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 明日は平成7年1月17日から丸13年目であり,被災地に生きる私たちにとって特別な日です。
 当地の新聞は,この1週間ほど前から,震災特集記事で一杯です。
 こういった記事に触れると,あらためて考えさせられることが非常に多いです。

 しかし,実は,私は13年前の地震の揺れを体験していません。
 私は被災者ではないのです。

 ただ,そのことが私の弁護士活動の原点になっていると思っています。
 それは,「体験していない」人が,「体験した人」の身になって考える(=何事も他人事と思わない)ということです。
 そもそも他人なのですから,他人事として,客観的に捉えることは容易です。
 だからこそ,弁護士には,感情移入とかいうのとは違う意味で,「我が事」として捉える視点がたいせつではないかと考えています。

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 そのきっかけともいうべき,
   震災非体験者の体験記
   (平成9年神戸弁護士会会報震災特集号に掲載)

を転載します。
1 その時
 その時,私は,司注研修所の寮の最上階の7階の部屋で,二回試験を目前に控え勉強をしていた。震源から遠い埼王県和光市では何も感じなかった。
 2~3分後,同期の友人から連絡があった。「つくちやん,さっき関西の方でえらい大きな地震があったらしいで。」「珍しいな。どの辺かな。」「ラジオでは神戸が震源やって言うてるよ。」驚いてラジオのスイッチをオンにした。
 「1月17日未明,淡路島北部を震源とする大地震が発生しました。神戸市東須磨のマンンョンが倒壊したという情報が入っています。新しい情報が入り次第続報いたします。」ラジオは同文句のアナウンスを延々と繰り返すばかりだった。「私は,須暦区の実家と尼崎市の婚約者に電話を入れた。電話器の向う側で,興奮している有様が手に取るように分かる。幸いにして,家族らは全員無事で,家も潰れていないとのことだったので簡略に用心を伝えて電話器を置いた。
 寮の修習生はほとんど寝ている。この事態を何も知らないはずてある。私は神戸,大阪に住まいのある寮生に片っ端から連絡を入れた。
 続いて阪神間に住む知人,友人等の安否が心配になり,次々 に電話を架けた,しかし,もう混線してしまってつながらない。
 午前7時を回りテレビニュースが始まった。ブラウン管を通して初めて被災状況を目にした。映し出される画像は阪紳高速道路の倒壊の様子,伊丹駅の倒壊の様子,各所の家々の倒壊の様子等々だった。
ラジオの報道からは想像もつかなかった惨状である。住み潰れた神戸の街が変わり果てたのを見て一時呆然となったが,すぐに途方に暮れた当地の人々の顔が思い浮かんだ。私は,「一人の神戸人として駆けつけ,何かしなければならない。」という思いに駆られたが,同時に,何もでさない自分の無力さを思い知った。仕方なく,ただただ画面に食い人るばかりだった。
2 研修所の当日
 司法研修所の新修習生寮の1階ロビーにはハイビジョンのテレビが設置されている。大画面の前は,早朝からものすごい人だかりだった。何人かが「君のところは大丈夫だったかい。」と声を掛けてくれた。
 私の場合「大丈夫です。」と答えることができたけれど,A氏は自宅が全壊し,B氏は家族と連絡が取れない状況にあったため,答える表情には憔悴と苛立ちの色が見えた。私は胸が痛んで,声を掛けることとさえできないでいた。
 A氏らは,すぐに帰りたいと研修所に申出たが,研修所は,「本日の課題(起案)を終えてからでないと帰省を許可しない。」とのこと。寮のロビーにざわめきが起こった。
 その日の起案を早々に終え,寮に帰ってテレビを見ると,出掛けには立っていた柏井ビルが完全に倒壊していた。各所で火事が発生し,多数の死傷者が判明するなど,事態は深刻さを極めていた。
 A氏らは被災地へ帰った。
 夜を迎えた。他の関係者はどうすることもできないので寮に残った。皆それぞれ,修習生としての通常の生活を維持するように努めた。意識的にそうすることで気を紛らわせたのである。ある人は黙々と勉強を続け,ある人は早々に床に就き,ある人は麻雀をしたり鍋をつついたりしていた。
 そんな日常を装ったのは,被災地から遠く離れた研修所において,震災が基本的によそ事であり,単なる一つの話題に過ぎなかったからかも知れない。テレビの中でしか知りえない遠い土地での出来事だから仕方がなかりたのだが,そんな雰囲気の中で,被災者のように振舞うのがなんとなく憚られるような気がしていた。
 その時の私の心境は何とも言い難い。例えれば,沈没船に乗った仲間達を一人対岸から眺めているような,あるいは,舞台の上にいるべき演者の私が間違って観客席にいるような,そんなもどかしいような,申し訳ないような思いであった。

3 その後
 私は,2月4日,被災地へ一旦帰ってきた。青木から板宿まで歩いた。目に映る風景は,言葉どおり想像を絶していた。しかし,一方で,帰るべきところへ帰ってこれたのだという安壌感を感じたのも事実である。被災地の状況を脳裏に焼き付け「何かをしなければならない。」という思いを強め,再び上京したのだった。
 しばらくして,同期の修習生から「ボランティアの口を紹介して欲しい。」と申出を受け,私が,ボランティア志願者を取りまとめることになった。あらためて募ったところ,約90名の参加希望者があった。震災から約半月が過ぎ二回試験が迫り,研修所での話題は試験のことばかりで,震災の話題は少なくなっていたのだが,私と同じ思いをしている者が少なくないことが分かって勇気付けられた。希望者のうち,何人かが「修習生として法律相談をしたら役に立てるのではないか。」と言っていたので,法律相談をすることも含め,有志の修習生とボランティア活動の内容を策定することにした。

