昨日のNHKスペシャルで,吉田久裁判官のドラマをやっていました。

  「気骨の判決」

というタイトルで,翼賛選挙無効判決 (=1942年の第21回衆議院議員総選挙の鹿児島2区の選挙無効事件)を言い渡した,大審院第3民事部の裁判長だった,吉田久裁判官をモデルにした実話です。

 判決は,昭和20年3月1日。
 東京大空襲の9日前,終戦を迎える半年前のことで,戦争の真っ最中で,しかも著しい狂気に突入していた時代に,このような判決を出すことの困難さと,それを克服した吉田裁判官の勇気が,ドラマの主題です。

 裁判の合議のシーンで,
    「私は,市民ではなく,法律家として,法律の精神に則って判断する」
と静かに語る場面が出てきます。
(正確には,「私は、今回の判決を出すにあたり、一国民としてではなく、一法律家として原点に立ち返って考えたいと思う。だれもが、自分たちが定めた法律を見失い、戦争という困難に直面している今こそ、毅然と指針を示すのが、われわれ法律家の務めだと思う。」というセリフのようです。)

 これは,言うまでもなく法律家としての当然の基本でありますが,そのことの現実的な難しさが,とてもよく伝わりました。

 たいていは,「市民の視点」というと,「善」と捉えられがちです。
 「市民が・・・」「世論が・・・」と言えば,トランプのジョーカーのようなオールマイティーパスのように,正当化の御旗となりがちです。
 しかし,「市民的」というのは,ときに狂気であり,理性を欠いていることもあるわけで,
 それを,理性と正義でコントロールするのが「法」です。
 (そういう精神が立憲民主主義です。)

 「法の支配」を全うすることの勇気こそ,「気骨」なのだと感じるとともに,
 これから迎えるであろう窮屈で不寛容なポピュリズム時代を前にして,
 自分にそのような姿勢が保てるだろうか,自信がないな,と反省仕切りの気持ちとなりました。

 加藤周一さんと同じような尊敬を吉田裁判官に感じた次第です。
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