らも心配で仕事も手に付かなかった。自分も,犯罪被害者としての苦悩を,何百分の1に過ぎないが,少しは実感しているつもりだ

◇光市弁護団は,全員が死刑廃止論者ではない。自分は元検察官であり、現行法を前提に弁護活動をなすのが正当だと思っている。弁護団の中で死刑廃止論の議論などなされていない

◇報道では多くの誤報があり,弁護団として説明したいこともあったが,本村さんに対する遺族攻撃と批判される可能性もあり,あえて自粛してきた。
 コメント欄では,事件そのものの内容についても,かなり突っ込んで触れられている。
 もしかしたら,何も知らないで,雰囲気だけでワアワア騒ぐことが恥ずかしくなるかも知れない。

 (なお,これら弁護団に関する件の決定版は,ヤメ蚊弁護士さん「光事件Q&A~弁護団への疑問に答える~光事件弁護団」です。こちらをご覧下さい。)


 いつものように前置きが長くなってしまった。悪い癖だ,反省,反省。
 本題に入りたい。

 私は,今枝弁護士のコメントの中で,あえて,
     人の情に訴える
部分だけを抜粋して紹介した。
 それは,人の心を動かすということが大切な事だと思うからだ。

 しかし,記者会見の場や,弁護団のコメントなどで,そんな話をしていない。
 司法という場は,まずは「理」で動かなければならないと理解しているからだろう。
 私は,それでいいと思う。
 法と良心(=「理」)にのみ拘束されるとする「司法」の特性・独立性がそこにあるからだ(憲法76条参照)。

 しかし,大衆を動かすには,「理」より「情」を訴える方が簡便で効果的だ。

 そのことは,昔からよく知られているとおりであり,その人間の習性を利用して国家を大きく扇動することがあった。
  「ナチスドイツ」
  「911直後のアメリカ」
  「天皇崇拝の戦前日本」
等々・・・・
例を挙げれば,枚挙にいとまがない。

 これらに共通している特徴は,
   ◆威勢が良くて勇ましく,
   ◆歯切れの良くて耳心地がよく,
   ◆「そうだ!そうだ!」と大合唱しやすい単純な内容,

というところかなと思う。
 また,行き過ぎると大きなアヤマチを招いてしまうというところも共通した経験則のようだ。

 政治の世界で,こういうふうに大衆を利用した政治手法を取る場合,「ポピュリズム」とか,大衆迎合主義とか,衆愚政治などという。

 「ウィキペディア(Wikipedia)」によると,ポピュリズムというのは
カリスマ性を有すると見なされた為政者が、一般大衆と立場を同じくすることを強調して行う政治手法

ポピュリストは、既存の政治エリート以外から現れることが多い。選挙戦においては、大衆迎合的なスローガンを掲げ、政党、労組等の既存の組織を利用せず大衆運動の形を採る。ここでは、しばしばマスコミを通じた大がかりな選挙キャンペーンが打たれる
とある。

 どうだろうか?
 この太字強調の部分は,今回の件に関する,橋下さんの行動原理とピタッと一致していると思えないか。


 光市事件弁護団の方々には,お世辞にも,大衆に対するカリスマ性や,大衆迎合的なスローガンがあるとは言えないし,マスコミの使い方など橋下さんの足下にも及ばないだろう。
 その姿は,ポピュリスト政治家の代表格・小泉純一郎の前で,大きく後退してしまった旧来の有力政治家たちの姿と重なって見える。
 しかし,ポピュリズム的な手法がへたくそであることが非難されるべきことだろうか?誤りなのだろうか?猛省すべきことなのだろうか。
 否,絶対に違う!

