私が加藤周一さんのファンになったのは,
    「羊の歌」(岩波新書)
を読んだのがきっかけだ。

 太平洋戦争の前後にわたり,世の中が一斉に極右傾化していく(狂っていく)なかで,
まったく揺るがぬ姿勢を持ち続けたことに力強さを感じ,
そしてその態度が,実に静かで,冷静だったところに美しさを感じたのである。

 周囲の空気に染まりやすい私には,とてもできない芸当だ!
と今でも羨望の思いは新鮮に感じるし,

 もし,これから日本が狂ってしまっても(狂いつつあるが・・・),
加藤さんのように,静かに自分を見失なわないでいたいと願っている。

 このブログを細々と続けているのも,自分の立ち位置を,自分で見失わないように記録しておきたいからである。


 今日の朝日新聞で,同じような勇気を備えた村長さんの記事に出会った。

 「国旗に一礼しない村長 曽我逸郎さんに聞く」

 このインタビュー記事は,後掲しておくが,たとえ小さくとも「村長」という責任ある立場の人間が,
 世の中の流れというバケモノに対して,勇気を持って抗している姿が,素晴らしい。

 私も,村長さんが議会答弁で語った,
  「私は、日本という国を誇りにできる国、自慢できる国にしていきたいというふうに熱望をしております。」
という言葉に,我が意を得たり!との思いを感じる。

 だからこそ,この国を誇れる国にしていく個々の自発的な意識が大事なのだ。

 上から押し付けたり,周りから取り囲んだりすれば,一人ひとりの心は,小さく閉じて固まってしまう。
 そんな国にしたくない。

 曽我村長には新鮮な羨望を感じる。
 私も,静かに,しかし,決して自分を見失わないでいたい。

 以下,参考として,
   ■朝日新聞の記事と,
   ■村議会の議事録から曽我村長の答弁
を引用する。
国旗に一礼しない村長 曽我逸郎さんに聞く
http://digital.asahi.com/articles/TKY201209200568.html?ref=comkiji_redirect&id1=2&id2=cabcajcb

