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 夫婦関係をはじめとする親族をめぐる法律相談はとても多い。
 この傾向は,うちが市民事務所を銘打っているからではなく,
全国的に見ても増加傾向なのだろうと思う。

 相談を聞いていると共感を覚えるものもあるし,感覚的に付いていけない話もある。
 もちろん,私も職業弁護士だから,できる限り法的な観点から助言をするように心掛けている。

 しかし,どうしてもしっくり来ないときがある。

 きれい事かも知れないけれども,「愛」の観点が欠落している場合に,しっくり来ないのかなと思う。

 離婚事件であれば,「愛」の裏返しの憎しみなら,まあ何とか理解できる。
 また,離婚に伴って,子どもを育てていくための養育費の確保の問題もあるし,子どもに会いたいという面接交渉の請求についても,子どもへの「愛」が動機になるなら,肩入れしたい気持ちになる。
 しかし,単なる意地や,駆け引き,策略がらみの話だと,ちょっとどうかなと思ってしまう。

 それから,成年後見人をやる場合に,年老いた親に対する接し方に,「愛」があるなら,できる限り大目に見ようという気持ちになるが,相続の前哨戦だとビジネスライクにドライな目で見ざるを得なくなる。

 仕事でくたびれたときに,時々思い出すように,さだまさしの歌を聴く。
 特に,家族愛を歌った歌を好んで聴く。
 たとえば,「関白宣言」を例に挙げると,舅・小姑かしこくこなせ,たやすいはずだ,愛すればいい,なんて下りがあるが,そういうのを聴くのも清涼剤みたいなものだ。

 現実の家族像に接する限り,決して「たやすいはず」とは言えないけれど,さださんの言う「愛すればいい」というくだりは,まさに正解だと思うのである。
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