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 憲法についていろいろ議論をしていると,
    「それって現実的じゃないよ」
という反論を受けることがあります。

 この「現実的」という言葉は妙に説得力を持っているような気がします。
 しかし,よ~く考えてみると,意味がよく分かりません。
 せっかく丁寧に理論や主張を積み上げて話をしていても,「非現実的」というひとことで全てが吹っ飛ばされるようなこともあります。
 なんだかゴマかされているような気さえします。

 この点について,あの丸山眞男が,今から55年以上前に,見事に論破しているのを知りました。

(※リベラル憲法学の大家,浦部法穂先生が,法学館憲法研究所のHPで紹介しておられます。詳しくは,そちらをご覧下さい。 →こちらです。)。

 それは,1952年に発表された「現実主義の陥穽」というエッセイ。
 丸山眞男は,既に私たち日本における「現実的」という言葉には,次のように,3つの特徴があると指摘しています。
 「現実」というのは,もっぱら「既成事実」と置き換えられがちである。
 「現実」は,与えられるもの(=既成事実)と,自ら創っていくものの両面があるのに,後者は無視されがちである。
 なので,「現実的たれ」というのは、既成事実に屈伏せよということにほかならない。

 「現実」の意味を一次元的に捉える傾向がある。
 本来は,社会的な現実はきわめて多元的であるのに,「現実を直視せよ」というときには,その多元的なところは無視されて,一つの側面だけが強調される。
 たとえば,再軍備問題などは,決して現実論と非現実論の争いではなく、実はそうした選択をめぐる争いにほかならないのに,一方の側からだけ「現実論」を強調するのはおかしい。

 「現実」というのは,その時々の支配権力が選択する方向と等しいものと理解されがち。
 逆に言うと,これに対する反対派の選択する方向は容易に「観念的」「非現実的」というレッテルを貼られがちになる。

 かなりかみ砕いて意訳しましたが,それでも難しいので,私なりに要約すると,

  注意しなければならない「現実的じゃないよ」という言葉は,

   ◆これからの社会を創っていこうという意欲が乏しく,

   ◆目の前の状況の理解について一面的にしか捉えず,

   ◆支配的(権力的)な意向に裏付けられている,

ような発言です。


 こういう文脈で「それって現実的じゃないよ」という発言を耳にする場合は,単に「現実的」というマジックワードでゴマカされているに過ぎないと見てよさそうです。

 ただ,我が国で使われている「現実的」という言葉のほとんどが,そういうゴマカシ色に染まっているような気もしますが。
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