 入学式などで、国旗に向かって一礼する。すっかり見慣れた光景だが、長野県中川村の曽我逸郎村長はあえてそうしない。人口5千人ちょっとの小さな村で起きた論争から考えた、この国の姿は――。
■意見ぶつけ合わず現実に流される国 誇りを持てますか
 ――中国や韓国との間で領土問題がこじれていますね。この穏やかな村からどう見ていますか?
 「人々の愛国心に火をつけて、自分の人気取りや都合のために利用しようとする人たちが問題です。日本も相手国も同じ。私たちも軽率に踊らされず、『国を愛する』とはどういうことか、こんなときこそ冷静に考えるべきだと思います」
 ――村長自身はどう考えますか? 公の式典で国旗に礼をしないことについて、6月議会で答弁していますが。
 「国旗に敬意を示すというのは、国家が上にあり、その下に自分がいるという問題設定です。本当の国民国家であれば、持つべきは敬意ではなく誇りであるはず。『日本は素晴らしい国だ。私は誇りに思う』というのが自然でしょう。これが愛国心だと思います。ただ、私も誇りを持ちたいとは思うのですが、とてもそんな状況でありません」
 「憲法前文で『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』とし、『国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成すること』を誓ったわけじゃないですか。それをなおざりにし、周辺国の脅威をあおり、軍事力を増強し、さらには沖縄県民が基地問題で迷惑をこうむっても我慢してもらおうという姿勢です。『そうは言っても……』と、現実を前に妥協してしまっている。問題点と理想の間をどう埋めるかという努力をしていないのです」
 ――より具体的には?
 「数年前、長野県の戦没者遺族大会と追悼式に参列したとき、あいさつした方々が『みなさまの犠牲のおかげで、いまの日本の繁栄があります』『恒久平和をお誓いします』といったことをおっしゃっていた。そのころは、まだイラク戦争の最中です。自衛隊派遣が問題となり、劣化ウラン弾で子どもたちが犠牲となっていました。でも、そんな話には触れない。『恒久平和』なんて、まったく上滑りな、口先だけの言葉です。その場の空気にふさわしいことばかりを考えておられるのではないでしょうか。式典に限らず、日常の会話でも『さしさわりのない話をしておこうかな』みたいな風潮が広がり過ぎているような気がします」
 「私が国旗に礼をしない理由を端的に言えば『こういう場では礼をしなさい』『それが大人だ』という雰囲気がいや、ということです。目に見えないプレッシャーは危険な気がします。『まあいいや、これぐらい』と従うことが、いやな空気をつくり、長い目で見たら怖い結果につながりかねない。戦時中、派手な格好の人がいたら『この非常時に』と後ろ指を指していたわけです。でも『こういうときだからこそ、私はおしゃれするのよ』というあまのじゃくがきっといたはず。そういう存在は大事ではないでしょうか」
 ――村のホームページに主張を載せ、コメントも受け付けていますね。批判はありますか?
 「関東や関西など各地からメールがあり、電話もきます。提起した問題そのものについてより、むしろ『公私をわけろ』『立場をわきまえろ』といったものが多いんです。匿名が目立ちますね。国旗の件については『敬意は和を生み出す尊いもの』と書いてきた方がいました。それは、1937年に当時の文部省がつくった『国体の本義』にある『和』の考えに似ている。それぞれが身分や立場をわきまえ、分を忠実に守ることによって、美しい和が生まれると書いてあります」
 「広告会社で働いていたころ、しきりに『和』を口にする上司がいました。批判されるとか、部下からいろんな意見が出てくるのがいやな人でした。ダイナミックな変化が怖い人ほど『和』と言うんです」
 「でも、他人と違う意見はそれ自体に価値がある。異なる意見はお互いに物事の見方の幅を広げてくれるじゃないですか。だから、あえて私は本当に思っていることを公言し、一石を投じているつもりです。実際、私の意見に批判的なコメントへの返事を書いていると、自らの論理の飛躍に気づき、手が止まることがあるんですよ」
 ――では、国に誇りを持つには?
 「先日、元・航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄さんがツイッターで『我が国では核兵器保有を訴える言語空間は閉ざされたままなのです』とつぶやいていました。私は『言語空間のせいにせず、ご自身でがんがん主張されればいいのでは?』とコメントを書き込みました。愚かな言説はその愚かさゆえに駆逐されるはずですから、少数意見か多数の意見かは関係ない。民主主義とはとにかく意見をぶつけ合うことです。思っていることを、だれもが本気で言えるようになったら、それだけで日本はずいぶん変わるんじゃないでしょうか。誇りを持つ国にする最初の一歩だと思います」
 ――福島第一原発の事故を機に多くの人が声を上げるようになり、デモという行動にも出ていますね。
 「私も7月29日の国会包囲デモに個人的に参加しました。一連のデモは歴史の変わり目を示している気がします。どんな人が来ているのか実際に見て、思いを共有してみたかったんです。ただ、いまのデモは整然としすぎていますね。本気で怒りを見せるには、もう少し『収拾のつかなさ』みたいなものが必要ではないでしょうか」
 「中川村は静岡県の浜岡原発から約100キロ。もし大事故が起きれば、村の暮らしだって根こそぎだめになります。別にぜいたくはできなくてもそこそこ食べていくことができ、それぞれの人が仕事や暮らしに誇りを持ってやっていくことができる。そういう村であり続けたいとの思いが脅かされる。それを阻止したいというのは、村長としての気持ちでもあります」
 ――広告会社に勤めていたころ、電力会社の担当になるのを断ったと聞きました。
 「入社して十数年たったころでした。原発のPRはしたくありませんと告げたら、上司が『電気を使っているのに何を言っている』『お前もサラリーマンなんだから』と言うので『じゃあ会社を辞めます』と答えました。結局、会社には残りましたが、せめて私が消費する電力のうち原発に依存する分を減らそうと、意地で階段を上り下りしていました」
 「学生時代に、原発施設での被曝(ひばく)労働者の話を小耳にはさんでいたことが背景にあります。そんなものの宣伝をするわけにはいかないと思ったんです。誰にも、踏み越えられない一線があるじゃないですか。それをしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです」
 ――理想主義者と言われませんか。
 「それはないですね。現実主義者とも言われません。でも、頑固だとは言われますね。自分では柔軟だと思っているんですけど」
(聞き手・磯村健太郎)
     ◇
 そが・いつろう 55年長崎県生まれ。電通で営業部長などを経て、02年に退社して、中川村に移住。05年、村長に初当選。現在2期目。
     ◇
 〈中川村〉長野県南部の上伊那郡にあり、中央アルプスや南アルプスに臨み、天竜川が流れる。リンゴやナシなどの果実栽培が盛ん。周辺自治体との合併の是非をめぐり、05年の村長選で合併反対派が擁立した曽我逸郎氏が当選。農山村の景観・文化を守るためのNPO「日本で最も美しい村」連合に参加。
     ◇
 村議会での「国旗についての認識は?」との一般質問に対する村長の答弁(一部)
 私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたいと熱望しています。日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になってほしい。しかし現状はまったくほど遠いと言わざるを得ません。
 一部の人たちが、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。声高に主張され、人々を従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本は良い方向に動き出すことができるようになります。
 誰もが考えを自由に表明しあい、あるべき日本、目指すべき日本を皆で模索しあうことによって、誇りにできる日本、世界から敬愛され信頼される日本が築かれる。
 日本を誇りにできる国、世界から敬愛される国にするために、頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えようと考えております。