 ウィキペディアには,
 「ポピュリスト政治家は、一般大衆との近さを装うために、従来の政治過程や官僚制度をパイパスした政策を実行する
という指摘もあるが,本来,刑事訴訟など裁判の場で裁かれるべき問題を懲戒請求制度という飛び技を使ってバイパスさせた橋下さんのやり方は,やはり,これに似ている。

 私は,橋下さんの今回の一連の活動は,「世間」という言葉を多用して,大衆迎合主義を,堂々と表明しながら,一般大衆の運動力や影響力を実験しているように見えてならない。

 あなたは,橋下さんの歯切れの良さに迎合して,ポピュリズムの「大衆」の一員になっていないか?
 懲戒請求に及んだ3900人の考えを知る由もないが,私は,いろいろ心配してしまう。

 橋下さんの言動を見るにつけ,日本のポピュリズム化が,急速に進んでいることに,かなりの危うさを感じるのである。

 先日も別の記事でも書いた,
    ■不正かどうかを,形式的に簡単に決めつける
    ■悪いとなると,社会全体で一斉に袋叩き(バッシング)する
    ■それが一気に国民的ヒステリーに高まる

という傾向が猛スピードで進行していることに,多くの国民が気が付かなければならない。
 近い将来,我が身に返ってくることなのだから。

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 あれこれ書いたが,私の駄文にお付き合いいただくよりも,先にご紹介したブログ「超初級革命講座」のコメントに寄せられた今枝仁弁護士のコメントを読んでもらった方が,よっぽどためになると思う。
 転載歓迎とのことなので,その中でも,一番重たいところを引用する。

被害者・遺族の気持ちを考えていない、という批判に対し、誤解され得ることを承知で、正直に気持ちを述べます。

私は、前述のように自分自身事務所を拳銃で銃撃するという被害に遭いましたし、裁判所刑事部事務官、検察官、刑事弁護人の職務を通じ、何十・何百という被害者の方と話をし、その法廷供述を目の当たりにし、何百・何千という供述調書を読んできました。
不謹慎に思われるかもしれませんが、仕事がら死体の発見状況、解剖状況を見ることも多く、ご遺族のやるせない気持ちに触れることもたくさんありました。
その課程で、図らずも不覚ながら涙を流したことは数えきれません。
本件も特にそうですが、それ以外にも、松本サリン事件の現場記録には胸がつぶれる思いをしました。
普通の生活の課程で、突如サリンによる攻撃を受けた人は、何が起こっているか分からない状況で苦しまれ死に至っており、その状況からそれがはっきりと分かりました。
通常の事件では、被害に遭った方が亡くなっている状況だけですが、その現場付近は、ありとあらゆるすべての生き物が、死んでいました。池の魚は浮き、鳥は地に落ち、アリは隊列のまま死に、まさに地獄絵図とはこういうものか、と感じました。
そして、無くなった方々の生前の写真、友人らの追悼の寄せ書き、それらの資料からは、突如として亡くなった方々の無念や、ご遺族・知人らの残念な思い、怒りは、想像を絶するものと思われました。

私は、日常の生活とは無関係なところで起きている事件の、マスコミ報道を見て怒っている方々の多くよりはきっと、職務経験的に、被害者やご遺族らのお気持ちを、もちろん十分理解したとまでは言えないかもしれないものの、少なくとも触れて目の当たりにし体験しています。その壮絶さは、ときには肌を突き刺す感覚で身を震わせます。
職務の課程で、もし自分や家族がこういう被害に遭ったらどう思うだろうか、同じような被害に遭って果たして加害者の死刑を求めないだろうか、という自問自答は、それこそ毎日のように私の心を襲います。そしてときには苦しみ、ときには悩み、日々の職務を遂行してきました。正直に言いますが、自責の念にとらわれて煩悶することも、ありました。

しかし、対立当事者間の主張・立証を戦わせて裁判官が判断する当事者主義訴訟構造の中での刑事弁護人の役割は、被告人の利益を擁護することが絶対の最優先です。
むやみやたらに被害者・遺族を傷つけるような行為は自粛すべきものの、被告人の権利を擁護する結果、被害者・ご遺族に申し訳ない訴訟活動となることは、ときには避けられません。
そういう衝突状況で、被害者・ご遺族を傷つけることを回避しようとするばかりに、もしも被告人に不利益が生じた場合は、刑事弁護人の職責は果たしていないことになってしまいます。
被害者・ご遺族の立場を代弁し、擁護するのは検察官の役割とされています。それが当事者主義の枠組みです。

