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20070920070241.jpg 「米」という字は,「八十八」と書く。
 これは,米ができるまでに88にも及ぶたくさんの手間をかける,という意味なのだそうだ。
 だから,米は粗末にしてはいけない,ということにもつながるらしい。

 うちの近所の田でも,まさに稲穂が大きく実り,頭を垂れているところだ(写真)。
 多くの手間がかかっているのだなと思うと,米一粒も無駄にできないと感じることができる。

 しかし,三笠フーズの「汚染米洗浄」という手間は,断じて,よろしくない。
 三笠フーズの行動は,八十九番目の手間であり,より多く手間を掛けているとも言えるかも知れないし,米一粒も無駄にすまいという精神なのかも知れないけれども,
 人をダマしたり,暴利を企図して行うことは,一見,正当を装っていても,やっぱり本末転倒だ。


 そんな,言葉遊びみたいなもので連想したのが,京丹波のフリースクールでの虐待問題。

 フリースクールというのは,文字通り「自由」に経営や教育を施せる私設の学校だ。
 学校に居場所がなく苦しんでいる子どもたちが,フリースクールに通っている例が多い。

 しかし,フリースクールに対する規制がないのをいいことに,鉄格子や三重鍵で監視をしたり木刀で殴ったりして,内職等をさせ,集団生活を送らせていたということだ。
 まさに大人のやりたい放題(自由)で,子どもに不自由を課していたことになる。

 東京にフリースクールを開設して20年以上活動しておられる奥地圭子さんの随想で,
 「義務教育というのは,子どもの義務ではなく,子どもの学ぶ権利を保障する,大人の義務だ」
という言葉を耳にしたことがある。
 まさに至言だ。
 フリースクールは,「子どもの教育享受権の選択の自由」であって,経営側の「自由」ではない。

 私がお会いしたことのあるフリースクールの関係者のみなさんは,ほとんど全て,このような正しく発想と尊い志をもって,とても有為で貴重な活動に取り組んでおられる。
 また,みなさん,実った稲穂のように謙虚であり,一人ひとりの子どもに対し,一粒一粒の米を大事に育てるのと同じように,一生懸命,丁寧に手塩を掛けて,育てようとしておられる。

 それと比べると,今回の虐待フリースクールは,経営者が,言葉の意味を完全にはきちがえている。
 その場所は,経営者にとってのフリーゾーンに過ぎない。

 誰のためにあるフリー(自由)スクールなのかを見誤った,本末転倒の結果であり,
 不登校の子どもたちの,一人ひとりの個人的価値を尊重しなかった結果である。

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