4 研修所・神戸弁護士会
 大学受験を控えたC氏のご子息が家を失い,受験勉強に支障を来したので,C氏の部屋に入居することを許可してくれないかと願い出た。ところが,研修所は,前例のないことを認める訳にはいかないとして,この申出を却下した。そんな出来事があった。
 それと前後して,私たちのボランティアの計画が知られるところとなり,研修所に動きがあった。まず,ボランティアを募るチラシの掲示が不許可になった。続いて,私は,研修所から呼出を受け,説明を求められた。「君たちはボランティアをするということだが,その活動内容に法律相談が含まれているのは本当なのか。」「そのとおりです。」「非弁活動にあたらないか。」「報酬を得る目的もありませんし,業として行う訳でもないので問題ないと考えています。」「修習生に法律相談が出来るのか。」「法律相談といっても,修習生ですから,弁護士と同じような相談をするつもりは毛頭ありません。いわば,力ウンセリング・脳み事相談というレべルに留め,相談者にも十分な理解を得て行うつもりです。」「研修所としては,修習生の相談内容に責任が持てないので,君たちの考えには消極である。ただ,被災地で修習生の法律相談の需要があるということであれば斟酌してみてもよい。」
 私は,就職先事務所を通じて,神戸弁護士会の役員の見解を聞いてみた。神戸弁護士会の意見は,「法律問題は日々複雑化しているので,修習生が対応できるようなレべルの相談は少なくなってくると思う。法律相談は,弁護士の横で傍聴する形から受け入れてもよい。それ以外の相談は公式に認めるわけにはいかない。」というものだった。事実上,法律相談の線は消えた。研修所との問題は一段落したものと思われた。
 しかし,研修所は再び私を呼出し「ボランティアをしたいという君たちの気持ちは大変結構であるが,研修所としては,修習生のボランティア活動そのものに責任を持てないので,ボランティア自体を認めることはできない。」と方針を変化させていた。「しかし,ボランティアは個人的に自主的に行う活動ですから,研修所から許可を得る必要もないし,制限を受けるいわれもないと思います。」と反論すると,「試験終了後は,事由研究となっているが,ボランティアを自由研究と見なすことはできない。また,遠方に出る場合は旅行届けを提出しなければならない。」という。「旅行届を提出したら許可を出してくれるのですか。」「旅行の目的を審査して判断する。」「では,旅行の目的がボランティア活動だとしたら許可されるのですか。」「仮定の話はできない。」
 研修所は,その後,ボランティア参加希望者を調査し,その自宅に直接架電して旅行届けを提出するよう指示するなどして圧力をかけてきた。しかしそれでもボランティア参加希望者のほぼ9割方の修習生が被災地の土地を踏んだ。被災地のことを真剣に考え,圧力にも屈せず尽力してくれる仲間が多くいることを,一神戸人として非常に嬉しく,また頼もしく思った。

5 ボランティア
 試験が終了してから約二週問,私は,神戸大学の避難所で風呂焚きのボランティアをした。神戸大学には大学生の組織する「神戸大学学生震災救援隊」という団体があり,その下で活動が展開されていた。全国各地からの参加者が泊り込み,修習生だからといって特別視されることなく,また,年齢の垣根もなく,高校生とお互いにタメ口で話す雰囲気に心地好さを感じた。原始的かつ精力的な毎日の生活は研修所の寮生活とは180度異なっていた。若者の剥き出しの正義感を肌で感じた。新鮮な体験だった。
 私の担当した風呂焚きボランティアというのは,解体廃材なたで薪割りし,ドラム缶で湯を沸して,バケツリレーで風呂桶に運ぶというものである。力仕事が中心なので毎日の食事はうまかった。風呂の設備は,全て手造りなので日用大工ばかりしていたような気がする。避難所の被災者の方々と触れ合いながらの活動は楽しく,無心に打込むうちに,研修所でのもやもやした気持ちが霧散していった。

6 弁護士登録
 しかし,ボランティアで,自分が役に立てたかどうかについては甚だ疑問を感じている。自分の費やした労力時問の割に被災者の方々にもたらした便益はあまりにも小さかったと思う。ボランティアの経験を通じて,私は,自分にしかできないこと,あるいは,より役立つことは何かということを痛切に考えさせられた。
 弁護士としての未来図は,全くの白紙であったが,そこには端的に「困っている人を助ける」という側面があるため,この点に大きな誇りを感じて弁護士としての第一歩を踏み出すことができた。
 しかし,今こうして思い出してみると,ひとつひとつの出来事が,確実に過去の事柄になり,登録時に感じていた気持ちも薄れていっているように思う。
 被災経験のある者はいつまでもこの惨事を忘れることはないだろう。だから,復興に寄せる思いも当然強くなる。しかし,それだけでは足りない。今後の復興に欠くことのできないのは,「被災体験のない者」の熱意なのかも知れない。その意味で,震災を外から見ていた私の様な存在にも存在意義があるだろう。震災非体験者としての使命を肝に銘じつつ,震災復興に微力を尽くしたい。
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