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 平成21年4月14日最高裁判所の痴漢冤罪判決は,裁判員制度を直前に控えたこの時期に,刑事裁判のあり方について,
   「基本に戻って,司法の初心を忘れるな!」
ということを,スパッと言い切った,たいへん意義深い判決です。

 最高裁の判決文の全文は,こちらにあります。(最高裁HPはこちら
 本文の部分は,もちろん重要ですけれども,
   那須弘平裁判官(弁護士出身)
      と
   近藤崇晴裁判官(裁判官出身)
の補足意見は,

   ◇刑事裁判はいかにあるべきか

   ◇冤罪を防ぐために求められる慎重さとは何か

   ◇合理的な疑いを超えた証明とは何か

   ◇裁判官は独善で偏見を持っていないか


といった,刑事裁判の本質をズバッと言い当てた,唸らせるようなコメントにあふれています。

 司法関係者ではなく,むしろ裁判員になろうとする市民の方々にこそ,この那須意見&近藤意見をご一読いただきたいと思います。

 この最高裁判決は,3つのメッセージを含んでいると感じました。

1 裁判官は,曇りのない目で,職業的な経験則にとらわれない審理を行え!
「被害者の供述するところはたやすくこれを信用し,被告人の供述するところは頭から疑ってかかるというようなことがないよう,厳に自戒する必要がある。」(近藤補足意見より)
「文献等に例示される典型的な論理則や経験則に限ることなく,我々が社会生活の中で体得する広い意味での経験則ないし一般的なものの見方も「論理則,経験則等」に含まれると解するのが相当である。」(那須補足意見より)


2 捜査機関は,供述に頼らず,物証などの客観的な証拠を重視せよ!
「物的証拠等の客観的証拠は存しない(被告人の手指に付着していた繊維の鑑定が行われたが,Aの下着に由来するものであるかどうかは不明であった。)・・・・したがって,Aの供述の信用性判断は特に慎重に行う必要がある」(判決本文より)


3 裁判員は,「合理的な疑いを超えた証明」の原理に基づき,慎重に審理をせよ!
「合議体による裁判の評議においては,このように,意見が二つ又はそれ以上に分かれて調整がつかない事態も生じうるところであって,その相違は各裁判官の歩んできた人生体験の中で培ってきたものの見方,考え方,価値観に由来する部分が多いのであるから,これを解消することも容易ではない。そこで,問題はこの相違をどう結論に結びつけるかであるが,私は,個人の裁判官における有罪の心証形成の場合と同様に,「合理的な疑いを超えた証明」の基準(及び「疑わしきは被告人の利益に」の原則)に十分配慮する必要があり,少なくとも本件のように合議体における複数の裁判官がAの供述の信用性に疑いをもち,しかもその疑いが単なる直感や感想を超えて論理的に筋の通った明確な言葉によって表示されている場合には,有罪に必要な「合理的な疑いを超えた証明」はなおなされていないものとして処理されることが望ましいと考える(これは,「疑わしきは被告人の利益に」の原則にも適合する。)。」(那須補足意見より)

 ちなみに,最高裁の第二小法廷でも,民事事件ですが,痴漢冤罪による損害賠償請求事件で,証言の信用性について慎重に判断せよ,という判決が出たばかりです(最高裁平成20年11月7日判決)。
 この流れは,裁判員制度を迎えるに当たって,司法の基本を再認識しようとする,一貫した流れに違いありません。
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