上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 今日,神戸から西宮に向かうため,阪神電車に乗った。
 私は,降車駅の都合で,一番前の車両に乗車していた。

 深江駅の直前の踏切の手前で,突然,電車のクラクションが鳴った。
 かと思うや否や,ガタン,ガリッガリッガリッとものすごい音がして,座席の下で何かデコボコしたものに乗り上げるような衝撃が走って,電車が急停車した。
 一瞬のことで,何が何だかよく認識できなかった。

 “ああ,人身事故かな”と思ったのと同時に,「ただいま人身事故が発生しました。状況を確認しますので,しばらくお待ち下さい。」と慌ただしくアナウンスが流れ,運転席にいた2人の運転士らが線路に飛び降りていった。

 運転席をよく見てみると,電車の前部の扉が破損して壊れている。
20071130141556.jpg バイクか何か大きくて硬いものがぶつかったみたいだ。
 線路上では,駆け付けた係員の人々が何やら,車輪の下をしきりにのぞいている。
 十数分の間,電車内に缶詰にされた。
 車内に残された人々は,携帯電話で様子を伝える人,窓から車外をしきりにつたえる人,黙って目を閉じて待っている人,様々だった。

 しばらく経ってから徐行運転で最寄りの芦屋駅まで進み,そこで運転中止となった。
 降ろされた乗客らは,先頭車両に駆け寄り,群がって前面の状況をのぞいていた。
 そこには人身事故の跡が見て取れた。
 私は何とも言えない気分に襲われた。

 事務所に帰ってからGoogleで「人身事故」で検索してみると,この事故のことは流れていなかったが,この日だけで3件の人身事故の報告が報じられていた。

 2つのことに驚いた。

 一つは,毎日,これだけ多くの人々が列車を凶器にして命を落としているという事実だ。
 「人身事故」という言葉に慣れっこになって「自殺」や「事故」が日常茶飯事になっている。
 実際に,事故の現場に立ち会って(凶器に乗り合わせて)みて,言葉の軽さと,事態の重みのギャップを改めた感じた。

 もう一つは,人身事故を他人事として見ていない私たちの感覚である。
 実は,この日,大阪から神戸に行く際に乗ったJRでも「加古川で人身事故のために列車が遅れています」というアナウンスが何度も流れていた。
 私は,電車の遅れを心配したが,人身事故の当事者のことはほとんど何も考えなかった。阪神電車の事故に遭った際にも,亡くなった人に思いを寄せて考えたのはしばらく経ってからだ。
 乗り合わせた人々もそんな風な雰囲気だった。
 JR福知山線事故に関して,当事者と一般の人々との感覚の違いを強く感じることが多いが,やはり,放っておくと「他人事」としか見ない人間の性を感じた。

 現代社会における命や言葉の軽さは,物事を「他人事」としか見ない性向と相通ずるものがあるのかも知れない。
20071130142332.jpgなお,これは電車を前から見たところです。

その後,何人かの人に「大丈夫でしたか?」と尋ねられた。
しかし,私は全くなんともなかった。

それだけに,亡くなった方のことを思うと,事情は全く分からないが,なんともいえない気分になる。

<追記>
報道記事(神戸新聞の記事)に接した。
どうやら生身の人間が飛び込んだ事故のようだ。

あのなんとも言えない感触が、バイク等の物体ではなく、生きた人だったのかと思うと、なんだか眠れそうにない。
記事は以下のとおりだが、こういった記事が極めて「他人事」の視点で書かれていることにも改めて気付く。

踏切で人身事故 男性が死亡 神戸・東灘

 三十日午後二時ごろ、神戸市東灘区北青木の阪神電鉄本線大茶園踏切で、男性が遮断棒をくぐり線路上に立ち止まったのを、山陽姫路発梅田行き直通特急(六両編成)の運転士が発見、非常ブレーキをかけたが間に合わずはねた。男性は死亡。乗客約二百五十人にけがはなかった。

 東灘署などによると、死亡したのは同区内、無職の男性(22)。

 この事故で、電車四十二本に最大二十三分の遅れが出るなどし、約一万三千人が影響を受けた。

Secret

TrackBackURL
→http://tukui.blog55.fc2.com/tb.php/555-f285e832
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。