中川村の村議会議事録より(H24年6月 一般質問2日目)
http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/index.php?f=hp&ci=10129&i=11240

(質問)
国旗と国歌についての村長の認識ということで村長にお伺いしたいと思います。
小中学校の入学式、卒業式、長く、私も、会を、その場を拝見いたしました。
村長は、国旗に礼をされていないように思います。このことについて村長の、国旗
に関する認識といいますか、考えをお聞きしたいと思いますけれども。
(答弁)
○村 長 大変ありがたい質問をちょうだいいたしました。
ご質問の件につきましては、村民の皆さん方もいろいろと想像しておられる方もい
らっしゃるかもしれませんし、いろいろ解釈しておられる方がおられるかもしれませ
ん。そういう皆さん方に対して説明をするよい機会を与えていただきましたこと、感
謝を申し上げる次第でございます。
私は、日本という国を誇りにできる国、自慢できる国にしていきたいというふうに
熱望をしております。
自分が誇りにできるだけではなくて、世界中の人々から尊敬されて、敬愛される、
愛される国に、世界中の人々からも愛される国になってほしいというふうに願ってお
ります。
それは、どういう国かといいますと、まず、国民を大切にし、自国の自然や文化を
大切にし、外国の自然や文化も大切にし、外国に人々に対しても貧困や搾取や抑圧や
戦争や災害や病気などで苦しむことの少なくなるように、できる限りの努力をする国
であります。
海外の紛争や戦争に関しても積極的に仲立ちをして、平和の維持、構築のために骨
身を惜しまない、災害への支援にも積極的に取り組む、たとえて言うならば、日の丸
というものが、赤十字や赤新月と、そういう同じ並びで、赤日輪といいますか、そん
なようなイメージで世界中の人から思っていただけるような、そんな国になればいい
なというふうに思います。
そして、世界中の人々から尊敬され、愛される国になるということが日本の国の安
全保障にもつながることだと思います。
このことは、私一人の個人的見解ではなくて、既に 55年以上も前から、きちんと文
章に書かれております。それは、日本国憲法の前文であります。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く
自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全
と生存を保持しようと決意した。我らは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭
を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めた
いと思う。我らは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生
存する権利を有することを確認する。
そして、この憲法前文は、次のような言葉で締めくくられています。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげて、この崇高な理想と目的を達成す
ることを誓ふ。
しかしながら、現状は、全くほど遠いありさまだと言わざるを得ません。
日本国は、名誉にかけて達成すると誓った理想と目的を本気で目指したことが、こ
れまで一度としてあったのでしょうか。
東京電力福島第一原発による災害では、国土も世界につながる海も汚染をさせまし
た。たくさんの子どもたちが、かつての基準なら考えられない高汚染地域に放置され
ています。そしてまた、安全基準も確立しないまま、目先の経済を優先して大飯原発
の再稼働を急いでいます。
放射性廃棄物をモンゴルに捨てようとしたり、原発の海外輸出まで模索しておりま
す。
明治になって日本に組み入れられた琉球は、抑止力のためという本土の勝手な理屈
で多くの米軍基地を押しつけられ、さらに、また、美しい海岸をつぶして新たな米軍
基地をつくろうとする動きがあります。
イラク戦争に協力し、劣化ウラン弾で子どもたちが苦しめられることにも、日本は
加担しました。
兵器輸出の緩和さえ模索しています。
ほかにも、福祉を削ろうとして貧困を自己責任に転嫁するなど、言い出せば切りが
ありません。
ともかく、今の日本のありさまは、誇りにできる状況からほど遠いと言わざるを得
ません。
しかしながら、誇りにできる状態にないから国旗に一礼をしないということではあ
りません。
完璧な理想国家は、あり得ないでしょう。
しかし、理想を目指すことはできます。
しかし、その素振りさえ日本にない、そこが問題であります。
そして、もっと問題なのは、名誉にかけて誓った理想を足蹴にして気にもしない今
の日本を、一部の人たちが褒めたたえ、全面的に肯定させようとしている点です。こ
の人たちは、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々に、人々をそれに
従わせる空気をつくり出そうとしています。声高に主張され、人々をしたがわせよう
とする空気に従うことこそが、日本の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと
いうふうに考えます。
人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべ
きか、一人一人が考えを表明し、自由に議論し合える空気が生まれ、それによってこ
そ日本はよい方向に動き出すことができるようになります。
人々に同じ空気を強制して現状のままの日本を肯定させようとする風潮に対して風
穴を開け、だれもが考えを自由に表明し合い、あるべき日本、目指すべき日本を皆で
模索し合うことによって、誇りにできる日本、世界から尊敬され、愛され、信頼され
る日本が築かれる、そのように考え、そのために、今の現状においては、国旗、国歌
に対する態度を一定の形にはめようとする風潮がある状況に置いては、国旗への一例
は、なるべく控えたほうがいいんではないかと思っている次第でございます。

