薬害肝炎問題で,福田首相は,議員立法によって一律救済を図ることを宣言した。

 そのこと自体は,素直に喜びたいと思う。

 もちろん不安が払拭されたわけではない。
 被害者のお一人である福田衣里子さんはブログの中で(→こちらより),
 内容がわからない段階では、喜び半分、不安半分です。
 というのも、この総理の決断が、
 愛のある決断であるか、その場しのぎの決断であるかで、全く違う内容になると思います
と語っているが,この言葉に,事の本質が全てが集約されていると感じる。

 これまで,政治家の前向き宣言が,単なるポーズやぬか喜びで終わった例は少なくない。
 ここ1年の間だけ見ても,「年金の全件処理」,「原爆症認定の見直し」,「沖縄戦教科書検定の見直し」など,議員や大臣が格好良くアクセルを踏みながらも,役人が急ブレーキを掛けてきた例は枚挙に暇がない。

 たとえば「被災者生活再建支援法」も,議員立法で市民救済が図られた法律の一つである。
 しかし,平成10年の成立時には,極めて不十分な内容であり,かえって被災者を苦しめた。
 これをまともな救済法に修正するまでに約9年の月日を要した,という例もある。

 先日,ある官僚の方から,議員立法の作り方についてお話を聞いた。
 私たちは,議席数さえ確保できていれば,
   「議員の法案作成」→「議員による議案提出」→「国会で議論」→「成立」
という形で簡単に議員立法が通るとイメージしがちである。
 しかし,それは大間違いとのこと。
 「立案」から「議案提出」に至るまでの間に,“関係省庁との調整”や,“財務省の折衝”,“内閣への打診”など,水面下のハードルが無数に存在するというのである。
 むしろ,「議員立法」という手法の方が,内閣が提出する「閣法」に比べてハードルの数は圧倒的に多く,成立までの道程は困難なのだそうだ。
 これらをすっ飛ばしてムリヤリ通したとしても,政令や規則制定,実際の運用方法などによって,法律を骨抜き・無力化するのは,行政にとっては,極めて容易なことなのである。

 しかし,正しいことを推し進める限り,ハードルを越えることは可能だし,何としても越えなければならない。
 福田衣里子さんの言うように
総理を動かし、国を動かしたのは、紛れも無く応援してくださる皆さんの力です。
というのが正解である。
 市民の声の後ろ盾は,法律成立のその日まで必要である。
 政府が手抜きをしたり,議員が途中で失速するのも,市民の声が途切れてしまうからだ。
 本当に肝炎被害者の方々を思うならば,これからもしっかり見守り,エールを送らなければいけない。
 こういうときこそ,基本に立ち戻って,憲法が「主権が国民に存する」,「国政は、国民の厳粛な信託によるものである」と前文で宣言していることを,わたしたち自身がここで自覚しなければならない。


 蛇足になるけれども,私は,福田首相が「司法、行政の枠内で答えを出す」とか「司法、行政の枠を超える」などと繰り返してきた点に,違和感を感じていた。

 まず,「司法」にツケを回すのは,「司法」の立場からすれば,いい迷惑だ。
 司法は,枠の設定をする役割を担っておらず,枠から外れているかどうかを事後的に判断するのが本来の役目である。薬害事件についても,国の違法を判断するという役目を果たしている。
 言い換えれば,司法の示した基準は,「これからの救済の枠組み」に関する事柄ではない。
 それを考えるのは,立法・行政の本来的な責務ではないか。

 また,「行政」の枠というけれども,わが憲法は,議院内閣制を採用し,立法に対して連帯責任を負っている。
 したがって,内閣が,法律の不備を逃げ口上にすることは許されない。
 先に指摘したように,我が国の法律のほとんどが「閣法」で成立しており,「議員立法」は例外になっているのが実情である。なので,「行政の枠内」という言い訳は,怠慢を自白しているに等しい。

 私は,首相の今回の「勇気ある決断」を支持する。
 ただ「勇気」は一時的・場当たり的なものであってはならず,決意を実現するまで「持続する勇気」でなければならないという念押しをしておきたい。
 そして,繰り返しになるが,この「勇気の持続」を,後ろで激励し,時には厳しく叱咤するのが,市民の声である。
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