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 阪神淡路大震災から13回目の1月17日を迎えるにあたり,何を書こうかなと思案していました。
 やっぱりこの数年の間,つらつら考えてきた「復興基本法と憲法」のことについて,触れておこうと決めました。

 昨年,私が初めて書いた本,「災害復興とそのミッション」の中から,一節を引用して,震災の日を迎えて言っておきたいことに代えたいと思います。
(「災害復興とそのミッションp74~76より)
 「人間」,「くらし」,「地域で暮らす価値」,「災害弱者への救済と支援」「被災地自治・被災者自治」などの法的要素がバランスよく盛り込まれた法制度が欲しいのです。
 その名称を「復興基本法」とよぶかどうかはともかくとして,復興の道標(みちしるべ)となる法制度が今必要とされていることは間違いありません。
 これらメニューをすべて取り揃えた法律が,すでに我が国には存在しているのです。
 それが,憲法です。

 ちょっと頭を柔らかくしてみましょう。
 まず大きな前提として,憲法を制定した当時の日本の状況に思いを馳せてみます。
 1945年8月15日,日本は太平洋戦争に敗戦しました。戦後日本の国土は,焦土と化していました。阪神・淡路大震災の後,瓦礫と化した神戸の地を見て「まるで戦争の後のようだ」と呟いた人は少なくありませんでした。
 大地震によって壊滅した後の都市の様子は,さながら戦後の我が国の姿そのものだったわけです。
 また,あまり知られていませんけれども,戦争前後には数々の大規模な自然災害が日本を襲っていました。
    1940年7月12日の三宅島噴火
     (死者不明者46人)
    1941年7月15日の長野北部地震
     (死傷者23人)
    1941年11月28日の豊橋竜巻
     (死傷者53人)
    1942年8月27日の台風16号
     (死者不明者1158人)
    1943年9月10日の鳥取地震
     (死者1083人)
    1943年9月20日の台風26号
     (死傷者1461人)
    1944年12月7日の東南海地震
     (死者不明者1223人)
 戦時中は山林の濫伐を行うなどして国土が荒廃してしたこともあって,ひとたび地震や台風が襲うと,被害が甚大なものとなってしまっていたそうです。

 先達は,戦争と自然災害のダブルパンチによって壊滅した焦土を前にして心に誓いました。なんとしてもこの国を復興させ,誰もが安心して暮らせる国にしようと。この決意は,まさに被災地を前に決意した現代の私たちの心情に通ずるものでした。きっと,こういう気持ちは人間の本能なのでしょう。

 そして,同時期に,日本国民は,新しい憲法をつくろうとしていました。
 日本全土の復興が端緒に着いたばかりの1945年11月頃,つまり戦争から3か月しか経っていない時期から,民間グループ,個人,政党,政府などが次々に新憲法の草案を作成して発表していました。現在の日本国憲法の叩き台になったとされる鈴木安蔵氏らで作る憲法研究会の「憲法草案要綱」も1945年12月26日に発表されています。これら官・政・民入り交じった活発な憲法論議を経て,1946年11月3日,新しい日本国憲法が公布されました。

 このような時代系譜を並べてみると,この新しい憲法を作るに当たって,当時の先達らが,何とかして日本を復興させようという強い意欲に駆られていたに相違なく,その思いを憲法に込めていたのではないかと強く推測されるのです。
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