(質問)
(高橋 昭夫) 曽我村長っていうか、曽我さんが考えられることは、それは、理想
を目指す、それは結構だと思うんです。個人の自由だと思いますが、国旗、国歌の反
対という、そのことがあれば、それは、私的な時間っていいますか、そういう場所で
大いに主張されるがいいと思います。私は。しかし、ここは、村長、きのう、話も出
たけど、村長という立場を、公人としてあるという、こういう形の中においては、理
想を目指すことは結構であるけれども、この法の日本の法律っていうか、国旗・国歌
法っていうのは、国旗は日章旗、それから国家は君が代というのがありますが、そう
しますと、あれですか、ここの学校においては、生徒も先生も、それは、礼をしなく
ていいと、こういう考えなんですか。公人としての、そのものの思いというものを、
個人はいいですよ、村長としての認識、それを改めてお聞きしたいと思います。

(答弁)
○村 長 学校に対して、すべきだとか、しなくていいとかいうようなことは、申し上げたこ
とはございませんし、教育現場に対して行政のほうからいろいろ口をはさむことは余
りすべきではないというふうに考えているところでございます。

(質問)
(高橋 昭夫) 私は、君が代のような形で行けば、何ていうのかな、君が代、自分
が思っているという、君というのは、天皇に限らず、親しみの君というか、あなたっ
て、卒業式では、いとしいというか、先生がね、いとしいというか、こういう教え子
の、 あなたの人生が長く豊かに続くようにと、 こういうような思いっていうのは、 昔、
ちょっと聞いたことがあるんで、 そのぐらいの形のものだから、 余り抵抗なくですね、
やっておりました。小中学校卒業式、入学式、そのものにおいてはですね、生徒、児
童、礼をきちんと、壇上に上がるのには、あいさつをされるには礼をもって、登壇、
降壇、そこに節もってやられる、村長は、後ろも振り返らずに降壇されるっていう形
のものは、それは、国旗もありますけど、校旗もあったり、そういうものもあります
からね、ですから、私は、そういうところは、やっぱり、ちょっと公人として、もう
少しやわらかいところが、ですから、先ほど言うように、ほかのものは主張されてい
いです。いいと思いますけれども、村における村長としての任、その責というものを
持ってと思いますけれども、どうですか。いかがですか。もう一度伺います。一言お
願いします。

(答弁)
○村 長 まあ、思うことは、今、お話を聞いていて思ったことは、やっぱり、そういう立場
とか、場の空気とか、そういうものに従うのが大人だとかいうようなことっていうの
があって、その中でですね、きっと、前のときも戦争に押し進んでいくっていうこと
が、この場が、これは、万歳するのが注文よというような、そういうようなものの中
で進んでいって、だんだんとその雰囲気が、空気というものが固まっていくというふ
うなことはあるのではないかなというふうに思います。ですので、先ほど申し上げた
ように、私は、この憲法の考え方の中で日本国家のあるべき名誉にかけて誓ったとこ
ろを実現することこそ。 日本国民としていいことではないかなというふうに思うので、
一日本国民として、名誉にかけて誓ったことを何とか実現するよう、微力ながら、国
のあり方、国の理想、世界に対する日本の役割みたいなところを考えて、また、その
ことについて問題提起もしていきたいなというふうに考えているところでございます。
Secret

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