典型的な例は、被害者が死亡しているのが明らかな場合に、被告人が「自分は犯人でない」と主張し、それに従って弁護するときです。
ご遺族からすると、検察官が起訴した以上その被告人が犯人であり、犯人が言い逃れをするのは許し難く、被害感情を傷つけることになります。
しかし弁護人は、被告人が「自分が犯人でない」と主張する以上は、その言い分に従い(証拠構造上その言い分が通るのが困難であればそれを説明し議論した上で最終的には従い)、被告人が犯人ではないという主張・立証を尽くさなければなりません。
その場合、職務に誠実であればあるほどご遺族を傷つける可能性もありますが、それをおそれて被告人の利益を擁護することに手をゆるめてはならない立場にあります。

そして、被告人の弁護をなす課程で、「被害者・遺族の気持ちをまったく理解しようとしない。」という批判を受けます。
人間ですから被害者・ご遺族の立場に最大限配慮しているかのような態度をとって、批判をかわしたい気持ちもありますが、そのような自分の都合で被告人の権利擁護の手をゆるめることはできません。

このような刑事弁護人の苦悩は、経験のない一般の方に理解していただくのは困難かもしれません。なにも見下しているわけではなく、実際に体験してみないと分からないことはほかにもたくさんあります。

私も体験したわけではないので適切な例でないかもしれませんが、会社で例えると、従業員をリストラせざるを得ない上司の立場に似ているでしょうか。
リストラされる従業員の苦悩を、その上司は経験上痛いほど自分なりに感じて苦悩していることも多いでしょう。
そして第三者は、「リストラされる者や家族らの気持ちを考えているのか。」「考えていないから平気でリストラができるんだろう。」と批判するかもしれません。

おそらく、「そのような一般論はいいけれど、光市事件差し戻し審の主張内容からすると、被害者の尊厳やご遺族の気持ちを考えていないのではないかと批判されても仕方ないだろう。それに被告人の利益にもなっていないではないか。」とのご指摘があろうかとは思います。
しかし、これだけの凄惨な事件の弁護活動を職務とし、毎日のように記録(もちろん本村さんの「天国からのラブレター」も)に触れ、世間から激しいバッシングを受けている課程で、被害者・ご遺族の気持ちにおよそ思いを馳せないというような人間が存在し得るでしょうか。
自分の家族が同じような被害に遭ったら、という自問自答は、数え切れないほど繰り返し、何度夢に見たことでしょう。
こういうバッシングを受けたり脅迫行為も受けている状況ですから、他の大勢の方々とは異なり、私たちには現実に起こりうる危惧です。

「主張内容からみる限り、被害者・ご遺族の気持ちをまったく理解しようともしていない」「被告人の利益にもなっていない」とのご批判についても、マスコミ報道から受けた印象だけではなく、私のつたない文章(すべての思いがとうてい筆舌に尽くせぬことにもどかしさを感じます)や、もうすぐ広まりわたるだろう弁護団の主張全部やその根拠となった鑑定書等を検討した上で、ご再考いただきたいと思います。

すべてを書き尽くすことは到底できませんが、家裁記録に「孤立感と時間つぶしのため、会社のPRと称して個別訪問した」「部屋の中に招き入れられて、不安が高まっている」という記載は「個別訪問は強姦相手の物色行為ではなかった」との主張に結びつき、「被害者に実母を投影している」「非常に退行した精神状態で進展している」という記載は「甘えようとする気持ちで弥生さんに抱きついた」という主張に結びつくなど、従前の記録中の証拠にも、現在の主張の根拠は多数あったことを紹介しておきます。

私たちは専門家としての刑事弁護人ですから、なんら証拠に基づかない主張の組み立ては行っていません。
あの「ドラえもん」ですら、捜査段階の供述調書に出てきます。


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